転がり落ちるような愛
「おい、お前」
「……」
「……チッ。おい、朝緋」
「なあに、阿近」
「頼まれてたやつ出来たぞ」
「おお!ありがとう!さっすが阿近、忙しいのに無理言って悪いね」
「……ちゃんと金払えよ」
「わかってるって〜」
研究室の窓を拭き掃除していると、後ろから声を掛けられてパッと振り返る。その声は面倒くさそうに沈んでいるのにどこか得意げで、全く表情と釣り合っていない。本人は気づいていないであろうそのギャップに思わず頬が緩み、声が上ずる。
阿近はぶっきらぼうに私の『お願い事』である茶封筒を差し出してきたけれど、掃除中の濡れた手で受け取ることが出来ない。「ごめん、後で確認するから机の上に置いといてくれる?」と言えば、いくつかの文句を予想していたのに案外すんなりと要求を飲んで彼は立ち去った。――どうしたんだろう、なんかいつもに比べてやけに素直だったな。
窓の掃除をテキパキと終わらせて、研究室内の自分の机に戻る。その時の私は、これから訪れるであろう『楽しみ』に向けて心は踊り、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気に見えただろう。まるでクリスマスの朝に枕元で見つけたプレゼントを早急に開封しようとする子供のように。
すっと視界に入った私の机上には、ブックエンドに挟まれた数冊の本も、流魂街で見つけたお気に入りのコースターも、いつの間にか溜まる書類の山も無い。あるのは、綺麗さっぱり片付いた机上にぽつんと置かれた、阿近が置いていったであろう茶封筒のみ。それを手に取って、中身を覗くと同時に私の口角は釣り上がる。
「……おお、すご。思ったよりも綺麗だ」
あれはそう、みんなで月見をした夜のこと。技術開発局の皆を大切に思う喜助さんの心に触れ、覚悟が揺らいだ私に助け舟を出してくれた真子さんと話した後だ。他愛もない会話を交わしながら月を見上げる彼らの背を見て、この光景をずっと見ていたいと願った。このままずっと、彼らが尸魂界に居てくれたらいい。魂魄消失案件など起きずに、これからも平和な日常を送ってほしいと、そう願ってしまった。しかし、それは叶わない。否、私だけが叶わないと知ってしまっている。だから、せめて『この光景を思い出として残したい』と思った。
そこで私は、自身の思惑通りに、その後局員たちへ写真撮影をする為の『カメラ』の制作を頼んだ。ここは百年前の尸魂界、文明は現代よりもはるかに劣っている。けれど、彼らの前でそんなものは何の問題にもならなかった。何人かの有志が集まって、何度も協議を重ねて試作品を作り、失敗と成功を繰り返して、この春ついに完成したのだ。
そうして、先日の花見が開かれた際に私はこっそりと彼らの写真を撮った。中央にはヘラヘラと笑う喜助さんが居て、そんな彼に怪訝な表情を向けるひよ里。周りには数人の局員たちがいて、その輪の中には阿近もいて。さらに、写真の端には小さくマユリも写っている。……我ながら、このメンバーを同じ画角に入れられたのは奇跡だと思う。絶好のシャッターチャンスを逃さなかった自分を褒めたい。そんな奇跡の一枚を、私はそっと抱きしめた。
この時代に彼らが仲間として一緒に居たこと。志を同じくして、時間を共有していたこと。その証拠が今、私の手の中にある。たった一枚の写真だけど、私にはそれが物凄く価値のあることのように思えた。いずれ失うと分かっているものをあえて残すなんて、愚かしいのかもしれない。それでも私は――今この時代を一緒に過ごしている彼らが、何よりも特別で尊くて、愛おしいのだ。
封筒に入っていた写真は一枚だけ。他にも撮影したものはあったけど、なんとなく現像するのはこの一枚だけでいいと思った。だが、そこで問題がひとつ。この一枚は完全なる私の盗撮で、一見すれば何を撮りたかった分からないような写真だったのだ。それを関わりの浅い局員に現像を頼むのは妙に気恥ずかしくて、つい阿近にお願いしてしまった。当然、彼には面倒だとものすごく嫌がられたけど、最終的には報酬として代金を支払うことで何とか受け入れてもらえた。あんな子供に金を対価にして取引を持ちかけるのは気が引けたけど……背に腹はかえられぬ。何より、この写真についていつかの未来で、阿近と語ることが出来るのならば、それこそお金に変えられない価値というやつだ。この写真が劣化して色褪せてしまわないように、早いところ自分で加工しないとなぁ。
「(……ありがとう、みんな)」
真央霊術院へ入学する私は、技術開発局を“休職”することになった。生活の拠点も技局の宿舎から学生寮へ。引越し作業もほぼ終えて、後は身の回りのものを持っていくだけ。入学準備の色々もあり、私がここに来るのは明日が最後だ。抱きしめていた写真を懐にしまって、まっさらな机をそっと撫でる。そして、半年間愛用した机に向かって声をかけた。
「また、ここに戻ってくるから。それまで暫く、皆のこと見守っておいてね」
私が次にこの机に座る時。それは、技術開発局の“雑用係”としてではなく、十二番隊に入隊した“死神”としてになる。今よりももっと、彼と同じものを見られるようになった時だ。その瞬間が遠くない未来に訪れるという事実に、私の心は軽やかな音を奏でて弾んだ。だからもう寂しくはない。明日は笑って、ここを旅立とう。この写真がある限り、私はいつだって、皆を傍に感じることが出来るのだから。
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