必然の中の偶然を願って
「――っはぁ、はぁ……!」
肩で荒く息を吐きながら、流れ落ちた血が視界を滲ませる。口が乾いて喉は張り付き、体の節々が痛い。これほどまでに全力で走り回り、命がけで動いた経験なんて、無い。間違いなく、死なないために、死ぬ気で動いて限界を超えている。
冷静な判断力も、集中力も体力も、一撃一撃を全力で躱していくうちに徐々に奪われていく。当然だ、私は戦闘訓練を受けた兵士じゃないし、修羅場をくぐった戦士でもない。ただの、技術開発局の雑用係なんだ。むしろ、今までミンチにされずによく逃げ回っていると思う。現実世界での私は、運動神経こそかなりの自信はあったが、致命的に体力がなかった。その特性は、どうやらこの世界でも忠実に引き継がれているらしい。こう、トリップのお約束、ステータスアップみたいなのは私には無縁だったようだ。
――つまり私は、本当にただの人間として、ずっと虚から逃げ続けているという訳だ、自分を褒めたい。
「グゥゥ……」
「ちょ、っと、もう……いいかげん、諦めてくれません、かね……?」
一方でこの擬似虚は、どんな理由があるか分からないが、ずっと私を狙ってきている。……さすが技術開発局の試作品、とでも言うべきか。私の体力や機動力は落ちていく一方だけど、こいつの攻撃速度や威力はこれっぽっちも変わらない。攻撃こそは単調なものの、破壊力は凄まじく、講義室内は既に瓦礫の山溶と化していた。――常に、命に関わりそうな一撃が、飛んできている。足を止めれば、息の根も止まってしまいそうだ。
「……っ、誰も来ない、なぁ。……ほかの、みんなは、無事……なのかな」
外からの救援が来る気配が少しもない。もしかして、私が知らないだけで外も外で大事になっているんじゃないだろうか。だとしたら……きっと彼は、あの人は、すごく傷付くだろう。自分がいない間に、局員たちが犠牲になったと知ったら。責任感が人一倍強くて、この場所を、技術開発局を、あんなに大切にしてるのに。
そう思ったら、逃げるだけしか出来ない自分がすごく不甲斐なく思えた。私に力があれば、こんな試作品の虚くらい、なんてことなく片付けられるのに。――あの人が大切にしてるものを、私も、守りたいのに。
「……ォオ…オオオオ!!!!」
「――っ、やば、」
――そうして私は、自身の『無力』に足元を掬われる。
たった一瞬の気の緩みで足がもつれてバランスを崩し、虚のなぎ払い攻撃が直撃する。ブンッと振り払った鎌のような腕が腹部に叩き込まれたかと思えば、次の瞬間には勢いよく吹き飛ばされて壁に激突していた。
――ドォオンンッ!!
「――っ、」
背中から勢いよく壁にぶつかり、私は壁にめり込む形で叩きつけられる。後頭部と背中を強く打ち付けたせいで、一瞬意識が飛びかけた。頭がかち割れそうで、もはや痛いというより気持ちが悪い。ああ、これ、やばいやつかも?全身が軋むように痛くて、少しでも力を入れると悲鳴をあげてしまいそうだ。視界はぼやけてよく見えないし、平衡感覚もおかしくなってフラフラする。
痛みに歪む瞼を、上手く持ち上げることが出来ない。このまま目を閉じてしまったら、確実に気を失う。それだけは確信が持てた。
文字通り、意識が飛びそうな痛みが全身を襲う中、小さく開いた口からできる限りの酸素を取り込む。大丈夫、苦しいけど、息は、出来る。ゆっくり息を吐きながら、ぐっと眉間に力を込めて瞼を持ち上げる。ぼやけていた視界は、そうして何度か瞬きをすれば元のクリアな世界に戻った。虚はまだ少し離れた場所から、こちらの様子を伺っているようだった。
あまりにも痛すぎて体がおかしくなったのか、はたまた、生命の危機を感じているからか。不思議と頭は冴えていて、冷静さを取り戻していた。そう思った時。
――ふと、喜助さんがいるような気配を感じた。あれ、おかしいな。私の真後ろにあるのはぶつかった衝撃で亀裂が入り、今にも崩れそうな壁なのに。目をこらして辺りを見回しても、当然姿は無い。今までこんな気配、感じたことなかったのに。
……も、もしかして、死の間際に私の願望が生み出した都合のいい幻覚……とか?最期にもう一度会いたくて、気配だけでも感じたとか?
――そんなの、
「勘弁……っ、して、よ……。まだ、なにもっ……伝えてない、のに……!」
目の前で鎌の腕を振り上げ、今にもトドメを刺そうとしている虚を、歯を食いしばって睨み返す。勘弁してくれ、こんなところでくたばるなんて嫌だ。まだやりたいことも、伝えたいことも、たくさんあるのに。……まだ、おかえりなさいって、言えてない、のに。
――冷静になったついでに、一つ、思い出した事がある。
私の懐には、いつも片時も離さず大切に持ち歩いているものがある。……それは、喜助さんからもらった、霊圧を込める練習に使っている水晶玉だ。あの人から貰った、大切なものだから。練習しない時でも、いつでも持っていた。……肌身離さず、この、簡単には壊れなさそうなカチコチの玉を、今、手元に持っている。
意識が飛びそうなくらい痛む全身に鞭を打ち、ふらつく体起こして、よろよろと力の入らぬ足で踏ん張って立ち上がる。私の手には、今出来るありっったけの霊圧を込めた
水晶玉が、握られていた。
「こんな、ところで……っ」
――私はその希望を、
虚の鎌が振り下ろされるよりも前に、思い切り天井に向かって投げ飛ばした。
「死んで、たまるか……っ!!!」
――ガシャァアン!!!
投げ飛ばした水晶玉は綺麗な弧を描いて、天井からぶら下がる巨大な照明器具に命中した。多少なりとも私の霊圧が込められていたからか見た目以上の破壊力で、照明器具は轟音を立てて崩れ落ち――虚はその音に反応して、トドメを刺す前に一瞬動きが止まった。
――よかった。この隙に、少しでもこいつから逃げなくては。
……そう思ってふらつく足取りで一歩、踏み出した時だった。
「縛道の六十一、六杖光牢!!!」
「!!」
目の前にいた虚に向かって、突然現れた光の刃が突き刺さる。……でも、私の視界はそこではなく、声のした方へ。――崩れかけた講義室の扉に、釘付けになる。
「破道の三十二、黄火閃!!」
――そこには確かに、本物の"希望"が、あったから。
彼の放った鬼道は虚の仮面を的確に捉え、仮面が割られた虚は完全に動きを止めてその場に崩れ落ちた。……あくまでも実験体だからか、仮面が割れても消滅はしないらしい。
目の前の脅威が去ったからか、はたまた希望を見つけたからか。緊張の糸が緩み、ふらつく体を支えて立っていられなくなった私は、膝から崩れ落ちるように地面に倒れ込む。……はずだった。
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