そのレトリックは聞き飽きた
四番隊、総合救護詰所内の一室。朝緋の眠る病室でただ一人、椅子にじっと座りひたすら思考を巡らせる。
『喜助ェ、へんなモン拾うてしもたわ』
「……なんスかぁ?急ぎの要件って言うから、慌てて時間作ったのに。行き倒れた女の子でも拾ったんスか?」
『……お前、この通信機器に妙な機能つけてへんやろな』
「ありゃ、ボクってそんなに信用されてないんスか?……もしかして図星とか?」
『図星どころか、大当たりすぎてこっちがビビるわ』
「女の子のこと変なものって言うことにボクはビックリですけどね」
『お前んとこ、そーゆー"変なモン"調べんの得意やろ?』
「………」
『ちゅうわけやから、頼むわ。詳しいことはまた連絡するわからそん時な』
平子から初めて彼女について聞かされた時。彼の釈然としない様子から、何か訳があるんだろうと思った。そして後日聞いた話では予想通り、彼はかなり遠回しな言い方をしていたが、どうやら"瀞霊廷の侵入者"を拾ったらしかった。
しかし、そんな物騒な物言いとは裏腹に、彼から通信機器越しに日々聞かされる"瀞霊廷の侵入者"についての報告は「字が綺麗」だとか「掃除が得意」だとか、どうでもいい事ばかり。だから、調査任務で現世にいる間、彼女については"厄介事の一つ"くらいにしか思っていなかった。
生憎自分は、世のため人のために科学を追い求めることに専念できるようになる前は、瀞霊廷で罪を犯した罪人たちを五万と見てきた。他人を欺き、悪意を振り翳す人物を見定める目においては、普段は悠長なあの関西弁の隊長よりも長けている自信があった。
だから、そう。その侵入者を技術開発局で預かり、自分の目で見て調査をすれば、すぐに解決するだろうと、そう思っていたのだが。
『お、気になるか?オレが拾ってきた朝緋チャン。可愛ええ子やで。スタイルもばっちりや』
「……言ってて恥ずかしくないんスかぁ?そういうの」
『明るくて思慮深い、分別を弁えてる賢い子や。周りに壁作るタイプやけど、少しずつ心は開いてきてくれとる。ただ……記憶喪失っちゅー割には、やけに落ち着いとるんだけが少し気になるけどなァ』
「……記憶喪失?……へぇ、それは初耳っスね」
彼女について最初に違和感を覚えたのは、尸魂界に戻る前日、平子から「彼女は記憶喪失」というのを初めて聞いた時。
以前、ひよ里が薬液入りのビーカーを倒してしまい、彼女がひよ里を庇うため咄嗟にそれを掴んで火傷を負った、というのを聞いていた。それ自体は別に、まぁそういうこともあるだろうな、くらいに捉えていたのだが。それが"記憶喪失"の上で行われたのだとしたら、話は別だ。
記憶を失っているというのはつまり、“自分が誰で、何が大事で、どう生き延びるべきか”という根幹の情報がごっそり抜け落ちてる、ということだ。自己保存本能が最優先になるはずの状況で他人を庇うというのは、少々不自然に感じる。
この小さな違和感こそが、彼女に――朝緋に抱いてしまった、倫理を置き去りにした知的好奇心の始まりだった。
「……まだ、残っていらしたのですね」
「……えぇ、まぁ……ハイ」
「彼女、随分顔色が良くなりましたね」
「……そうっスね、良かったっス」
「あなたの方が、顔色が悪い。そろそろ、戻ってお休みになられたらどうです?」
「いえ、ボクは徹夜に慣れてますから大丈夫っスよ」
「あら、一度じゃ伝わりませんでしたか?……自己管理も隊長業務のうちですよ。私に諭されるようではまだまだですね、浦原隊長」
「……参ったな。そんな言われ方したら、断るわけにもいかないっスね」
「もう少ししたら、隊舎に戻ります」と返すと、卯ノ花は納得したのかそのまま朝緋の病室から離れていった。
――背中から腰にかけて広範囲の打撲。肋骨は数本ヒビが入り、内蔵も一部損傷、頭部は脳震盪を起こした形跡があり、全身のあちこちに切り傷。これだけの重症を負った彼女を科学の力だけでは助けることが出来ず、止むを得ず総合救護詰所に搬送することになった。専門治療の甲斐あって顔色は良くなったが、まだ血色感の薄い顔で横たわっている。
青白い顔には痛々しく包帯が巻かれ、額には血の滲むガーゼ。……彼女の顔に、傷をつけてしまった。研究対象であるはずの人物にそんな感情を抱いた時点でもう、己の観察者としての立場は揺らぎ始めていたんだろう。
だからこそ、この病室でただ座り込むしか出来なかった。手を握ってやることはおろか、声をかけることすら出来ない。ただ時々、彼女の胸が浅く上下に動いてることを確認することしか、出来なかった。
