黄昏が囁いた
如月。冬の寒さはより一層厳しくなり、現代の便利家電たちが恋しくてたまらない。死神修行を始めてから三ヶ月目に入り、斬術に加えて白打と鬼道も習得しようというところ。最近の私は、寝る以外の時間をほぼ全て修行や自主練に費やしており、空いた時間は技局の仕事を手伝ったりで、それはそれはとにかく忙しい。
眠い。疲れた。もう何もしたくない。――帰ってきて一歩部屋に入るや否や、脳内には無気力な呪文ばかりが浮かぶ。真面目で頑張り屋で働き者の私はどこへやら、怠惰な私が顔を出す。食事は適当に、目に付いた茶菓子を頬張り水で流して、物足りなさを誤魔化すようにいつも持ち歩いてる飴玉を頬張る。情けなくも机に突っ伏したまま、ゴロゴロと舌で飴玉を転がしていた。
「うー……ねむーい……お風呂、めんどーい」
愚痴をこぼしたって、誰かが返事をしてくれるわけじゃない。シンと静まり返った部屋には、飴玉を転がす音だけが響く。当たり前だ、この部屋には私しかいないのだから。
瞼が落ちかけるたびに、口内に溶けだした飴玉の甘さでふと意識が戻る。まずい。このままでは本当に寝てしまう。そんなことを数度繰り返して、小さくなった飴玉をガリッと噛み砕いて立ち上がった。よし、このままじゃダメだ、お風呂に入ろう。こんな真冬に朝風呂なんてしたくない。
そこからはもう自分でもよく覚えてない。疲れきった体を引きずって風呂に入って、着替えて、適当に髪を乾かして、気づけば布団の中。自分の熱が溶け合うよりも早く、冷たい布団に包まれながら眠りに落ちていた。この日はいつもより疲れていて、体もしんどくて。もはや気絶といってもいいぐらいに、瞼を閉じてからすぐに深い眠りについていた。
――そうして気がついたら、真っ白な空間にいた。周囲には何もなく、ただただ真っ白な世界が広がっている。前も後ろも右も左も、自分がどこにいるのか曖昧になるほどの、視界を埋め尽くす白。
何ここ、どこ?……も、もしかしてまた異世界に飛ばされたとか?それとも死んだ?過労死は有り得るもんな……え、ここ、あの世だったりする?とそこまで考えて、はたと我に返る。
……何言ってんだ、私は正真正銘“あの世”の尸魂界で暮らしてるんだ、そんなわけないだろ。いやぁ、やっぱ私疲れてんだな、ハハ!と乾いた笑みを零した。……なにやってんだ、はぁ。
だがしかし、訳の分からぬこの空間の手がかりを探す為に歩いてみても、出口らしきものが見当たらないし、そもそも周りが真っ白すぎて歩いてるのに進んでるかどうかも分からない。……なんだろう、これ、変な夢でも見てるのかな。
「おーい、誰かいますか〜〜〜?」
声を出して人を探してみるけど、空間の広さの割には大して声が響かない。見た目よりもこの空間は狭いのかもしれない。不思議な場所だ。
何度か声を上げてみるも、もちろん誰からの返事もない。得体の知れない現象に驚きつつも、不思議と怖さはあまり感じなかった。まあ、異世界トリップなんてものをした身からすれば、変な空間に突然連れていかれたって「まあそういうこともあるだろう」とすんなり受け入れられてしまう、というものだ。
もしここが夢ならば、放っておいても平気だろうか。そう思って頬を抓ってみたけれど、ちゃんと痛覚があって「ですよね、」と独り言を呟く。となれば、やはりこの空間から抜け出すための手がかりを探さねばいけないのだろうが、あまりにも何も無い空間に立たされ為す術がない。
さてどうしたもんか、と改めて周りを見渡した時。タイミングよく視線の先に「白以外」を発見。
「……スマホ?……私の、使ってたやつだ」
真っ白な空間にぽつん、と落ちていたもの。それは紛れもなく、私が現実世界で使用していたスマホだ。見慣れたはずの無機質な板も、数ヶ月ぶりに見ると文明の進歩を感じる真新しいものに見えてしまうから不思議なものだ。
スマホを手に取れば、パッと画面が点灯する。いつもの通りにパスコードを入力すれば簡単にロックが解除され、慣れ親しんだ画面が目に映る。当然、ネットには繋がっていないけど、それ以外は問題なく使えるようだった。
