知らぬ存ぜぬ愛など要らぬ
師走。私が綜合救護詰所から退院する頃には、季節はすっかり冬になっていた。草木は色を失い、冷え込む日には雪がチラつく。はぁ、と息を吐けば、それは白く霞んで宙へ消えていった。私は寒いのが苦手なのだ、冷たい廊下を肩を縮こませながらそそくさと通り抜け、研究室へ向かった。
「おはようございます」
「おはよう、翡葉さん。体調はどう?」
「おかげさまで、ばっちり元気になりました。これからまた、馬車馬の様に働かせて頂きますので遠慮なく声掛けてくださいね」
「はは、翡葉さんは本当に頼もしいなぁ」
復帰してから数日。すれ違う局員にはこうして体調を気にかけらることが増えた。まぁ一ヶ月も入院していたのだから、私が逆の立場なら同じことをするけれど、こう何度も聞かれると若干息が詰まる。私はまだ辛気臭い雰囲気なのだろうか?どこをどう見ても私は元気なんだけどな……と思いながらも、以前と同じように雑用をこなしていく。
この一ヶ月、入院している間にずっと考えていた事があった。それは、技局に復帰した後に「腫れ物扱い」をされたらどうしよう……という事だった。実に自分本位でくだらない心配なのだが、自分の立場や境遇、性格を考慮すればそこを気にせずにはいられなかったのだ。
どうか前と同じように接して貰えますように。そう祈りながら出勤する日々が続いてるが、その心配は杞憂に終わりそうだった。局員たちとの距離感に変化を感じることがあるとすれば、ひよ里がやや過保護になったような気がするくらいで、皆以前と同じように私と接してくれていた。それが何よりも、この一ヶ月不在にしていた罪悪感を薄めてくれたのだった。
***
技術開発局の奥深く。義骸を管理している倉庫で私は小一時間ほど、頭を悩ませていた。
「んーー、なんでだろうなぁ〜……」
以前、喜助さんから教わった義骸の霊子回路調査。一ヶ月休んでる間にその担当が変わることは無かったようで、復帰後も変わりなくその作業を行っていたのだが。それがどうにも、前と同じようには出来なくなっていた。義骸に向けて霊圧を込める。すると、霊子回路が反応して全身に霊圧が流れていく。その際に発生する滞りを見つける作業なのだが……どうにも、その"義骸に霊圧を込める"のが上手くいかない。以前は安定して、簡単にそれをこなしていたのに、復帰してからは上手くいかなくて時間がかかっていた。込めた霊圧に霊子回路が反応したりしなかったりするのだ。
「…………難しいなぁ」
最初にその違和感に気がついた時、義骸が悪いのだと思ってしまった。けれど、別の義骸で試してもその現象は変わらない。何度かやり直せば出来る時もあるから、霊子回路の調査という作業そのものがこなせなくなった訳ではなかった。ただ、たまに成功するまで何度も試さなくてはいけなくて、かなり時間がかかるようになってしまっていたのだ。
以前は張り切って書き上げていた報告書も、自然と自信がなくなり、肩を落として書くようになってしまった。でも、この報告書を読んでいるであろう喜助さんからは、この件について何も触れてこない。だから問題は無いんだろう、私のやり方が悪いだけ。
「どうしたら前みたいに上手く行くんだろうなぁ」
「……なぁんか、お困りみたいっスねぇ」
「――!?」
噂をすれば何とやら。私の独り言に反応するように、背後からいきなり声をかけられる。驚きのあまり振り返った勢いで机に躓き転びそうになったところを、声の主――喜助さんが「おっと、」と抱きとめてくれた。……なんだこれは。いやいや、ていうか何でここに?私がブツブツ言いながら報告書書いてたの見てたの?あと、心臓に悪いので、音も気配もなく背後に立たないで下さい、と切実にお願いしたい。
「う、浦原隊長、驚かせないでくださいよ」
「いやぁスイマセン、そんなに驚かれると思わなくて」
「だ、誰だっていきなり背後から声をかけられたら驚くと思うのですが……!」
「あれ、気がついてなかったんスか?ボクの気配に」
「知りませんよ!報告書書いてたし、気が付かなかったです」
「………」
喜助さんは一度目を伏せたあとに、机に置いたままの書きかけの報告書をひらり、と手に取った。ぺらぺらと捲って読みながら「よく書けてるっスね」と呟く。
「それなら、いいんですけど……」
「朝緋サンって、真面目で細かいところまで気が利く、器用な方っスよね」
「そうですかねぇ」
「ボクは霊子回路の滞りを探して欲しい、と伝えただけなのに、貴女はいつも、それ以外の異常を見つけたら細かく記載してくれてたじゃないっスか」
