霧散する叫びは誰のもの



「ただいまより、現世での魂葬実習を開始する!」


 天は真に黒く、闇を溶かして作ったキャンバスには筆先を弾いて飛び散らせたきらめきが無数に描かれている。偃月えんげつは恥ずかしそうに雲の向こうに隠れては、時々隙間から顔を出し心許ない影を落とす。草木も眠る丑三つ時、霊なるものが化けて出ると現世の生命たちはこぞって信じているが――どうやら、あながち間違いではないらしい。
 虚が出やすいこの時間帯。いわば死神の繁忙期でもあるタイミングを狙った、より実践的な魂葬の実習。それが今日の課題だ。二年一組の特進学級の生徒クラスメイトたちと共に、現世へと足を運んでいた。
 穿界門を抜けた先、静寂に包まれた現世の街並みは――私の生まれ育った現代からは少し離れた文明を築いている。もう何度も現世を訪れているからこの景色は見慣れているけど……今はおそらく、明治の終わり頃か大正か、そのぐらいなのだろう。文明は光を連れてきてはいるものの、闇を払うにはまだ足りず。僅かな街灯が道を照らすのみで、しんと静まり返った街は真っ暗闇だ。魂葬を待つプラスたちも、真夜中の不気味さに怯えているようだった。


「翡葉、お前はこっちだ。前に来い」
「はい」


 みなの前に立ち、実習について説明をしていた先導役の六回生が私を呼ぶ。それに若干ざわめくクラスメイトたちの間を堂々と通り抜けて前に出て、六回生の隣へ立ち並んだ。


「今回お前には先導役として参加してもらうことになっている。話は聞いているな」
「はい。伺ってます」
「よし。それじゃあ、翡葉には三班を担当してもらう。頼んだぞ」
「はい。承知しました」


 特待生として、同級生たちとは異なり様々な経験を積んできた私は、今回の実習では六回生に混ざって先導役を務めることになっていた。私はもう、魂葬の練習など十の昔に済んでいるからね。先導役として少人数を率いて実習を進め、有事の際には自己判断で対処をする。そうして私の“実力を量る”ことが――今回の『卒業試験』を兼ねた実習の正体だった。
 一度これと決めたら揺るがない頑固な私。自分で立てた“二年で卒業”の目標を達成するためだけの、忙しない学生生活だったけど――ようやっとここまで来れた。どうか無事に終われますように、と。願掛けをしつつ、気合を入れるためにバチン!と勢いよく両手で頬を叩く。

(――よし!)


「どうも、この班の先導役になりました翡葉です。私が担当で不服でしょうが、文句は後にして今は私に従ってくださいねー」
「「……」」
「それじゃ、この辺りにいるプラスたちをどんどん魂葬していって下さい。私は少し離れて様子見しているので、質問があれば適宜どうぞ」


 立場上は同期である私が上に立って仕切るのを気に食わない者もいるだろう。そう思って、班員たちへご機嫌を伺うような挨拶を述べてそそくさと引き下がった。予想通りに三名の班員たちはなんとも言えない顔をしていたが……一応状況は把握しているのか、素直に従いはしてくれるらしい。
 三名はそれぞれ、彷徨っているプラスたちへ話しかけそつなく魂葬をこなしていく。その様子を上空から観察し、手元の報告書へ記入。……といっても、「異常なし」くらいしか書くことはないんだけど。きっと彼らにとっては、これで数度目の実習なのだろう。初々しさはあれど流れはきちんと理解してるようだ。……うん、全く問題ないね。声掛けや尸魂界についての説明も、プラスへ寄り添った内容だし、よく出来ている方だろう。私から指示することは何も無さそうだ。






「――よし。それじゃあ、今日の実習はここまで。みんなお疲れ様ー」


 ――午前二時五十分。三班の魂葬実習はとてもスムーズに終わった。虚に出くわす事もなかったし、魂葬に怯えたり拒んだりする奴にも出会わず、想定時間内に終えることが出来た。班員たちも少しなからず緊張はしていたのか、どこか安堵の表情が浮かんでいる。
 ……しかし、「帰るまでが遠足」とはよく言ったもので、無事霊術院へ戻るまでが実習である。気を抜かないようにとそれとなく伝えつつ、集合場所へ戻るために踵を返した――まさにその時だった。


