わたしの入る隙なんて在りはしないのに
(――おや、あれは……)
いつものように退屈しのぎに中庭へと足を運ぶと、そこには思いがけず先客の姿があった。顎のラインできっちりと揃えられた艶やかな黒髪。細身でしなやかな体躯からは想像もつかないほど、彼女の動きには無駄がない。白い着流しを身に纏ったその女性は、私と同様、入院患者の一人なのだろう。……そして、私と同様に、じっとしてられないタイプ。額には汗を滲ませながら、片腕で黙々と腕立て伏せに打ち込んでいた。
「…………」
そっと近づき、しばらく黙ってその様子を見守る。彼女は鍛錬に集中しているようで、私の存在にはまったく気づいていない様子だった。彼女の所属している部署を考えたら、他人の気配に疎いのはまずいのでは?と思いつつも。懸命に鍛錬を続ける彼女――砕蜂の姿を観察していた。
「……よし、ひとまずはこんなものだな…」
「へえ、すごいね。私が来てから数えただけでも百回は超えてたよ」
「なっ!?!な、何者だ貴様は!!」
「……ひどいな、結構前からここに居たんだけど」
驚いて勢いよく振り向く砕蜂。なんだ、本当に気づいてなかったのか。彼女の目は大きく見開かれていた。しかし、腕立て伏せの影響か、驚いて振り向いた影響か。急な動きで体に痛みが走ったようで、砕蜂は「うぐ、」と苦痛に顔を歪めていた。その様子に苦笑いをする。
「怪我、治りきってないのに鍛錬するなんて偉いね」
「……偉くはない。私の自己満足だ」
「自己満足って、そうまでして強くあろうとしてるってことでしょう?努力家の証拠じゃないの」
「き、貴様、何が言いたいのだ」
「んー?うーん、そうだな……羨ましいな、って思った」
「……は?」
驚く砕蜂を他所に、ポケットからハンカチを取り出して、彼女に手渡す。「汗拭かないと、身体冷えて風邪ひくよ」そう言うと、彼女は信じられないものでも見るよな、不審な顔のまま、黙ってハンカチを受け取った。しかし、それ以上動こうとはしない。何かを考え込んでいるようだった。
「だって、ほら。そこまで強さを求めるほど、成し遂げたい"何か"があるんでしょう?怪我しても、治るまでの時間すら惜しい。そう思えるくらいの"何か"がさ」
「……まぁ、そうだな」
「私にはそれが羨ましいな〜って。そう思っただけだよ」
夜一さんの為に。彼女の剣と盾であるために、必死に練磨を重ねられる砕蜂が羨ましかった。私が身体を鍛えても、なけなしのちっぽけな霊力じゃ、彼の隣も後ろも歩いてなどいけない。だから、そう。大切な人のために努力が出来るということが、純粋に羨ましく思えた。
「お、おい!何処へ行く!」
「どこって、病室戻るんだよ。怪我人だし」
「ま、待て!これ――」
「ああ、いいよ気にしないで。何だったらあげるよ、そのハンカチ。邪魔してごめんよ〜、無茶も程々にね」
自分から話しかけておいて何だこの態度は。思わず自分の事を鼻で笑ってしまう。急にいたたまれなくなってしまい、私は彼女の引き止める声を聞かなかったことにして、病室へと引き返した。
――きらきら、キラキラ。降り注ぐ陽射しも、それを反射する窓ガラスも、退院していくのか、大勢の仲間に囲まれて歩いていく人たちも。何もかもが私には眩しかった。
***
病室への帰り道。長い廊下を歩いていると、ふと窓の先に見覚えのある人影を見つけた。遠くて表情までは分からないけれど、あれは間違いなく卯ノ花さんと喜助さんだ。
二人は救護詰所の正門で立ち話をしており、喜助さんが何かを卯ノ花さんに手渡していた。そしてそれが合図だったかのように、軽く会釈を交わし、それぞれ別の方向へと歩き出す。――卯ノ花さんは、詰所の入口へ。喜助さんは、門の外へ。
ああして二人が救護詰所の前で会話をしているのを、もう何度も目にしたことがあった。彼がどうして詰所の中には入らず、外で卯ノ花さんと立ち話をするだけなのかは分からない。どんな目的でその行動に至ったかは皆目見当もつかないが、私の他にも、彼の知人が入院でもしているのだろうか。……まさか砕蜂?……いや、さすがにそんな頻度では来ないか……。
そんなことを思っていると、何気なく目で追っていた卯ノ花さんとばっちり目が合ってしまった。私はそれを逸らす事なんて出来なくて、ぎこちない笑みを浮かべて会釈を返すことしか出来なかった。
なんだかそのまま病室に戻る気にもなれず、宛もなく詰所内の廊下をふらふら歩いて、目に付いたベンチに腰掛ける。後ろ手をついて体を預け、ぼーっと上を仰いだ。視界に入るのは、所々にシミのある古ぼけた天井。
「……おや。病室にいらっしゃらないと思ったら、こんな所に居たのですね」
「……卯ノ花隊長、こんにちわ」
「顔色が優れませんが、気分でも悪いのですか?」
「ああいえ、そういう訳では」
天井を見ていた視線を、声のした方へとくるりと向ける。相変わらず氷の張った湖のような冷たさを感じる彼女の雰囲気に、ぼーっとしていた頭は徐々に冴えていく。
「……何を話していたのか気になる、という顔をしていますね」
「ええ、嫌だな。まさかそんな事聞くために私の事を追いかけてきたんですか?」
「患者の気苦労を解消するのも、治療のうちですから」
「……随分親切なんですね、この施設は」
「素直に褒め言葉として、受け取っておきましょう」
