優美な指先としたたかな口許
「あ、いたいた。おーい、翡葉さーん!」
「あれ、輪堂先生……って、うお、なんですかその荷物」
「卒業おめでとう! はいこれ、みんなからの餞別」
堅苦しい式典を無事に終え、中庭でぽつんと佇んでいたところへ聞き慣れた声が私を呼ぶ。振り返れば、普段よりも身だしなみの整った姿をしている輪堂先生が、両手いっぱいの荷物を抱えていた。
「え、いや、ちょ……お、多いな」
「んでこれは僕からの卒業祝いね」ドサッ
「ぐ、お、重……! なに入ってんだコレ……!」
「君の成績に関する全ての評価書類と、あとおすすめの恋愛小説を何冊か入れといたよ。恋の病で苦しくなったらぜひ読んでみて」
「すごい、どっちもいらない! 全然いらない!」
両手いっぱいに受け取った荷物のさらに上へ、大きな包みがドン! と乗っかる。ちょっと待ってくれ、なんだこの大荷物は。多すぎて前が見えないんですが。百歩譲って、みんなからの餞別はありがたく受け取るけど、成績表とか小説とか絶対いらないだろ。明確に「いらない」という意志を伝えるためにブンブンと首を横に振るも、輪堂先生はまったく聞く耳を持たない素振りをしている。それどころか、返品は受け付けないとでも言いたげに両手を広げて肩を竦めていた。
「何言ってるの、他者の評価や価値観を知ることは勉強にも恋愛にも必要なことだよ?」
「それはそうかもしれませんが、少なくとも私には必要ないですね。特に恋愛小説」
「あ。もちろん、用意した作品は全部ハッピーエンドだから、そこは安心して」
「いやいやバッドエンドこそ恋愛を学ぶなら必要なことでしょうよ」
「ええ? そう?」
「この世全ての恋が叶うなんて幻想です。まやかしです。怪奇現象みたいなもんです。現実見て下さい」
「卑屈だなぁ、相変わらず。別にいいじゃない、物語の中くらい幻想を見たって」
「いいえ、よくないです。そうやってみんな恋愛を良いものだー幸せなものだーって美化しすぎなんですよ。大抵はフラれたり浮気されることの方が多いのに」
「……君は今までどんな恋愛をしてきたの? そっちの方が心配になってきたよ」
毎朝パンばかり食べていたら飽きるし、同じ色ばかり身に着けていたら他の色が似合うのかを試したくなる。悲しいかな、この世にはそうして浮気をしたり気持ちが冷めたりする恋愛がほとんどなのだ。きっと幸せの数よりも悲しみの方が多いんじゃないかと思う。幸せになれるよりも、苦しんで傷つく方が圧倒的だろう。……それなのにどうしてか、私たちは人を好きになってしまう。――懲りずに、叶いもしない恋を追いかけてしまうのだ。
「はぁ、別に幸せの形なんて人それぞれなんですからいいじゃないですか。愛した相手と一緒に生きていくことはそりゃ素敵なことですけど、私は美味しいものたくさん食べて好きなだけ遊んで生きる人生でも十分幸せですよ」
「……愛した相手に愛される可能性だってゼロじゃないと思うけど」
「はっ、ないない。この世に私を愛する男がいるなんて微塵も思ってないので。ありえん話ですよ、はっはっは」
「……」
私は別に、浦原喜助に愛されたくて愛してるわけじゃない。……いや、嘘。本当はちょっとだけそう思ってる。でも、選ばれないと分かっていて勝手に好きになったのは私だから。それでもいいからあの人を愛し貫いてみたいと、勝手に決めたのも私。こんな一方通行の愛でも、私にとってはこれが幸せなのだ。このままちょっと頼れる部下くらいの立ち位置で、原作通りに進む未来を見届けられれば。美味しいものをたくさん食べて好きなだけ遊んで、最期まであの人を愛し続て死んでも「幸せだった」と言える。それが私の幸せの形で――そんな私を好きになるような男はこの世に存在しないだろう。もし現れたとしたら、それは新種の生物として技術開発局で生態を調べるべきだ。
「――それに。たとえ愛した相手に愛されたって、共に生きていけるとは限らないんですよ。少なくとも私は死神だからいつ死ぬか分からないし。恋人や伴侶と死別するなんて、この世界じゃよくあることでしょう」
「…………そうだね」
「だから、恋は叶うことだけが幸せじゃないし、それが答えじゃない。バッドエンドを迎えたとしても、必ずしも不幸とイコールでは繋がらない。死別したって、あの世でまた再会出来ればハッピーエンドだ」
「そうだね」
「って、ここがあの世だから私は死んだらもうおしまいなんですけど」
「そうだね」
「……」
「……うん。死別はバッドエンドじゃない。僕もそうだったらいいなって思うよ」
「……」
「でもさ。愛した人と共に生きていけることが一番の幸せであることに変わりないと思わない?」
