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たとえば、朝の占いで言っていたラッキーカラーが自分の好きな色だったり。
たとえば、通学中の秋風が心地良かったり。
たとえば、今日は苦手な教科がひとつもない日だったり。
ついてる、と思うことが朝から続くと、今日は良い日になりそうと誰だって思う。気になるあの子が自分に目線をくれたりしたらもう最高じゃないか。
「は?」
始業前、タブレットでネットニュースをチェックしていた手が止まった。頬杖ついていたもう片方の手に、変な汗が集まってくる。デマだと思いたい。しかしこの情報の発信源はFIA公式だ。モータースポーツにおいて、もっとも信頼できるアカウントだ。教室を飛び出して、両親、親戚中に問い質したい。無情にも始業ベルが鳴ったばかりだった。
早く家に帰りたいと思うときほど時間の流れは滞っている。コマの間の休み時間も昼休みも、友達からの話題も、ずっと上の空。各々に連絡をとってもコール音だけで繋がらないし、ショートメールも既読にならない。思いだけが逸る。
「烈、またレコード更新しただろ!すっげーなあ」
「いつのことだよそれ、最近やってないよ」
友達が聞いてきたグランツーリスモのタイム。正直、プライベートが忙しくて家でゲームをする暇がない。時間があるならリアルに走り込みたい。もっともっと近づきたいから。父さんに、おじさんたちに。ああ、さっさと学校が終わればいい。良いことなんて、今日はもうないんだから。
大急ぎで走って自宅へ向かう。これもひとつのトレーニングになろう、なんて悠長なことは考えられなかった。ただ、あたまの中に浮かぶ、のんびりとした声とやさしい笑顔に、泣きそうになっていたから。
「おじさん、たくみ、おじさん…!」
大好きな藤原のおじの、レース中の大事故。最悪な状況でなければいい、大丈夫、優秀なおじたちがいるんだ、きっと大丈夫…。自分で自分を抑えることに耐えられなくて、家に着くころには泣いていた。
「父さん、母さん!拓海おじさんが!!」
ガレージに両親の車がふたつ並んでいたのを見るや、靴を揃えず玄関を走り抜けリビングを開けた。ソファに座り手で顔を覆う母の肩を抱く父の表情は厳しかった。
「母さん、」
「烈、おかえり。…知ったのか」
「ん…、朝に」
藤原拓海。血は繋がらなくとも大事な家族だ。若い頃の両親、とりわけ高橋の叔父らととても縁が強い。今自分が学生ながらモータースポーツの道へ進んでいることは、親戚、そして藤原のおじの力があってこそ。車の扱い方もさることながら、おじの人柄が大好きだ。あまりに自分が懐くから、父や高橋の叔父らが面白くない顔をするのは日常茶飯事だった。
「父さん。凛おじさんは、涼介おじさんは何か知ってるの?」
「…なに分、現場が欧州だからな。こちらに入ってくる情報は少ない。文太さんは既に現地へ向かったそうだ。今わかるのはこのくらいだ」
「… 烈、ちゃん。おかえりなさい」
「っ母さん、おれっ、おじさんが」
母が顔を上げた。ずっと泣いていたのだろう、目が赤く瞼も腫れて、弱々しさにこちらも涙が流れた。母はオレの手を取り、頬に寄せた。拓海くん、拓海くん、と、祈るように呟いていた。
「とにかく、オレたちがこうしていても仕方ないだろ。息はあると報じているんだ、それを信じて待つか、現地へ行くのか。あきら、お前はどうしたい」
父が母を包み込む。母は、呼吸を落ち着かせた。
「最、終戦が、あるわ。わたしにはわたしの、やることがある。烈ちゃんも、週末は大事なレースでしょう、だめよ、拓海くんのそばに、行きたいけど、やるべきことをしないと、笑われちゃう」
力強く鼓舞する父に対し、力なく笑う母が痛々しかった。そうだ。週末、クラスアップがかかったレースがある。オレを支えてくれる人たちのために走ることが、勝つことがオレのやるべきこと。
「母さん、オレ、拓海おじさんのために勝つよ。信じるよ、おじさんは大丈夫だよ」
それから、月日は流れ。
オレはトヨタ育成ドライバーになった。拓海おじさんがあのあとどうなったかは誰も知らずに、15年が経っていた。世の中には MFGと呼ばれる公道レースが流行りだし、今日も開催されている。次回参戦するスーパーフォーミュラのチームファクトリーに顔を出したとき、わいのわいのとクルーたちが騒いでいた中心のモニターから、大先輩の小柏カイさんの声が聞こえた。どうやらレース解説をしているらしい。懐かしい声だ、そういや久しく会ってないなあと思っていたときだった。
『藤原拓海ですって?!』
全身総毛立つ。カイさんからその名前が発せられ、クルーを掻き分けモニターの正面を奪った。赤の86が猛スピードのダウンヒルをしていた。
(見たことある。これ、このライン取り、ブレーキング、立ち上がり、)
涙が出てきた。
「たくみ、おじさん」
赤の86は、藤原のおじのように駆けていく。カイさんとメインキャスターの解説によれば、
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