それは白からやってきた
どれくらいそうしていたのかはわからない。だが、かなり長い時間を浅打の素振りに費やした気がする。いやまあ、ほら。彼に教わった型を崩したくないし忘れたくなかったから。もったいないし。別に、久しぶりに一人で瞑想できる時間が出来たからって、恋心に浸って素振りし続けてたらえらい時間が経ってたとか、そんなんじゃないですよ。ええ、はい。
気が付けば汗だくで、手には新しいマメがいくつも出来ていて。息も上がって絶え絶えだし、腕を上げるのも震えるくらいしんどい。いい加減、このあたりで休憩しよう。そう思って浅打を鞘へ戻して、近くの木陰へ入るようにして背を幹に預けた。
浅打の柄を自分へ立てかけるようにして傍らに置き、持ってきた水筒から勢いよく口内へ水を流し込む。ふぅと一息つくと、背後に聳え立つ木々が揺れて、そよ風が熱の籠った体へと涼を運んできてくれた。心地の良い風を感じて、全身からすぅっと自然に力が抜けていく。――ああ、なんか、久しぶりにこんなに限界まで休憩もせずに体を動かした気がする。すんげー疲れた。前はこんなのなんともなかったのに……体力落ちたのかな?
そんな自己嫌悪に陥りつつも、体は正直で。急に重たくなった瞼に逆らえず、ゆっくりと視界が閉じていく。ああ、待って。まずい、こんなところで寝てしまったら――という思いも虚しく、私の意識は“何か”に引っ張られるように、急激に落ちていった。
「……なんじゃここは」
「……前にも見たことある気がする」
意識が落ちて再び目を覚ました時。そこはさっきまでいた霊術院の校舎の空き地ではなく、いつかに見たことのある――どこを見渡しても何もない、ただただ真っ白い空間だった。
前後左右、上下。見渡しても何ひとつない。無限にも思える真っ白な空間が広がっているだけのここは、確か以前にも見たことが……いや、“来た”ことがある。夢かと思ったけど頬をつねったら痛くて、現実で。また異世界に飛ばされたのかと混乱した、あの空間だ。
……参ったな。たしかここからは、私が前の世界で使っていたスマホを見つけないと帰れなかったはずだ。どんなからくりなのか、ここがどこなのかはさっぱりわからないけれど、それだけは確かな気がする。ああもう、めんどくさいなぁ。私はいま、すんげー疲れてんですけどー。と心の中で悪態をついた時だった。
『なんだ、お前は。まだここが何処だが分かっていないのか』
「……フーアーユー?」
どこからか、低い男の声が聞こえた。……なんとなくだけど、以前ここに来た時にも聞いた声と同じような気がする。そして相変わらず、あの時と同じように辺りを見回しても声の正体らしきものは見当たらない。
『その質問に答える義理はないな』
「うおー、すんげ。英語通じるんだ」
『お前の顔を見ればわかる』
「んえ!?見えてんの!?そっちだけずるくない!?」
『知らん』
「自分は姿隠して私のこと見てるなんて卑怯だ!変態だ!私はあんたのこと誰なのかも分からないのに!」
『はぁぁ……』
私が目には見えぬ男へ身振り手振りで必死に抗議を訴えると、ものすごく呆れたような深いため息が聞こえてくる。どこか高圧的でこちらを舐めているような態度に、自然と腹が立ってきた。ちょっと、ため息をつきたいのは私の方なんですけど!と口を開こうとしたその時。
『分かった。ならば、帰れ』
「は?」
『ここが何処だかも分からん、私が誰なのかも分からん。そんな奴に用はない。こちらから願い下げだ、帰れ』
「は?ちょ、いきなり何言って――」
『少しは“対話”が出来ると思ってこちらから呼んでやったのに。お前の知識はまるで役に立たないのだな』
「だから、何言ってるか教えてって、」
『五月蠅い。喚くな。その足りない頭で、少しはこの場所と私の正体について考えてこい』
「だああ、もう!少しは私の話聞いてよ!なんでそんな上から目線なわけ!?むかつ、」
『だから、喚くなと言ってるだろう。……ではな』
「ああ!ちょ、私まだ喋ってるのに――」
そうして有無を言わさずに、私の意識がどんどん遠のいていく。なんなんだ、あの失礼な奴は!私の話を聞かずに一方的に自分だけ喋って、挙句の果てに自分で呼んだみたいなこと言ってたくせに急に『帰れ』って。そりゃ突然あんな何もない空間に葬るような奴だ、さぞロクでもない奴なのだろう。もし次また会ったら、必ず正体を突き止めて一発殴ってやるからな……!そんな強い意志を抱いた時。あと少しで完全に瞼が閉じて意識が落ちそうになった時。ほんのわずかに開いた瞼の隙間から、おぼろげに人影のようなものが見えた――ような、気がした。
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