「……そりゃあ、誰だってそうでしょう」
「うん。だから、やっぱり物語の中でくらい幸せな方がいいよ。現実が報われない方が多いって言うなら、そんなバッドエンドなんて忘れちゃうくらい、とびきり幸せなハッピーエンドを見たっていいじゃない」
「……」
「大丈夫。結構色んな種類の小説選んどいたから。ひとつくらいは気に入ってくれると思うよ」
「……続きが気になって寝不足になったらあなたのせいにしますからね」
「えー、それはどうなの?」
恋が叶うことはほとんど無い。叶ったとしても、必ずしも幸せで居続けられるとは限らない。だからこそ、愛した相手と共に生きていけることが一番の幸せであるべきなのだろう。でも、人の幸せの形は千差万別、星の数ほど存在するから。恋が叶わなくとも、愛しい人と死別を迎えても。それは決して不幸じゃない。それでも幸せに生きていくことは、きっと――不可能じゃない、はずだ。
「……そういえば。もう右腕は平気なんですか?」
「ああ、うん。もうすっかりばっちり、完璧に元通りさ。いやぁ、相変わらず彼は仕事が早いし腕もいいよねぇ」
「まさか輪堂先生が浦原隊長のお客さんだったとはなぁ」
「フフ。意外だった? 彼には技術開発局が出来る前からお世話になってたんだ」
「……手袋。もうしてないんですね。正装してるからですか?」
「ううん、辞めたよ。義手を隠す必要も……もうないかな、って」
「ふぅ〜ん……?」
「翡葉さんのおかげだよ」
「え?」
「君があの時叱ってくれたでしょ? 『義手も輪堂先生の一部なんだから』って。それを聞いてちょっと考えを改めたというか、吹っ切れたというか……」
「……?」
「この腕が嫌いだったんだ。あんなことが起きなければっていう後悔が、どうしてもこの腕を見ると思い出しちゃってさ。だから……自分にも見えないように隠してたんだけど」
「……」
「でも君が、まるで本物の腕が切れたみたいに心配してくれて、すごい剣幕で義手でも大切にしろって叱ってくれたから。ありのままの自分に劣等感を抱くのを辞めようと思って」
「いや、なんか……あの時はつい衝動で余計なこと言ってしまったなって……すいませんでした。何も知らないのに生意気でしたよね」
「そんなことないよ。まあ確かにいろんな意味で衝撃的だったけど……僕は間違いなく、あの時あの言葉に救われた」
「……」
「ありがとう、翡葉さん。君に出会えてよかった」
「!」
「十二番隊でも元気で頑張ってね。僕もたまに義手のメンテナンスで技術開発局には行くからさ。その時はまた、恋愛小説の感想でも聞かせてよ。楽しみにしてる」
「そ、んな……お、お礼を言うのはわたしの、方で……!」
『出会えてよかった』
この世界に来て、おそらくは初めて向けられたその言葉。私は部外者だからと、必死に自分をのけ者扱いをしなければ自分の存在を肯定出来ず、息をすることすら苦しかったこの二年半。ずっと、この世界になんて来るべきじゃなかったんだろうと思い続けていた私に……突然届いたその言葉は、意地を張る隙もくれなくて。彼の純粋な気持ちは真っ直ぐと私の心に刺さった。目元がじんわり熱くなって、視界はすでに滲んで揺れている。ああ、私ってこんなに涙脆かったっけ。けれど、両手が塞がっているから私はそれをどうすることも出来なくて。「ありがとう、ございます。二年間、お世話になりました」と、震える声で呟いて、俯く事しか出来なかった。
「……もう。僕が泣かせたみたいになるじゃない」
「や、こ、これはその……ええと、に、荷物が重くて腕が痛く、って……!」
「はいはい。もうそんなとこで意地張っても遅いから」
「いや、だからこれは――」
「あ、そういえば。僕の机に手紙残してくれてたよね? ありがとう、あとでじっくり読ませてもらうね」
「へ、あ、ああ。はい。すいません、直接渡したかったんですけど輪堂先生になかなか会えなくて……」
「ごめんごめん、式典の準備でバタバタしててさ。――あ」
「?」
「ちょいと失礼」
「んえ、ちょ、」
そういうや否や、私の目元に何かが触れる。目尻に溜まった涙が拭われて、視界がクリアになって目の前を見ると――どうやら輪堂先生が涙を拭ってくれたようだった。それもご丁寧に、懐から取り出した質の良さそうなハンカチで。
「――ほら、君のお迎えが来たよ。そんな顔してないで、笑って笑って!」
「え? 迎え?」
「……やっぱり。『仲良くしたい』が答えなんだろうなぁ。まぁ、そうすると思ったけど」
「はい?」
「ううん、コッチの話。――さぁ、行っておいで。彼、待ってるみたいだから」
