地平線に咲く花



「……翡葉さんってさぁ、」
「はい?」
「どうして死神になろうと思ったの?」


 ある日の午後の教室。曇り空のため室内は普段よりやや薄暗く、窓から見える桜の木はすっかり様変わりして新緑に包まれていた。クラスメイト達は実技の授業のため別の教室に移動しており、この教室には私と、もう一人。補講だというのに教壇に立つことはなく、ただ静かに一冊の本を読み耽っている輪堂先生だけだった。室内には私の使っている墨の匂いと、彼の本を捲る音が響くのみ。そんな静かな空間へ突如投げかけられた質問に顔をあげれば、穏やかな笑みを浮かべつつもこちらの様子を注意深く探るような視線とかち合った。


「これは僕のとっても個人的な質問だから、答えたくなかったら無視してもいいよ」
「……ええ、っと(無視しづれえ……!)」
「……うん?」
「……どうしても、支えたい人がいて」
「支えたい……?守りたい、じゃなくて?」
「はい。……守るには背中が遠すぎるので。せいぜい後ろに立って支えるくらいが現実的かなと」
「なるほどねぇ。確かに、浦原隊長を守るってなったら難しいもんね」
「……」
「……」
「違いま、」
「顔真っ赤だよ」
「……」
「あはは、いいじゃない。隠さなくたって。君みたいに隊長を慕って後を追いかける子は別に珍しくないよ」


 彼はそう言って、寄りかかっていた椅子の背もたれから体を起こした。そして、読んでいた本を閉じて机に置き、ゆっくりとこちらを見る。その視線を受けて、改めてとんでもない事がバレてしまったのでは……?と、徐々に恥ずかしさが込み上げてきた。ま、待って欲しい。う、うわ、うわわ……!


「あなたみたいな!口の軽そうな人にバレるのが!一番嫌だったのに!」
「もしかして僕が言いふらすと思ってる?心外だなぁ」
「面白がってる顔してそんなこと言われたって信用出来ませんよ」
「言わない言わない。そんな無粋な事しないよ」
「どうだか」


 口ではなんとだって言えるだろう。現にほら、この前。なにか秘密にしておくべきだった話を私の前でポロリしてたじゃないか。うわー、ほら、全然、信用ならないんですけど。はあ、もう、この人の記憶消せないかなぁ……。
 しかし、さすがの輪堂先生もあまりにも不服そうな私の視線を受けてか、次第に眉を下げて目を細め、困ったようにため息をついた。そして眼鏡を正し、先程よりもワントーン低い落ち着いた声で語り始める。


「本当だって。――僕はただ、君がどうしてそこまで頑張ろうとするのかを知りたかっただけだから」
「……そんなの知ってどうするんですか」
「どうって、これから君を立派な死神へ導くのに使うんだよ」
「……」


 ……ちょっと待て。さっきは「超個人的な質問だから」とか言って聞いてこなかったか?無視してもいいよ、とかいう、至極無視のしづらい事を言うから答えてしまったのに。
 真面目な顔で、さも当然といった様子でさらりと『これから君を立派な死神へ導くのに使う』なんて言うから。……そっちが本音で、本当に、その為に理由を聞き出したんだろうなと思う。ならなんで、最初から“講師として聞きたいから”と言わなかったのだろう。――ああやってあえて軽い流れで聞き出す方が、私の本心に近いものを聞けると分かっていたから?

 ……だとしたら、この人は相当侮れないな、と。寒気のようなものが背筋を駆け抜けた。……だって、うん。どうして死神になったのかを最初から“講師として”聞かれていたら。私はきっと、最もらしい事を言ってたと思う。お世話になった技局のみんなへ恩返しがしたいから……とか。そんなことを答えていたんじゃないだろうか。

(この人、もしかして本当は……)

 
「入学式の日に言ったでしょ?『一緒に頑張って行こう』って」
「……ええ、言ってましたね」
「その子がどうして頑張りたいのか、何を目標にしているのか。それがわからなきゃ、足りない部分も伸ばせる部分も見つからないじゃない」
「……」
「何が足りなくて、何が必要なのか。その子によって一人一人違うから、正確に見つけて導いてあげるのが僕の仕事なんだ」
「……もしかして、」
「ん?」
「もしかして、そうやって一人一人個別に向き合って指導してるんですか、」
「そうだよ?」
「……」
「あー。まあ、講師のみんなが僕みたいなやり方してるわけじゃないよ。うん、僕だけがちょっと特別なのかも」
「……ちょっとどころか、随分、とても、かなり変わってると思いますけど」
「えー、やだなあ。そんな褒められたら照れる〜」
「……」 
「ちょ、そんなドン引きした目で見ないで……!冗談だって……!」


 侮れないと、そう思ったのは一瞬で。一人一人に向き合って指導してきたから、あれだけ周りの講師に敬われて、生徒にも慕われていたんだなと、そう思ったのも一瞬。うん、やっぱダメだこの人。すぐ調子乗るもん。こんな人が良い講師なわけないよ。
 はあぁ、と大きなため息をついて、目線を机上の教科書へと戻す。なんか、今のでどっと疲れたな。あと少し問題を解いたら休憩しよう。そう思って意識を教科書の問題文へ向けるのに、頭上からは「それで、」と遮るような声が掛かる。