……心当たりはあった。回路の滞り以外にも、義骸に傷がついてるところを見つけたりだとか、関節の動きが鈍かったりだとか、そういう些細な異常を見つけられた時は、たしかに報告書に記載していた。しかしまさか、一介の平局員の私の報告書など、そんな隅々まで読んでるとは思わない。それを指摘された今、余計なことだったんじゃないかと思い恥ずかしさでじわじわと顔に熱が集まる。
「……そこまで読んで下さってたんですね」
「もちろんっスよ。今まであんなに丁寧な報告書を書いてきてくれた人、いませんでしたからねぇ」
「………」
私の報告書をちゃんと読んでくれていたこと、褒められたこと。お世辞だとしても嬉しかった。けれど逆に、以前と同じようにこの作業をこなせなくなってしまったからこそ、その褒め言葉は棘のように心に突き刺さる。……今はもう、細かいところまで確認する余裕がなくて、記載出来ていないからだ。
「……回りくどいのはあまり好きじゃないので、結論からお話しますね」
「……はい?」
「ボクは、いま貴女が悩んでいることについて原因を知っています」
「――?!」
普段よりも幾分か落ち着いた声でそう告げる喜助さんは、踵を返して私から離れていく。そして、どこからともなく椅子を二つ用意して、私に腰掛けるように促してきたのだった。
「朝緋サン。貴女に伝えなきゃいけないことがあるんス。……少し長くなるので、ここに座ってください」
そう言って俯いた喜助さんの表情からは、彼の気持ちは読み取れなかった。流れる空気に穏やかさなんてこれっぽっちもなくて、静かで重い、この話がただ事では無いというのがひしひしと伝わってくる。……何か、私にとってよくないことなんだろうか。喜助さんはどうみても、この話をしたくてしようとしてるようには見えない。一体何を告げられるのかと、バクバクと心臓が騒ぎ立てる。
「朝緋サン、先程貴女は『ボクの気配には気が付かなかった』……と言いましたよね」
「?はい、報告書に夢中だったので気が付きませんでした」
「その言い方だと、まるで"報告書に夢中じゃなかったら"気がついていた、って言ってるように聞こえるんスよ。……貴女はこれまで、ボクの気配に気がついた事があったんスか?」
「……ええ、まあ、何度か」
「それは、いつ、どこで感じたか。覚えてますか?」
いつ、どこで。そう問われて、うーん、と目を瞑って思い出す。たしか、入院中に病室に来てくれた時には、扉を開けなくても喜助さんなんだろうな、と思ったことは何度かあった。でも、それくらい。気配を感じたというか、勘が当たったというか。そんな感じでしかないのだが、思ったことをそのまま喜助さんに伝えると、彼は一度考え込んだあとに、またひとつ疑問を零した。
「朝緋サン。貴女はおそらく、擬似虚と戦う前は一度も気配を感じたと思えるようなこと、なかったんじゃないスか?」
「………言われてみれば。確かに、そうかもしれません」
私が明確にその違和感に気がついたタイミングははっきり覚えてる。擬似虚の攻撃を受けて死にかけていた時だ。その場にいない喜助さんの気配を感じて、あの時は走馬灯のような、死に際に見る幻覚の類だと思っていたんだけど……ふとそれが、その後に感じた感覚と同じであったことに妙に納得が行く。
「貴女が感じたものの正体は、我々の言葉で言う"霊圧感知"です」
「……霊圧、感知」
「朝緋サンは、その場に居ない、あるいは見えないボクの霊圧を感じて、それを"気配"だと捉えたんスよ」
ほーう。そんな事が、私にも出来るようになっていたのか。言われてみて、無視をしていた違和感の正体にすとん、と納得がいく。姿は見えなくとも、誰かが近くにいるのがわかる。自分がこの一ヶ月で体感した違和感が分かってスッキリしたのと同時に、それでもまだ深刻そうな顔をしている喜助さんに疑問が残る。
――そして。いつかの、夜闇に包まれた病室でのように。喜助さんは意を決して座り直して、真剣な表情で私をじっと捉えた。
「単刀直入に言います。……朝緋サン、貴女には死神と同等の霊力があるんスよ」
「――……」
言葉を、失った。
そんなはずはない、だって、どうしようもない事なんだって諦めてたのに。そんな奇跡は起こらないのだと、力のない自分を何度も嘆いて、どうしようもない現実を受け入れる準備を、このひと月してきたのに。
