曖昧で愚鈍な真実と


――コンコン
 
「……はい、」


 静まり返った病室に、控えめなノック音が響く。微睡みの中にいた私は、ちょうど意識が浮かび上がろうとしていた時だった。……眠ろうと思っても、熱があるのか体が火照ってだるくて、なかなか深くは寝付けない。意識が戻ると途端に伝わる全身の痛みに不快感を感じながらも、扉の向こうに誰がいるのかは何となく分かっていたので、できる限り覇気のある声で返事をする。……三日月が浮かぶこの時間に、私の病室に入ってこれる人など限られている。
 そうして、控えめに開かれる扉の先にいた予想通りの人物に、思わず頬が綻ぶ。彼がこの部屋に来た目的が、たとえ職務上の様子見という義務であったとしても、それでも嬉しくて。……私という人間は、やはり単純だ。


「……浦原隊長、来て下さったんですね」
「どぉも、朝緋サン。……無事に目が覚めたようで、良かったっス」


 喜助さんは、色とりどりの果物がぎっしり入った籠を携えて、もう片方の手で頭の後ろをかきながら、眉を下げた笑顔を向けてくれていて。……彼の、何かを取り繕う時に見せる、いつもの仕草だ。私はその顔にただ、何も言わず微笑んで返す。
 お見舞いの品であろう籠いっぱいの果物を、喜助さんは病室に置かれたサイドテーブルにそっと置く。私はその様子を何気なく目で追っていたが、ふとある事に気がついて目元がじんわり熱くなり、思わず彼から目を背ける。
 哀愁漂う彼の姿には不釣り合いな、色鮮やかな果物たち。彼にしてみれば、見舞いと言えばこれだろうという、無難な選択だったのかもしれない。けれどその背景にはきっと……不器用な彼なりの"無難"以外の思いが込められているんじゃないだろうか。私の怪我について感じてる責任や罪悪感を、一切口には出さない人だから。
 ――そう思うと、ただでさえ息苦しい胸がより一層苦しくなった。


「後処理でお忙しいのに、わざわざすみません」
「……いえ、その辺りは問題ないっスよぉ。滞りなく進んでます。今は、二次被害への対策を講じてるところっス」
「さすが、仕事が早いですね。私も、いつまでもここに寝ているわけにはいかないなぁ」
「ダメっスよぉ、朝緋サンは重傷なんスから。ちゃあんと治してから、復帰してくださいね」


 ベッドの横に置かれた来客用の椅子に、喜助さんは腰を下ろす。窓から射し込む淡い月明かりに照らされ、彼の顔はいつもより憂いを帯びているように見えた。
 喜助さんの言葉や様子から察するに、あの騒動は本当に収束しつつあるんだろう。たったの二日でそれを成し遂げてしまうなんて。彼の、局長としての責任感や対応力の高さが伺える。……しかし、それにしても。
 
 
「……私ってやっぱり、そういうイメージなんですか?」
「さぁて、なんの事でしょ?」
「もう、とぼけないでくださいよ。私が勝手に病室を抜け出すような、そういうイメージなのかって事です。卯ノ花隊長にも釘を刺されたんですよ、"治療に専念してお転婆は控えて下さいね"……って」


 この様子からして、きっと彼から卯ノ花さんに何かを吹き込んだのだろうか。真相は分からないが、そう思われても仕方のない心当たりが……あるにはある。もう完治したはずの左手が、ピリリと痛むような気がした。
 ――至極好意的に解釈するのであれば。私が過去に火傷の治療に専念せず悪化させたことや、無謀にも虚に立ち向かったことを「お転婆」と言ってくれているんだろうけれど。さすがに私だってこの大怪我で抜け出すような無茶は…………しないはずだ。
 しかし、私の問い詰めるような視線を受けた喜助さんは、いつもの困った顔から一転、次第に表情を曇らせていく。……あれ、あれれ。そうしてすっと目を細めて、どこか煮え切らない、でも確かな思いを込めた声で切り出した。
 
 
「……だってそうでしょう、力もないのに虚と対峙して、逃げずに戦うだなんて。それがお転婆じゃなかったら、なんだっていうんスか」
「……それは、」
「……あの状況で、逃げられなかったのは分かっています。貴女の勇気ある行動の結果、助けられたのがボクらの方だと言うことも。……でも、貴女は死神じゃない。次があったら、本当にどうなっていたか分からないっスよ」


