言葉を交わすことはそれほど大切なことじゃあない




 さて、どうしたものかと。斬魄刀もない、体も万全ではないこの状況で――まさか、初めて本物の虚に遭遇することになるとは。

 こうなることを予想してなかった訳じゃない。ただ、どんな虚が出てきたって負ける気はしなかった。実際、虚と対峙した時の恐怖は最初だけで、すぐに「この場じゃ戦えない」と判断出来た。私は見かけによらず冷静だ。……きっと以前、疑似虚と対峙した経験があるからだろう。非常事態への適応は早かった。

 ただ、斬魄刀を忘れてきてしまったという点においてだけは非常に困っていた。痛恨のミスだ。白打もこの体じゃあ通用しないだろう。となれば、頼れるのは鬼道のみなのだが……体格が小さいおかげですばしっこいこの虚相手に鬼道を当てるのは容易ではない。どうやって倒そうか……いや、どうすれば鬼道だけで倒せるのかを、必死に考えていた。

(とりあえず……やってみるしかない、か)


「――縛道の二十一、赤煙遁!」

 ――ボフン!


 とりあえず煙幕を張り、相手の動きを止める作戦。言霊と共に、真っ赤な煙が周囲を包み込んだ。
 だが、これで相手が見えないのはこちらも同じ。視認出来ない代わりに霊圧だけで虚の位置を探り当て、続けて鬼道を重ね打ちしていく。


「縛道の四、這縄!」
「……君臨者よ。血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ。心理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ。――破道の三十三、蒼火墜!」


 真っ赤な煙幕に向かって、蒼火墜の青白い炎が迸る。油断はしない、ありったけの霊力を込めた完全詠唱の蒼火墜だ。
 すると、たちまち耳を劈くような虚の鳴き声が響き、思わず眉間に皺が寄った。……反応があるということは、攻撃は当たったのだろうか。願わくば、これが致命傷になっていますように――と祈るような気持ちで、肩で息をしながら真っすぐ前を見据えた。


「(……やった、か……?)」
「(――っ、いや、まだだ……っ!)」


 ――ギャオォォォオオ!!
 ――ビュンッ!

 煙幕が薄くなっていくのと同時に、虚の鋭い尾がこちらに向かって勢いよく伸びてくるのが見えた。
 ……っ、避けきれない……!

 ――ガンッ!


「!!」
「……油断のしすぎっスよ。自分が攻撃することばかり考えてちゃあ、勝てるもんも勝てないでしょう」
「……う、浦原……隊長……」
「――啼け、紅姫」
「(あ、……)」


 彼の静かな呼び声。そして、“彼女”から放たれた真紅の斬撃。初めて目の当たりにしたそれは、今まで見てきたどんな技よりも強くて美しくて――……魂が震えるほど、強烈に憧れた。

 ピンと張りつめた糸のような、深海よりも暗くて深い霊圧。その中に、僅かながらも確かに存在する彼の“殺気”を感じ取った瞬間――ゾクゾクとしたものが背筋を這う。何の感情も映していないような眼で、静かに敵を斬る姿に息が詰まった。
 ……あぁ、この人は。私の知らない場所で、こうして何度も殺意を乗せた刃で敵を斬ってきた人なんだ。
 その事実が胸に広がった瞬間、途端に足から力が抜けていく。敵と対峙した浦原喜助を初めて見た私は――ただただ圧倒されて、力無くその場に座り込んでしまった。


「……何してるんスか。虚の襲撃があった場所に、怪我をしたまま斬魄刀も持たずに来るなんて」
「……」


 チャキ、と紅姫を鞘に戻した音が冷たく響く。そんな小さな音がハッキリ耳元まで届くほど、虚が消えたこの場は雨音のみで静まり返っていた。


「……すいません、でした」
「違いますよ、怒ってるんじゃあない」
「……」
「そんな状況判断も冷静に出来ないほど、追い詰められてることに……アナタ自身は気が付いてるんですか?って言ってるんスよ」
「……、」
「――大丈夫ですか、朝緋サン」


 ザアザアという雨の音が、ボツボツと何かに弾かれる音に変わる。そしてそれが頭上から聞こえたと当時に――自分へ降りかかっていた雨がぴたりと止んだ。視界の端に映る下駄、ゆるゆると顔を上げれば……随分と暖かくて優しい顔をした彼が、傘をさしてこちらを覗き込んでいた。


「……大丈夫じゃなかったですけど、もう大丈夫になりました」
「……どこか痛むところは?」
「いえ。ここへ来る前に鎮痛剤をたくさん飲んで来たので平気です」
「(……嘘が下手だなぁ)」


 雨でずぶ濡れになった体に、吹きつける風が冷たく刺さる。思わず身震いしそうになるのをぐっと堪えて、誤魔化すように立ち上がった。顔に張り付いた髪から伝う水滴を拭って、そっと微笑み返す。……あーあ、もう。好きな人にこんな雨でぐちゃぐちゃになった姿、晒したくはなかったのにな。


「輪堂サンから事情は聞きました。……まだ、ご友人と話したいことはありますか?」
「(話たい、こと……)」


 おそらくそれは、もう要件がないのならこの場から立ち去れという言葉なんだろう。言い残したこと、やり残したことは無いか――そう問い掛けられ、ふと俯いて考えた。
 だが、その拍子にピタリと何かが首元に張り付いた感覚にハッと顔を上げる。……次の瞬間にはもう、勢いよく彼の元を飛び出していた。


「忘れ物してました!それが済んだら帰ります!」
「あ、ちょっと待っ――」
「(っそうだ、これだ……!これがあったじゃん……!)」


 戸惑い立ち尽くす彼には一切構わず、花を手向けた場所へ向かって全力で走った。また雨に晒されることになったけれど、走る衝撃で肋骨が痛むけれど、そんなのは関係ない。早く、早くこれを伝えたい!――と、走りながら“髪紐”を引っ張ってほどき、ぎゅっと握りしめた。


「わたしの……っ、好きな人……!」
「この髪紐と、同じ髪色の人なの……!」


 彼女に伝えたかった、私の好きな人の話。彼女の話を聞くばかりで、一度も話すことが出来なかった、私の好きな人を――どうしても知って欲しかった。そして私は、あの日真子さんが似合うと言ってくれたこの髪紐を、ずっとずっと身に着けていた。それは紛れもなく、自分では似合わないと思いつつも「彼の色を纏って居たい」と純粋な恋心でそうしていたからだ。

 世界で一番、かっこよくて、強くて、愛おしくて……私の守りたい人。彼の面影を感じるその髪紐を、手向けた花に括り付けた。


「……私に、勇気と希望を与えてくれて、ありがとう」
「――またどこかで」




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