輪堂先生に促されるようにして振り返れば――式典の参加を終えた十二番隊の二人が中庭の先の方に立っているのが見えた。
「卒業おめでとう、翡葉さん。二年間本当にお疲れ様。……じゃ、元気でね」
「っ、はい! 輪堂先生が担任で良かったです! 先生もお元気で!」
――
輪堂飛燕。原作には出てこなかったのが不思議なくらい、魅力的で素敵な人だった。私は間違いなく、彼と出会ったから今日この場にいられるのだろう。……出会えて良かった、とは私の意地っ張りが邪魔をして言えなかったけど。でもきっと、彼にはまたすぐに会える。これが永遠の別れではない。そんな気がするのだ。その言葉はまだ、きっと、言わなくてもいいはず。――だから、代わりに。数歩進んだ後に立ち止まって振り返り、柔らかい笑みを浮かべて見送ってくれている彼に向かって目一杯息を吸い込んで、叫んだ。
「ありがとうございました!! またどこかで!!」
***
「……声デッカ。耳がキーンってなったわ」
「ひよ里サンも大概じゃないっスか?」
「あ?? なんや??」
「いやぁ、だっていっつも大声出してるじゃないっスか。あれ、寝不足の頭に響くんで控えてほしいなってちょうど思ってたところだったんスよねぇ」
「うっさいわハゲ!! オマエがウチをイラつかせとるからやろ!!」ドスッ
「痛い!!」
「……ちょっと。なに喧嘩してるんですかこんなところで。無駄に注目浴びるから辞めて下さいよ」
「オマエもいちいち小言が多いねん! オマエも!」バシッ
「あ……っぶないなぁ! 私いま両手塞がってて動けないんですから巻き込まないで下さいよ!」
大荷物を抱えたまま二人の元へ近づけば、何やら言い合いをしている様子。この二人、隊長と副隊長が喧嘩をしているのは普通に目立つというのが分からないんだろうか? ああもう、いろんな人がジロジロとこっち見ちゃってるよ。言わんこっちゃない。
「別れの挨拶はもうええんか?」
「はい。大丈夫ですよ。私に何か用でした?」
「……オマエ、これから世話んなる隊長と副隊長になんも言わんと帰るつもりやったんか?」
「え。い、いやぁ? そ、そんなわけないじゃないですかぁ。ちょうど探しに行こうと思ってたところだったんですよ」
「そないな大荷物抱えたままどないして探すつもりやねん。アホか。前見えてないやんけ」
「そうなんですよ。ひよ里さん、これ私の部屋まで運ぶの手伝ってくれません?」
「嫌や」
「え〜。そんな即答しなくても……」
「そうっスよ、ひよ里サン。ヒドいっス」
「嫌なモンは嫌や。かったるい」
「かったるいって……ひどいなぁひよ里さん。私がこんなに困ってるのに。ねぇ、浦原隊長?」
「ええ。ひよ里サンは薄情っスね」
「ああ? ほならオマエが荷運びやったらええやんけ。ホラ」ドサッ
「わ、ちょ、!」
機嫌の悪そうな表情から一変。ひよ里さんは急にしたり顔を浮かべたかと思いきや、私の両手の中にあった荷物をふんだくって彼に向かって勢いよく投げつけた。ええ!? ちょ、勝手に何してんのー!? と、驚く間もなく。突然投げつけられた荷物を彼が器用にキャッチして、今度は彼の両腕の中に荷物の山が出来ていた。……ええ? なにこれ?
「よっしゃ、これで解決やな。ついでに朝緋に渡すモンも喜助が渡しとき」
「ええ……?」
「ほな、ウチは先帰るわ。朝緋、またなー!」
「え、ええ……?」
「……」
「……」
「……ホントに行っちゃいましたね、ひよ里サン」
「なんて横暴な……ていうか浦原隊長もなんですんなり受け取っちゃってるんですか。そんなんだからいつもひよ里さんに都合よく使われちゃうんですよ」
「いやァ、ああいう時のひよ里さんには逆らわない方がいいって、ボクなりに学習してるというかなんというか……」
「(それはたしかにそうだな……)」
心なしか、遠ざかるひよ里さんの背がウキウキしていて楽しそうで。わざと置いて行かれたことに気が付く頃にはもう、二人して顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。……うおお、すんげー気まずい。
「……コレ、朝緋サンの部屋まで持って行けばいいんスよね?」
「はい。あ、でも女子寮は男子禁制なので……近くまでで平気ですよ。なんかすいません」
「分かりました。じゃあ、行きましょうか」
――カラン、コロン。
中庭の喧騒に混じって響く軽やかな足音が、やけに耳にこびりついて離れなかった。
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