手癖でつい、未読の溜まったLINEを開けば、直前まで交わしていたやりとりが目に入る。上司や同僚、家族、友人。懐かしい人達の名前を目にして、思わず口元が綻ぶ。……元気にしているんだろうか。私が急にいなくなって心配してないだろうか。そんな事を考えれば、自然と指はアルバムを開いていた。私があちらの世界に置いてきてしまった、大切な人たち。両親の誕生日祝いで帰省したときの動画、忘年会で撮った集合写真、友人と訪れた旅先の美しい風景。そのどれもが、たしかに「翡葉朝緋」の一部として残っている。心にも、記憶にも、たしかに存在している。
――もう、二度と会えないんだろうか。
そう思った瞬間、視界が滲んで、画面がぼやけて見えなくなった。瞳を強く閉じ、スマホを抱きしめる。
考えないようにしていた。
会えなくなった人達のこと、
もう帰れないかもしれない現実を。
なんとなく、考えちゃいけない気がしたから。
……それなのに。
未だに、異世界トリップの原因はわからないままだ。けれど、一つだけ、一つだけ確実に言えることがある。
(浦原喜助に逢いたい)
(あの人に会って、声を聞いて、触れてみたい)
何かの因果に巻き込まれたにしろ、あるいはただの偶然だったにしろ。私が“そう望んでいた事”が、何かを引き寄せたのではないか――そんな気がしてならない。じゃなかったら、こんな奇跡起きるはずが……
「ごめんなさい、」
「捨てたわけじゃないの、ただ――」
『……に、……たいか』
「……え、?」
突然、自分以外の声が聞こえた気がして、反射的に振り返る。……けれど、そこには誰もいなくて。
左右を見渡して、上を見ても下を見ても、誰もいない。……あれ?気のせいだったのかな……いや、でも確かに、男の人のような声が聞こえたはず。と、辺りをきょろきょろしていると、その声は今度こそハッキリと聞こえた。
『元の世界に、帰りたいか』
「――!!」
はっと息を飲んで固まる。得体の知れない声からの問いかけを理解した途端、無性に耳を塞ぎたくなった。背中がゾワゾワと粟立ち、心臓が大きく脈打つ。そして、言葉に出来ない焦燥感が一気に身体を駆け抜けた。
――今、なんて言った……?元の世界に帰りたいか、だって?
「帰りたくないわけないでしょ」
『そうか。ならば――』
「……でも、帰らない。絶対に、帰らないよ」
そう答えた途端、手に持っていたスマホが突然光を放ちはじめた。あまりの眩しさに思わず手をかざして目を細める。
例の声が何かを言っている気がするが、また声が遠くなってよく聞き取れない。その間にも光はどんどん溢れ出し、次第に光に体が飲まれていくのが分かった。感覚的に、ああ、これでなんとなくこの場所から出られるんだろうな、と。
そう思った瞬間、ぷつり、と意識が途切れた。
『――ならば、いずれまた会おう』
(みんな、ごめんね)
(どうか私を、許して)
***
翌朝。目が覚めた時にはいつもの見慣れた天井があった。やっぱりあれは夢だったんだろうな、と納得して布団から這い出る。ぐっすり眠ったおかげか疲労もいくらかマシになったかもしれない。昨日より軽くなった体にウキウキしながら、いつも通り朝のランニングと筋トレをこなして研究室に顔を出した。
「……え、ひよ里さんと……ですか?」
「ハイ。ボクとばっかりやっても変な癖とかついちゃいますからね」
昼過ぎ。いつものように社長出勤で顔を出した喜助さんから、思いもよらない言葉が飛び出た。今日の組み手は彼ではなくひよ里とやるらしい。たまには相手を変えるというのも、確かに必要なことなんだろうけれど。
「よっしゃ、ウチがボロボロんなるまでシバいたる!」
「あっはっは、もしかしたら今日が私の命日になるかもしれません」
「ほな、そん時は毎年墓参りしたるわ」
「なんか全然冗談に聞こえないんですけど!身の危険バシバシ感じるんですけど!」
「まぁまぁ、これも朝緋サンのためっスから」
