視線


車特有の匂いと男の香水に包まれる中、窓の風景を見つめていた。風景が変わりゆき、隣の車線に止まっているナンバープレートを無意識に眺めていると運転席から視線を感じ、視線の主に目線を合わせると無表情かつ無言で尾形がこちらを見ている。今回、尾形と行動を一緒にしているのは「ドライブに行かねえか」の誘いが来たため。その日は休みでなんの予定も入っていなかったため誘いに乗ったのだが、話すことも無く無言で車を走らせるだけ、家でスマホを扱った方が有意義な時間を過ごせるのでは無いかと男の目を見つめ、前から疑問に思うことを口に出していた。

「ねえ、あんたどこを見ているの」

目の前の男に問う。いつも暗闇に堕ちた瞳をこちらに向けて何かを観察しているように見える男。尾形は一体何を見ているのかこちらも検討は出来なかった。ただ一つ言えるのは私を見ていないという事だけ、今ではない何かを見ているようにしか思えなかったのだ。

「おかしな事を言う。目の前を見ているだけだ」

右腕でハンドルを動かしセンスのいい時計を光らせ左腕を動かし前髪を撫で上げて笑いながら言う彼に「でも私は見ていないよね」と口に出してしまっていた。驚いたのか私を『見た』。

「これは驚いた。気付いてたのか」

「…気付きたくはなかったけどね。いつも私を見ているのに尾形何処か遠くを見ているような気がしてならなかったから」

「ははっ、そうかい。ならお前は俺のことをずっと『見ていた』のか」

してやったりの顔を浮かべ愉快そうに笑う。

この男は何時もそうなのだろか、女が出来たと私に言った時も何も見ていないまま報告してきた。私に連絡することが一種の役割だと言うように、なんの感情もなく言い放って来たかと思えば、次は別れたと紅葉模様が出来ている頬を見せて、また無表情で言い放ってきた。それがとても気持ち悪かった。非の表情も浮かばないまま、痛みに抑える苦痛の表情でもなく無表情だったから

しかし今は違う、本当にとても楽しそうな顔を浮かべて私を見て笑っている。少しほっとした。感情を剥き出しにして笑う彼を見てそう思う。ただ、この笑いが人を馬鹿にする笑いだとしても友人として、一人の人間として安心したのだ。

彼を見て思いを馳せると「なあ」と声を掛けてきた。声を掛けてくるなんて今日は珍しい日だなと思い、明日は大雨でも降るのではないかと身を構えながら「何?」と聞いた。にこりと笑い。

「酒飲みに行こうぜ」

と誘う。その笑みに不安が走る。昔イチャモンをつけに来たおっさんの顎をハサミで切る前の顔を浮かべて前を見据えていたから

「いや、今日は給料日前だし、財布が」

「俺が奢る。俺を見てくれた友人とご親睦を深める為に飲みに行きてえんだ。俺の誘い断らねえよな」

意見はイエスかはいの2つしか受け付けないと言う無言の圧力により渋々「行くよ、行けばいいんでしょ!」と答えていた。その答えを聞く前に彼は車をコンビニの駐車場へ止めて、今から飲みに行く店に電話を掛けており、うるせえと目をこちらにやった。断っても無理やり連れていく感じだったのか…と空を見つめて、何とか感情を抑える。それが理不尽な行動だとしても言っても無駄な人に自分の意見を押し付ける、そんな無駄な行動をしたくないし、尾形は誰の指図も受けない野良猫のような男なのだから普通の人ではないと何とか納得させると電話が終えたのかまた車を走らせた





彼の行きつけのお店は喧騒がざわめく空間が嫌なのか、小部屋予約ができる居酒屋であった。店主と顔馴染みらしく、いつでも席が取れると前飲んだ時に言っていたのを覚えている。オレンジ色の間接照明が小部屋の中を照らしだし温かな演出を醸し出しており、私はその中でメニュー表を眺めていた。まあメニューは決まっているのだが最初はビールで喉を慣らし次に好きなお酒を飲むと言う悲しい社会人の習慣が身に付いていたのでそれにする事にする

「尾形は何頼むの」

頬杖を付きながらずっと私を眺めている彼に言葉を掛けると

「お前と一緒の物がいい」

「車は?」

「運転代行サービスを使うから問題はない」

と言ったので店員がお通しを運びに来た時にビール2杯と焼き鳥セットを頼む。その間も私を見ていた。店員が去っていってもずっと視線を私から離さないまま、捕食者が捕食する相手を狙っているかのような錯覚を覚える。居心地の悪さにスマホへ逃げてみるが捉えられたまま。もしかしたらさっきの言葉の腹いせだろうかと尾形を見た。

「…なんかごめん、もしかしてさっきの嫌だった?」

目線を合わせ言うと

「いやお前アホか。ここまでしても分からないとは鈍感を通り越してただのアホだ」

はぁーと溜息をつきテーブルを指でとんとんと叩き鼻で笑う。

「アホと言われても…言葉で言われないと分からないから」

心配して損をしたと言葉を聞いてそう思った。なんだこの空気。尾形が纏う空気がピリッとイラついている。店員がビールを持ってきてその空気は無くなったが店員が居なくなるとその空気を纏う。その場しのぎにビールを仰ぎ飲みお通しを食べる。今日のお通しはナスの煮びたしであり、口に入れるとナス特有の味に鰹だしが上手く絡み合い絶品だ。またビールを一口飲もうとするとビールを取り上げられてごきゅごきゅと尾形が一気飲みをする。

「私のビール!」

「俺を無視して旨そうに飲んでいるからだ」

「無視はしていない!あぁ、私のビールが…」

空になったジョッキを見て溜息をつき、尾形のビールを見るとまた少ししか減っていない。それを取り尾形と同じ事をやり返そうとするが手を掴まれ阻止をされる。

「自分のビールは守るってわ…っ」

ビールから尾形に目を移すと息を呑んだ。目がギラギラしており、手を強く握られていてこのままパクリと食べられるかのような気がした。

「お前が俺の事をさっき言った時、どんな気持ちだったか言ってやろうか」

「い、いい」

「言葉に出さなければ分からないんだろ?遠慮せずに聞けよ」

手を引かれ身体が前のめりになる。それを狙ったのか尾形も前のめりになり私の耳に口をやると「お前がやっと俺を『見て』くれたんだってゾクゾクしたよ」と囁いていた。




「失礼します…焼き鳥セットお持ちしました」

前のめりになり赤面している女と無表情でビールを飲む男。不思議な光景に首を傾げながらテーブルの上へ置き「ご注文は以上で宜しかったでしょうか?」と聞くとなんの反応もなく女も何故か固まったまま。それでは失礼しますと席を立ち、さっきのお客様は変な人達だったなと思いながら接客に追われた