必然の中の偶然を願って


 霜月。夕暮れまでの時間は日に日に短くなり、吹きつける風は指先の温度を奪っていく。風にちぎれた木の葉が名残惜しそうに空を舞い、落ち葉を踏むたび、乾いた音がやけに胸に残る。
 ――私が技術開発局に来てから二か月が経った。左手の火傷はすっかり癒え、今では朝から晩までバリバリ働いている。主な業務は雑用や庶務など、いわゆる裏方仕事だけれど、最近では実験の補助など、少しずつ“技術開発局の一員”としての仕事も任されるようになった。毎日毎日新しいことを覚えなければついていけない、そんな思いが時間経過という感覚を私から奪っていく。みんなでお月見をしたのがついこの前のように思えた。

 喜助さんに教えてもらった義骸の霊子回路調査は、どうやら正式に私の担当になったらしい。毎日欠かさず確認し、それに合わせて、水晶玉に霊圧を込める練習も続けていた。おかげで、最初は色ムラが出来ていた水晶玉も、今は均一に真っ赤に染められるようになってきた。多少は、霊圧を込めるのが上手くなった、というわけだ。
 おかげで、霊子回路の滞りを見つける作業も、随分と素早く、そして正確に行えるようになってきた。喜助さんに褒めて貰えた時はそれそれはもう、飛び上がりそうなくらい嬉しかった。


「……今日はこれでよし。損傷が見つかったのは二体だけ、かな」


 いつものように確認作業を終え、報告書を書き上げる。これを喜助さんが毎回読んでいるかは分からないけれど、霊子回路以外に気になったことがあれば、欠かさず書き添えるようにしていた。外的損傷は無いと聞いていた義骸にも、小さな傷がついていたり、関節の可動が固かったりすることがある。私にはそれが重大な不具合かどうかまでは判断できない。でも、だからこそ、些細なことでも書き残しておきたかった。


 ――コンコン

「失礼します。報告書をお持ちしました」
「おつかれっス、朝緋サン。そこに置いといて下さい、後で目を通しておきますんで」
「あれ、珍しいですね、朝から隊長羽織着てらっしゃるなんて」
「これから隊首会があるんスよ、今から向かうところっス」
「なるほど、ご苦労様です」
「いえいえ。今日はひよ里サンも一緒なので、しばらくの間技局のこと頼みますね」
「私なんかに留守を任せていいんですか?勝手に大掃除とか始めちゃいますよ」
「いやぁ、構わないっスよぉ。でも、その時は局長室以外でお願いしますね」
「一番片付けなきゃいけない所じゃないですか」

 私のツッコミに喜助さんは苦笑を漏らしつつ、「それじゃ、そろそろ行ってくるっスね」と羽織を翻して局長室を出て行った。……いってらっしゃい、とあの背中に言える日が来るなんて。二ヶ月前、喜助さんに会う前の私が聞いたらびっくりして寝込みそうだ。
 
 ――この時見た『十二』を背負う背中に、妙な胸騒ぎを覚えたことをよく覚えている。今思えばこれが、悪い知らせの始まりだったのかもしれない。



***



 ――昼下がり。どうせなら本当に大掃除でもしてしまおうと、普段は足を運ばない地下の講義室へと向かった。そこは、前方に巨大なスクリーンが据え付けられ、数十の座席がずらりと並ぶ、大学の講義室のような場所だった。ここで実験結果の共有とか、技術講習とか、そういうのを行っているらしい。なんで地下にあるかは分からないけど、たぶん、秘匿性を高めるためとかそんなんだろう。

 床に落ちたメモの欠片や、棚に残った資料の余りなど。書いてある内容は小難しい数式や図解、専門用語ばかりで何一つ分からない。けれど、ちぐはぐなそれらを集めて、当時ここでどんな話がされていのかを想像するのは、宝探しのようで楽しかった。気がつくとつい、掃除をする手を止めて、走り書きのぐちゃぐちゃな文字を解読してしまう。そこに書かれている内容が分かっても、何も得るものはないのに。偶然通りががった本屋で目に入った、気になる雑誌を手に取るような。パラパラ目を通すうちに、ついうっかり本気になって読んでしまう、そんな感じだった。

 ――だからだろう。いつもと違う、不穏な空気に気がつくのが遅れたのは。
 最初に違和感に気がついたのは「揺れ」だった。小さな揺れが数回、講義室にある机と椅子を揺らし、ガタガタと音を立てる。でも別に珍しいことでは無い。技局には稼働に揺れを伴う巨大な装置はいくつもあるし、誰かが盛大に実験に失敗して爆発が起こったりとかも、稀によくある。だから、そう。「揺れを感じる」ということ自体は、珍しいことじゃない。私は揺れを特に気にすることなく掃除を続けながら、置き去りにされた古い資料に目を通したりしていた。

