星の体温で眠って



 ――刀を膝に置き、座禅を組む。己の心を刀一つに絞るこの神聖な祈りは『刃禅じんぜん』と呼ばれ、尸魂界の開闢から何千年とかけて編み出された、斬魄刀と対話をするための形だそうだ。


「お前、昔に『元の世界には絶対帰らない』と言っていたな」
「うん? ……うん、そうだけど。それが何?」
「本当にそれでいいのか?」
「……」
「仮に今、目の前に元の世界へ帰れる道が続いているとして。それでもお前はこの世界を選ぶのか?」
「……何。あなた、もしかして元の世界に帰れる方法知ってるの?」
「期待させているならはっきり言っておくが、私にそんな芸当は出来ない。ただ、お前の意志を問うているだけだ」
「……んー、そうだなぁ」


 ただの退屈凌ぎなのか、はたまた本当に興味があるのか。目の前の男はどちらともつかない声でそう問いかけてきた。まるで無に等しい白妙しろたえの間にぽつりと置かれた、妙に立派な肘掛の付いた座椅子。そこへ深く腰掛け、長い足をこれみよがしに組んでこちらへ怪訝な視線を送っている男は、どこからどう見てもこの空間の主そのものだ。……おかしいな、ここは私の精神世界なのに。高潔でもあり傲慢とも呼べる男の態度は、さながらどこかの国の皇帝を彷彿とさせる妙な品格と貪欲さが伺える。――つまりは図々しくて、どこか見下した態度を辞めない腹の立つ奴だということだ。
 全くもって、初対面から印象が変わらない。口にしたところで何が変わる訳でもなく、不運だと機嫌を損ねれば自業自得だと罵られるだけ。それでも、常に眉間に皺を寄せ、口角をぐっと下げた不遜な表情を見る度に、どうしてこんな奴が私の斬魄刀なんだと文句を垂れるのは辞められそうにない。私は本当にこんな奴と深い絆を結び、力を借りて戦うことなど出来るんだろうか。……名前を教えてくれそうな気配など、今のところ微塵も感じたことがないのだけど。
 
 『元の世界に帰れるなら帰るのか』

 この問いかけは二度目だ。一度目は初対面と言っていいのか微妙なところだが、この精神世界に初めて来た時、確かに同じ質問をされたことを覚えている。そしてその時「絶対帰らない」と答えたことを、どうやらこの男も覚えているようだった。――では何故、また同じ問いを投げかけてくるのだろうか。その疑問は、刹那の沈思黙考の末に解決した。


「――あの時は確かにそう言ったけど、少し前の私なら帰ったかもしれない」


 この世界を歩み続けるキラキラと輝く道か、元の世界に続く平凡な道か。その分かれ道の前に立つ自分を思い描いた時に、選ぶ答えに変化があったからだ。おそらくはその変化の理由や、今も迷いがあるのかを問いただす為の質問だったんだろう。誰かと分かり合うなんて出来ないはずなのに、さすがは己の魂から出来上がった存在。私の心の在処などお見通しというわけか。……それはそれでかなり癪なんだけども。


「……何故?」
「私がこの世界に来た意味も、価値も。何も見出だせなかったから。脇役として一生過ごしていくなら、それは“居なくても同じ”でしょ? ――なら、元の世界に帰った方がいいじゃない」
「……ならばその、“この世界に来た意味や価値”とやらは見つかったのか?」
「いや? ぜーんぜん、これっぽっちも?」
「……」


 極めて明るく愉快に、煽るように答えれば、案の定男の眉間の皺はより深くなった。けれど、次の言葉を口にした瞬間。男の顰められた眉はほんの僅かにピクリと動き、私を疑い罵る役回りは終わりを告げたようだった。

