はじけないシャボン玉
「それじゃあ、修行の再開ですね。もうすっかり、こんな時間になっちゃったな」
「――朝緋サン」
猫探しを始めたのは午前中だったはずなのに、気づけば日は大きく傾いていて、とうにお昼を過ぎてしまっていた。……ああ、そういえば、猫を捕まえたらお昼を奢ってもらう約束してたのに、すっかりタイミング逃しちゃったな。まあ、また今度奢ってもらうか。そんなことを考えながら道場に向かおうと背を向けた、その時。
不意に、落ち着いた声で喜助さんが私の名を呼んだ。その声音は穏やかなのに、どこか身の引き締まるような声だった。
「今日はもう、道場に行かなくて平気っスよ」
「……っ、え?それってどういう――」
「……今の朝緋サンなら、もう十分に霊圧を抑え続けられるはずっスから」
振り返ると、太陽のように穏やかな笑みを浮かべてそう告げられて。柄にもなく、ああ、その笑顔が好きだなぁなんて、そればかりが頭を駆け巡った。もはや、彼の言葉は右から左で、肝心の言葉の意味はすっぽり抜け落ちたまま。
不思議そうに首を傾げる私に、喜助さんは指先でぴっと私の手元を指して、「今、やってみたら分かると思いますよ」と軽く促す。修行を止めて猫を追いかけていただけのはずなのに、一体、何がどうなってるんだろう。
言われるままに手を差し出し、霊圧を小さく込めてみる。その状態を保つように集中すると、掌に宿る光がゆっくりと丸く形を成していき、やがてそれは、ぴたりとそのままの形で止まった。微かに揺れることもなく、まるで小さな月が手のひらに浮かんでいるように、静かにそこに在る。
(――え、本当に出来ちゃった)
「ね?ホラ、もう完璧に出来るようになってるじゃないっスか」
「な、なん、……なんで?!」
「ふふ、いい反応っスねぇ」
「う、浦原隊長が何かしたんですか?」
「いーえ?ボクは何も。朝緋サンが自力で習得したんスよ」
「だからそれはどうやって……何が起きて……?」
もったいぶらずに教えてくれたらいいのに、と。自覚のない私の反応を楽しんでいるのか、喜助さんは真相をなかなか教えてはくれない。やっぱり、元からこうだったから、百余年後も悪戯好きなんだろうなぁ、とつい思ってしまう。
何故、苦戦していた霊圧制御が出来るようになったのか、心当たりは何も無いしさっぱり分からない。根負けした私は、講義するようにじっと喜助さんを見つめた。やや拗ねたように「教えてくださいよ」と言えば、彼は小さくふっと息を漏らして笑って、やっと答えを口にした。
「朝緋サン、猫を捕まえるために気配消して近づこうとしてたでしょう?」
「……?はい、そうですけど」
「そうやって"自分の気配を消そう"としたことが、結果的に自分の霊圧を小さく抑える練習になってたんスよ」
「――!」
言われてみれば確かに、猫に気付かれないようにと、何度も何度も気配を殺して動いていた。それが知らないうちに霊圧まで抑える練習になっていたらしい。猫を追いかけていたつもりが、意図せず修行にもなっていたというわけだ。一石二鳥と言うべきか、棚から牡丹餅と言うべきか。
「霊圧の強弱を上手く扱えるようになれば、呼吸と同じように無意識でも霊圧操作が出来るようになるんスけど……まさか先に"無意識で抑えられる"ようになるとは。さすが朝緋サン、才能ありますねぇ」
「、そう、なんですかね……」
才能がある、なんて。私なんかがそんな言葉を貰えるわけないのに、と否定したくなるけれど。この男がお世辞で人を持ち上げるようなタイプではないのは分かっている。だからこそ余計に、その言葉がむず痒くて素直には受け止められなかった。
俯いて視線を外した私の顔を覗き込むように、彼が屈んだ気配がした。なんだろうと顔をあげると、少し怪訝そうな顔をした喜助さんと目が合う。
「だけど、課題の達成前に他人の手助けに時間を割くのは、あまり頂けませんねぇ」
「……、や、あの……はい、すみませんでした」
「朝緋サンの優しさはもちろん長所です。だけどたまには、その優しさを自分にも向けてあげてくださいね」
「……?」
「自分を優先するのも大切、ってことっスよ」
そうしてやんわりと、修行に集中しなさいと指摘をされた気がして。でも、うーん。自分を優先した結果、猫探しを手伝うことにしたんだけどな、と思いつつ。彼の言いたいことはうまく言葉にできないが、何となくは分かった。多分、要するに、お節介を焼くのも程々にしておけ、ということなんじゃないだろうか。だとしたら、ふふ、それは貴方も大概じゃないですか、と。心の中だけで言い返す。
「それじゃ、無事に朝緋サンの"無駄な霊圧垂れ流し"も改善された事ですし、」
「(なんだそれ。そうだったのか)」
「今日からは基礎体力作りっスね!」
高らかに宣言をする喜助さんは、どこからどう見ても楽しそうで。いかにも「ワクワクしてる」というのが見てとれる。
「なんでそんなに楽しそうにしてるんですか」
「いやぁ、だって朝緋サン、体力無さそうだから。鍛えがいがあるなぁ、と思いまして」
「え゛」
「これ、ボクが作った朝緋サンの特訓内容です。ノルマも設定されてるんで、頑張ってくださいねん」
そこに書かれていたのは「走り込み三時間」だとか「腹筋背筋百回を繰り返し三回」だとか「階段駆け上がり十本」だとか……思わず顔が引つるような、目を逸らしたくなるような内容が書かれていて。ニヤニヤと笑いながら特訓内容が書かれた紙を渡してくる所に、少しだけ腹が立つけれど。その実、基礎体力が何よりも大切だという事は、体力の無い私が自身が一番よくわかっていた。
目を閉じて息を吐き、ふと一護との修行シーンを思い出した。私は彼のように時間に追われているわけじゃないけれど、同じ人から鍛錬を受ける身として、体力がなければきっとついていけないことは分かる。そう考えると、思わず背筋が冷えた。
「……ものすごく挑戦的な内容ですね」
「言っておきますけど、これはまだ初歩段階っスからね」
「……はい」
「それと、この先ボクが『朝緋サンは死神に向いてない』と判断したら、そこで修行は終わりますから。覚えといて下さいね」
「……はい。分かりました」
そこには、先程までのへらへらした顔はどこにもなくて。私を鍛え、導く者としての、真剣な眼差しがあった。「向いていなかったら修行はやめる」というのはおそらく、そこに至った時点で、ただ修行を辞めるだけじゃ済まないんだろう。もしかしたら技局での居場所も無くなるかもしれない。そう感じ取れるぐらい、彼は覚悟の決まった真剣な表情をしていて。
――そんな結末など迎えてたまるか、と。才能があると言ってくれた彼の、可能性に応えられるような死神になるんだ、と。強くそう思った。
- 40 -
戻る | 次へ
表紙
TOP