「翡葉さんは浦原隊長のどこが好きなの?」
「そんなごく普通かつナチュラルに聞かれたって答えませんよ。ていうかあの人が好きとかそんなこと私は一言も言ってませんけど」
「ええ!?じゃあ君のああいうのって無自覚だったの!?」
「はあ?」
「君を見てれば誰でも気がつくと思うけどな。顔に『浦原隊長が大好き』って書いてあるし」
「(う、嘘だ。そんなわかりやすいこと絶対してない)」
「あ、今『私ってそんなにわかりやすいのかな』って焦ったでしょ」
「……(うざ!)」
「あはは、僕はこれでも年間150件の恋愛相談を請け負う愛の伝道師だからね。恋してる女の子は見ればすぐに分かるんだよ。だから、ね?恋バナしようよ〜」
「っ、じゃあ逆にお聞きしますけど。輪堂先生は恋人とか奥さんとかいるんですか?」
「ええ、なんでそんなこと聞くの?……ハッ、まさか、僕に恋人がいたら困るから?」
「この話の流れで何故そうなる」
「も〜どさくさに紛れて告白なんて、翡葉さんはずるい子だなぁ。ダメだよ、僕と君は先生と生徒なんだか、」
「ええいうるさい黙らっしゃい」ドスッ
「痛ぁ!!」


 気が付けばほぼ無意識に手が出ていた。手というか足だけど。ベラベラと饒舌に喋りお留守になっている彼の足を思いきり踏みつけてやった。ふん、忘れているかもしれないがこれでも私は浦原隊長と約四か月修行をした身なんだ。どうだ、痛いだろう。油断して私を揶揄うとこうなるからな、この色ボケ講師!


「はぁぁー……」
「な、なんだい。その目は」
「……輪堂先生って本当に貴族出身なんですか?」
「んー?まあ、家柄はそれなりに良い方だけど。それがどうしたの?」
「いや……着物とか身の回りのものとか明らかに質が高そうだし、いかにも『良家のご子息』って感じなのに。口を開いたらとてもじゃないけどそうは思えないので」
「翡葉さんってたまにものすごく冷たいこと言うよね……」
「いやいや、褒めてるんですよ。貴族独特の空気感みたいなのは感じないなぁ、って」
「ああ〜、うん、まあねぇ。だって、あんな雰囲気の先生だったら親しみにくいでしょ?」
「たしかに」
「ま、僕自身がそういうの好きじゃないっていうのもあるけど。翡葉さんだって苦労してるでしょ?」
「え?」


 彼は私から視線を外すと、げんなりとした顔で呆れたように大きく肩を竦めた。

 
「色んな人から品定めされるような目で見られたり。挙げ句、大した関わりもないのに勝手にコッチを見下してきたり。疲れるよねえ、アレ」
「……そういえば。入学式の時まるで私は絵画か?と思うくらいにジロジロ見られたことはありましたね。今でも教室へ入る度にヒソヒソ話が絶えないし。なんなんですかね、ああいうの」
「あぁ。――だって、君が座ってるその席は首席が座るところだから。それが原因だと思うよ」
「……へ?」
「いやぁ、どうもこの霊術院そのものが、貴族の庭というかなんというか。あの人たちって格式とか序列とか、ものすごく意識するわけよ」
「……はあ。まあ、そんな気はしますけど」
「だから、座席を自由にしておくと上座とか下座とかで無駄にお家争いが起きちゃってねえ〜、大変で大変で」
「(うわぁ……)」
「そういうわけで、座席は成績順って決まってるんだよ。ここは特進学級だし、一番前の右端は首席の座席ってわけ」
「…………つまり、主席の座にこんな女が居るのが気に食わないってこと?」
「残念だけど、そういうことだろうね」


 彼のその説明に、ずっと不快に思っていた出来事がようやっと腑に落ちる。なるほど、私を見る度ヒソヒソ話していたのは私が浮いてるからじゃなくて、私が主席の座に居座っていることが気に食わないからだったのか。そりゃたしかに、貴族でもなんでもないぽっと出が自分たちの誰よりも上にいるとなったら、プライドが許さないだろう。そういう意味では、生徒側に難はあれど霊術院側がきちんと実力のみで評価しているというのがせめてもの救いだろうか。いやまあ、学術機関としてはそれが当たり前なんだけど。所詮はこの尸魂界だって、四十六室の言いなりだから。いつの時代、どこの世界も金や権力が物言うのは変わらない中で、これでもまともな扱いを受けている方なのだろう。


「――もし、何か嫌がらせを受けたり困ったりしたらいつでも言ってね」
「いえ、大丈夫です。自分でなんとかします」
「……そんなところで気を使わなくていいのに」
「いやぁ、違いますよ。私がただ、そういう目で見る奴らをこの手で見返したいだけです」
「あら、そういう感じ?」
「ええ。舐められっぱなしは癪に障る」
「……ふふっ」
「……?」
「これじゃあ確かに、あの人も放っておけないよなぁ」
「はい?」
「ううん、ごめんごめん。こっちの話」
「……?」
「(理屈じゃどうにもならない。だから危なっかしくて目を離せない。……っていうことなんでしょう?)」


 輪堂先生は意味ありげな微笑みを私に向けると、おもむろに立ち上がり「そろそろ実技組も終わる頃だろうし、ここまでにしておこうか」と言って広げていた本を小脇に抱えた。彼の言葉で思い出したように壁にかかった時計を見上げれば、時刻は正午過ぎを指している。おお、もうこんな時間だったのか。あと数分でお昼休みだ。……なんか、最初は真面目に取り組んでたのに後半はくだらない話ばかりで、あまり補講という名の自習が進まなかった気がする。しかたない、続きは寮に戻ったらやろうかな。


「……輪堂先生。ありがとうございました」
「はーい。それじゃあまた、次の授業で」


 教室を出ようとする輪堂先生へ形式上のお礼を伝えれば、彼はにこやかな笑みを浮かべながら小さく手を振って立ち去る。――そんな、まるで友人に振る舞うような彼の仕草が急に可笑しく思えてきて、彼の背を見送りながら自然と頬が綻んだ。


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