『こちら第四班、虚と交戦中! 至急応援求む!』
「――!」
『繰り返す! こちら第四班、虚と交戦中! 至急応援求む!』
「(四班って隣の――近いな)」


 耳をつんざく叫声が、灯りの乏しい路上で突如鳴り響く。通信機器から流れ込んできたのは、先導役を務めている六回生の切羽詰まった声だった。心当たりのある方角を見据えれば――確かに、遠くはない距離に大きな霊圧を感じる。……やっぱり、“帰るまでが遠足”だったか……見事にフラグ回収してしまった気がする。
 通信機器を持っていないため事情を知らない班員たちは、突如動きの固まった私を見て首を傾げている。しかし――ノイズの混じったSOSは、一瞬で私を戦場へと引きずり込んだ。


「ごめん、他の班の援護へ向かうことになりました。みんなは先に集合場所へ戻ってて下さい」
「「え……」」
「集合場所についたら、そこにいる他の先導役の指示に従うこと。誰もいなかったら、必ずその場待機で」


 言いたいことだけを言い残し、困惑している彼らに説明する間もなくその場を飛び出した。なんだかんだ私の指示には従ってくれるだろうから、彼らなら何事もなく集合場所に戻ってくれるだろう。――そう信じて、四班の持ち場へ駆け足で向かった。


「――先輩!」


 見上げるほど巨大な体躯。禍々しい霊圧。援護へ向かったその先には、巨大虚ヒュージ・ホロウと対峙している六回生の姿があった。通信機器越しに聞こえた切羽詰まった声から、一体どんな大惨事が起きているかと思えば……意外にも、本人は苦悶の表情を浮かべているだけで特に目立った怪我はしていないようだ。そしてチラリと周囲を見渡せば、同期の班員たちが物陰へ隠れるようにして縮こまっているのが見える。怯えきっているものの、こちらも無事のようだ。――良かった、間に合ったみたい。


「あ、ああ。翡葉か。あんたが援護に来てくれるとはね……正直、一番助かるわ」
「よりにもよって巨大虚ヒュージ・ホロウが出てきちゃうなんて。運が悪かったですね、先輩」
「う、うるさいわね! あたしのせいみたいに言わないでよ!」
「あはは、失敬失敬。そんなつもり無かったんですけど。……まあ、とりあえずここは私が代わりますから、先輩は班員のあの子たちを避難させてあげて下さい」
「は、はぁ……?」
「ほら、早く。あの子たちビビって腰抜かしちゃって動けないかもしれないんで。あなたが先導役として責任持って連れて行ってあげなきゃ」
「あ、あんたをここに一人で残していくなんて出来るわけ……!」
「いいから早く行け! このウスノロ!」バシンッ!!
「痛ぁ!?」
「あんたらがいたら邪魔で戦えん! 私を殺す気か」
「わ、分かったわよ!」


 背中を押し出すように叩けば、私が本気だと理解したのか、しぶしぶといった様子で先輩は引き下がった。……なんだ。私てっきり、あなた方上級生達にも嫌われてると思っていたのに。あ、お前が来てくれたんだラッキー! あとはよろしく! ってなるかと思ったのに。私の身を案じるような素振りを見せてくれたことが少し意外で、くすぐったい気持ちになる。……尚更、そんな彼女をこれ以上危険に晒したくはない。怪我はしてなくとも、露骨に動揺して怯えているのが見え見えだ。半ば強制的に先輩を追い出すことへ成功し、これでようやく集中して巨大虚コイツと向き合える――と、斬魄刀を引き抜いて構えをとった。


 ――グォォオオォ!!

「……にしてもでかいな。巨大虚ってこんなに大きいのか」


 普段対峙する虚と違って、大きさが何もかも規格外だ。罪を洗い流す為に斬らねばならない仮面も半端じゃなく大きい。生半可な太刀筋じゃ傷も付けられないだろう。……とりあえず、距離を取って様子見だ。胴体の割には細長い腕から伸びる鋭利な爪、あれが一番の凶器だ。あんなのを振り回されたらひとたまりも無い。相手のリーチが届かない場所まで素早く引き下がった。
 夜風がひやりと頬を撫で、月を覆い隠す雲が再び濃い暗闇を連れてくる。……仮面の奥から覗く不気味な目が、ギョロリとこちらを捉えた。


「(……来る!)」

 ――ビュンッ!