 次に起きた違和感は、ガラスが割れる音と、何かが崩れるような激しい音が聞こえた時。遠くの方から、ガシャン、ドガガガ、と、防音性の高いはずの講義室に、それでも届いてくる異様な破壊音。どこから聞こえたか正確には分からないけど、私は「ああ、また誰かがやらかしたんだろうな」と、そう思ってしまった。技局に来て二ヶ月、「実験失敗」という"非日常"は、私にはすっかり"日常"として溶け込んでいたから。 

 ――だから、急に焦りを感じた。破壊音が聞こえても振動が収まらず、"その「揺れ」が着実に大きくなっている"ということに。私はここで初めて、しっかりと違和感を覚えた。
 あれ、何かがおかしい。これは、ただの装置の稼働や失敗の余波じゃないかもしれない。とりあえず一旦掃除はやめて、破壊音の正体でも確認しに行くか。そう思って、講義室の扉に向かおうとした時にはもう、遅かった。


「っ――!!?!」


 開けっ放しにしていた、両開きの講義室の扉。そこから見えたのは――禍々しい視線をこちらに向ける、白い仮面。手足は真っ黒で、およそ人間や死神のそれとは違う、異形の姿。胸の真ん中には、心を失くした証の孔。

 ――そう、紛れもない、虚だった。


「……マジかよ、ここ技術開発局の中なんだけど」


 私の口をついて出たのは、案外冷静な一言だった。目の前に虚がいるという非常事態にも関わらず、こんな場違いな感想を述べている自分に、自分でも驚く。
 しかし、思考は働いているのとは別に、体は金縛りにあったように動かない。驚きすぎて、どうしたらいいかを瞬時に判断出来なかった。それはどうやら向こうさんも同じらしく、扉の向こう側で動きを止めていた。虚と見つめ合うという奇妙な時間。その間に、必死に考える。

 ――そもそも、なぜこんな場所に虚がいるのか?

 その問いには、すぐに答えが見つかった。虚の体に刻まれた「十二」の文字。おそらくあれは、技術開発局が作り出した試作品の「擬似虚」だ。そんなものが、そういえば地下二階に管理されていると聞いたことがあった。つまり先程聞こえた破壊音は、こいつが普段閉じ込められてる檻を壊して逃げ出した時の音、感じていた揺れはこいつの足音だった、というわけだ。

 そこまで理解して、もう一つ重要なことに気がつく。――では何故、擬似虚が逃げ出したのに誰一人として駆けつけておらず、こいつが野放しにされているのか、だ。
 可能性は二つ。「脱走に気がついていない」か「気がついた上で危険と判断して避難したか」のどちらか。前者はほぼ考えにくいが、可能性としてゼロではない。そして、技術開発局にいる死神たちは、基本的に戦闘を得意としていない。この擬似虚に果敢に立ち向かえるとしたら、隊首会で不在の隊長と副隊長を除けば、あのマッドサイエンティストの副局長くらいなもの。


「……この状況を放っておくような男じゃないよなあ、あの人は」


 マユリの事は、正直いうと苦手だけど。でも、彼なりの正義や理論があって科学を追い求めてるはずだ。喜助さんも、マユリのそういうところは認めて副局長にしているはず、であれば。

 ――きっとすぐに、誰かがここに来て助けてくれるはずだ。だからそれまで、この状況をどうにかしなきゃいけない。……捕まえる?いや、私には無理だ。道具も力も何も無い。でも、このまま野放しにしておくのも周りへの被害を考えたら得策じゃないし……じゃあ、時間稼ぎ?
 どちらにせよ、私はあの虚が講義室の出入口を立ち塞いでる以上、身動きが取れない。なんとかして、どっかに行って貰わないと困る。――そう思っていた矢先。

 じっと睨み合っていた虚は、さらに禍々しく寒気を感じるような視線をこちらに向ける。蛇に睨まれた蛙とはまさにこの事か。――どうやら虚は私を"獲物"と捉えたらしい。


「……虚って、より霊力の高い魂魄を狙うんじゃなかったっけ」


 ちょっと待ってくれ。私なんて、この施設にいる誰よりも霊力がない、弱っちい魂魄なんですが。こんな地下の講義室じゃなくて、上の研究室のほうが美味しそうな奴いっぱいいると思いますけど!……と講釈を垂れるも、伝わるはずもなく。虚は一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。
 ……どうしてだろう。擬似虚だから、本来の虚と違う性質を持っているのかな?……なんて。悠長なことを考えて必死に恐怖から目を逸らす。この危機的な状況で私が冷静さを失いてしまったら、一番よくない。落ち着いて、冷静に。

