愛おしい、愛おしいと咽び泣く愚かな心を



「……浦原隊長、」
「はい」
「……ありがとう」
「――!」





 ――浦原喜助は分からなかった。翡葉朝緋の口にした「ありがとう」という言葉が、一体何に向けられた感謝だったのか。稀代の天才科学者と謳われ、鋭い観察眼を持つ彼ですらその正体を彼女の表情から読み取る事は出来なかった。――それほどまでに、彼女が浮かべていた表情は非常に複雑で、理解のしがたい、浦原喜助にとって“初めて見る表情”だったからだ。
 辛うじて、彼女の唇は僅かに弧を描いている。しかし、喜んでいるのか。怒っているのか。哀しんでいるのか。楽しんでいるのか。そのどれもが正しいようで、間違っているように思えた。翡葉朝緋の初めて見る表情に感情を当て嵌めることは、目の前で見ている浦原喜助ですら極めて困難だった。

 ――もし、彼女の浮かべている表情を言葉に表すとしたら。己の持ちうる全ての知識を引き出し、その頭脳と思考力を総動員して答えを導き出しても――やはり、その答えは間違っていると思った。なぜなら、文脈に全く噛み合わないからだ。己の発した言葉と彼女が口にした感謝を、その答えとイコールで結びつけるのは困難だった。そして、浦原喜助が自分の導き出した答えを一番否定したかった理由が“彼女にとって最も有り得ない現象”だったからだ。


(――何かを、諦めてしまったような)
(大切なものを、失くした顔だ)
 

 浦原喜助には、ひとつだけ分かったことがある。
 それは、『面白い、楽しい、嬉しい』を共有して笑い合うことが出来たとしても。それだけでは、相手の心を知るには程遠いのだと。


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