タイムアウトの続き



 一番最初に抱いた感情は、“驚き”。

 死神ではない、見習い程度の女が突然六十番台の鬼道を使ったこと。自分が、あと一歩まで迫られていたこと。――自分で育てた女が、ここまで成長していたこと。


「……やっぱり、浦原隊長は強いですね」


 ……でも、それだけじゃない。一番驚いたのは、それじゃない。
 あと一歩、僅かに届かなかった木刀をゆっくりと下ろした彼女は、瞼を伏せて静かに微笑んだ。その右腕は真っ赤に焼け爛れていて、今しがた目の前で起きた出来事が幻でもなんでもないことを物語っている。
 一目見ただけでその火傷が重症なのは確かだった。ましてや、戦いになど縁もゆかりもなかったであろう、ただの女の子が負うにしてはあまりにも深くて重い怪我だ。とても痛いだろう。――だというのに、彼女は痛みに顔を歪めるどころか「……参りました」と両腕を体の脇にぴたりとつけて、深々と頭を下げたのだ。


「……なんて顔してるんスか」
「……浦原隊長から私の顔見えないでしょ」


 ――一番大きな驚きが、どんどん困惑へ変わっていく。


「……はぁ。別に見えなくても分かりますよ、アナタが今どんな顔をしてるかなんて」
「……」
「右手、ボロボロじゃないっスか。せっかく左手は綺麗に治ったのに」
「……」
「火傷してばっかりっスね、朝緋サンは」
「……っ」


 彼女が放った鬼道は失敗していた。鬼道は番号が高ければ高いほど扱いが難しいもの。たとえその術を放てるだけの霊力を持っていたとしても、長きにわたり研鑽を積むことで得られるものをどうにか出来るわけではない。――かろうじて雷の形を成した雷吼炮は、ボクを含めた周囲を巻き込んで爆発し、彼女の右腕も焼き尽くしていた。


「……」


 ……一体何が、朝緋サンを突き動かしているんだろう。
 彼女がこの勝負にそんなにも必死になって立ち向かってきたことが、一番の驚きだった。理由は一切分からないが、並々ならない想いや覚悟があって戦っていたことは確かだ。……彼女は、そういう目をしていた。


「あの、浦原隊長――」
「応急処置、先にしちゃいましょうか。……そこ座ってください」


 けれども。そこまで必死になって勝とうとしていたはずの彼女は、すっかり負けを受け入れている様子だった。先ほどまでの気迫は完全に消え、未練や後悔を口にするでもなく、ただ俯いたまま立ち尽くしている。そんな彼女の元へゆっくり歩み寄ると、彼女は震えた声で言葉を口にした。
 ……まるで、敗北の結末を受け入れて、けじめでもつけるみたいに。“今までありがとうございました”なんて言葉が続きそうな彼女の呼び声に、咄嗟に自分の言葉を重ねて遮った。まだ、待ってくれ。なに勝手に終わらせようとしてるんだ。そんなこと、まだ言わなくていい。――そう思う自分が、自分でもおかしくて肩の力が抜けていく。はは、いやいや。「負けたら修行は終わり」と言ったのは紛れもなく自分だろう。……彼女はその約束に従おうとしているだけなのに、一体何をやってるんだ。


「……いえ。大丈夫ですよ、これくらい。一人で治せます」
「片手しか使えないアナタより、ボクが治した方が早いでしょ」
「…………はぁ。浦原隊長のそういう、効率ばかり考えて人の気持ちをまるで汲み取らないところ。どうかと思いますよ」


 無理に笑おうともせず、かといって泣きもしない。彼女は無表情のまま、いつもの減らず口を叩いていた。……しかし、実際はずっと声が震えていて、悔しさを飲み込んでいるのはバレバレだ。……まったく。こんな時ぐらい素直になればいいのに。


「私は、誰よりも強くて格好いい女になるんです」
「夢はでっかくなきゃ。一度きりの人生ですし」



 ――やっぱり、朝緋サンには自信満々で強気に笑う顔が一番似合ってるな、と。
 悔しいはずなのに悔しいと言わない彼女負けず嫌いの顔見て、ふとそんなことを思った。

 ……ここで、終わらせていいとは思えなかった。


「あはは……それは、スイマセン。けど、そのまま手当されちゃくれませんかね」
「……」
「ついでに、ボクの話も聞いてください」


 ――この三ヶ月。どんなに厳しい事も辛いことも、彼女は決して諦めなかった。必ず自力で乗り越えてきた。その芯の強さは、ずっと見てきたからよく知っている。今しがた思い知らされたばかりでもある。

 そうだ。彼女はたった三ヶ月前まで、戦う術を持たない普通の女だったはずだ。それがあの日、『地獄に落ちる気は更々無いが、地獄を見る覚悟はある』と言って、彼女は普通であることを捨てて自らこの道を選んだ。そしてたった三ヶ月で、あと僅かでボクに一太刀を浴びせるところまで成長したのだ。そこまで至るのにはきっと、ボクの知らない所で文字通り血反吐を吐くような努力をしていたんだろう。でなければ、そもそも“ボクと十五分も戦えるわけがない”。彼女には確かに素質はあるが、優れた才能があるわけでも、恵まれた血筋が流れているわけでもないのだ。ここまで戦えるようになったのは、紛れもなく彼女が努力を重ねてきた結果だろう。


