タイムアウトの続き
一番最初に抱いた感情は、驚きと焦り。それから、少しばかりの、小さな喜び。次に大きく響いた感情は、呆れと後悔。
彼女の成長は、予想を遥かに凌駕していた。自分で教えておきながら、何を言ってるんだと思うかもしれないが。教えたことを一つ一つ確実に吸収していく彼女の実力は、単なる足し算や掛け算の答えに当てはまらなかった。1+1が3にも4にもなってしまう。まったく、科学者泣かせの女である。
だからこそ、彼女の成長はいつか自分の手に負えなくなるのではないかと。三十番台の鬼道がやっとだと思っていたのに、六十番台を詠唱破棄してくる女だ。それも、鬼道をきちんと教えたのは一か月前程から。いくら霊圧操作に長けていたからって、ありえない話だ。それを『努力』でなし得てしまう根性と、彼女の死神としての素質に。……もう研究対象ではないはずなのに、未知の可能性を感じて歓喜してしまった。
けれど、雷鳴が小さくなり、白けた視界から彼女が迫ってきた時。――あぁ、この子は無茶と無謀の境目が分からない子なんだと思った。冷静に考えたら、死神見習い程度で雷吼炮の詠唱破棄なんて、霊圧制御が出来ずに暴発して自滅する、明らかに身の丈に合わない選択だと分かるのに。何故だか、一瞬はそんな偉業を成し遂げた彼女に、驚き喜んでしまった。
しかし、目の前に迫る彼女の焼け焦げた右腕を見て、一瞬で冷静になった。直前までの自分の反応、あれは間違っている。正しくは、そんな可能性の低い賭けのような選択を『切り札』に選び、お転婆と呼ぶにはあまりにも度が過ぎた無謀を突き通そうとする子だったのだ。……そして、そんな風に育ててしまったのは間違いなく自分のせいで、後悔と罪悪感で全身から血の気が引いた。
今までの修行の中で、一貫して彼女に見せていた『答えを自分で見つけ、選ばせる』という姿勢。人一倍諦めが悪く頑固な彼女だ、言わなくたって勝手に正解を選び取ると思っていた。――でも、それは、『正しさ』を教えることから逃げていただけだった。自分なんかが、人に正しさを説くなんて、と。恐れていただけだ。責任から、覚悟から――『想い』だけで全てを乗り越えようとする、彼女から。
刃を交わす度に触れてしまう、彼女の心。流れ込んでくるのは、彼女らしい芯のある強い意志と、ほんの僅かな寂しさ。
「私は、誰よりも強くて格好いい女になるんです」
「………」
「夢はでっかくなきゃ。一度きりの人生ですし」
一体何故、そうまでして強くなろうとするのか、知らないし、分からない。――聞く勇気も、ない。
けれど、この三ヶ月。どんなに厳しい事も、辛いことも、決して諦めなかった。その芯の強さを、ボクは誰よりも近くで見てきた。『地獄に落ちる気は更々無いが、地獄を見る覚悟はある』と言ってのけた彼女の、血反吐を吐くような努力は報われて欲しいと思う。
「……やっぱり、浦原隊長は強いですね」
――それが、翡葉朝緋の覚悟を受け取り導くはずが、良くも悪くも“自身の在り方を導かれてしまった者”としての答えだ。
「……参りました」
両腕を体の脇にぴたりとつけて、深々と一礼。……礼儀正しい、彼女らしい行動だと思った。けれど、その一言が出るまでに、声が震えないよう息を深く吸ったのは分かっている。握り締めている手が、力の込めすぎで血の気が引くほど真っ白なことにも気が付いている。
――まるで『全てが終わってしまった』とでも言いたげに立ち去ろうとするその背中が、二度と振り返らないであろうことも。
「……なんて顔してるんスか」
彼女の肩に手を伸ばせば、歩みはぴたりと止まった。けれど振り返ることはなく、顔は前を向いたまま。
「浦原隊長から私の顔見えないでしょ」
「見なくても分かりますよ。貴女が今、どんな顔をしてるかなんて」
「…………」
いつも強がって、弱さなんて滅多に見せない。そのくせ、見ていればわかってしまう。本当は、悔しくてたまらないはずだということが。
「右手、ボロボロじゃないっスか」
「……」
「せっかく、左手は綺麗に治ったのに。火傷してばっかりっスね」
「……っ」
赤く焼け爛れた彼女の右手を、壊れ物を扱うようにそっと掬い上げる。触れた途端、彼女はピクリと肩を揺らし、そこでようやっと振り返った。
「大丈夫ですよ、これくらい。一人で治せますから」
「でも、ボクが治した方が早いでしょ?」
「……浦原隊長の、効率ばかり考えて人の気持ちをまるで汲み取らないところ、どうかと思いますよ」
――朝緋には、自信満々で強気に笑う顔が一番よく似合うな、と。
無理に笑おうともせず、かといって泣きもしない。あの頑固で負けず嫌いな彼女の、感情の色を削ぎ落としたような顔見て、思う。
「あはは……それは、スイマセン。けど、そのまま手当されちゃくれませんかね」
「……」
「ついでに、ボクの話も聞いてください」
誰かに『笑って欲しい』と思った事なんて、一度もなかったのに。自分がしようとしてる事は、彼女を絶望の淵に立たせ、地獄に突き落とすもの。到底笑顔など作り得ないというのに。