 バクバクと鳴り続ける心臓がうるさい。鼓動が響いてそれ以外の音が遠ざかるようだ。落ち着け、落ち着けと思うのに反比例するように動くそれに、思わず胸元を思いきり掻きむしりたくなる。そうして、勢いよく振りかざされた虚の鎌が、まるでスローモーションのように。ゆっくりと迫り来る中で私は死を覚悟して――同時に、必死に願ったのだ。「嫌だ、死にたくない。まだ生きていたい」……と。
 
 
「グォオォオオオ!!!」
「――っ!!」

 ――ガンッ!!!
 
 
 その瞬間、体が勝手に動いていた。地を蹴って倒れ込むように勢いよく飛び出して、私の頭を目掛けて一直線に振り下ろされた虚の鎌を、間一髪で躱す。私の顔すれすれを通り過ぎたそれは、背後の壁に深く突き刺さっていた。衝撃で壁に亀裂が走り、破片がパラパラと落ちてくる。


「――っ、し、死ぬかと思った……!」


 死ぬかと思った――けど、躱せた。その事実に、異常に高鳴っていた心臓は更に鼓動の速度を上げ、口から飛び出てしまいそうだった。全身の毛が逆立つような、ゾワリとした感覚が背中を這う。生きた心地はしないのに、体の中から力が湧き出てくるような、そんな不思議な感覚だった。まるで、自分の中にあった何かが、ようやく目を覚ましたみたいな――。


「グゥゥ……」
「――っふ、躱されると思わなかった?残念だったね」
 
 
 自分が狙われるなんて考えてもなかったから、この虚が講義室の扉から離れたタイミングで、全力で飛び出して走って逃げるつもりでいたのに。神様は意地悪だ、どうやらそう簡単にはいかないらしい。


「(……もしかして、もう……これしかない?)」


 鎌が壁に突き刺さり、虚が身動きを取れなくなっているうちに、全力で走ってその場から離れる。……戦えない私が虚に狙われて出来ることは、ひたすら逃げるだけなんじゃないのか。ひたすら逃げて、躱して……助けがくるのを、待つしかないのではないか。

 そう悟った瞬間――私の中の、大切な思い出が蘇ってきた。ずっと大切にしてきた、愛しいあの人の、言葉たち。


「(想う力は鉄より強い)」
「(躱すのなら、"斬らせない"……!!!)」
 

 ――生きたいと強く思い、斬らせぬように躱すのなら。きっとこの状況でもどうにか出来る。……不思議と、そう信じることが出来た。根拠も何も無いけれど、ただ、なんとかなる自信があった。勘――とでも言っておこうか。
 ひとたび目を逸らせば恐怖に囚われてしまいそうなこの状況でも、彼の言葉があれば、私は前を向いて走ることが出来る。その自信だけはあった。


「グゥ、オォオ!!!」 
「(――来る!)」


 ――"想う力は鉄より強い"
 私の大好きな、大切にしてきた彼の言葉だ。諦めずに貫くことの強さを教えてくれたこの言葉に、私はきっと、これからも何度だって、救われていくんだろう。
 再び振り下ろされる鎌を、大きく横に飛び出して避ける。先程まで私が立っていた場所には大きな亀裂が入り、机も椅子も粉々になる。


「……やれば出来る、じゃん。へへ」


 ……大丈夫、ついていけてる。躱すのなら"斬らせない"。斬らせないつもりで、このまま冷静に対峙して攻撃を躱せば、時間は稼げる。助けが来るまで、逃げ続けられる。なんとか、なる。
 
 おそらく、講義室から出るよりもこの限られた空間の中で逃げ回る方が、私にとっても都合がいいはず。逃げる、躱す、という行為において最も大切なのは、敵の動きをはっきりと見切ること。そのためには、分かりやすく敵が目の前にいる必要がある。このだだっ広いだけの講義室なら、おそらくそれが一番安全に出来るはずだ。


「なぁんか、私も……、っ、技局の局員らしく、論理的になってきた……かなっ!」
「グォォオオォン!!」
 
 ――ドガァァ!

 講義室の中で、助けが来るまでひたすら虚の攻撃を躱しつづけて、時間を稼ぐ。やってる事は局員らしくないし、間違いなく局員になってから最難関の仕事だ。しかし、不安や恐れはない。不思議と自分には出来ると自信と力が湧いてきていた。


(想う力は鉄より強い)
(躱すのなら、"斬らせない")


 彼の言葉がある限り、負ける気がしなかった。


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