私はこの人に向かってなんて事を言ってるんだ。調子に乗るなと思う自分もいるが、やさぐれて荒んだ心では上手く綺麗な言葉を紡ぐことが出来そうになかった。分かりやすく言えば、そう。取り繕うことも出来ないくらい、私の心は何かに乱されていたのだ。
「……私の他にも、あの人の知り合いが入院してるんですか?」
「……何故?」
「浦原隊長が、頻繁に詰所に来ては卯ノ花隊長と話をするだけで帰っていくのを、もう何度も見かけたので。忙しくて見舞いには行けない人がいらっしゃるのかなと」
「……ふふ、あなたはどうやら、私が思っていたよりも可愛らしい人なのですね」
「……はいぃ…?」
ニコニコと穏やかな笑みを浮かべる卯ノ花さん。私が可愛い……?ど、どこが……何が……?頭の中はクエスチョンマークで溢れかえる。そんな私を変わらずニコニコと眺めた後、卯ノ花さんは窓の外、先程彼女たちが会話をしていた正門の方を見つめて口を開いた。
「彼は……浦原隊長は確かに、見舞いに行けないからと、私に様子を聞きに来ていますよ」
「……そうなんですね」
「ええ。『朝緋サンの様子はどうですか?』と、毎日来ていますよ、彼は」
「………………へ?」
一瞬、時が止まったような気がした。
「私は彼の交友関係に詳しくはありませんが、先程話をしていたのはあなたの容態についてです。他の誰か、ではなく、あなたの事を聞きに来ているのですよ」
「……な、なんで、そんな……」
「さて、私はそこまで聞いていませんから。お答えすることは出来ませんね」
「……まぁ、それもそうですよね」
「……ですが、私はこの綜合救護詰所に長く務めている身です。その観点から言うのなら、浦原隊長はあなたを心配して毎日来ているのだと思いますよ」
「…………」
心配して?毎日様子を聞きに来ている?……本当にそうなんだろうか。
彼の気持ちを否定するわけじゃない。でもなにか、そう。"心配"だけが理由では無い気がするのだ。私が知る浦原喜助とは、仮に心配していても、その本音を丸出しにするような行為はしない。常に建前を用意するタイプだ。だからきっと、彼が心配なのは私じゃなくて――
「……浦原隊長はなぜ、私をここに置いているんでしょうか」
「……?」
「そんなに心配なら、技局に連れ帰ればいい。私はもう、ここじゃないと助からないような怪我じゃないはずです。毎日わざわざ赴くなんて面倒なこと、しなくて済むのに」
「………」
ただ安静に過ごしているだけ。命の危機なんてとっくに脱したはずだ。それなのに。
「……私を、ここに置いておきたいんじゃない。技局に連れて帰りたくない理由が、何かあるんですかね」
「………」
卯ノ花さんは何も答えない。ただ黙って、じっと窓の外を眺めているだけ。しばらくの間、私たちの間に沈黙が流れる。
……何言ってんだ私は。こんなこと卯ノ花さんに言ったってどうしようもないのに。今日は何故か、あまり考えてものを言うことができない日なんだろうか。
「技術開発局は、科学を追い求める場所。その過程で医学に精通した知識や技術を手にする事もあるでしょう。ですがあくまで、扱うのは"科学"であり"医学"ではないのだと。――以前、技術開発局を立ち上げた際に、彼はそう言っていましたよ」
「………」
「技術開発局と綜合救護詰所は、まったく別の役割を担っています。完治するまでここに入院するのは、あなたにその必要がまだあるからですよ」
「……そう、ですか」
「それに、」
「あなたみたいなお転婆な人が技術開発局に戻ったら、大人しく療養なんてしないだろうと、私でも分かりますよ」――と。卯ノ花さんは窓の外に向けていた顔をこちらに向け、にこり、と笑みを一つ。そこには冷たさよりも、温かさが含まれていたように見えた。
「……それはたしかに、そうかもしれませんね。はは、じっとしてる自信ないかも」
「退屈なのであれば、私が話し相手になりますよ」
「……それはちょっと、恐れ多いのでお気持ちだけ頂いておきますね」
「あら、私が良いと言ってるのですから遠慮しなくて構いませんよ?……それとも他に何か、恐れるものがあるのですか?」
「……いえ、何も。何も無いです(そういうところです)」
よいしょ、とベンチから立ち上がり、卯ノ花さんへ丁寧にお辞儀をする。「少し疲れたので、部屋で休みます」と告げると、返事は短く「ええ、そうですか」とだけ返ってきた。もう一度軽く会釈をしてその場を後にし、病室へ戻ってきた私は、そのままベッドに身を投げ出す。
「………」
冷たい布団の感触が気持ちいい。掛け布団を被らずその上に寝転がったまま、ごろん、と仰向けになる。
「……なんか隠してるんだろうなぁ」
――ずっと心に深く沈んでいた錘が、ぽつりと静寂に包まれていく。
端的に言うと、居心地が悪い。隠し事をされているのだから当然だ。……はぁ。だけど、そんな事でうじうじしてられない、私の選んだ道はこれを乗り越えていくしかないんだから。
隠して背負って、抱え込む。あわよくば、自分だけが火の粉を被って解決しようとする。そんな彼に寄り添いたいのなら、私が隠されていることを「気にする」ようじゃダメ。何を隠されていようが、堂々と胸を張ってまっすぐに立っている。――そんな女になりたいのだ、私は。
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