 
「ただ……もう、帰れない。帰れなくなっちゃったんだと、思う」
「……理由は」
「――……愛されたいって思ってたことに、気がついちゃったから。この恋が叶わなくていいなんて、本気で思えなくなっちゃったから」
「……」
「もちろん、大前提として私が戦うのは、あの人を護って支えたいから。そこに、愛されたいなんて見返りは少しも求めてない。これは本当」
「……そうか」
「だけど……あの人と触れられて話が出来る世界を手放して、元の次元すら異なる世界には……もう、帰れない。この恋が『叶って欲しい』と望んでしまう自分を、私はもう、押し殺して元の世界には帰れない」


 この世に永遠の愛は存在するのだろうか。私はそうは思わない。一人の相手、一つのものを好きで居続けるというのは人にとって困難極まりないものだから。長くも短くもない人生の中で、様々な人に出会い、いろんなものに触れ、人は成長していく。価値観だってどんどん変わっていく。心がある限り、好きだったものが急に嫌いになることだって容易にある。“好き”はいつの間にか執着に変わり、心の支えになる時もあれば、失うことなど考えられない依存に変質する時もある。その善し悪しをどう捉えるかは人それぞれだけれども。人はそうして、たった一人を愛し続けることの難しさを本能で理解しているからこそ、永遠を望んでしまうのではないだろうか。永遠の愛など存在しないと分かっているからこそ、そこに価値を見出して願ってしまうのではないだろうか。――人は、独りでは生きていけないから。

 けれど。もし本当に、違う人生を歩んでも同じ人を好きになれるなら。五回違う町に生まれ育っても、五回とも同じ人を好きになれるなら。そこには永遠の愛が存在するんじゃないだろうか。違う生き方をして、異なる価値観を持っていても、それでも好きになれる人。それはきっと、“太陽”のように生きていくのに必要不可欠で、自分という世界の中心に必ず在るような存在なんじゃないだろうか。

 ――だとすれば、私は。何をしてくれた訳でもない彼のことを。ただ、その生き方に心を打たれ、報われて欲しいと涙を流し、心の底から幸せを願った彼のことを。一方的に好きになった浦原喜助のことを、私はこの先も愛し続けてみたい。たとえ違う町に生まれ育ち、異なる生き方をしてきたとしても――五回とも違う人生を歩んだとしても、五回とも浦原喜助を好きになりたい。


「馬鹿だよね。命を賭けて私を産んでくれた母のことも、それを支えて一緒に育ててくれた父も、故郷も、何もかもを手放して愛だの恋だのに縋って生きていくなんて」
「……そうだろうな」
「でも……それでも私は――あの人を選ぶよ」


 ――愛を貫くって、きっと、そういうこと。


「……いいだろう。それでこそ、お前はこの力を使うに相応しい」
「え、?」
「――なればこそ。その寛大な愛へ敬意を評して、不撓不屈を貫くお前にこの力を授けよう。……私の名を教えてやる」
「!」


 この男は言っていた。「あの男が大切だと言うのなら、裏切ってでも命は必ず守る。それくらいのことは言って見せろ」「愛を貫け、折れるな。それだけは、“お前にしか出来ない”のだから」――と。
 あの時ガラガラと音を立てて崩れ去った心の欠片を、私は負けず嫌いの執念で、鉛のように重たい体を引きずって必死にかき集めた。そして、その欠片ひとつひとつを、指に穴を開けながら丁寧に縫い付けて、どうにか取り戻した。そうしてる間に辿り着いた『私にしか出来ないこと』の答えは、どうやら正解だったらしい。
 ふっ、と軽く息を吐いて緩んだ口元を隠しもせず、男は立ち上がった。そして、緩慢とも優雅とも呼べる足取りで一歩ずつ着実に私の方へ近づき、差し出した右手をそっと私の胸元へ添えた。そこにあるとされているものを確かめるような素振りで、スッとわずかに指先を撫で下ろす。


「いいか、二度は言わん。決して聞き漏らすなよ」


 “我が名は――……”

 


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