残り香を纏った君を抱く




「……はぁ。本当はもっと使いこなせるようになってから実戦に挑みたかったのに。……仕方ないなぁ」


 わざとらしくため息を漏らせば、代わりに澄んだ空気が肺いっぱいに広がった。そうして二、三度深く呼吸を繰り返せば、自然と強ばった肩の力がすぅっと抜けていく。そっと項を撫でるような夜気でさえ、まるで躊躇う私を後押ししているようだった。――目線の先にある刃はきらりと偃月えんげつを反射して、やる気と諦観の混ざった瞳が映り込む。

(……もう、準備運動は終わりだよ)


「……とか言って、本当は“いつでも戦える”ようにしておくつもりで鍛錬してたくせに」
「あー、うるさいうるさい」
「(否定はしないんだ……)」


 輪堂先生は笑っていた。敵の攻撃をギリギリのところでなんとか押し返して、こちらを向いて微笑んでいたのだ。……こんな危機的状況で面白いことなんて、何ひとつないのに。それがなんだかおかしくて、私もつい、釣られて口元が弧を描く。
 ――見上げるほど巨大な虚たちに囲まれた、小さな私たち。そのあまりにも頼りない姿が、月に照らされ大地へと鮮明に映し出されていた。


「そいつ、うっかり体の一部を切り落とすとそこから再生してこうなるんで、気をつけてくださいね。もう一体なんて増やさないでくださいよ」
「はいはい。ご忠告どうもね」
「適当だなぁ……」
「いやぁ、君なら二体が三体になったところで変わらないかなと思って」
「すごい。とても講師の発言とは思えない」
「あはは。やだなぁ、それだけ君の実力を信頼してるってことだよ」
「また適当なこと言ってる……」


 けれど。冷たい地面に映る私の影法師は、今にも大きな闇に飲み込まれてしまいそうなくらい、ちっぽけなものだけど。そんな私でも、この状況をひっくり返すことが出来る。絶体絶命のピンチでも、必ず悪役を倒すヒーローになれる。翡葉朝緋の魂から生み出された、最強で最高の相棒がいる限り――私は、決してひとりじゃないから。


「(さぁ、ここからは本番だよ)」


 煌めいて、揺らめいて。心の灯火を絶やさぬように。燃え続ける焔を、砕けぬ想いを、刃に変えて前へ進め。
 ――散りゆく火花は何度でも、私の心を強くする。


「――ともせ、翡芲ひばな


 一文字に構えた刀へ、小さな焔が灯る。その焔はきっさきへ向かって広がり、次第に浅打から姿を変えていった。
 ――刀身は、まっすぐと伸びたまま。柄も鍔も、特別なものではない。しかし、きっさきから柄のかしらまで、刀身全体は透き通るような白を帯びていた。角度を変える度に浮かび上がる輝きは、青や紫、緑など――まるで虹が溶け出したような淡い色彩が揺らいでいる。確かな色を持たぬ煌めきは何色とも呼べないけれど、それは、何色にもなれるということ。――心を映し、想いを力とする能力に相応しい姿だと……何度見ても、自然と口角が上がる。


「私が斬魄刀使って虚退治するなんて……ほんと、夢みたいだな」


 ふっと口元が緩んで笑みが漏れる。
 ――私の人生は、本当に大きく変わってしまったんだなぁ。……今更過ぎる実感を噛みしめながら、刃を振り上げた。



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