それはまた素敵な理屈
「わぁ、綺麗な星だなぁ」
思わず見上げた夜空には、澄んだ空気に晒されて、満天の星空が煌めきを放っていた。現代の、都会のビルの隙間から僅かに見える星空とは全く違う。無数の輝きが散りばめられたこの星空は、田舎の大自然で感じられるものとよく似ている。尸魂界は四季の移ろいがはっきりしていて、青空も星空も手が届きそうなほど身近に感じられる、風情のある世界だ。死と隣り合わせの世界にしてはあまりにも美しすぎると、最近はそう思うようになった。
「確かに、今日は一段と綺麗っスねぇ」
「わ、び、びっくりした……!」
「はは、ボクの台詞っスよ」
ふと横から声がして驚いて振り向けば、目を細めて星空を見上げる喜助さんの姿があった。吃驚して呆然としていると、彼はゆっくりと振り返り不思議そうな目でこちらを見た。
「研究室に戻ろうと思ったら、こんな夜遅くに朝緋サンがいるんですもん。何かあったんスか?」
「別に、大した事じゃないんですけど……やり残した仕事を思い出したので、つい」
「……思い出したら気になって寝れなくなった、ってやつっスか」
「まあ、そんなところです」
真冬の深夜。もう日付も変わろうとしている時間だというのに、目の前にいるこの人はもちろん、研究室にもチラホラ残っている人たちがいて。私は研究者でも技術者でもないから、こんな時間まで残って作業することはほとんど無いけれど、彼らのこうした熱量と執念が、新技術の開発に繋がっているんだろう。私も負けてられないなぁ、と、連日の修行で軋む身体でピシッと背筋を伸ばした。
会話が途切れ、静寂が訪れる。私たちは星空を眺めたままで、きっとどちらかが話を切り出せば、まだ会話を続けられるのかもしれない。けれど、私も彼も、お互いにやることがあるのだ。「では、おやすみなさい」と立ち去るべきなのに。
――彼が、そうしないから。隣で静かに星空を眺めている横顔を見たら、まだ話をしていたい、と思ってしまって。咄嗟に口から出た言葉は、なんの脈略もない、会話を続けるためだけの無意味な質問だった。
「……もうすぐ年の瀬ですね。死神の方々は、みなさんどう過ごしてらっしゃるんですか?」
「浦原隊長はどう過ごしてるんですか?」とは聞けなかった。だってその日は、彼が生まれた大切な日だから。どう過ごしているかを私が聞くのは野暮ってもんだ。それになにより、この質問は会話を続けるためのものだから。中身に意味なんてないのだ。聞きたくて聞いたわけじゃない。
「ん〜、普段通りに仕事する方がほとんどじゃないっスかね。もちろん、家族と過ごすために休みを取る方もいますけど」
「やっぱりそうなんですね。忙しないなぁ」
「朝緋サンも希望があるならお休みにしておきましょうか?」
「いえいえ。どうせお休みもらっても、きっと一日中局内の掃除をするだけだと思いますから、大丈夫です」
私の我儘で投げかけた質問にも、彼は真摯に答えてくれて。無意味な会話をさせていることに、僅かばかりの罪悪感が滲む。だが、この時の私は思ってもいなかったのだ。この無意味な質問が、意味のある結末をもたらすことを。
「……朝緋サンは、どう過ごしてたんスか?」
「私、ですか?……うーん、おせちの準備したりして、のんびり過ごしてる事が多かったですかね」
私がそう答えると、途端に空気が変わったような気がした。彼は星空に向けていた視線を私の方へ動かして、すっと少しだけ目を細める。
――あぁ、そうだ。私はこの眼を幾度となく向けられたことがある。まるで全てを見透かしたような、隠しているものを掬いとってしまう眼だ。感情の読めない、少しだけ冷たいその視線に、どくり、と心臓が嫌な音を立てる。
「思い出したんスか?……昔のこと」
「………」
時が、止まった気がした。彼がどんな意味を込めてその問いを口にしたのか瞬時に理解した私は、ただそっと目を伏せることしか出来なくて。
――私がなんと答えるか、揺さぶろうとしたの?貴方は、人が隠してるものに踏み込むような人じゃないでしょう。なぜ、今になってその「答え」を知ろうと思ったの?……科学以外の興味を、私に抱いてくれたの?