「……朝緋サン。アナタはやっぱり、“無茶”と“無謀”の区別がついてないっスね」
「……」
「斬撃の速度も威力も、正確さも。今までと比べて格段に増していましたし、白打と鬼道の応用も目を見張るのがありました。すごく良かった、なのに」
「……」
「雷吼炮の詠唱破棄――いえ、正しく扱えない術を使ったことで零点です」
「……っ、はい」
「ボクはね、朝緋サン。……アナタにそんな力の使い方をしろと教えた覚えはないんスよ」
「……はい。ごめんなさ――」
「だから、ボクが責任を持って一から朝緋サンを鍛え直します」
「っ、え?」
「――今度こそ、ボクの“弟子”として。正しい力の使い方を覚えて下さい」


 どうしてそこまでして強くなりたいのか。どうしてあそこまでして勝負に勝とうとしたのか。その理由は分からない。しかし、“あんなもの”を見せつけられて、制限時間に間に合わなかったからと修行を終わりにして彼女を突き放すのは、あまりにも彼女の覚悟に対して失礼だと思った。知識と力を与えた側として、不誠実にも程があるんじゃないだろうか。彼女が強くなろうとする理由を聞かないまま、知らないままここまで付き合ったのは他でもない自分自身なのだ。……ならばやはり、彼女が一人前になるまでボクが導いていく責任があるだろう。


「……負けましたよ、アナタの根性と執念深さに」
「? ……どういう事ですか」
「ボクの持ってた木刀、見てください。真っ黒に焦げちゃって、ボロボロっス」
「……わ、ほんとだ」
「ボクに一太刀浴びせるには、あと一秒足りなかった。――でも、アナタはその代わりボクの武器を破壊して“戦闘不能”にした」
「!」
「そっちのほうがよっぽど難しいのに、根性と執念だけでやってのけちゃうんスもん、朝緋サンは。……ま、やり方は無謀で褒められたもんじゃないっスけど」


 火傷の応急処置を終え、彼女の右手をそっと離す。包帯の巻かれた右腕をじっと見つめた彼女は、小さな声で「ありがとうございます、すみません」と呟いた。

 ……本当の本当は、ただもう少し、彼女という存在がどこまで成長していくのかをこの目で見届けたい。科学者としてのどうしようもないさが、それだけだった。――はは。まったく、彼女にそう思わされてしまった時点で、勝敗はついていたのかもしれないな。


「……ボクはきっと、人を鍛えることは出来ても、“正しさで導く”ことは、出来ないと思います。倫理観が人と大きくズレてしまってるのは、どうしようも無くて」
「……」
「だから、ボクが朝緋サンに教えるのは『死神としての戦い方』だけ。『死神としての歩き方』は、アナタが自分で見つけて下さい。……それでも、いいっスか?」
「……っ、はい!」


 “左手”を差し出すと、彼女は一瞬だけ戸惑ったのち、意図を汲み取って困ったように笑いながらその手を取った。


「それじゃ、改めて。……よろしくお願いします、朝緋サン」
「こちらこそ。よろしくお願いします、浦原隊長」





 かくして。その後、朝緋サンの鬼道でボロボロになった道場から、霊力を使い切って動けなくなった彼女を背負って技術開発局に戻ろうとしたところで。様子を見に来たひよ里サンに、ボクと朝緋サンはこっぴどく怒られた。やれ、道場の修繕費なんか余裕が無いだとか、朝緋サンが酷い怪我をしてるのはどっちのせいなんだとか。どっちもどっちで怒鳴られ続け、朝緋サンが空腹で気を失うまで説教は続いた。そしてそれは後に、ひよ里サンの恐ろしさを伝える噂として様々な尾ヒレがついて広まっていったのは……また別の話。

 あの道場はしばらく使えないだろうから。彼女にはこれから『あの遊び場』を使って貰おう。あそこなら、どれだけ力を出したって問題無い。きっとあの人だって、ボクの弟子だと紹介したら興味津々で近寄ってくるだろう。


「さて。……次はボクの番っスね」


 隊長羽織をはためかせ、隊首室を出る。
 その瞬間、サッと現れるのは、かつての同僚。


「十二番隊隊長、浦原喜助様。一番隊隊長及び護廷十三隊総隊長、山本重國様より、お呼び出しの旨仰せつかっております。ご同行願えますでしょうか」
「ハイハイ。地獄蝶から聞いてますよぉ、そんじゃ行きましょうか」


 状況は極めて悪い。想定していた中では、限りなく最悪に近い方向に進んでいる。――それでもボクの足取りは軽く、歩みは止まらない。

 カランコロン、と乾いた下駄の音が、春を迎える尸魂界に甲高く響いた。



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