世界が広がるほど縛られた




 髪を切ったあの日から一週間。朝も昼も夜も、ただ本を読んで過ごした。死神とは何か、虚とは何か。斬魄刀とは、霊力とは――机に山積みになった教本を、片っ端から目に焼き付けるように読み漁った一週間。ひたすらに知識だけを詰め込んだ日々果てに、ようやく私は今、"スタートライン"に立っている。
 
 十二番隊隊舎にある道場。ここは、喜助さんが隊長に就任してからは使われていないのだとかで、人気の少ない場所にある。今ではすっかり静まり返った忘れられたような空間で、まさに私の死神修業にはうってつけの場所だ。
 道場の引き戸を開けた瞬間に広がる、澄んだ空気と微かな木の香り。床板は冷たく引き締まり、足裏のひんやりとした感触が心地よい。そんな道場の中央に、私と喜助さんは向かい合うようにして座った。いよいよ始まる"死神修行"への、期待と不安で心臓の音がやけに大きく聞こえる。静かな道場に、彼の柔らかく凛とした声が響いた。


「それじゃあ、まずは"霊圧制御"のお勉強からっスね」
「はい。よろしくお願いします」
「早速ですけど、朝緋サン。霊圧と霊力の違い、ぱっと説明できますか?」


 喜助さんの問に答えるように、頭の中に詰め込んだ知識たちを引っ張り出す。記憶力はそんなに良い方ではないが、さすがに基礎基本の答えくらいならすぐに答えられる。道場に響く私の声が壁に反射して、静けさを際立たせていた。

 
「……霊圧は、霊力を外部に放出した状態のこと。霊力はその人の内にあるエネルギー総量」
「ご名答、完璧な模範解答っス。ボクが渡した教本、しっかり読んで覚えてるんスねぇ」
「まぁ、それなりには」


 言いながら、気恥しくなって俯く。課題として渡された教本を読んだだけなのに、その裏にある私の気合いまで見透かされているようで。
 素直に、頑張って読んだからって言えたらいいのに。それなりに、ってなんだ、もうちょっとマシな返事の仕方があるだろ。
 

「霊力とは、生命エネルギーに等しい存在です。それが尽きたらどうなるかは……分かるっスよね?」
「はい」
「だからこそ、霊圧をコントロールするのが死神としての基礎基本なんスよ。無駄が多ければ多いほど、消耗は早いし回復も遅い。力の制御は、必ず生死に直結します」


 分かりやすい理屈で語ってくれるおかげで、死神見習いの私でもすんなり理解が出来る。喜助さんの知性の高さはそのまま、相手に物事を伝える上手さに直結している。あまり原作では見られなかったけど、彼のそうした特性は指導者に向いているんだろうな、と。そんなことをぼんやりと思った。


「さて。それじゃ、霊圧制御の重要性もご理解頂けたところで……さっそく実践してもらいましょうか」
「……実践、ですか?」
「はい。まずは……コレっス」


 喜助さんは手を前に出し、掌を上に向ける。次の瞬間、その掌には淡く光る霊圧の粒が宿り、柔らかい光をまとって静かに丸く形を成していく。手の中に浮かぶその光は、まるで満月のようだった。


「水晶玉に霊圧を込めた時と同じように、掌に霊圧を集めてみてください」
「………こう、ですか」
「いいっスね。そしたら、もう少し霊圧込めて大きくしてみましょうか」


 手先に意識を集中させて力を込めれば、私の掌にもゆっくりと光が集まり、淡く輝き始める。霊圧を意図して操作するのは擬似虚と戦ったあの日以来だ。ひとまずその技術が衰えていなかったことに安堵しつつ、さらに霊圧を込めてみる。すると、案外簡単に込められた霊圧に比例して、掌の上に浮かぶ光が一回り大きくなった。……なんだ、私ってばやれば意外と出来るじゃないか、と、心の中でガッツポーズが出る。

 
「お見事。朝緋サン、もしかして霊圧込める練習とかしてました?」
「……まあ、入院する前は義骸調査のついででやってましたね」
「なるほど。だから霊圧の出力が安定してるんスね」
「……!」
「それじゃそのまま、維持してみましょうか」


 入院する前――擬似虚と戦うよりも少し前。自分にわずかでも霊力があると知ったあの時から、私は誰に言われるでもなく霊圧を込める練習を続けていた。自分なりに何か出来ることはないかと模索していたあの時間が、今、こうして役立ったのだと思うと……じんわりと胸が暖かくなる。努力というほど辛くも大変でもなかったけど、毎日継続した甲斐はたしかにあったようだ。
 喜助さんに褒められて分かりやすく気分が良くなってる自分を心の中で笑う。私は本当に単純な人間だ。

 しかしそんな喜びも束の間、言われた通りに大きな霊圧を維持しようと思っても上手くできなかった。二秒もしないうちに弾けて霊圧が霧散していく。あれ?と思って何度もやり直してみるけれど、結果は同じ。
 

「む、難しい……!」
「肩に力入りすぎっスよ、一旦落ち着いてみましょ」


 困ったように笑う喜助さんを見て、私も苦笑いをする。上手くいかない事があると出来るまでのめり込むのが悪い癖だと、いつだったか上司に言われたのを思い出した。でも、だって、納得いかないんだもの。大きな霊圧は出せるのに、維持が出来ない。難しいことを要求されているとは思わず、上手くいかないことが余計にもどかしく思う。