 ――初めてだった。彼に、こんな風に自分の行動を咎められるような事を言われたのは。今まで"雑用係"と"局長"として、特別大きな接点もなく、挨拶を交わしたり軽い仕事の話や世間話をする程度だったから。叱られるような事など、一度たりとも無かったのに。
 彼からの、初めての叱責。こちらをじっ、と見つめる喜助さんの表情には、いつもの柔らかい雰囲気はどこにもない。しかし、かといって冷たさだけを感じる視線かと言われたら、そうでもない。怒っているわけでもなく、責めているでもない。ただ、強いて言うなら「何故そんなことをしたのか」と、問い詰めたいような、そんな顔をしていた。
 
 ――悔しい。彼の優しい叱責を聞いて真っ先に思った事がそれだった。どうしようもなく悔しくて、例えようのない苛立ちが全身を駆け巡る。もしも今、室内に一人だったら。自分で自分を殴るくらいはしていたかもしれない。痛みで体が軋むのを無視して、布団の下に隠された両手を力いっぱい握りしめた。じわじわと溢れ出しそうになるものを、ぐっと奥歯を噛み締めて必死に堪える。

 この人に、あんな事を言わせてしまうのが悔しかった。そして何より、心の底からこんなにもこの人を支えたい、大切にしてるものを一緒に守りたい、と願っても。それを実現する"力"がない事が――それがどうしようもできない事実なのが悔しかった。なんで私は、大した霊力を持たぬままこの世界に来てしまったんだろう。どうせ生まれ変わるなら、最初から死神だったらよかったのに。そうしたら、この世界から敵視されることに怯えたり、自分の無力を嘆かずに済んだのに。

 
「はぁ……そうですね。お転婆で、無謀で、おまけに身の程知らず。まったくその通り、ぐうの音も出ません」
「………!」
「でも、もしまた同じ場面に立たされたら、きっと同じことをすると思いますよ。……だって、他にできることがないんですもん。情けない話ですけど」
「………」
「守れるほどの力はないけど、見捨てる勇気もない。逃げるって案外、度胸が要るんですね」


 何もできなかった悔しさも、逃げるという選択を取れなかった弱さも、全部、どうしようもない事実だから。隠したって、プライドで守ったって、仕方がないから。だからこそ、この気持ちを糧にして前に進むしかない。一つ一つ、乗り越えていくんだ。卑屈になったって、何も変わらないんだから。
 自分で選んだ道を進むというのなら、その歩みを止めないように律するのもまた、自分しかいない。
 
(孤独なのは、私も同じかもしれないね)

 
「……次こそちゃんと逃げられるように、しっかり療養しますよ。隊長"たち"に怒られないように、ね」


 公言した以上、ちゃんと傷は治そう。早く治して早く復帰したいし。なにより、卯ノ花さんを怒らせたらとても大変なことになる。あの穏やかな人こそが、実は……ね。とても強い人なの、私は知ってるし。大人しく指示に従おう。
 涙を無理やり引っ込めた顔で、照れ隠しのように、悪戯っぽく笑ってみる。顔の皮膚が突っ張るような感覚がして、額の傷が痛むけれど、気にしない。彼が暗い顔をしているのなら、せめて私は。どうか、ちゃんと笑えていますように。

 
「……次、なんてもうないっスよ。ボクが止めますから」
「はは、"もしも"、の話ですってば」


 喜助さんは黙ったまま、自分の手元にある一点をじっと見つめて私の話を聞いていた。俯いている彼の表情は、髪に隠れてあまり伺いしれない。けれど、彼が再び言葉を発した時にはほんの少し、肩の力が抜けたような、そんな顔をしていて。その様子に私もほっと胸を撫で下ろす。

 
「私、負けず嫌いなんで悔しかったんですよね、虚にやられちゃったの」
「……まぁ、朝緋サンって完璧主義なトコありますよね」
「それ、浦原隊長が言いますかぁ?……まぁ、だから、そう。私って結構頑固なんですよ、さすがに勝てるとまでは思ってなかったですけど。次があればその時は、絶対にぶっ飛ばしてやります」
「……普通は、虚に遭遇したら怖くて逃げるもんスよ。それなのに自分から向かっていくなんて……それだけで十分、朝緋サンは負けてないじゃないっスか」
「はは、それ、真子さんにも似たようなこと言われました」


 ケラケラと、そう笑い飛ばしたつもりだったのに。しばらくの沈黙の後、喜助さんは意を決したように椅子に座り直した。両拳をそれぞれ膝の上に置いて私の方に向き直り――そして、ただただ静かに、私に向かって頭を下げた。


