神ではなく君に誓うよ
虫の居所が悪かった。そう一言で済ませられた方が、まだ良かったのかもしれない。
湧き上がる自己嫌悪という名の怒りを、奥歯を噛み締めて堪えながら廊下を歩いてる時。それは最悪のタイミングで私の耳に入った。
「――……なぁ、知ってるか?技術開発局って、元は蛆虫の巣とかいう監獄から出てきた野蛮な奴らの集まりらしいぜ」
「……蛆虫の巣?なんだそれ。霊術院じゃ聞いたことねえぞ」
「(……最悪)」
技術開発局は、新設されたばかりでまだまだ馴染みのない組織。根も葉もない噂が立つことは今までだって何度もあった。その度に、私の出る幕じゃないと堪えてきたけど。
「俺も詳しくは知らねえけど……隠密起動が瀞霊廷中から集めて来て収監してた危険分子のことらしいぞ」
「へえ〜、とんでもねえな。なんでそんなやべぇ奴らが技術開発局にいるんだ?」
「そんなの、新しく就いた十二番隊の隊長が一番野蛮だからに決まってるだろ」
――今の私は、それを聞いて我慢出来るほど。
……誇りを汚されて黙っていられるほど、冷静にはなれなかった。
「新しい十二番隊の隊長……浦原、隊長だったか?」
「そうそう。元隠密起動で、何考えてんのかさっぱりわかんない人だって」
「じゃあなんだ?浦原隊長は、前に自分で捕らえた囚人を技術開発局で働かせてるってことか……?なんか胡散臭い人だと思ってたけど、そりゃたしかにまともじゃねえ――」
――ガッ!!
――ドスッ!!
「「!?」」
「――技術開発局が、なんですか?」
「な、なん、なんだおま、」
「浦原隊長が、なんでしたっけ」
「っ、誰だお前! お、俺にこんな事していいと思ってんのか!?」
「私が『誰か』だって? よく噂をしてるんですから、私の事だってご存じでしょう」
「なっ――!?」
「……私が誰か、分かってて。私の目の前で、技術開発局を侮辱したんでしょ?」
「――! っ、こいつ、あれだ! 例の特待生だよ! 浦原隊長のコネで首席になったって言う――」
「私の前で二度もあの人を侮辱するなんて、許されると思うなよ下衆が」
一人の胸倉を掴んで壁に押し上げて、顔の横すれすれを殴っていた。壁には私の拳で亀裂が入っている。……一発目で顔を殴らなかったのは、私の最後の良心だった。それなのに、この男は二度もあの人を侮辱した。
技術開発局は野蛮の集まり?浦原隊長がまともじゃない?あの人のコネで、私が首席になった?――ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな!!お前ら貴族の下らない世間話で、私の誇りを……あの人の大切にしているもの――大切に“したかった”はずのものを!侮辱するなんて許せない!!
両手の捻挫がどうだとか、肋骨のヒビがどうだとか。そんなものはもう、何の関係もなかった。もう一度振り上げた私の右手は、正確に目の前の男の顔へ振り下ろされ――
「――はい、そこまで」
「「!!」」
「……君、大丈夫? 怪我無い?」
「(……輪堂、先生)」
「は、はい」
私の拳は、男の顔へ届くことはなかった。輪堂先生の手が、私の握りしめた拳よりもさらに強い力で私の右手を掴んでいたからだ。
「そう。ならよかった。……うちの生徒が粗相をして済まなかったね」
「いえ、別に……」
「君らの親御さんには、僕から直接謝罪を入れるから。そう伝えておいてくれるかな」
……なぜ、講師である輪堂先生が。こんな男たちに向かって畏まって接しているんだろう。その答えは、こいつらの身なりを確認すれば一目瞭然だった。
……どうやらかなり家柄の良い――中級か、あるいは上級の貴族なんだろう。まったく、本当に嫌な世界だな、ここは。
「なっ――べ、別に、俺はこいつに謝ってもらえればそれで、」
「はい、じゃあ、すみませんでした」
「……っ。すみません、でした」
彼の手が私の頭を掴み、無理やりこいつらに向かって一緒に頭を下げさせられる。……この期に及んで謝罪をしたくないとごねるほど、私は子供ではないから。心までは込められなかったけど、謝罪を口にして頭を下げた。
