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「お勤めご苦労さん」
終業時間が近付くころ、決まって白いクルマがやってきて、いつも同じ人が同じ言葉をかけていく。【受付終了】の出窓をこんこんと叩き、その人は待合室のソファへ座った。
いつも同じ行動。そうしてぼくも、いつも通りその人に擦り寄る。
「今日は忙しかったか?眠たそうな目をしてるぞ」
(それはぼくのかわいいチャームポイントだよリョウスケ)
「涼介ごめん、もう少し待てる?」
「ああ、いいよ。何なら手伝う」
「ありがと。でもちょっと込み入った手術だからご遠慮するわ。あとで話すね」
診察室の扉から手術着の彼女が顔を出した。終わったのかな…と思ったけれど、鼻につく独特のにおいと、血の気配で、まだ彼女に構ってもらえないと知る。それまでは仕様がないから、この人に撫でてもらうことにしよう。
「いい子ね、カイン。涼介ともうちょっと遊んでて」
(えー)
「そんな寂しそうな声出すなよ。さすがにオレも傷付くぞ」
鼻で声を鳴らして甘えてみるけど、手術が大変なのは知ってるから、ぼくはリョウスケと一緒に待つことにした。
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リョウスケは、ぼくのお姉ちゃんのコイビトだ。
お姉ちゃんが獣医師免許を取ったとき、初めてリョウスケを実家に連れてきた。リョウスケはお姉ちゃんと同じにおいがしたから、きっとビョウインの人なんだと思った。
『話には聞いてたけど、こんなに大きいんだな、ゴールデンレトリバーは』
『圧倒的な存在感よ。ふわふわでさらさらなのがまたかわいいの。カイン、姉ちゃんの彼氏の涼介だよ。仲良くしてね』
ぼくはリョウスケの掌を嗅いだ。お姉ちゃんと同じビョウインのにおいと、やさしい人のにおいがした。
(はじめまして。弟のカインといいます。お姉ちゃんをよろしくね)
この人なら大丈夫だと思ったから、ぼくは床につくくらい頭をぐっと下げて、リョウスケの掌に撫でられるのを待った。
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(リョウスケの手っておっきいからけっこうすきなんだよね〜…)
お姉ちゃんは北海道の大学を卒業して群馬に戻ってきてから、この動物病院の獣医さんとして働いている。院長先生はお姉ちゃんの先輩で、卒業したら来て欲しいって頼まれたんだって。そしたらお姉ちゃん、『カインをそばに置いてもいいのなら』って。以来ぼくはお姉ちゃんのそばで、この病院の待合室で、看板犬としての任務を遂行しているんだ。
「お前は相変わらずサラサラの毛並みだな。涼子の手入れの賜物か」
診療時間に待合室にいれば、毎日いろんな人がぼくを撫でてくれる。みんなやさしいけど、ぼくはリョウスケの撫で方がお姉ちゃんの次に好きだった。ソファに座るリョウスケの足にからだを凭れて、頭、頬、のど、背中と、おなか。気持ちよくてついつい甘えてしまうぼくを、リョウスケはいつもいっぱい撫でてくれるんだ。
「お待たせ、終わったよ」
「お疲れさん。大変そうだったな」
(お姉ちゃんお疲れさま!ぼくリョウスケといいこにまってたよ!)
「ああもうカインてば。ちょっと休ませて。ほら、ソファいこ」
診察室のドアが開いて、ぐったりと疲れたお姉ちゃんが出てきた。すぐ駆け寄って待ってましたと甘えようとしたけど、ぼくはそのままソファに寝転がったお姉ちゃんの顔をぺろぺろ舐めた。だって、とっても辛そうだったから。
「ん〜カイン。おいで、ぎゅーさせて」
「おい、オレを置いてまずカインか」
「だって涼介ぎゅーしても硬いじゃない…私は今ふわふわでもこもこでサラサラであったかくていい〜においのカインに癒されたいのよ〜…」
「はあ。ま、いいけど。このあとどうする。食事行くか」
「うん。FCいつものところに置いてっていいからね。着替えたらごはん行こ…」
ぼくがずっと待っていたお姉ちゃんの手はぼくにやさしく触ってくれるけど、どうにも少し元気がないみたいだった。疲れてるだけじゃないと思った。ぼくの直感、けっこう当たるんだよね。
「着替えてくるね。カイン、姉ちゃんのクルマで涼介と待ってて」
「ああその前に。忘れてるぞ」
「え、なに、名札でも落とした?」
「違う。コッチだ」
「……っぷ、なあに、涼介もぎゅー?」
「…悪いかよ。オレだっていい子で待ってたんだぜ?涼子先生」
「ん、ごめんね。待っててくれてありがと」
お姉ちゃんがぼくにしてくれるように、リョウスケはお姉ちゃんをまーるく包むようにぎゅーって抱き締めた。リョウスケはお姉ちゃんの首に鼻を埋めてすんすん嗅いでいた。ぼくみたいだなって思った。
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「ヘルニアが進行していたの」
涼子の愛車…フォレスターアウトバックに乗った二人と一匹は、ディナーも可能なドッグカフェに来ていた。カインを連れて出掛けるときの馴染みの場所である。テーブル脚にリードを引っ掛け、涼子の傍らでカインは恋人の時間を邪魔すまいと大人しく寛いでいた。
「小型犬?」
「ダックス。後ろ足が不全で、今までは前足と車椅子で歩いてたんだけど…」
「そうか」
「本"犬"はとっても元気なの。でも進行を投薬で食い止めるには限界があるわ。それだったら、って」
「切断したのか」
「ええ。ヘルニアのグレードレベルが上がる前に、前足で元気に走れるのならって、飼い主の希望よ」
いつまでも元気でいてほしいと思うことは、家族にとって当たり前の感情。命ある限り、本人に希望がある限り。
「涼子」
「ん?」
「もしお前がどこか不全になっても、オレが必ず助けるよ」
「そうね、私が不全になるってことは獣医師生命が絶たれるってことだもんね。そうなったら涼介に養ってもらおっかな?」
「いや寧ろそのつもりでいるんだけど」
「え?」
「ん?」
かちゃん、とカップがソーサーにぶつかるその音がやけに響いた。そのせいか、カインが寝姿から立ち上がり、きゅんきゅんと鼻を鳴らして涼子に擦り寄る。
「カイン、ど、どうしたの」
「っち、邪魔しやがって。空気読めよ、まったく」
まるで二人の会話を聞いていたようなズル賢さに涼介は舌を打つ。涼子のそばを片時も離れない"弟"はどことなく、『アニキ、アニキ』と甘える啓介のようだと、涼介はカインをやさしく撫でた。
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明くる日。
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