タイムアウトの続き


 

 熱気の篭もる道場の戸を開けて、喜助さんと並んで腰掛ける。休憩中の今、隣に座る彼は涼しい顔でお茶を啜っていた。対する私は、火照った体を冷ますために手で仰ぎながら、額からこぼれ落ちる汗を拭うばかり。彼へ振る舞うついでに淹れた自分のお茶は、未だに湯気を立てたままだった。……そりゃそうだ、運動して汗かいてるのに熱々のお茶なんか飲めるはずない。次からはちゃんと、横着せずに自分の分は冷たい麦茶を用意しよう。そう思いながら、汗で張り付いた前髪ごと豪快に額を拭った。
 
 修行を始めたばかりの頃は、体力も筋力も雀の涙ほどしかなかった私。しかし今はもう、一日中でも走れる気がするし、体はかなり引き締まったように思う。
 だがその一方で、人前で取り繕っていた“女性らしさ”や“華やかさ”なんてものは、見事にどこかへ蒸発した。作務衣にたすき掛け、動きやすさだけを重視した、女らしさの欠けらも無い格好。少し伸びた髪を結ぶ時は、手ぐしで無造作に括るだけ。ヘアアレンジのヘの字もない。そんな状態で汗まみれ泥まみれになる姿を、彼の前ですら晒すようになった。斬術や白打の稽古のたびに、汗臭く思われてるんじゃないかと心配である。
 
 ちら、と隣に座る彼を盗み見ると、なんとも気の抜けた表情で、空を横切る鳥をのんびりと眺めていた。ふと目線を落とせば、彼の手元の湯呑みはいつの間にか空になっていて。……これ以上休めば、かえって体が冷えちゃうな。そう思って口を開こうとしたその時――背後から、聞き慣れない鳴き声が響いた。


「――にゃー」
「……あれ、猫だ」


 振り向いた視線の先には、一匹の猫。蕾が色づく梅の木の下に、ゆらゆらと尻尾を動かす三毛猫がいた。珍しいな、隊舎の中に猫がいるなんて。……そう思った瞬間、強い既視感に襲われる。
 ――あれ、そういえば前にも似たようなことなかったっけ……?


「……ああ!あの時の!」
「な、なんスか急に」
「ほら、あの梅の木の下にいる三毛猫。前に浦原隊長と一緒に捕まえた子だと思うんですよね」
「え?…………あれ、そうでしたっけ」


 「そうでしたっけ」というよりは「そんなことありましたっけ?」って顔をしている。まぁ、研究以外に興味が無い彼だ、覚えてなくても無理はない。……私がただ、忘れたくないから覚えていただけのこと。……って、うわぁ、なんかすごい女々しいな……。
 
 
「あ、ホラ、見て下さい。こっちに来るっスよ」
「わ、ほんとだ。……おーい、そこのかわい子ちゃん、おいで〜!お姉さんが撫でてあげるよ〜」
「……」
「なんですかその目は」
「い、いえ……」
「……ねえ、浦原隊長。知ってました?三毛猫ってほとんどがメスなんですよ」
「そうなんスか?」
「はい。だからオスの三毛猫はすごく珍しくて、幸運の象徴って呼ばれてるらしいです」
「……へえ、随分詳しいんスね。朝緋サンは犬派なんじゃないんスか?」
「…………」
「あれ?違いました?」
「……いえ、あってますよ。どちらかと言えば犬派なだけで、猫も好きです」


 続けて「基本的に動物はみんな好きですよ」と言えば、彼は「そうなんスね」と答え、足元にいる三毛猫へと視線を向けた。


「……この子、無事に越冬出来たみたいですね。浦原隊長のおかげだ」
「あれ、ボクなんかしましたっけ」
「弱ってる所を助けて、魂魄を補強したって言ってませんでした?」
「…………ああ!あの時の!」
「にゃ〜」
「はは、お返事してるの?可愛いねぇ」


 手の甲をそっと差し出して、猫の鼻先に近づける。怯える様子はなく、むしろ嬉しそうに匂いを嗅いでくれたので、そのまま顎の下を撫でてやればうっとりと目を細めた。わふわとした柔らかい毛に指先が沈むたび、胸にじんわりと暖かさが染み込んで癒される。
 
 「あ、せっかくですし、浦原隊長も撫でます?」と、場所を空けようとした時。前方から風に乗ってヒラヒラと、何かが近づいてくる気配を感じた。


「……あれは、」
「地獄蝶、っスね。朝緋サン、知ってます?」
「伝令を伝えるものだということくらいは……実物を見るのは初めてです」
「……こうして、指に止まらせて伝令を聞くんスよ」


 そう言って彼は湯呑みを傍ら置き、地獄蝶を右手に乗せて耳を傾けていた。一体どんな内容なのか、私には分からない。けれど、なんの感情も読み取れない顔で聞いていた彼が、ほんの僅か一瞬、ピクリと眉を動かしたのを私は見逃さなかった。
 
 ――やがて、役目を終えた地獄蝶がひらりと舞う。漆黒に包まれ不穏な空気を纏っていながらも、儚くも美しく舞う姿からは目が離せない。ひらひらと飛び立っていく様子を、彼に呼ばれるまで目で追っていた。