 こちらに向かって伸びてくる凶悪な爪をひらりと飛び退いて回避する。すると、もう片方の腕が素早く振り上げられ今度は反対側から、同じく鋭い攻撃が向かってくる。上空へ飛び上がって回避すれば、先程いた場所は衝撃音と共に深く地面がえぐれていた。……うひょー、あんなの当たったら即死だ即死! 腕を振りかぶる動作が見えたらきちんと用心した方がいいな。
 頭の中で冷静に処理しながら、まるで攻撃の後隙を煽るように巨大虚の仮面すれすれを通り過ぎる。暗がりに潜む目玉がギョロリと再び私を捉えるも、攻撃に転じる様は酷く鈍い。見立て通り、この巨躯ではさして素早い動きは出来ないらしい。まあ、大きいやつほど力がある代わりに鈍重なんてのはお決まりのパターンだ。


「(――って、決めつけるのはまだ早いっスよ、なんてよく叱られたっけな)」
「(他にどんな攻撃をしてくるか、もう少し様子見しよう)」


 ふと脳裏を過ぎるのは師の言葉。隙が見えた瞬間に攻撃したくなってしまう私の“癖”を、時期尚早だとよく叱られた。攻撃したいのは分かるけど、もう少し待たなきゃ。朝緋サンは我慢を覚えなきゃダメっスね、なーんてあの爽やかな顔でへらりと言うものだから、そんなの出来るなら最初からやってますけど! と不貞腐れたように言い返したのも覚えてる。ああ、なんか思い出したらちょっと恥ずかしいな。

 隙は見つけるものじゃあない、自分で作るものなんスよ、と。まだまだ未熟だったあの頃は理解出来なかった言葉の真意が――少しだけ成長した今なら分かる気がする。


 ――ギャオォオオ!!
 ――ガキンッ!

「そんなぬるい攻撃、私には当たらない……よっ!」


 攻撃を誘うようにあえて何もせずに待ち、痺れを切らした巨大虚が腕を振り上げる。凶悪な爪に引き裂かれないようにしっかり見て躱しては、側面や背面の死角に回り込んで、また攻撃を誘導する。その繰り返し。


『オマエ、サッキカラ、ニゲテバッカリ』
「だって当たったら痛そうだもん。怖いし。避けるでしょ」
『ニゲル、ヨワイ。ヨワイノニ、ナゼシナナイ?』
「馬鹿だな、弱いから逃げるんだよ。死にたくないもん」
『ヨク、ワカラナイ。サッサト、シネ!』


 分厚い雲が風に流れていき、再び偃月が顔を出す。スッと晒し出された異色肌の巨大な怪異は、澱んで濁ったような声で、しかし確かな殺意を私へと向けてくる。
 ――鈍重で愚鈍。しかし破壊力は侮れない。迫り来る凶爪がやけにゆっくりに見える中、柄を持つ手に力を込めて勢いよく斬魄刀を振り下ろした。


 ――ザシュッ!
 ――ギャォオオオオ!!

『イタイ! イタイ! ナニスル!』
「だって危ないんだもん。いつまでもそんなの振り回されたら何も出来ないよ」


 隙は自分で作るもの。――すなわち、冷静に攻撃する余裕を作ること。何度も敵の動きを見て、流れを読んで、確実なタイミングで仕留める。鋭い爪を有した巨大虚の右腕は綺麗に切断され、ドシンッと重たい音と共に地へ落ちる。
 あの爪さえなければ、簡単に仮面を斬れるはずだ。むしろ、油断せずにコイツを倒すにはそうするしかない。安直だけど一番確かな方法だと信じた私は、とりあえず腕ごと切り落としてみた。痛い痛いと巨躯を揺らして騒ぐ様子に、今のうちにもう一本も切り落としてしまおうかと――そう思って足に力を込めた時だった。


『イタイ、イタイ、イタイ! オマエ、ユルサナイ!』
「はいはい。今すぐ痛くなくしてあげるから、大人しく――」
『ゼッタイニ……』
『『ユルサナイ!』』
「!」


 巨大虚の恨み言と共に、膨大な霊圧が吹き荒れる。乱れる髪を手で押えながら、何事かと薄目を開けると……切り落とした腕がめりめりと嫌な音を立てて蠢き始め――


『『オマエ、ゼッタイ、コロス!』』
「うげぇ……まじか、そういう感じ?」


 地に落ちた“切り落とした腕だったもの”は、瞬く間に大きな塊へ膨れていき――今まさに対峙していた巨大虚と瓜二つの姿へと変わり果てた。……ふ、増えたー! なんかもう一体増えた! 切り落とした腕が巨大虚になっちゃったんですけど! ぞ、増殖とかズルくね……? しかも、分裂元である腕を失ったはずの巨大虚には、いつのまにかまた腕が生えている。……もしや超速再生? はは、勘弁してくださいよ。


