残り香を纏った君を抱く




「……どォーも。遅くなっちゃってスイマセン、輪堂サン。……朝緋サン」
「浦原、隊長……」


 崩れた瓦礫の中で手負いの彼に寄り添っていた彼女は、その瞳を大きくしてこちらを向いた。夜闇に溶け込んだ葡萄えび色の髪がはらりと流れて、随分髪が伸びたんだな、なんてどうだっていい事が頭をよぎる。ちらり、と横に座り込む彼を見れば、呆れた苦笑いを浮かべながら「随分遅かったじゃない、君たち」と苦言を呈されてしまう。
 「これでも最速で救援要請に応えるつもりで向かってきたんスけどね」と、本来そんなのが遅れた理由ではないことをお互いに知ってるくせに、あえて建前でそう答えれば「全く。君がもたもたしてるから僕の腕千切れちゃったじゃない」と更に文句が続いた。


「え、も、もしかして……この二人が尸魂界から来た援護、ってことですか?」
「どうやらそうみたいだね」
「せや! 朝緋のピンチや言うからめっちゃ急いで来たったのに、このハゲが――」
「いやァ、ボクらが来た時にはもう、手出し無用! みたいな空気だったもんで」
「あ? 何が『手出し無用』や! 朝緋の奴めっちゃ危ないところやったやんけ! ウチが助けようとしたんをオマエが――」
「……おや。どうやらまだ、終わってなかったみたいだね」
「「!」」
「残党のお出まし、ってところかな」


 彼の言葉に促されるように、全員が彼の視線の先を辿る。するとそこには、先程の巨大虚の仲間なのか――複数の虚が徒党を組んでこちらに向かってきていた。
 幸いにも、現れたのはただの雑魚のようで、大したことはない。「援護に来た」という役目を今度こそ果たす為にも、自分が相手をしよう。そう思って副官へと声をかける。


「それじゃ、残党狩りはボクたちが行きましょうか。ね、ひよ里サン」
「言われんでもそうするつもりや! いちいち命令すんなハゲ!」
「お二人はこの場待機で。念の為、朝緋サンは周囲の警戒だけしてしておいて下さい」
「浦原隊長。ちょっといいですか」
「? なんスか?」


 彼女に呼び止められて振り返れば、すっと伸びてくる両の手。……え? 咄嗟に身構えるも、伸びてくる両手は躊躇なくボクの頬を包み込み、ぐっと顔を引き寄せられる。――あまりにも唐突な彼女の行動に、決してほんの僅か頭の片隅に過ぎった行為には至るはずがないと分かっていても。柄にもなく動揺して、咄嗟に前へ出した手は空を切るばかりだった。


「うーわ、顔色わるっ! 隈がヒドい!」
「え、」
「うん、ダメダメ。はぁ……こっちは全っ然平気ですから、アレは私とひよ里さんに任せて浦原隊長は帰って下さい」
「は、はい?」
「あなたが忙しいことなんて私だって知ってますよ。どうせ、ずっと徹夜続きで作業してたんでしょ? やる事残してここに来てるんでしょうし、戻って続けて下さい。そんで出来たら早く寝て下さい」
「え、いや、」
「遠慮はいりません! 私、これでも多少は強くなりました。あんな雑魚にはもう負けませんから、安心して下さい」
「……」
「さ、帰った帰った! ひよ里さーん! この万年寝不足へにゃへにゃ隊長には帰ってもらうんで、私と一緒に雑魚狩り……じゃなかった、残党狩りしましょ〜!」
「お、ええで! どっちが多く倒せるか勝負やな!」
「ちょ、ま、待っ……朝緋サン!」


 そう言うや否や、その細い腕からは想像もつかない力強さで彼女はボクの両肩を掴み、ぐるりと体ごと反転させられる。そして、まるで念入りに帰宅を促すようにバシッと軽く背を叩かれ、慌てて振り返る頃にはもう、彼女へ伸ばした手は届きそうもなかった。……あれ。あれれ。


「……お払い箱にされちゃったね、君」
「……はは。ずるいなぁ」
「?」
「それはボクだけの役目だと思ってたんスけどね、」
「……」
「……いや。実はもうとっくに……ずっと前からそうだったんだろうなぁ」


