ヘリオスコープのその先で



 「話、逸れちゃったっスね」と言って、彼は義骸の入った箱の縁に手を添え、中を覗き込むようにして言葉を継いだ。

 
「朝緋サンには、この義骸たちの霊子回路の確認をお願いしようと思ってるんス」
「霊子回路?」
「はい。ここにあるのは、完成したけど問題があって使えなかったものや、使用済みの傷んだ義骸なんスよ」
「へえ……全然、どこも悪そうに見えないですけど……」
「見た目は問題なくても、正常に機能しない。つまりは、中身の霊子を循環させる回路に異常があるって事っス」
「……なるほど」


 彼がこうして、理屈を交えて話をするところが私は好きだった。けれど今、こうして目の前でそれを聞き、もっと好きになる。話している時の表情や仕草、雰囲気から滲む底知れない知性。普段は飄々として掴みどころがないからこそ、ふとした時に見せる真摯な眼差しに私は目が離せなくなる。――女はいつだって、好きな男のかっこいい所には、どうしようもなく弱いんだ。

 彼は義骸に向けていた視線をくるりとこちらに戻し、人差し指をぴんと立てて、いつもの調子で明るく言った。


「そういうわけで、朝緋サンには全身に埋め込まれている霊子回路の、どこに異常が起きているかを確認する作業をお任せしたいんスよ」
「……でも私、霊子の操作なんてやったこと――」
「大丈夫っスよ、はいこれ!持ってみてください」
「……?」


 彼が懐から取り出したのは、片手に収まる程度の半透明の球体だった。例えるなら、そう。占い師が手にする水晶玉に似ている。少し曇った白いガラス玉のような、神秘的な光を帯びた球体。


「これは一体……?」
「簡単に言うと、霊圧を可視化出来るもの……っスね。死神になるための霊術院で使われる、初歩的な道具に似せてボクが作ったものっス」
「……霊圧の、可視化……?」
「はい。……ああ、今はボクが霊圧を込めていないので、ただの水晶玉に見えるんスけど……」
「……!」


 言いながら、彼は私の差し出した右手の上にそっと水晶玉を置いた。


「ほら、朝緋サンの手が触れてるところ、色が変わったでしょう?」
「本当だ……なんでだろ」
「これは、貴女の霊圧に反応してるんスよ」
「……へえ……、え?」
「死神の持つ霊力ほどではありませんが、これが反応する程度には、朝緋サンにも霊力があるって事なんスけど……もしかして、気がついてなかったっスか?」
「……いやぁ、その。私にはてっきり、そういう力は全くないんだとずっと思ってたので……」


 彼の言葉に嘘はない。彼が創った道具が、誤作動するはずもない。私の手に触れた部分だけが赤く染まったこの水晶玉こそが、何よりの証拠なのに。……それでも、自分に霊力があるだなんてすぐには信じられなかった。あんなにも強く、無力を嘆いていたから尚更だ。


「通常、尸魂界にいる魂魄の中で、空腹を感じるのは一定の霊力を持っている証拠と言われています。朝緋サンも、心当たりがあるでしょう?」
「!」
「……ありゃ、ホントに予想外、って顔してるっスね」
「……私、今まで自分の事なーんにも知らなかったんですよね、へへ」
「――!」
「そっか。私にも、小さくても、あったんですね。……そうだったんだ」


 ああ、私ってば、何でこんなに大事なこと忘れていたんだろう……!そうだよ、私、お腹空くじゃないか。ごく当たり前に、ご飯を食べてたじゃないか……!先程まであれだけ無力な自分を嘆いていたのが、途端に恥ずかしくなる。霊力がある魂魄は空腹を感じる、この世界にあるごく当たり前の理屈を、すっかり失念していた。
 ――たとえ、死神になれるほどの力じゃなくても、ほんの僅かでも、霊力を全く持っていないのとでは全然違う。この世界において“力とは絶対”であり、霊力の有無は存在価値に大きく影響している。……描かれもしない、名も無き存在ではなく、名は無くとも、セリフの一言くらいはもらえるかもしれない、それぐらいには。「0と1」では、話が違うのだ。