それに満足したらしい男二人は、ふん、と鼻を鳴らして立ち去った。最後まで厭味ったらしく「あの輪堂とかいう講師も、女には甘いって本当なんだな」と愚劣な言葉を吐き残して。
「……はぁ〜〜〜……もう、何してるの? 寿命縮まるかと思ったよ」
「……なら助けなきゃよかったのに」
「そういうわけにはいかないでしょ、まったく。……ほら、医務室行くよ」
「医務室ならさっき行きました」
「知ってるよ。君が怪我したって聞いたから追いかけてきたのに。……額、また出血してる。右手も、捻挫してるのに殴るからもっと腫れちゃってるじゃん」
「いいんですよ、こんなの唾つけときゃ治ります」
「ああもう! 君ってば本当に! 少しは講師の言うこと聞いてくれるかな!?」
「……すいません」
ムスッとした顔で私の腕を引っ掴んだ輪堂先生は、そのまま私を引き連れてズカズカと医務室へ向かう。思わず「すいません、もう少しゆっくり歩いてくれませんか。肋骨にヒビ入ってるんです」と言えば、ギョッとした顔で「そういうのはもっと早く言ってくれるかな!?」と呆れられてしまった。……歩くスピードは、だいぶゆっくりになった。
「翡葉さんがどうしてあんな事したのか、少しだけ会話が聞こえたら何となくは察してる。僕はそれを間違ってるとも正しいとも言わないけど、」
「……はい」
「どんなに理不尽でも守らなきゃいけないものが、この世界にはあるんだ」
「……はい」
「上級生に対して……しかも、よりによって上級貴族相手に暴力なんて、一番破っちゃいけない掟だよ。あの場で君が手を出すことでより彼の立場が悪くなるって……分からない子じゃないよね?君は」
「どうして我慢出来なかったの」――と。そう聞かれた私は、ぐっと唇を噛み締めた。眉を顰め必死に嗚咽を堪える。そうして絞り出した声は、私たち二人しかいない医務室に弱々しく響いた。
「――……死んでしまったら、もう。誇りを汚されても、何も出来ない。いちばん大切なものすら、守れないんです」
「!」
「……死んでしまったら、もう、何もかも遅いんです」
ハッと息を飲んだ彼の、包帯を巻いてくれていた手が止まった。
「…………そんなに一人で何でもかんでも抱えたら、いつか潰れちゃうよ。君」
「……その時はその時です」
「……そう。――でも、悪いけど。君には今日から一週間、謹慎してもらうよ。そういう“掟”だから」
「……霊術院には来るなってことですか」
「自宅待機して反省して下さい。……その間に、この怪我も治しといで」
私の手当を終えた輪堂先生は、眉を下げて困ったように笑った。……その顔が少し、あの人に似ていて苦しくなった。
「……あの。輪堂先生、」
「なぁに?」
「……あの子の家があった場所。教えて頂けませんか」
「――どうして?」
「……どうしても、です」
「……」
「……」
「……たとえ亡くなったとしても、彼女はうちの生徒だ。個人情報を教える訳にはいかないよ」
「……」
「それに。あの場所は虚の襲撃があった危険な場所だ。原因もまだわかってない。……間違っても、その怪我した身体で行こうなんて思わないでよ」
「……はい」
スッと細められた彼の瞳。冷えきったように低い声。祈るような眼差しでこちらを見る輪堂先生には、心の中で謝罪しておいた。……講師の言うことを聞けない、悪い生徒でごめんなさい。
***
医務室を出て、輪堂先生と別れたあと。寮に帰るフリをして向かった先は――彼女が所属していたクラス。今朝、勢いで飛び込むような真似をしてしまった手前、すごく気まずかったけれど……。かつて彼女に聞いた、“大切にしている人”の名前を覚えていて良かった。
友人を愛してくれていた
男子生徒を呼び、「献花をしに行きたいから家の場所を教えて欲しい」と言えば……彼は泣きそうな顔で「俺の分も頼む」と言って教えてくれた。彼はまだ、悲しみが深くて現場には向かえていないようだった。
