必然の中の偶然を願って
「……すいません、遅くなりました」
擬似虚が力を失い安堵したのか、限界を迎えたようにその場に倒れ込む彼女をそっと抱き留める。白衣はボロボロに破れて穴だらけで、彼女の額には乾いた血が張り付いていて。この場で起こった出来事の壮絶さを物語っていた。
ボクの声に反応して薄く目を開けた朝緋サンが、掠れた息でぽつりと呟く。
「……みんな、は?……他のみんなは、無事、ですか?」
……第一声がそれか、と。彼女らしいと苦笑しつつ、安心させるように微笑んだ。
「……はい、全員無事っスよ。貴方がここで戦ってくれたおかげっス」
「……はは、そんな……戦う、だなんて。わたしはただ、逃げてただけ……で……」
そう言って微かに笑んだ彼女の目が、ふっと閉じる。
「!……朝緋サン!」
「……はら、……たい、ちょ……おかえ、なさ……」
「――、」
彼女の言葉はそれ以上続くことはなく、だらりと手足から力が抜けたのが分かった。ただ、腕の中で穏やかな呼吸が続いている事に、少しだけ安堵する。
――自己犠牲。彼女の第一声を聞いて真っ先にそう思った。しかし、己の勘が違うと告げているかのように、何か引っかかりを感じて妙な違和感を覚える。本当に自己犠牲だけで、ここまで出来るだろうか――?
その正体を掴むために、ぐるりと辺りを見渡す。講義室として使われていたこの部屋は、見る影もないくらいにぐちゃぐちゃに破壊されていた。真っ二つに割れた机、粉々になった座席の残骸、剥がれた壁と瓦礫の山。そして――彼女がトドメを刺される直前、タイミングよく崩れ落ちた照明器具。……もしあの時、これが落ちていなかったらと考えるとゾッとする。
「――! ……あれは、」
瓦礫と化した照明器具のすぐ傍に、チラりと光る何かが転がっているのを見つけた。目を凝らしてみると……見覚えのある、小さなソレ。気を失った彼女を両腕で抱えたまま近くまで歩き、転がったソレをそっと拾い上げる。
――間違いない。以前自分で創って彼女に渡した、ただの霊圧可視化用の水晶だった。
……だったはずなのに、その水晶にはしっかりと彼女の霊圧が込められていて。……照明器具の真下、水晶の霊圧、軌道、重なっていく状況。
(まさか、霊圧を込めて――あれを、狙って落とした……?)
「……ホントに言ってるんスか、それ」
驚きと静かな感嘆が、胸の奥にじわりと広がっていく。
――彼女は、あの瞬間まで諦めずに戦おうとしていたのか。……いや、違う。戦おうとしたんじゃない、誰かが助けに来ると信じて生き残ろうとしたんだ。その証拠に、この場の痕跡を辿れば、彼女が疑似虚を倒そうなどと立ち向かった形跡は一つもない。命を投げ出して戦い、仲間を守ろうするような自己犠牲ではなかったのだ。
しかし、戦う力を持たない者がこのようなひっ迫した戦場に立たされて、心折れずに希望を持ち続けられるなんて、普通はありえない。死の恐怖に恐れ慄き、絶望して立ち尽くすほうが一般的だ。――ならばなぜ、彼女はそうはならなかったのか。……そんなことがもし可能だというのなら、それは火事場の馬鹿力とも呼べる、死を目の前にした時の生きたいという『想い』の強さだろう。
……だから、なんだろう。生き残るために動くというのは、すなわち"死ぬ可能性"を感じていたのと同義だ。もし、そんな状況で彼女が諦めずに虚と対峙し続けていたのだとしたら。間違いなく、"魂魄消滅の危機"を幾度も乗り越えたはずだ。でなければ――青白い顔で眠る彼女に、死神相当の霊力が宿った理屈が説明出来ない。
霊力というのは、魂魄が消滅の危機に瀕した時に最も上昇しやすい。もちろん個人差はあるものの、戦いを通して死線を潜り抜けるほど力を手にするというのは、自然な道理でもある。だが、いくら生きたいという想いが強いとはいえ、戦闘とは全く無縁だったはずの彼女が、如何にして虚と対峙し生き延びたのかは全く検討もつかない。この世の理のほとんどを調べつくせば理解出来てしまう己でさえも、その理由は彼女に尋ねる以外で知ることは出来なさそうだ。……まあ最も、直接聞く勇気など持ち合わせていないが。
腕の中で静かに眠る彼女を見つめながら、ボクはもう一度、小さく名を呼んだ。
「……朝緋サン」
胸の奥底から湧き上がる、倫理を置き去りにしたおぞましい感情へ蓋をするように。両腕でしっかり彼女を抱えて、講義室を後にした。
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