優美な指先としたたかな口許




 窓から差し込む朝焼けが、私物のほとんどが無くなった室内をゆっくりと照らしていく。夜明けの静寂に包まれた室内には、こつこつと硬いものが当たるような小さな音だけが響いていた。


「……ふぅ。これでいいかな」


 役目を終えた万年筆を机に置き、うんと伸びをする。ついでに欠伸をひとつ、慣れない作業で獲得した疲労ごと大きく息を吐いた。


「……手紙なんて何年ぶりに書いただろ。取引先に送る謝罪メールよりも緊張したわ」


 書き上げた手紙たちを、忘れないうちに鞄へそっとしまい込む。分厚く膨らんだ鞄の厚みが、私が朝から慣れないことへ取り組んだ努力の証だ。小さな達成感が緊張と疲労を塗り替えていくのを感じながら、ふぅと肩から力を抜いた。
 いつぞやに買った白い便箋はやっと出番を迎え、一枚も余すなく役目を終えている。きっとあの時、彼らに宛てた手紙を書こうと便箋を買っていなかったら――私が今朝、手紙を書くことはなかっただろうけど。


「もうこんな時間か。準備しないと」


 衣紋掛けに干してある制服手に取り、袖を通す。小さな汚れやほつれを抱えてすっかりクタクタになったそれは、私のこの二年の歴史そのもの。初めてこれを着て歩いた時は、あんなにも「早く卒業して技術開発局に戻りたい」と思っていたのに――もう、この制服に袖を通すのも今日で最後だと思うと、胸がチクリとするようなもの寂しさが広がった。


「――いってきます!」


 文机の上に飾られた写真立てへ向かって、今日も声をかける。この部屋ももう引き払わないといけないのに、あの写真だけはどうしても手元に置いておきたかった。この習慣をまだ、手放したくなかったから。

 三月中旬。今日は真央霊術院の卒業式だ。
 ――桜はまだ、咲き始めたばかり。



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