終わらないプレリュード


「オマエ、その髪――!」
「……さすがに色んな人にそのリアクションされすぎて、こっちが疲れてきました」
「そんなん驚かん方が無理やろ!!」
「ええ〜……」


 技術開発局の廊下、向かいから歩いてきたひよ里がこちらを見た瞬間、その目をさらに大きく見開いて立ち尽くした。廊下に反響する足音がピタリと止み、空気が一瞬、凍ったように静まり返る。その間、およそ二秒。
 次に、彼女はビシッとこちらの顔を指差しあんぐりと口を開き、なんと言おうか言葉が出ない、そんな様子で固まっていた。正直、今日出会った人の中で一番リアクションが大きいのだが、みな一様に私の短くなった髪を見て驚くもんだから、彼女らしいそのオーバーリアクションも、もはや見慣れた光景の一部になってしまった。

 髪を切るってそんなに驚かれる事なんだろうか?と、肩より上でゆらゆらと揺れる毛先を摘んで弄んで考える。もしかしたら、これは現代を生きていた私と百九年前の尸魂界とのジェネレーションギャップなのだろうかと、ひとつの答えが思い浮かんだ時。
 一歩、私の方に近づいたひよ里は、先程の軽快なオーバーリアクションはどこへやら。表情はさっと引き締まり、その瞳の奥に浮かんでいたのは、怒りというよりも寂しさやもどかしさを飲み込んだ静かな眼差しだった。小柄な体格の彼女が、まるで年長者のように見える。見上げてくるその視線が、妙にまっすぐで胸に刺さった。
 

「朝緋、ホンマに死神になるんやな」
「はい。これからもっと逞しい下っ端になる予定です」
「……アホ、やるなら本気でやれや」
「やだな、私の覚悟はいつだって本気ですってば」


 ニカッと、清々しく笑ってみせる。ひよ里はきっと、私の身に何が起きたのかも、どういう選択を迫られたのかも、とっくに全部喜助さんから聞いていたはずだ。ましてや、ひよ里のことだ。本当はずっと言いたいことがあっただろうに、彼女は一度もこの件には触れずに明るく病室まで見舞いに来てくれていた。今まで心にしまったままにしてくれていたのは、彼女なりの優しさなんだろう。

 
「ウチは反対や。朝緋が戦いに手出すんなんか見たない」
「………」
「せやけど、朝緋が自分でそれを選ぶいうんなら、ウチは何も言わん」
「ひよ里さん……」
「やるんやったら根性見せや。一人前にならんと絶対認めへんからな」


 だから、こうして。精一杯、たくさんあるであろう私に言いたかったことを、一言にまとめて伝えに来てくれたんじゃないだろうか。心配はしてる、でも、応援もしてる。そんな気持ちがひしひしと伝わってきて、思わず目元に熱が集まる。
 私にとって目の前の少女、猿柿ひよ里はかけがえの無い存在だ。彼女は、副隊長の自分に対してすら建前ばかりを使い、本音でぶつかってくれない浦原喜助を、衝突しながらも見捨てないでいてくれたから。彼にとってひよ里は間違いなく特別な、最初で最後の副官。彼女のように自分の気持ちをストレートにぶつけられるような子が、あの人の副官でいてくれたことが、私は何よりも嬉しくて。
 そんな大切な人から私に向けられる気持ちは、優しさは、私にとっても間違いなく特別なのだ。
 

「なりますよ、あっという間に。1年くらいで死神になってみせます」
「アホか、いくら教えるんが喜助やからってそんなん無理に決まっとるわ」
「ええ〜、でも無理って言われるとやりたくなっちゃうんですよねぇ」
「やめとけ、変に高い目標持ったらあとでしんどなるで」


 そう言い残して立ち去る背中を見送る。小さいけれど、誰よりも大きな背中。私も彼女のように、決して折れない強さを持つ逞しい死神になりたいと、憧れずにはいられない、そんな背中だった。
 彼女の足音が廊下の向こうに消えていく。静寂が訪れ、ふと、さっきまで交わしていた会話の熱が遠くなった気がした。それでも、胸の奥にはほんのり温かなものが残っている。ささやかな励ましや、何気ないやりとりが、こんなにも力になるなんて。

 ひよ里と別れた後、私は小さく息を吐いて、気を取り直すように一歩を踏み出した。長い廊下には昼下がりの光が射し込んでいて、空がやけに澄んで見える。研究室に入り出入口付近にいた局員と「お疲れ様です」と軽く挨拶を交わしていたところ、不意に自分を呼ぶ声がして、反射的に振り返った。