「あ…………お、おかえりなさい、浦原隊長。すみません、中にいらっしゃると思わなくて、」
「……貴方は、」
「お疲れのところすみません、失礼しました!」
彼女に初めて出会った時。きっと、ボクとの対面は予想外だったんだろう。とても驚いた顔をしていたのを、よく覚えている。会話を交わしたとは言えない短い初対面だったが、あの時確かに、自分が抱いていた"瀞霊廷の侵入者"と、実際に見た彼女は似ても似つかないもので、衝撃を受けていた。元隠密機動、檻理隊部隊長としての知識や経験から、僅かに感じとれた表情や仕草、纏う雰囲気などで、平子が彼女を"斬らなかった"理由が、何となく分かった。
翡葉朝緋は、自分を誤魔化す事を極端に嫌う、まっすぐな人間だ。素性が分からず記憶喪失だというのなら、匿い続けていればいつか必ず、ボロが出る。彼女の処遇を決めるのは、それからでも遅くない。だから、正式に技術開発局の局員として迎え入れた。――これが、自分の欲を満たすために用意した建前だった。
自分が衝撃を受けたのは、実際に見た彼女が抱いていた印象と全く異なっていたから、などではない。
一言で言い表すなら、そう――"異常魂魄"だ。霊圧はほとんど感じられず、霊力もほとんど持っていない。一見すればただの魂魄となんら変わりないかもしれないが、彼女は人間のそれとも、尸魂界に流れ着いた魂魄とも、どちらとも少し違う、似て非なる存在。――今まで出会った事のない"未知"そのものだった。
たとえその未知を追い求めた先に、彼女を傷つけることになっても。その時はまた、どうにかすればいい。そんな、倫理を置き去りにした自分の甘さを。彼女の気持ちを汲もうとすらしなかったことを。あの時、酷く後悔した。
「今なお君がここにいられるのは、あの男が"研究対象"として君に興味を持ち、好奇心を満たすために"あえて生かしている"からだヨ」
「……………、」
「まぁ、仮に君が本当に"敵"だったとしても、君のような弱々しい生命体を殺すなど、あの男には造作もない事だがネ」
「私は、敵なんかじゃない……っ!!……さっきから、何を訳の分からないことを仰っているんですか?私は、あなたたちを傷付けようなんて思っていません」
「ホウ。そこまで言うのなら、なぜ記憶喪失と"嘘"をついたのか聞かせてもらえるかネ?嘘をつくしかなかったんだろう?何故なら君は――」
だから、理屈や合理性を無視して、感情的に動いて彼女を庇ってしまった。衝動的に動くなんて、らしくない。だが、必死に"居場所"を守ろうとしている彼女の心に、土足で立ち入り踏み躙ろうとする涅の姿が自分と重なって、見ていられなかった。――いや、それだけじゃない。そこまで追い詰められても決して逃げない、朝緋の"まっすぐで折れない『覚悟』"に、自分の方が心を揺さぶられたからだ。
あの男が自分と同じように、朝緋に興味を持つのは最初から分かっていた。だから干渉するなと予め伝えていたのに、その命令を破ったから。ただ、技局内の秩序を乱さないためにそれを指摘して、彼女を守った。隊長として、局長としての責務だから。――そう、自分に言い聞かせて、自分が感情で動いたことには蓋をして、見て見ぬふりをした。
――それでも、彼女のまっすぐな一面を目の当たりにする度に。居場所を守るため、技局の局員であろうとする姿に。左手の怪我を我慢してまで作業に取り組み、悪化した傷を晒した上でなお、役に立ちたいと素直に願う姿に。
いつまでも"瀞霊廷の侵入者"として危険視をしていることに、しなければいけない状況を覆せないことに、罪悪感がどんどん膨れていった。
そして、そんな罪悪感を抱えていることを自覚しながも、目の前で青白い顔をして痛々しい姿で眠っている彼女に対し、科学者としての研究欲を抑えられない事が。――異常魂魄という未知の存在の朝緋に、死神相当の霊力が宿るという予想もしていなかった出来事に、どうしようもなく己の知的好奇心が掻き立てられ、吐きそうなほどの自己嫌悪を覚えた。
「…………っ、」
口を開いても、言葉にならない空気だけが漏れていく。そんな自分が、彼女に言葉をかけるべきでは無い。ましてや、無事を祈って手を握るなど。自分のエゴに思えて仕方がなかった。
こんなにも傷ついている朝緋に、心配のひとつも見せてやれない自分が不甲斐なくて、許せなかった。
- 28 -
戻る | 次へ
表紙
TOP