 ――あの雨の日。立ち去る彼女の背に手を伸ばさないことを選んでから、今日まで一度も彼女には会っていなかった。何の連絡も交わすことなく、気が付けば一年と数ヶ月が経っていた。あの日、ボクと彼女の間に確かに生まれた深い溝は、再び顔を合わせることを躊躇わせるには十分だったのだ。……十分だった、はずなのに。その間、彼女は歩みを止める事なく前へと進み続けていたのだろう。ボクの体を難なく動かせてしまう膂力りょりょくと、霊術院の生徒らしからぬ力強い霊圧がそれを物語っている。――始解で戦う彼女の姿には、かつて道場で斬術稽古をしていたあの頃の面影はすっかり無くなっていた。それは、まるで……


「『想いを力として具現化する能力』……なんだってさ」
「はい?」
「気になってたんでしょ? あの子の始解の能力。……あの子を助けようとする副官さんの襟首掴んで引き止めてまで、ずっと戦ってるところ見てたもんね」
「ありゃ、そこまでバレてたんスかぁ? 相変わらず目敏いっスねぇ、アナタは」
「……全く。援護に来たのに手出しせずに見守るなんてどうかしてるよ。……まぁ、あんな戦い方見せられたら気になっちゃう気持ちも分かるけど」
「ちょっと、ボクが手を抜いたみたいな言い方しないで下さいよォ。観察ですって、観察」
「……“翡葉さんの始解の観察”、ね。……で、見てるだけで分かったの?」
「――心に抱いた想いを、霊圧や身体能力として具現化出来る、って感じっスかね」
「おお、流石。まぁ、僕もあの子から聞いた話でしかよく知らないんだけど……いやぁ、大した能力だよねぇ」
「そうっスねぇ」
「ほら、見てよ。虚と戦ってる翡葉さんの顔。すごい生き生きしてる」
「……ホントだ。眩しいくらいに輝いてますね」


 彼の指さす方へ視線を向ければ、そこにはひよ里サンと一緒に虚と戦っている彼女の姿が。倒した数で競い合っているのか、曲がりなりにも戦場に立っているはずなのに――始解した斬魄刀を手に難なく虚を倒す彼女の姿は、とてもキラキラと輝いて生き生きとしていた。自信に満ちた笑みを浮かべて、それでも真剣に敵と向かい合って。その姿はもう、立派な「死神」そのものだ。


「若い子の成長って著しいよねぇ」
「……?」
「あっという間に手の届かないところまで行っちゃうんだもん」
「……」
「教えてる身からすれば、その姿はすごく誇らしくて嬉しいんだけど……時々、目を瞑りたくなるほど眩しく感じて、寂しくも思うんだよね」
「……」
「……」
「……そう思ってるんスか?」
「え?」
「……朝緋サンのこと、『手が届かないところまで行ってしまった』って……そう、思ってるんスか?」
「……君は違うの?」


 『君は、成長したあの子が遠く感じて寂しくないの?』

 ――彼は、ボクが自分と同じ気持ちを抱いてるはずだと同情してくれたのだろう。彼女を死神にするべく手を差し伸べ、最初に手網を引いたボクと、ボクから手網を引き継いであそこまで戦えるように育てた彼。同じ「翡葉朝緋を育てた」立場の者同士、彼女の急成長は嬉しく思うと同時に寂しくもあるだろうと。彼女と会ったのが一年と数ヶ月ぶりならば尚のことだと、同情してくれようとしたのかもしれない。
 ……いや。本当は、もっと昔から……きっと、二人で線香花火をしたあの夜から。他でもないボク自身が、朝緋サンとの間に一線を引いてしまっていた。――そんな可能性から、ずっと目を逸らしてきたんじゃないだろうか。それを薄々感じていながら、無視をし続けてきたから。結果的に今こうして、彼に同情されているんじゃないだろうか。
 けれど。もう一度彼の問いを自分に投げかけても、込み上げてくるのは釈然とした笑いだった。くつくつと、思わず喉を鳴らしそうになる。ふ、はは、あはは。そうだ。そんなわけない。この胸に与えられたこの感情は、寂寥せきりょう感でも焦燥感でもなんでもない。そんなものじゃあない。考えれば考えるほど胸をすく笑いが込み上げてきて、とうとう堪えきれなかった笑いがふっと漏れた。


「こっちは全っ然平気ですから、アレは私とひよ里さんに任せて浦原隊長は帰って下さい」
「遠慮はいりません! 私、これでも多少は強くなりました。あんな雑魚にはもう負けませんから、安心して下さい」
「『想いを力として具現化する能力』……なんだってさ」



「ボクは思わないっスね」
「……どうして?」
「変わってないっスもん、何も」
「――……」
「朝緋サンは、何も変わってなんかない」


 ――浦原喜助はそう言って、静かに笑みを浮かべた。



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