「本当に!?本当にそう思ってますか?!じゃあなんでそんな哀れな目を向けるんですか?!」
「そら、ひよ里相手やったら朝緋はタダで済まんやろからなぁ」
「いや別に真子さんには言ってないんですけど。ていうかなんでいるんですか本当に暇人ですね、五番隊はそんなんで大丈夫なんですか?」
「……お前はほんっまに、俺に対する態度を改める気ないんやな」
「ええ?私のどこに改めるべきところがあるんです?」
「全部や、全部」
「はい?誰ですか、一番最初に『堅苦しいのは苦手やから真子でええよ』って言ったの」
「確かに堅苦しいんは苦手言うたけど、せやからって冷たくして欲しいなんて言うとらん!」
「やだな、堅苦しいの反対が仲良くだなんて、そんな決まりどこにもないですよ」
「喜助ェ!こいつの減らず口をなんとかせえ!他所の隊長にこないな口の利き方さしてええんかァ?!」
「えぇ〜、ボク関係ないじゃないっスか」
「うわ、見捨てられた」
「見捨てられたな、ハゲ」
「俺の味方は誰もおらんのかァ?!」
「さ、ひよ里さん。道場行って組み手しましょうか。可哀想な隊長さんは放っておきましょ」
「ほな行ってくるわ、じゃーな!喜助、ハゲシンジ!」
「あ、どさくさに紛れて私たちの様子見に来たら寝てる間に髪切りますからね」
「………」
朝緋はそう言い残し、ひよ里とにこやかに話をしながら道場の方へ歩いていった。楽しげに並ぶ二人の背中をげんなりした顔で見送りながら、俺は思わずため息を吐く。
「……喜助、修行中に俺の悪口吹き込んどるやろ」
「心外っスねぇ。他責思考はよくないっスよ」
「いーや。喜助みたいな陰険な奴に育てられたから捻くれてもうたんや、絶対そうや」
「ちょっと、朝緋サンに冷たくされてるからってボクに八つ当たりしないで下さいよ。ヒドいなぁ」
「なんやその言い方は!自分は朝緋に優しくされとるからって!!」
「朝緋サンはみんなに優しい子じゃないっスか。僻んでるからってボクだけ特別みたいに言わないで下さいよ」
「………それ、ほんまに言うてるんか」
「?何がっスか?」
「いや、ええわ。あいつはそういう奴やもんな」
「……?」
朝緋の事だ、喜助を特別扱いなんてしてないのだろう。人の機微には敏感な喜助が気が付いてないということは、相当な覚悟を持って周りと平等に接してるんじゃないだろうか。……時々見せる朝緋の喜助を見る目には、あんなにも愛しさが含まれてるというのに。その気持ちをひた隠しにして一線を引いている朝緋の姿が、痛々しくてたまらなかった。
「なぁ、喜助」
「はい?」
「朝緋の修行が終わったらウチにくれへんか」
「……それは、朝緋サンを五番隊に入れたい、ってことっスか?」
「せや。元々、朝緋を見つけたんは俺なんやし。俺んトコ入れたってええやろ」
ただ、なんとなく。俺がこう言ったら喜助がどんな反応をするのか気になって投げかけた質問だった。それなのに、背中にはヒヤリと嫌な汗が伝い、心臓がやけに騒がしい。それを誤魔化すように、腕を組んで無表情を装ったまま、じっと喜助の顔を見た。
「……それは困りますね」
「……困る?」
「もう約束してるんスよ。朝緋サンは十二番隊に入れる、って」
「………」
「平子サンが本気で、どうしてもと言うのなら。もちろんその方向も考えます」
「アホ、考えんでええわ。冗談や、冗談」
「……その割には随分と怖い顔してるじゃないっスか。ボク、なんか怒らせるような事言いました?」
「………」
「………」
「……朝緋と、どんな約束したん」
「ええ〜、ソレ、聞いちゃいます?」
「なんや、人に言われへんような約束なんか?……節操無いなァ」
「ちょっと。そんな人を蔑むような目で見ないで下さいよ、違いますって」
「じゃあなんやねん。如何わしい事ちゃうんやったら言うたらええやん」
「……あの子、ボクの弟子になりたいみたいなので。ボクにそれを認めさせることが出来れば、その時は十二番隊に迎え入れる、と伝えてるんスよ」