二律背反に苦しむ自分は、どこまでいっても科学者でしかないのだな、と。心の中で自嘲気味に笑う。
「……朝緋サン。貴女はやっぱり、“無茶”と“無謀”の区別がついてないっスね」
「……っ、」
懐から取り出した痛み止めの薬を、患部へ数滴垂らす。今出来る最大限の応急処置だ。なるべく刺激を与えないように細心の注意を払いながら、彼女の右手に包帯を巻いていく。――出会った頃にもこうして、彼女の火傷の手当をした事がある。だがあれはもう、気づけば半年も前の事。
「斬撃の速度も威力も、正確さも。格段に増していましたし、白打と鬼道の応用も目を見張るのがありました。すごく良かった、なのに」
「……」
「雷吼炮の詠唱破棄――いえ、正しく扱えない術を使ったことで零点です」
「……っ、はい」
「ボクはね、朝緋サン。貴女にそんな力の使い方をしろと教えた覚えはないんスよ」
「……はい。ごめんなさ、「だから」
包帯を巻く手を止めて、真っ直ぐに彼女を見つめる。
強い後悔に揺れる瞳が、弱々しくこちらを向いていた。
「……だから。ボクが責任を持って朝緋サンを鍛え直します。今度こそ、ボクの『弟子』として」
「――っ、え?」
勝負に負けた彼女を弟子にするのは、本来なら筋違いだろう。けれど、勝敗を分けた彼女の選択の誤ちは、力量不足や怠慢から来たものではない。ならば、正しい道筋を示せる者が傍にいれば、同じ過ちは繰り返さないはずだ。……などと、尤もらしい理屈を並べたって、結局は言い訳に過ぎない。
どんな困難を目の前にしても、決して折れることなく立ち上がり続けてきた姿を――この先も見ていたい。そう思わされてしまった時点で、勝負はついていたのだろう。
「……負けましたよ、貴女の根性と執念深さに」
「……どういう、事ですか」
「ボクの持ってた木刀、見てくださいよ。真っ黒に焦げちゃって、ボロボロっス」
「……ほんとだ」
「ボクに一太刀浴びせるには、あと一秒足りなかった。でも、その代わり貴女はボクの武器を破壊して“戦闘不能”にした」
「――!」
「ボクに一太刀浴びせるよりも、戦えなくする方がうんと難しいことっスからね。それを貴女は『根性と執念』だけでやってのけた。……まぁ、随分と無謀なやり方でしたけど」
驚きや戸惑い、様々な感情が渦巻いているんだろう。彼女にしては珍しく、口篭ったまま。なんと言えばいいのか上手くまとまらない。そんな顔で目線を泳がせている彼女がいじらしくて。――気がついたら、手を差し出していた。
「ボクはきっと、人を鍛えることは出来ても、“正しさで導く”ことは、出来ないと思います。倫理観が人と大きくズレてしまってるのは、どうしようも無くて」
「……、」
「だから、ボクが朝緋サンに教えるのは『死神としての戦い方』だけ。『死神としての歩き方』は、貴女が自分で見つけて下さい。……それでも、いいっスか?」
「……っ、はい、!」
差し出していた左手を、今度はしっかりと彼女の方へ向ける。彼女はそれに一瞬だけ戸惑ったものの、意図を汲み取った瞬間、困ったように笑いながらその手を取った。
「それじゃ、改めて。……よろしく、朝緋サン」
「こちらこそ。よろしくお願いします、浦原隊長!」
確かめるような言葉を交わし、握り返す力を強める彼女は。今まで見たことがないくらい、心底嬉しそうに笑っていた。
かくして。その後、朝緋サンの鬼道でボロボロになった道場から、霊力を使い切って動けなくなった朝緋サンを背負って技術開発局に戻ろうとしたところで。様子を見に来たひよ里サンに、ボクと朝緋サンはこっぴどく怒られた。やれ、道場の修繕費なんか余裕が無いだとか、朝緋サンが酷い怪我をしてるのはどっちのせいなんだとか。どっちもどっちで怒鳴られ続け、朝緋サンが空腹で気を失うまで説教は続いた。そしてそれは後に、ひよ里サンの恐ろしさを伝える噂として様々な尾ヒレがついて広まっていったのは……また別の話。
あの道場はしばらく使えないだろうから。朝緋サンにはこれから『あの遊び場』を使って貰おう。あそこなら、どれだけ力を出したって問題無い。きっとあの人だって、ボクの弟子と紹介したら許してくれるだろう。まぁ最も、何も言わなくてもあの人なら、今頃全て把握しているんだろうけれど。
「さて。……次はボクの番っスね」
隊長羽織をはためかせ、隊首室を出る。
その瞬間、サッと現れるのは、かつての同僚。
「十二番隊隊長、浦原喜助様。一番隊隊長及び護廷十三隊総隊長、山本重國様より、お呼び出しの旨仰せつかっております。ご同行願えますでしょうか」
「ハイハイ。地獄蝶から聞いてますよぉ、そんじゃ行きましょうか」
状況は極めて悪い。想定していた中では、限りなく最悪に近い方向に進んでいる。――それでもボクの足取りは軽く、歩みは止まらない。
カランコロン、と鳴る下駄の音が、春を迎える尸魂界に甲高く響いた。
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