『オレノカラダ、ナンドデモ、フエル』
『オマエ、モウ、ニゲラレナイ』
「……困ったなぁ。本気でやらないとダメなやつじゃん」


 右に一体、左に一体。その大きな体で私の視界を塞ぐようにして、二体の巨大虚が宵闇に浮かび上がる。……控えめに言って最悪の展開だ。こちらを見下ろす四つの目玉に、ひやりと冷たい汗が背筋を伝う。
 ……こういうのって、普通は本体を倒したら分裂した個体も消えるのが定石なんだろうけど……生憎、本体と分裂個体の差異が見つからない。すぐに見分けがつかなくなるだろう。ええい、面倒くさい上にややこしい……!
 こちらの動揺が悟られぬように、気迫だけはバシバシと出しながら柄を握りしめる両手からほんの少しだけ力を抜く。――とりあえず、落ち着こう。二体同時攻撃に備えて、予備動作を見逃さないのが最優先だな。スーハースーハー、深呼吸をしてカッと目を開く。


「……ただでかいだけのノロマが二匹になったって、私を捕まえられないことに変わりないでしょ」


 そうだ。スピードなら私の足の方が早い。つまりは凶爪が四つに増えたところで、さっきとやる事は変わらないということだ。爪を“切り落とす”以外の手段で封じて、仮面を斬る。その方法を……

(やってみるしかない、か)

 ――ギャオオォオオ!!

 二倍に増えた騒々しい咆哮と共に、迫る鋭い攻撃を一瞬の油断も隙も無く、確実に避けて躱す。そうすれば、鋭いが故にその爪先は大地に突き刺さり、僅かに隙が生まれる。ぐっ、と動きの止まった二体を目視で確認して、逃げる足は止めずに狙いだけを定めた。


「――雷鳴の馬車。糸車の間隙。光もて此を六に別つ」
「縛道の六十一、六杖光牢!」
『ナ、ナンダ、コレ! ウゴケナイ!』
「悪いけど、しばらくそこで大人しくしてて」


 片方だけでも動きを封じられればと思い、縛道を使おうと考えたが……詠唱する時間を作れるかどうかが勝負だった。死神見習いの私が放つ鬼道の威力はたかが知れている。完全詠唱が絶対条件の六杖光牢を詠唱しきれるか……という小さな賭けだったが、上手くいってよかった。ああ、今までの戦闘経験が役に立ってる気がする。とにかく忙しくて大変だった学生生活だけど、頑張ってきてよかったな。よし。今のうちに確実に一体倒してしまおう。


「……さて。それじゃあもう、鬼ごっこはおしまいにしようか」

 ――ザシュッ!
 ――ガキン!


 振り下ろした刃は硬い爪先に防がれ、容易に弾かれる。それでも、凶爪を切り落とすことが出来ない以上はなんとか突破するしかない。反撃に当たらないよう、斬撃を与えては予備動作を注視して、攻撃が来たらきちんと躱す。そして再び距離を詰め、斬りつける。それを繰り返した。
 ……ああ。そういえばいつだったか、自分が攻撃する事ばかり考えてちゃ、勝てるもんも勝てないとかって言われたっけな。どうしても、経験の浅さから視野が狭まってしまうのだ。こうして反撃を躱す以外にも、視野を広く持たねば……

(そうだ、もう一体の様子は――)


 ――グォオオォオオ!!

「――なっ、」
『コンナモノ、オレニハキカナイ!』


 目を向けたその瞬間。巨大虚を捉えていた六つの光の刃が、内側からの強い力に耐えきれずキラキラと弾けて霧散していった。ああ、やっぱり。私なんかの鬼道じゃ巨大虚相手には通用しないか。長くは持たないと思っていたけど……まさかこんな一瞬で壊されちゃうなんて。
 耳を劈く叫声が響き渡ると同時に、確かな殺意を纏った二つの凶爪が、私の体を貫かんと勢いよく伸びてくる。……あ、まずい、これは――



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