愛おしい、愛おしいと咽び泣く愚かな心を



 時刻はお昼の十三時過ぎ。どうせまたすぐに汗をかくと思い、着替えだけ適当に済ませて流魂街へ向かった。通りは浴衣や甚平の人々で賑わい、子供たちがはしゃいで駆け回っている。――たくさんの音が聞こえる中で、無意識に下駄の軽やかな足音を拾ってしまったのは内緒だ。

 雑貨屋で手持ち花火をいくつか選んでいると、ひとつだけ値段の高いものが目に入った。店主曰く“途中で色が変わる珍しい花火”なんだとか。それを聞いた私はニッコリ笑って、その花火を所持金で買える分だけ買った。色が変わって面白い……かは微妙だけど、珍しい変わり種という点では彼らも気に入ってくれるだろうか。続けて八百屋へ向かい、差し入れとして大きな西瓜を二つ購入。包んでもらった風呂敷を背負って八百屋を出る頃には、少しずつ日が傾き始めていた。

 遠くから聞こえるヒグラシの鳴き声に夏の夕暮れを感じながら、駆け足で霊術院への寮へと戻る。入念に汗を流して支度を整え、いざ部屋を出ようと荷物を持った時。それが習慣になっている私の目は、いつも通り文机の上に飾られた写真立てを捉えた。
 ――まったく、今からそこに写っている彼らへ会いに行くというのに。くすぐったい気持ちからフッと小さな笑みが漏れたが、私は普段と同じように写真へ向かって「いってきます」と口にした。


 茜色の夕日に染る十二番隊隊舎を前にして、ふぅ、とひとつ深呼吸。自分の頭よりもうんと高く、まさに“聳え立つ”という言葉が相応しいこの扉を開けて中へ入るのは、いつも少しだけ勇気がいる。ギギギ、というやたら大きな蝶番の軋む音にビクビクしながらも、いつものように自分が通れるだけの隙間を開けて中へ入ると――広がっていた懐かしい光景に安堵が胸をすく。


「あ! 翡葉さんだ!」
「翡葉さん! 待ってたよ! おかえり!」
「……ええっと、ど、どうも。お久しぶりです」
「「うおお! 本物だー!」」
「おーいみんな! 翡葉さんが帰ってきたぞー!」
「……ええ? って、わ、ちょ! おわわ……っ!」


 誰かがそう叫んだ途端、私の周囲には大勢の局員たちがまるで雪崩のように駆け込んできた。私との再会を喜んでくれているのか、歓声に近い話し声が様々なところから聞こえてくる。まるで有名人でも来たのかいうレベルの大歓迎に、私はただただ戸惑った。なんだこれ。どういう状況? 聖徳太子じゃないんだから、そんないっぺんに話しかけられたって答えられるか! と、思わず私がそう叫びそうになった瞬間――


 ――ドスッ!!

「おっそいわ!! このハゲ!!」
「〜〜〜ったぁ……!! な、何するんですかひよ里さん!!」
「ああ!? 帰ったんならウチに一番に挨拶するんが当たり前やろ!!」
「そ、そんなこと言われたって――」
「なんや!? 霊術院の生徒の分際で! 副隊長に文句あるんか!?」
「ナ、ナイ……デス」


 周囲の局員たちで完全に隠れた死角から、大変鋭くて容赦の無い飛び蹴りが飛んできた。躱すことも受け止める事も出来ずモロに食らった私は、背負った大荷物ごと後ろに倒れ込む。反射的に背負っていた西瓜を守ろうとしたおかげで悲惨なことにはならなかったものの……一歩間違えれば大事故が起きるところだった。あ……危ないなあ!! もう!!

 そうして予想外の熱烈(?)な歓迎を受けて久しぶりに技術開発局へ戻った私は、日が落ちかけていることもありさっそく準備へ取り掛かった。西瓜を切り分けて冷蔵庫で冷やしてから、裏庭と縁側の掃除。花火やお水の準備は既に仕切ってくれていた人へ任せて、過剰とも思えるくらいの蚊取線香を用意したところで――遠くからドンッと重たく響く音が鳴った。

 きっと、流魂街の花火大会が始まったんだろう。まるでその音が合図だったかのように、一人が手持ち花火に点火した。そして、自然とそれに続くようにひとつ、またひとつと鮮やかな火花が裏庭を照らし始める。もくもくと立ち込める煙が、風に乗って独特の匂いを運んできた。――ああそう、これこれ。花火と言えばこの匂いだよなぁ、と昔懐かしさを思い浮かべてふと気が付く。
 そういえば、昼間は風が強かったけど……今はもう、随分穏やかなそよ風へと変わってるな。これならきっと、打ち上げ花火を見ている人たちも安心だろう。今頃隣室の友人あの子も、大好きな人の隣で花火を見ているのかな。彼女には私の素性は伝えていないから今夜の思い出を語れないのが少し残念だ。――そう思いながら、花火の炎色反応について小難しい議論を繰り広げる彼らの元へ、水入りバケツを持って使用済み花火を回収しに向かった。


「失礼しまーす。使用済みの花火、もらっちゃいますね〜」
「お、翡葉さんありがとう〜。助かるわぁ」
「いえいえ」
「……」
「……? 浦原隊長? どうかしました?」
「ああいえ、別になんでも――」
「ごめん、翡葉さん! 花火なくなっちゃったんだけど新しいのある?」
「はい、もちろん! まだまだたっくさんありますよ」
「おお、よかった! どこにある?」
「え〜っと、私がすぐ持ってくるんで少々お待ちを――って、うおお! 浦原隊長! 火!」
「はい?」
「裾! 燃えてる燃えてる!!」

 ――ベシッ!!