「朝緋サン」
「はい?」


 振り向いた先には、悪戯っぽい笑みを浮かべている彼の姿。その声も表情も、明るいものなはずなのに。
 
 
「ボクと、勝負しませんか?」
「――勝負?」


 どこか仄暗さを感じてしまったのは、気のせいだろうか。
 茂みの方へと走っていく三毛猫を見送りながら、小さく息を吐いた。








「それで、勝負って何するんですか?」


 道場に戻ると、彼は何の説明もなく当然のように木刀を手渡してきた。……この人って本当に、説明とか全部後回しだよなぁ。順序立てて話すって発想は彼の頭にないんだろう。内心で軽くため息をつきつつも、無言でそれを受け取った。


「ルールは簡単!ただ、制限時間内にボクに一太刀浴びせるだけっス」
「……いやいや。『だけっス』じゃなくて」
「なんスか?結構シンプルだと思うんスけど」
「…………いえ、なんでもないです。どうせ、理由とか動悸とか、そういうの聞いても教えてくれないんでしょ?」
「おお、さすが朝緋サン!ボクのことよく分かってるじゃないっスか」
「喜ぶところじゃないですよ。諦めてるだけです」


 はぁ、と呆れたように肩を竦めれば、喜助さんは相変わらずヘラヘラ笑って誤魔化していた。まあ、厳密に言えば諦めたのではなく受け入れてるのだけれど。そんな些細なニュアンスの違いをこの人に伝えたところで、さして意味は無いだろう。そんなことをぼんやりと思いながら、渡された木刀を小脇に抱え、緩んでいた腕の包帯を巻き直した。


「……それで、制限時間はどれくらいくれるんですか?」
「うーん、そうっスねぇ。そんじゃ特別に、十五分にしておしましょうか」


 一体何が特別なのかはさっぱり分からないが。彼はそう言うやいなや、懐からタイマーらしきものを取り出し、カチカチと時間を合わせてセットしていた。……技術開発局にいるとこうして時々、この時代の文明にそぐわない品々を目撃する事がある。デジタル時計も普及していない尸魂界で見るタイマーはなかなか異質だが、もう驚くことは無い。慣れって恐ろしい。


「ああ、それと」
「はい?」
「ボクはなるべく木刀だけ使うようにしますけど、朝緋サンは白打も鬼道も好きに使っていいっスからね」
「うわぁ……なんか、ハンデ貰った気分……」
「なぁに言ってんスか。今までの修行の成果を見るんですから、むしろ使ってもらわないと困るんスよ」
「……え?」
「……ここまで約三ヶ月、徹底して基礎を教えてきたんだ。朝緋サンが“死神に向いてる”なら、そろそろボクから一本ぐらい取れる頃じゃないっスかね」
「――!」



「それと、この先ボクが『朝緋サンは死神に向いてない』と判断したら、そこで修行は終わりますから。覚えといて下さいね」
「……はい。分かりました」



 ――あれは、そう。あの三毛猫を捕まえた時の事。これからの修行について話をしてる時に言われたのだ。『死神に向いてないと判断したら修行はそこで終わり』と。
 そんな事になってたまるか!と、意地と気合いで常に限界以上の努力をしてきた。必死に食らいついて、無様な姿を晒しながらも進んできたのだ。いつしかそれは当たり前になって、彼にそう明言されていた事すら記憶の片隅にしか残っていなかったけれど。
 
 あの人は、浦原喜助は、いつだって肝心な事は口にしてくれない。それを私は、受け入れてるとさっき言ったばかりだけど。私はただ、望む形で答えが得られないからといって、沈黙が肯定であると勘違いをしていたんじゃないだろうか。私の努力は正しく評価され、この死神修行が順調に進んでいるのだと。


「……確認ですけど。私は、白打も鬼道も使いながら、十五分以内に浦原隊長に一太刀浴びせればいいんですよね?」
「はい。その通りっス」
 
 
 でも、違う、違ったんだ。この人はきっと、今までずっと、私が死神に向いているか、自分の知識と力を授けるに足る人物かどうかを見定めていたんだ。常に、私を切り捨てる事を天秤にかけたまま、その秤が傾かない限りは見守ってくれていただけなんだ。……いつだって私を、この修行を、打ち切ることは出来て――ただ、その機会が訪れなかっただけ。

 それを、わざわざ言葉にして伝えてきたのだとしたら。……何か、理由が出来たんだろう。私を試し、測り、『何か』を早急に見極めなければいけない理由。次の段階に進む為の確認か、あるいは継続を見定める為のものか。……はたまた、もっと複雑な何かか。


「それじゃ、これは朝緋サンが押してください。このボタンを押せばカウントダウンが始まりますから」
「分かりました」


 きっと、私のタイミングで始めてもいい、という事なんだろう。受け取ったタイマーへ目線を落とし、じっと見つめる。時刻はきちんと“15:00”と表示されていて、間違いは無さそうだ。
 このボタンを押したら、勝負が始まる。負けられない戦いが始まるんだ。そう思うと、緊張で指が震えそうになった。それを誤魔化すように勢いでカチ、とスタートボタンを押し、私はそれを道場の隅へ置く。……大丈夫、大丈夫。


「……よろしく、お願いします」


 彼と向かい合う位置に立って、深々と一礼した。心臓がけたたましく動いていて、まだ始まってもいないのにぶわっと脂汗が浮きでてくる。すぅはぁ、大きく深呼吸をして、木刀を両手でぎゅっと握りしめて。――ダッ、と勢いよく床を蹴って踏み出した。



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