「おーい、朝緋――……!?」
「うわぁ……すごい会いたくない人が来ちゃった」


 これまた、私を呼んだ人物は、私を見るやいなや大きく目を見開いて固まる。驚きのあまり口をあんぐりとあけたまま、その場に突っ立っている。……さすがは真子さん、そのリアクションはひよ里と全くおなじだ。デジャブだ。

 
「お前、髪、」
「切りましたよ。はぁ、そんなに変ですか?もうその話今日だけで何十人としてて飽きてるんですけど」
「………」


 私が髪を切ったことを知ったら、一番面倒くさそうな男こと真子さん。彼が驚きの次に見せた表情はやはり、あまり良くは思って無さそうな雰囲気だった。怪訝な顔で三白眼をこちらに向け、じとり、と切られた髪の毛先を見つめている。そして発せられた言葉は、拗ねたような納得がいかないような、普段よりも低くて重い声に乗せられていた。


「切らんでもよかったやろ」
「よくないですよ。長いと色々不便なの、真子さんこそよく分かってるでしょ」


 まるで全てを見透かして、「男のために髪を切るなんて」と言われたようで。つい意地になって私も不貞腐れたように返してしまった。ええい、私がどうしようと私の勝手だ、自分が大切にしてるものが私も大切にしてると思ったら大間違いだぞ。
 私は自分でけじめをつけたくて、切り替えたくて髪を切ったんだ。生まれ変わるためにそうしたいと思った、この気持ちまで真子さんにとやかく言われる筋合いはない。
 
 
「……それとこれとは話は別や。それに、あの髪紐も使えへんくなってもうたやんか」
「髪なんてあっという間に伸びるんですから、平気ですって。またすぐに結べるようになりますから」
「………」
 
 
 以前真子さんに買わされた、あの人の髪によく似た亜麻色の髪紐。あれは、もはやただの髪紐ではなくお守りのようになっていた。好きな人の色を纏うのは少しだけドキドキしたし、同時にそれは勇気や活力にも変わっていた。あの髪紐に、亜麻色に、あの人に。元気づけられていたのは確かだ。
 しかし、髪が短くなった今、髪紐の出番はしばらく来ないであろう。そこまで考えて髪を切った訳じゃなかったけれど、そんなものに頼らず自力で立てるようにならなきゃいけないと、今なら思えるから。結べなくなって、髪紐が使えなくなってちょうど良かったかもしれない。
 だから、だ。真子さんにそこを心配されるのは、私からしたらまったくもって余計なお世話でしかない。私の髪よりも、自分の髪の手入れでも心配しておいてくれ。
 

「――似合うとるよ」
「……はあ、どうも」
「髪の長い朝緋も、短い朝緋も。俺はどっちも好きやで」
「そうですか。私はそういう事言う真子さんは好きじゃないです」
「………ハァ」


 ハァ、てなんだ、ハァって。ため息をつきたいのはこっちの方だ。真子さんが変なことを言うから、周りにいた局員たちは皆揃いも揃って「え……?」「こ、告白……?」「平子隊長が……?」みたいな顔で一斉にこちらを向いている。本当に勘弁して欲しいのだが、当の本人はそんな周りの様子などまるで気にしていない、とでも言うように。視線は私の瞳から外れない。
 

「口説かれて少しくらい動揺するとか、ないんかお前は」
「無いですね。そんな適当なこと言って慌てる私が見たいだけでしょ。騙されませんよ」
「……ま、ええわ。今は」
「……?」
「ほな、頑張りや。どうせ喜助のためや思てんねやろ?あんまし無茶せんときや〜」
「(……周りに聞こえたらどうすんだ、バカ。余計なこと言わないでくれ)」


 "お前が死神になるのは喜助の為なんだろ、そんなことお見通しやで"とでも言いたげに、ニヤニヤと浮ついた笑みを残して真子さんは研究室から出ていった。そんなことを言うためにわざわざ来たのか?と思うと、呆れると同時にわずかに腹が立つ。分かってるなら言わなくてもいいことを、あえて言うなんて、そんなの理由は一つだ。


「言われなくたって、頑張るっての」


 今思えばいつだって、私に前を向かせて立ち上がらせてくれていたのは。私が愛した人ではなくあの男だったかもしれない。

 

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