外は、冷たい雨が降っていた。あまり自由の効かない手で何とか制服から私服に着替えた私は、誰にも見つからないようにこっそり寮から出る。どんよりとした雲からは大粒の雨が降っていて、番傘などあまり意味をなさずあっという間に足元が濡れていく。風が吹き付ける度、寒さに肩が縮こまった。
あまりの雨足の強さに店じまいをしかけていた花屋さんに慌てて駆け込むと、店主には面倒くさそうな顔をされてしまった。迷惑な客だよなと申し訳なく思いつつも、彼の分として仏花をいくつかと、私からの気持ちで白いユリを購入した。私が選んだ花から何かを察したらしい店主は、ただ一言「気をつけてね」と言葉を残して見送ってくれた。そんな優しさでさえ、今の私には胸に染み渡るように暖かくて。寒さで軋む身体、怪我の痛みを堪えて店主に向かって頭を下げた。
「……ごめん、遅くなっちゃった」
本当は走ってでも、もっと早く来たかった。けれど、走ることで激痛に変わる肋骨の痛みを我慢して来たと知ったら……彼女はたぶん、怒るだろうと思った。私が無理をしてるのを、決して止めはしなかったけど……いつも心配してくれていたから。こんな時まで心配をかけたくなくて。雨も相まって、ゆっくり歩いて、時間をかけてやっとたどり着いた。
「――……」
「(……ここで、最期まで、)」
林の中にぽつんと建つ木造の家。これがきっと……彼女がここに来てから出会った“家族”と過ごしてきた大切な家だったんだろう。――その半分が、崩れて倒壊してしまっていた。地面は何か鋭いものに抉られた痕が残されたままで、周りの木々も折れたり倒れたりしていて……ここで起きた戦いの壮絶さは、それだけで十分伝わってきた。
「(……誰も居ない、よね)」
この現場は十二番隊が調査中らしかったが、幸い今は誰もいないようだった。……雨だから、撤収したのかな。それとももう、調査は終わったのかな。まぁ、私には知りようもないことか。
建物へそっと近づいて、花を手向けた。雨で濡れてしまわぬよう、花を守るように傘も一緒にその場へ。途端に頭のてっぺんから雨に晒されて、髪から滴るように雨が伝い落ちてくる。けれど、そんなのはどうでもよかった。花の前にしゃがみこんで、とっくに冷えきった両手をそっと合わせて目を瞑る。
「……花火大会どうだったかって。結局、聞きそびれちゃったね」
大切な人と見たであろう花火大会。特別な人と、特別な時間を共有することがどんなに幸せなことか。それを私に体現して教えてくれたのはこの子だったのに。――大切な人と互いに想い合うことが奇跡なんだと、教えてくれたのはこの子だったのに。
あの時私は、自分では到底叶えられない奇跡がすぐ傍にあったことを虚しく思っていたけど……まさかこんな形で、“大切な人と互いに想い合うことがどれほどの奇跡だったのか”まで教わることになるなんて、夢にも思わなかった。
「……もっと、あなたの惚気話を聞きたかったよ」
「私の、惚気は……たぶん、一生、聞かせてあげられなかっただろうけど……」
死んでしまったら、もう。何もかもが遅いのだ。どんなに愛おしく思う相手が居ても、共に一生を添い遂げられることなんて本当に奇跡なのだ。死んでしまえば、もう。自分の大切にしている人を――誇りを汚されても、何も出来ない。自分の手で、大切なものを守れなくなる。
――私が、彼を裏切る覚悟を決めるには……もう、十分だった。あの人を決して死なせたくはない。その為なら、傷つけて裏切って、彼の心を犠牲にすることになろうとも――私は愛を貫ける。それを教えてくれたこの子に、私は、私は――……
「私の、好きな人の話も……聞いて、欲しかったのに……っ!」
雨なのか、涙なのか。どちらか分からないものが頬を伝う。それに構わず、絞り出すような声でそう叫んだ途端――
――グォォォオオオ!
「――っ!?」
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