「過去を忘れてなんかいませんよ、私は」
「――!」
「記憶喪失なんて、そんな大袈裟なものじゃないんです。ただ、あの日の記憶だけが綺麗さっぱり抜け落ちてるだけ」
彼の問に理由があったとしたら。私の過去を、確かめようとしたのなら。私は、同情されるなんて死んでも御免だ。「過去も記憶も失った可哀想な子」だと思われるのは絶対に嫌。だからこそ、これ以上誤魔化し続ける事は出来なかった。過去を聞かれたって答えられないくせに、私は今、はぐらかす術を失った。それがこの先どれだけ重要な意味を持つか、今はまだ分からないけど。ただ一つ、言えることがあるとすれば――
「……ずっと気になってたんス。貴女と直接会う前から、記憶喪失だというのは平子サンから聞いてました」
「………」
「だけど、ボクが見た朝緋サンは、記憶を失くした人の動きとは明らかに違っていた。『自他の境界』をはっきり認識してる、普通の人にしか見えなかったんスよ」
きっと、私が「どこまで記憶を失くしているか」をはっきり言わなかったから、違和感が生まれていたんだろう。薄々それに気がついてはいたけれど、その方が都合が良いからあえて何も言わなかった。だから、いっそこのまま「過去の事は何も覚えていない」と言えたら、その"たった一つ"の嘘をつき続けるだけで済んだのに。
「――私は、」
「分かってます。……嘘をついて命乞いをした訳じゃないんスよね?」
「……っ、はい」
私はこれから、過去を聞かれる度に明確な嘘で誤魔化し続けなくてはならなくなった。あの日、真子さんに刀を抜かれそうになった時、嘘をついて命乞いをした訳ではないのに、生きていくためには嘘が必要になってしまうのだ。なんて滑稽で、残酷で、上手くいかないんだろう。
けれど、それでも私は、この男と――浦原喜助と、対等でいたかった。同情されるような存在になりたくなかった。彼を愛しいと思うからこそ、寄り添いたいと思うからこそ、彼から庇護を向けられるような存在にはなりたくないのだ。
「
技局は、訳ありの人達の集まり。朝緋サンの記憶がどうであれ、迎え入れると決めたのはボクですから」
「………、」
「それに……隠し事については、ボクがとやかく言える事じゃないですしねぇ」
「はは、たしかに。私なんかより浦原隊長の方が、よっぽど隠し事多そうですもん」
「……そこはちょっとくらい否定してくれてもいいじゃないっスか」
ははは、と、彼は眉を下げて困ったように笑う。片手で頭の後ろをかいて、気まずさを誤魔化すように。そんないつも通りの彼の仕草に、自分の答えは間違っていなかったのだと少しだけ安心する。……きっと彼は、私が今まで過去を誤魔化してきたことも、そして、これからも誤魔化していくことを、受け入れてくれたような気がするから。私も同じように、込み上げるものを堪えながら、眉を下げて笑った。
「私はあの日、自分に何が起きたのかを突き止めるつもりはありません。自分が何者なのかも、実はまだよく分かってません」
「……はい?」
「それでも私は、ここにいれることが、技術開発局の一員であることが、何よりも嬉しくて誇りに思っています」
「………」
「拾って、迎え入れてくださって、ありがとうございました。お陰で毎日楽しいです」
心の底からの本音だった。今までこんな風に、思っていることを全て言葉にした事があったか分からないけど。なんとなく、どうしても、今目の前にいる人に感謝を伝えたかった。
「死神になって、もし十二番隊に入れたら……その時はまた、よろしくお願いします」
「……おやぁ?朝緋サン、十二番隊以外に入る気があったんスか?」
「だって、どこに配属されるかなんて分からないじゃないですか。そりゃあもちろん、入れるのなら十二番隊がいいですよ」
満天の星空の元で、喜助さんはじっと私の目を見据えた。真冬の夜中、凍えるように寒い廊下には、もちろん私たち以外は誰もいない。この会話は、私たちだけの秘密のやり取りだ。
「……一つ、約束をしましょうか」
「……?」
彼の口から漏れた吐息が、白く霞んでそっと消えていく。
――どうか、この霜夜の会話が、霞んで消えてしまうような儚い夢で終わりませんように、と。縋るように願った。
「朝緋サン、今朝言ってたでしょう。ボクに『弟子』だと認めさせる、って」
「?はい、確かに言いましたけど……」
「貴女がそれを成し遂げたら――ボクに『師弟関係を築いてもいい』と認めさせる事が出来たなら。その時は必ず、十二番隊の隊士として迎え入れましょう」
「――!!」
「……分かってると思いますけど、隊長の弟子を名乗るのは簡単じゃないっスからね?」
今朝の仕返しとばかりに、今度は彼が挑発するように不敵に笑い、「出来るものならやってみろ」とでも言いたげな悪い顔でこちらを見ていて。彼の知性の宿る眼差しと、口元に滲む意地悪な余裕に、ぶわっと一気に熱が顔に集まった。そして、その熱に比例するように、鼓動はどんどん加速して口元は情けなく緩んでいく。
……ちくしょう、ずるいよ、そんなかっこいい顔するなんて。今日が月の無い夜でよかった。こんな腑抜けた顔見られたら、きっと笑われてしまう。
「――貴方が、」
「?」
「貴方が、隊長に選ばれた理由がよく分かった気がします」
「そっスか?」
――貴方が隊長で良かった、とは言えなかった。でも、人の上に立って導いていく存在は、月の無い夜も照らしてしまうくらい、キラキラと美しく輝いていて。こんなにも人を惹きつけてしまう彼の、後ろでもなく隣を歩ける日が来たら。……それはきっと、何よりも幸せなのだろう。
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