「……ボクの管理能力不足っス。ちゃんと対策してれいば、警戒していれば、貴女はこんな目に遭わずに済んだ。……本当に、すいませんでした」


 その瞬間、ガッと喉元を掴まれたように息が詰まり、胸が張り裂けそうになった。私に向かって頭を下げる彼は、いつもの近くて遠い、広い背中で私たちを導いてくれる浦原隊長ではなくて。――孤独に生きる、小さくて寂しい、浦原喜助。私がどうしようもなく心を揺さぶられた、たった一人の男だった。

 私は心底、自分がいま、大怪我をしていてよかったと思った。こんな重症を負ってベッドに寝かされている状況でなければ、私は―― 

 
「顔上げてください」
「………」
「浦原隊長、私が着ていた作務衣のポケットに入ってるもの、代わりに取っていただけませんか?」
「?いいっスけど……」


 突拍子もない頼みに、喜助さんは少し戸惑いを見せながらも、棚にしまわれた作務衣を手に取ってポケットを探ってくれた。そうしてすぐに、カサ、という小さな音とともに、私が探すように頼んだ物が彼の手に握られる。

 
「……飴玉、っスか?」
「はい。でも、ただの飴じゃなくて『元気が出る飴玉』です」
「………」
「それ、私はこの通りまだ食べられないので、浦原隊長が代わりに食べてくれませんか?」
「――…」
「甘くて美味しいですよ」
 

 私には、こういうやり方しか出来ない。エゴでも自己満足とでも言ってくれて構わない。だけど、浦原喜助という男は、直接的な原因が自分になくとも、自身の選択や行動の末に起きた事を全て「自分の責任だ」と言い切ってしまう男だ。それは、彼が自分自身に対して厳しいからとかではなく、ただ"誰かを責めることができない"だけなんじゃないだろうか。誰かに何かを言うより、自分が引き受ける方がずっと楽で、ずっと安全で、ずっと正義に見えるから。――でも、その生き方は"孤独"と引き換えだ。

 だから私は「一緒に背負う」とか、そんな簡単な言葉は使いたくない。その代わり、彼が全部背負うって決めたなら、それを変えようとはせず、ただ彼が振り返ったときに「誰もいない」に絶対させない。私が貫きたいのは、「その生き方は間違ってる」と言わないまま、でも「ひとりじゃない」と伝えること。

 ――"背負わせない"んじゃない。"背負っている姿を、一人にはしない"。ただ、それだけだ。

(俯く貴方を笑顔に出来るのは)
(哀しいかな、私ではないのです)

 
「……浦原隊長が助けにきてくれたとき、圧倒されちゃいましたよ。私があんなに必死に戦ってた虚、一瞬で倒しちゃうんですもん」
「あれは、擬似虚の核を鬼道で壊しただけっスよ。本物の虚なら、斬魄刀で斬らないとダメっスからね」
「……私は普段の、研究に熱中してる浦原隊長しか知りませんでしたから。あの時の隊長、かっこよかったですよ」
「いやぁ、朝緋サンにそんな風に言われたら照れちゃうっスね」


 へらり、と。いつもの困った顔だったけれど、やっと笑ってくれた。それが作り笑いでも、愛想笑いでも、どっちでも良かった。今はそれだけでよかった。

 そうして、ふっと全身の力が抜けていく。やっと見れた彼の笑顔に安堵したのか、溌剌と話していたのに急激に睡魔が襲ってきた。……元々、卯ノ花さんに指摘された通り、今は話をするのも精一杯の状況。だけど、せっかく来てくれた彼と、どうてもちゃんと話がしたくて。息苦しさを感じながら無理して話を続けていたが、どうやらもう限界らしい。
 瞼がどんどん重くなり、意識が微睡んで行く中で。最後にどうしても伝えたかった事を、なんとか口にする。
 ――どうか、意識が途切れるまでに、ちゃんと伝えられますように。

 
「……助けに、来てくれて。ありがとうございました」
「当たり前っスよ、お礼を言われることじゃあない」
「……いいんです、それでも、」

 
 ――うれしかった、から。

 そういって、彼女は意識を失って再び眠りについた。深手を負っている彼女は、きっとまだまだ話をするだけで精一杯なんだろう。しかし、完全に意識を失う前のその顔は、本当に嬉しそうに微笑んでいて。……自分はあの時、ただ現場に向かって適切に対処しただけ。それだけなのに、あんな顔を見せられるなんて。
 
 ――どうしてそんなに、嬉しそうに笑えるんスか、朝緋サン。

 益々、彼女のことが分からなくなった。


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