映画
尾形百之助というと男は自尊心が無かった。環境の問題だろうか?それとも尾形という男の問題だろうか?それは本人さえも分からないまま年月が過ぎていった。尾形がそれに気付いたのは大学生になった頃。今まで人に興味を持てないまま引かれたレールの上に乗せられていく毎日だったはずなのに…何故か一人の異性を意識してしまっていた。遅すぎる恋愛、恋、愛、それが何か考えたことは無かった。だからだろうか彼女の近くに居れるだけで充分だと思えるようになってしまったのは。自分から彼女に与えられる気持ちなど与えようとしても何を伝えればいいか分からない。反対に彼女に与えられるのは金と物だけそれを渡しても彼女は受け取らなかった。
「尾形、また来たの?」
「悪いかよ」
「ううん、何回も来るなら映研に入ればいいのになあって」
「それには興味がないんでな」
お前しか興味が無い。そんな言葉さえ言えていれば、こんな場所にわざわざ足を運んだりはしないだろう。女の顔を見れば何事も無かったかのように「そっか」と答えて映画のパンフレットを眺める。映画研究会に所属している彼女は夏に上映される映画のパンフレットを見て何を観に行くか迷っているらしい。見ていて分かりやすい。
「そんなに悩むなら全部見に行ったらどうだ?」
「嫌だよそんなお金ないし」
「俺が払う」
「それが嫌だって言ってんの…尾形とはそんな関係でいたくないし」
俺の顔を見てそんな事を言ったかと思うと顔を逸らす。そんな関係でいたくない。ならどんな関係ならいいのだろうか。分からなかった。顔を逸らしているため表情が窺えない。俺はお前の近くに居られるだけで幸福なのだから、それぐらいどうってことは無いのに。
「じゃあ俺が勝手に決める」
「えっ、うわっ、ちょっと」
パンフレットを奪い取りタイトルや内容を確認して行くと機嫌の悪そうな顔で俺を見つめるがそれを無視して作業を進めた。
一つの映画が目に止まる。
ありふれた恋愛話のように見える。でも何故か手が目が離せなかった。それにこいつに恋愛映画を観ている所など一度も見た事がない。俺と観に行けば、こいつは俺に意識するのかもしれない。そんな邪な気持ちを持ちつつ伝えると一瞬困惑した表情を見せたが
「尾形がその映画を選ぶだなんて明日は大雨警報出るんじゃないかな」
とニヤニヤしながらロマンチストのロの字も見せない女。前言撤回、意識しない可能性が高いかもなと心の中で毒付いた。映画を観に行く約束を無理やり取り付けると「尾形って恋愛物好きなんだね分かったよ」とぐったりとした表情を見せて合意を示す。いやそうじゃない。そう伝えようとしたが白石と杉元がニヤニヤしながら、こちらを見ている。こいつらの前では言えねえ。モヤモヤとする気持ちをペットボトルのキャップに込めて野郎達に飛ばしておいた。
約束の日、ソワソワと馳せる心を抑えて指定された椅子に座る。隣に座る女の顔を横目で見ると気付いたのが「何?」と声を掛けられる。
「いや、なんでもねえ」
「変なの」
映画のスクリーンにCMが映し出されて本編が始まる。また横目で女の表情を見ると食い入るように見つめる視線。映画よりこちらを見つめた方が面白そうなのだが、映画を誘ったのは俺で映画の話が分かりませんとなると不自然すぎる。女の横顔を眺めるのを止めて映画のスクリーンをそれとなしに見つめた。
『都合のいい人間だと思われてもいい。わずかな時間でも近くに居られる理由がもらえるなら、それでいいと思っている』
何故かその台詞だけが頭に残った。切なげに見せた男女の表情にあいつはどんな顔をしてみているのだろうかと横を向くと、とても嫌そうな顔をしている。見なかったことにしてスクリーンに集中した。もう色々と台無しだ。
映画が終わりエンディングが流れ始めると劇場に光が灯されてザワザワと周囲から話し声が聞こえ始め席を立つものが増えていく中で声を掛けられる。
「尾形この後ご飯でも食べに行く?」
「…そうだな」
嫌そうな顔は何処へと消えたのか、通常の表情を見せ適当に店を見繕って中へ入ると映画が良かっただの、ヒロインが可愛いだの、俺に感想を話していく。もしかしたら、あの嫌そうな顔は気の所為だったのかもしれないと珈琲を口に含む。
「でもあの台詞は本当に嫌だったな…なんか尾形見ているみたいで悲しくなったから」
「がハッ、ゴホッーー、」
珈琲を喉に流し込む前に意味深な言葉をかけられて喉に詰まらせると「尾形?大丈夫…?」心配そうな顔をして俺を見る女。誰のせいだと思っている。なんとか息を整えらせて言葉の意味を考えても分からない。
「俺を見ると悲しくなるってなんだ」
聞くと顔を歪ませた。まずいって顔だな。
「いや気にしないで」
「気にするから言え」
俺が引く気がないと本能で悟ったのか、深呼吸をして口に水を含み口を動かした。
「…尾形ってよく物貢ぐじゃん、最近はしなくなったけど話す度になにか私に与えようとしていて、それがまるで俺は都合のいい人間だと思えと言われているようで嫌なんだよね。」
「なんで嫌なんだ?」
都合のいい人間の方が後が楽だろ。後腐れがない。恋とか愛とかそんなの関係なく、使われる人間と使う人間。わかりやすい構造じゃないかと口を噤む。
「尾形とはそういうのじゃなくて、ただ、ずっと一緒に居たいなって…」
コトンと氷が溶け始めてコップの中で音が弾けた。こいつ今なんて言った?ずっと一緒に居たいなと言ったよなと頭が混乱していく中、言ったことに気付いたのか「い、いや、やっぱりなし今のなし」と慌てふためく姿を見て本心だと気付き口が乾いていく。
「俺でいいのか?」
「ーーっ〜!…尾形がいいの」
顔を赤面させて俺を指さして伝えられた言葉に心が踊る。何とか落ち着かせるために前髪を撫で上げた。
「男を見る目ねえんじゃないのか」
「そうかな?結構見る目あるんだよ?」
してやったりの顔で俺に伝え微笑む女に対して胸の鼓動が止まることを知らない。この女は俺を殺す気なのだろうか。