 ふと違和感に気が付いて視線を落とせば、着火用のろうそくの火が燃え移ったのか、あろうことか彼の隊長羽織の裾が煌々と燃えてしまっていた。ま、まずい! せめて白衣か死覇装だったらよかったのに……! 私は咄嗟に、迷わず燃え移った炎へ手を伸ばし勢いよく裾を叩いた。すぐに気が付いたおかげか――はたまた、隊長羽織が頑丈で防炎素材なのか。二、三度叩けば炎はすぐに消えてくれた。……はあ、よかった。


「お怪我はないですか? 火傷してません?」
「……」 
「……浦原隊長?」
「ああ、いえ。……朝緋サンに火傷の心配をされる日が来るなんてなぁ、と思いまして」
「……ああそうですかい。お節介ですいませんね」
「ええ、本当に。――そのバケツの水をかけてくれたらよかったのに」
「……た、確かに……!」


 彼にごもっともな指摘をされて、自分の咄嗟の判断力の悪さに思わず笑ってしまった。……し、仕方ないでしょう。あなたと違って、私は考えるよりも手が先に動くタイプなんだから。


***


 幸い、有事に備えて待機中だった彼らに出動命令が下されることはなく。私たちの花火大会はとても楽しかった。くだらないことではしゃぐひよ里さん、その標的にされる喜助さん。それを野蛮だと軽蔑するマユリさんと、巻き込まれないように一歩離れて見ている阿近。そのさらに後ろで、他の局員たちも各々手持ち花火を楽しんでいて。その様子を、至る所で眩しい光を放つ火花が色鮮やかに彩って、まるで夢でも見ているかのようだった。
 ……夢でも、見ているかのように。着火用ロウソクの交換や、使用済み花火の回収。それから、手が空いた時は花見と同じように彼らの様子を写真に収めたりして。雑用を引き受けて裏方へ徹しながら、遠くからそっと見守った。

 私が花火を手にしたのは一回あったか、なかったか。それだけだったけど、十分楽しかったのだ。久しぶりに帰った技術開発局で、昔みたいに雑用係をしながらみんなを眺めているのが。……たった四か月。されど四か月。ああ、本当に帰ってきたんだなぁと感慨深くなるには十分で。嬉しくて、楽しくて、胸がいっぱいだった。

 ――あの人も、少しは楽しめたんだろうか。昼間、彼は確かに『普段は愛想笑いばかり』と自分で言っていたから。それが彼の性分なのはよーくわかっているけれど、せめて、任務でもないあの空気の中では。立場なんて気にはせずに、誰かと笑い合えていたらいいのだけど。


「(そういえば……西瓜食べ損ねちゃったな)」
「(ひとつくらい食べればよかった)」


 場がお開きになって一気に静かになった裏庭で、バケツを洗いながらふとそんなことに気が付く。あれ、切り分けた時からすごい美味しそうで楽しみにしてたんだけど……雑用に夢中ですっかり忘れてた。次からは切り分けた時点でお先にこっそり頂こうかな……なんて、いつあるかもわからない次回の作戦を思い描いていたところで。ジャージャーと立水栓から水が流れる音しか聞こえなかったはずのこの場に――カラン、コロン。と、独特な足音が響いた。


「――浦原隊長?」
「お疲れ様です、朝緋サン。……片づけ、任せてしまってスイマセン」
「いえいえ、これは私の仕事ですから! 気にしないでください」


 偶然通り掛かった――ようには見えない彼の様子に、疑問がぽつりと浮かぶ。まさかそんな労いをするために、わざわざこんなところへ? ……だとしたら、この人は相当お人好しだ。まったく、これは私が自分でやると決めて選んだ仕事なのだから、そこまで気にしなくていいのに。そう伝えたくて、なんてことの無いように極めて明るい声でそう答えれば――彼は僅かにスッと目を細め……視線は私の顔から下へ、ゆっくりと移動した。


「……そのバケツ、お借りしても?」
「え……はい、構いませんけど……。何に使うんですか?」
「――コレ、っスよ」
「……!」
「……最後の楽しみにとっておこうと思って、袖に隠してたんスけどねぇ。……すっかり、忘れちゃいまして」
「……」
「――ずぅーっと、一人で裏方に徹してたんだ。最後くらい、みんなに黙って楽しんだってバチは当たらないっスよ。ね?」


 彼が小さな声でそう言いながら取り出したのは――線香花火だった。その粋な心意気も、月を背負って微笑む悪戯っぽい笑顔も。まるでこの瞬間のために今日は仕組まれていたんじゃないかと、都合のいい勘違いにそっと誘ってくるようなそのズルさも。全部がどうしようもなく格好良くて――ほんの少しだけ、泣きそうになってしまった。


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