「……とか言いつつ、どうせ最初から他所に入れる気なんてなかったんやろ?」
「……朝緋サンの身元を思えば、うちが一番都合がいいでしょ」
「……ハァ。……隊長の弟子か、相変わらず無茶苦茶なこと言いよるなァ、あいつも」
「ええ、本当に。向上心の塊っスよねぇ、ボクも見習わないと」
(……向上心なんかとちゃうやろ)
視界の端、ずっと遠くに見えるひよ里と組み手をしている姿は至って真剣で、いつぞやに見た甘味で心を弾ませていた女の子には見えなかった。しかし、愛する男の為に努力を重ねる姿は間違いなく、人を惹きつけるものがある。
女の子は、恋をすると可愛くなるというけれど。そんなことを言ったらあいつはきっと、興味なさげに「はあ、そうですか」と言うのだろう。俺が何を言っても、顔色ひとつ変えられない。あいつが嬉しそうに笑うのは、いつだって目の前にいる男と話をしている時だ。……それに、朝緋本人は気がついてないようだが、悔しいので言ってやらないことにする。
「なんやシンジ、まだおったんか」
「うっさいのぉ、いま丁度帰ろ思てたところや」
「朝緋の奴、すごかったで。剣も白打も素人や思てたけど、もうウチとも十分やり合えるようなっとったわ」
「……そーか、良かったなァ」
「なんやそれ、せっかくウチがハブられたハゲのためや思って話しとんのに」
「せや。俺はハブられてんねん。しゃーから関係ないねん」
「ハァ?」
「よかったなァ、優秀な死神が増えて。これで十二番隊も安泰や」
「なんや、やっぱ朝緋はウチに入るんか。てか、なんでハゲがそないなこと知ってんねん」
「あー、今日もええ天気やなァ〜〜〜、ええ天気すぎて眠なってきたわ。ほなな〜〜」
「…………めっちゃ拗ねとるやんけ。キッショ」
大袈裟な欠伸をかみ殺し、腕と背をぐいと伸ばす。目尻に滲んだ涙を指で拭えば、廊下の端からこちらを見ていた朝緋と目が合った。ぶっきらぼうにお辞儀をして通り過ぎようとする朝緋へ、いつもならにこやかに笑って手を掲げ、明るく声をかけるところなのに。顔の横で揺れる髪、寒そうな首元に目がいき無意識に眉を顰める。気づけば、足が勝手に朝緋の方へ向いていた。
「朝緋、」
「な、なんですかいきなり」
「お前、やっぱ似合わんよ。似合うとらんで、その短い髪」
「……は?」
「全っ然似合っとらんから、はよ伸ばし。今度ええトリートメント買うたるわ」
「……は??」
「朝緋の覚悟は見てたら分かる。お前はもう十分、芯の強い子や。……しゃーからもう、髪切るような乗り越え方はせんでくれ」
「………」
「急ぐな。焦るな。たまには、止まって休むことも覚えてくれ。お前みたいな奴が、生き急いで心折れる所をもう何遍も見てきた」
「………」
「すまんな。俺は朝緋の味方でおるとは言うたけど、心配の一つくらいはさせてくれ。お前の、命の恩人なんやから」
ここまで真っ直ぐに伝えたって、目の前の女は顔色ひとつ変えずに終始真顔のままだ。……少しぐらい、動揺を見せてくれてもええんちゃうか。頼むから、こいつがポーカーフェイスが上手いだけであってくれ、と。自分でも呆れるほど情けない願いが、胸の奥を締めつけていた。
「……はあ」
「……っ、悪い、言い過ぎ――」
「私の心が折れるのを、黙って見過ごすんですか、貴方は」
「――…」
「私の知ってる平子真子は、私の足が止まりそうな時に嫌味で焚きつけてくる男なんですけど、違いましたか?」
「………」
「良いトリートメント、お待ちしてますね。私の髪が元の長さに戻るまで買い続けてもらいますから」
そう言い残して立ち去る朝緋の背中が、やけに頼もしく思えた。肩で揺れている短い髪を見ても、先程感じた切なさはほとんど思い出せない。……案外ちゃっかりしとるやんけ、なんて言葉を飲み込んで、その背を見送った。
後日。あれこれ悩んで朝緋に送り付けたら「種類が多すぎる!!」と怒られたのは、まだ少し先の話。
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