「……霊力とは、魂魄が消滅の危機に瀕した際に最も上昇しやすいもんなんス。貴女はあの日、擬似虚との戦いで何度も死を覚悟した瞬間があったはずだ」
「………」
「元から、空腹を感じる程度には霊力を持っていたんス。それがあの事件をきっかけに、大きく成長した」
「………」
「霊力が上がれば、自ずと周りの霊圧にも気がつくでしょう。朝緋サンがボクの気配を感じるようになったのは、そのせいだと思います」
喜助さんから語られる内容は確かに信憑性があり、頭ではその理屈を理解出来る。しかし、理解しているからと言ってすぐには信じられなくて、黙って聞いているしか無かった。嘘じゃないのは分かってる、だけど、そう簡単に受け止められる話ではなかった。
「霊圧が大きくなったから、義骸に上手く霊圧を込められなくなった……っていう事ですか?」
「だいたい正解っスね。正しくは、小さな霊圧じゃないと回路が反応しないようになってるんス」
「……そう、だったんですね……」
信じられない。こんな事、期待をするだけ無駄だと希望すら抱いてなかったのに。放心状態とまでは行かないが、頭と心はちぐはぐで、理解している頭にまるで心が追いついてこない。
入院中に感じた喜助さんの隠し事は、これだったんだろう。彼が直接病室まで見舞いに来なかったのも、絶対安静が解けても技術開発局には連れて帰ろうとしなかった理由も。きっとこの話が原因だったんだ。私にこれ伝えることを躊躇い、どう接するべきか迷っていた。……私をどう扱えばいいか、分からなかったから。それが分かってほっとすると同時に、この先のことを考えて新たに不安が過ぎる。
人間とは不思議なもので、自分にとって都合のいい現実は受け入れやすくなっているらしい。念願の力を手にしていた、その事実にじわじわと心の底から喜びが滲んでくる。手を挙げて、声を上げて、舞い上がって喜びたいくらいだ。けれど、喜助さんの深刻な表情を見てしまうとそんな気にはこれっぽっちもなれなかった。喜ぶべき事じゃないのだと、そう言われている気がして。
長らく続いた沈黙の後。喜助さんは覚悟を決めたように強い意志を宿した目で、私を見据えた。
「朝緋サン」
「……はい」
「ボクは、技術開発局の局長として、貴女の居場所と立場を守る責任がある」
「はい」
「……だけど、護廷十三隊の隊長として、その霊力を見過ごすわけにもいかないんスよ。貴女には死神としての素養も才能もある」
買い被りすぎだ、そう思った。そんな事ないですよ、なんて言葉が喉まで出かかる。……この人が他人の力量を見誤る事など、滅多にないというのに。
喜助さんはそう言って、胸元からあるものを取り出した。……それはあの時、トドメを刺される前に必死になって投げ飛ばした水晶玉だった。無くしてしまったと思っていたけど、彼が拾ってくれていたらしい。
そしてその水晶玉は、見慣れた赤色ではなく――真っ黒に染まっていた。きっと、赤から黒に変色するくらい、私があの時込めた霊圧が大きかったんだろう。喜助さんが言いたい『死神の素養と才能』とは、おそらくこれの事なんだろうか。
「このまま、技術開発局で局員として過ごすのであれば。簡単に、霊圧の抑え方だけ覚えてください。そうすれば、今まで通り過ごしていけるはずっス」
「……はい」
「……ですが、もし。貴女が身に宿る力を生かす覚悟を持つと言うのなら。ボクも、貴女を地獄に落とす覚悟で"死神"として育てます」
「!!」
「どうするか、朝緋サン自身で選んで下さい」
――意味が、あった。私が全てを捨ててここに来た意味は、確かに存在していた。これがどれだけ幸せなことか、きっとこの人には一生分からないだろう。貴方が私を導いてくれるなら、私はどこまでだってついていく。地獄に突き落とされるつもりなんて、更々ないけれど。貴方が地獄に落ちるなら、喜んで後をついていくよ。……それくらいの覚悟なんて、もうとっくに出来ている。
「浦原隊長」
「はい?」
「その返事、少し待っていただけますか」
「もちろんっスよ。納得出来るまでゆっくり考えて――」
「ああ、いや、答えは決まってるんですけど」
「?」
「見せたいものがあるので、準備出来たらお返事させていただきます」
にこり。きっと今の私は、とても清々しい顔で笑っているだろう。周りにはキラキラとお星様でも輝いているんじゃないだろうか。それくらいに、湧き上がる気持ちが溢れだしているのが分かる。
――あぁ、人生、捨てたもんじゃないな。神様、どうもありがとう。
- 34 -
戻る | 次へ
表紙
TOP