「今の朝緋サンなら、その霊圧を五秒維持出来れば上出来ってとこっスかね」
「ご、五秒も……」


 正確に測っているわけじゃない。でも、体感で分かる。私の今の限界はせいぜい二秒だ。五秒がどれほど遠くて高い壁なのかが、実際にやるとよく分かる。先行きが不安になり思わず顔を顰めた私を見かねてか、喜助さんはふっ、と小さく息を吐いて笑った。そして、顎に手を当て考え込むような仕草を見せたあと、静かに言葉を紡いだ。

 
「……そっスねぇ、維持っていうと"そのまま"ってイメージっスけど、"流し続ける"って感覚の方が良いかもしれないっスね」
「!……なるほど、分かりやすい」
 

 すっ、と目を閉じてもう一度。掌に霊圧を込めて、それを"流し続ける"イメージを思い浮かべる。川のような水流を思い浮かべて、とにかく力の流れを止めないように意識する。ただ手先の一点にとどまらせるのではなく、流れるように、静かに――すると、明らかに先ほどよりも長く霊圧が掌にとどまっていた感覚が手先から伝わってきた。

 
「……お、今の惜しかったっスね」
「ふむ。なーんか、出来そうで出来ないですね。んー、何が違うんだろ」
「(……この子、自分で納得出来る感覚を掴んだらすぐに良くなったな……)」


 イメージを保ったまま心の中で秒を数える。何度か繰り返しやってみるも、三秒……四秒、あと少しというところで霊圧は弾けるように霧散してしまう。ほんのわずかに届かない"五秒"という目標が、まるで意図的に設定された壁のように立ちはだかる。つくづく、この人の目標設定は絶妙部分をついてくるなと思い、何もかも見抜かれているような観察眼に感心すら覚える。


「面白いくらいに五秒が越えれないですね」
「まあ、まだ始めてから十分も経ってないっスからね。最初からなんでも出来る人なんていないっスよ」
「そうですかねえ?浦原隊長なら何でも出来たんだろうなぁって感じしますけど」
「いやぁ、買い被りすぎっスよ」


 心の奥で静かに燃える闘志を悟られないように、他愛ないやり取りを交わす。こういうところが頑固というか、負けず嫌いというか。この程度で苦戦してるのを知られたくない、なんて子供のような意地を張ってしまう。
 よし、と気合を入れ直すように、短く息を吐く。やり方は間違っていないはずだ。方向性としては間違いなく正解の線上にある。強い霊圧を込めて五秒維持するだけ、何も難しいことはない、はずだ。
 
 もう一度、集中して掌に霊圧を込める。……そうだ、川のイメージをもっと強く激しくしてみるか。さっきまでは静かなせせらぎのようなものをイメージしていたけど、求められているのはそれ以上の"強さ"だ。ならば、もっと激しく――たとえば濁流のように。岩をも押し流す勢いで荒々しく、しかし絶え間なく。心の中に暴れ狂う川を思い描いて、霊圧を流し続けた。

(強く、荒々しく、流し続ける――)
 

「……今ので、五秒半ってところっスかね」
「――!」


 弾かれるように顔を上げると、驚いたようにこちらを見つめる喜助さんと目が合った。ほんの一瞬の、些細な出来事なのに。彼の瞳に自分が映っているのに気が付いてしまい、危うく心臓を丸ごと捕えられそうになる。……こんな事で心を揺さぶられている場合じゃないのに。恋心とは非常に厄介なものだと、この時ばかりは疎ましく思った。

 
「いやぁ〜すごいじゃないスか、朝緋サン!まさかこんなに早くコツを掴んでくれるとは思ってなかったっスよ」
「はは、いえいえ。教えてくださる方がお上手なんですよ」


 濁流イメージに切り替えた途端、一発で成功してしまった。なるほど、同じ動作でもその場に即した"最も近い感覚"を探して当てはめること。それが霊圧制御の鍵なのだろう。霊圧は目に見えるものではないからこそ、感覚とイメージを通じて捉えるしかない。これをこの先、自在に操れるようにならなくちゃいけない。

(『想う力は鉄より強い』……万物共通の真理、ってことか。なるほどなぁ)

 


「――楽しい、っスか?」
「へ?」
「霊圧が嬉しそうに揺れてるんスよ、ずっと」
「……野暮なこと聞きますね」

 
 不意に問われて何のことか分からず目を瞬くと、喜助さんはくすりと笑って言った。……楽しいに決まってる、浮かれてしまうのも当然。だけど、


「良くないですよね。この力の存在が、世界を平和にも地獄にも突き落とせることを分かってるのに」
「………」


 私の言葉に、喜助さんはわずかに目を見開いてふと視線を横に逸らした。窓の向こうを見つめる彼の瞳は、どこか遠くを見つめているような眼差しだった。
 ――そう、分かっているつもりだ、力を手にするというのがどういうことかを。私が身につけようとしているものは、目の前にいる愛しい人を地獄に突き落としたものと同じ"力"なのだ。それを手にしてどう扱うかは、あくまで私次第。
 強くなることに楽しみや喜びを見出すのは不謹慎なのではないかという感覚をずっと持っていた。否、持たなきゃいけないとも思う。
 
 
「……人はよく、“力には責任が伴う”って言うんスけど、本当は、“責任の重さに気づけるかどうか”の方が、ずっと難しいんスよ」
「………」
「それに、出来なかったことが出来るようになって"楽しい"と感じることは、成長に必要なことっスから。いいんスよ、今はそこまで重たく捉えなくても」
「……それもそうですね、」


 道場の床、木目を見つめていた視線を前に戻す。顔を上げた先には変わらず喜助さんがいて、彼の吸い込まれるような暖かい眼差しに私の口角は自然と上がっていった。


 


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