「……これから一緒に、少しずつ見つけていきましょ。焦る必要は、ないっスから」
「……はい。ありがとうございます、浦原隊長」
「それじゃ、まずはこれっスね」


 彼は私の掌に乗っている水晶玉を人差し指でトントン、と弾いて指し示した。


「今、触れているところだけが赤く染まってるでしょう?この赤い部分を、球全体に広げてみてください」
「……それって、」
「大丈夫。朝緋サンなら出来るっスよ」


 にこり、と。眩しい笑顔を向けられる。……まったく、その自信は一体どこから湧いて出てくるんですか、と思わず突っ込みたくなった。
 
 ふう、とひとつ、息を吐く。――要するに、ただ触れるだけじゃなくて、この球体に霊圧を込めてみろって事なんだろう。霊子を扱った事がないどころか、たった今自分に霊力がある事を知ったばかりの人間に、ずいぶん無茶を言うなこの人は。


(……そういえば、!)


 ――そうだ。私はこの状況によく似た場面を知っている。たしか、一護がルキア奪還のため尸魂界に突入した時、空鶴さんからこのような課題を課せられていたはずだ。霊珠核と呼ばれる球体に、なかなか霊力を込められない一護へ、岩鷲が言っていたこと――

(心の中に、円を描く)
(その中心に向かって、体ごと飛び込む――)


「……お見事、上出来っスよ。さすが朝緋サンっスねぇ」
「……!」


 おそるおそる瞼を開けると、先程まで透明だった水晶玉は見事に真っ赤に染まっていた。少しムラはあるものの、全体に霊圧が行き届いているのがわかる。
 ……はあーー、よかった。正直こんな未知の力を扱うなんて全く出来る気がしなかったんだけど……まさかこんなすんなり上手くいくとは。十中八九、岩鷲のセリフのおかげだ。ありがとう岩鷲、いつか会えたらお礼を言わせてもらうよ。
 とはいえ、こうして目の前に自分の“霊力”が可視化されているにも関わらず、実感は全く無くてふわふわした気分だ。


「今やってもらったことを、この義骸に向かってやるだけっス。そうすれば、霊子回路が勝手に反応して霊圧を全身へ流してくれるんで、流れが途絶えている箇所を見つけて記録して欲しいんスよ」
「……なるほど」
「ね?片手でも出来る、とっても簡単でとっても大事なお仕事だったでしょう?」
「そうですねぇ、とってもやりがいのありそうなお仕事だ」
「大丈夫っスよぉ、すぐに慣れますから」


 彼はそういってへらっと笑った後に、ちらっと私の左手に視線を向けた。何か言いたそうにしていたけれど……結局何も言わぬまま、視線は扉の方へ。


「それじゃあ、ボクは戻りますので。終わったら報告書だけお願いします」
「はい、分かりました」
「それと……くれぐれも、“無茶”はしないように。ね?」
「は、はい。ちゃんと右手だけで頑張ります……」


 釘を刺すような、全てを見透かしたような言葉に思わずどきりと心臓が跳ねる。うわぁ、普通にバレてるじゃん……まあそりゃそうか……。内心ヒヤヒヤしながら、ぎこちない笑みを浮かべて彼を見送る。しかし、当の本人はそんな言葉とは裏腹に、最後はにこりと太陽のように眩しい笑顔を残して出て行った。パタン、と扉が閉まると同時に静寂が室内を包み込む。


 ――神様、見ていますか。どうやら私には、普通を捨てた意味がちゃんとありそうなんです。喜ぶ程の力じゃないかも知れません。それでも、試験管の中から自力で抜け出す事が出来そうなんです。
 私にもいつか、この物語の登場人物として名前を連ねられる日が来るでしょうか。――そう、願うくらいは許されるでしょうか。


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