言う葉は異なれど
制服に着替えて、今日は午後から任務があるから邪魔にならないようシンプルなピアスを付ける。部屋の片隅に置いてある全身鏡の前でくるりと一回り、にっこり笑顔を作って部屋から飛び出す。
教室に入って2人のクラスメイトに声をかける。さっき練習したにっこり笑顔を貼り付けて、今日も私は五条が好きだと後悔がないように伝えるのだ。五条もそうであれなんて考えは微塵もない、ただ、ただ好きだと伝えられれば。
「ふたりともおはよう。今朝も五条はかっこいいね〜大好きだよ」
「おはよう」
言うと夏油ら「今日は任務なんだね」と自分の耳を指差した。よく気づいてくれるねと頷くとにこやかな笑顔が帰ってきた。一方、五条は舌を出して今にも吐き出しそうな表情で手で私を払う仕草をする。
「ハイハイどーもご苦労さん」
そうして、五条は立ち上がり教室から出て行った。
「毎日毎日よく飽きないね、君も悟も。聞いてる私の身にもなってくれ」
自分の席に座り携帯を取り出した私を横目に夏油が言い、髪をほどいたかと思えば直すらしく再び髪を一つに束ねる。私は貸してと髪ゴムを手に取る。
「やったげる。飽きるっていうか伝えないで後悔したくないの」
大人しく髪ゴムを渡した夏油は座ったまま少し身を屈めた。さらりと癖のない髪が指をくすぐる。結び直したと同時に五条が戻ってきて私たちを一見すると乱雑にドアを閉めた。大きな音が教室中に広がり、ワンテンポ遅れて夜蛾先生が入ってくる。
「うわ〜ビッチかよ」
「おい、俺もいるんだから言葉を選べよ」
そう吐き捨てた五条は、夜蛾先生が窘めるのも無視してわざわざ私から離れた家入の席に座った。その言葉は違うでしょうと思うも五条がとても不機嫌なのは理解できて、何も言う事はしなかった。
「硝子は?」
「急患だって」
問い掛けに答えたのは夏油だった。
授業が始まっても五条の機嫌は燻っているのか直らずで午前も終盤、武器を用いての実技の最中、思い切り足を掬われた。ヤバイ、と思った次の瞬間には地面に倒れ太陽の陽を燦々と浴びていた。
「っい……まぶし……」
「弱ぇ〜今の反応出来ねえなら呪霊にも足元掬われんじゃん」
太陽を遮るように五条が私を覗き込む。さっきとは違い少し機嫌が直ったみたいで、私はへらりと笑った。五条の髪、すごいキラキラしてて綺麗だ。視界の隅っこで夏油が派手にやったなあとくすくす笑っている。
「この後任務なのに縁起の悪いこと言わないでよ…」
鞭の後のあまい飴みたいに、五条は私に手を伸ばすと優しく起こしてくれた。体についた泥を落とそうと手で払うと手首に違和感が駆ける。硝子もいないし、動かすと気に掛かる程度で任務に影響があるとは思えなかった。
「あっそ。精々死なねえように頑張ってネ」
「階級下だし平気だよ」
しかしそう言われると一抹の不安が湧いてくるもので。姿を見つければ即刻帰ってこれるような簡単な任務。
「……多分平気」
思わず付け加えると夏油がはあ…と深くため息をついて、私と五条を交互に見るとイタズラを思いついた子どものような楽しそうな笑みを浮かべた。
「悟がそんな事言うから自信無くしてるだろう?任務前に不安にさせられたんだ、帰ってきたら悟にアイスを奢ってもらうといいよ」
夏油の言葉につい頬が緩む。五条は嫌だって言うんだろうと想像していたのに、以外にも拒否の言葉は飛び出してこなかった。
「無傷で、な」
▽△
2時間前は無傷なんて楽勝だと思っていたが、そんなの無理だった。廃墟マンションの一室を走り続け息を整えることも赦されず、割れたガラスで何度も肌を引っ掛けた。
子どもほどの背丈の黒い影は手が異様に大きく、抱きしめるように両手を広げ執拗に追いかけてくる。本来なら走れる広さも無い2LDKの部屋はドアや窓を開く度にどこかにワープする。完全にランダムらしく呪霊の背後に繋がった時は死を覚悟した。
窓から見える景色は神々しい朝陽が昇ろうとしているけどそんなはずない。体感で30分程度だ。それでもひたすら追いかけてくる呪霊から逃げるのが精一杯で、私は窓から思い切り飛び降りた。帳が見えて私はここにひとりぼっちなのだと痛感する。
瞬間、目の前に現れた呪霊が、私をつよく抱きしめた。ひどく冷たい手と絞め付けるような痛みに息がヒュ、と詰まった。
「あ、やば」
ミチミチ、と骨が軋む音が伝わる。反撃しようにも腕を押さえつけられた体勢じゃ無理だ。死ぬ。こんな時に後悔したくないからと何度も伝えてるはずの想いが馬鹿正直に溢れてくるんだから、いくら伝えても足りないみたいだった。
「マ"…ァアパ、 マァ 」
濁った声が響く。
後頭部の辺りがきゅうと萎む感覚に襲われ、急速に黒く染まっていく視界の中心できらりと何か光った。刹那、私と呪霊は一緒に壁に叩きつけられた。力が緩んでも這い出ることすら出来ず、どこからか響く靴音と振動を感じるしかなかった。
「おいコラ!マジで死にかけてんじゃねーよ」
五条の声とともに、力の入らない体が持ち上がる。甘い苺の香りがふわりと香る。痛みを押し殺してぎゅうと抱きつくと「硝子んとこ着くまで死ぬなよ」と上の方でボソリと呟くのが聞こえた。
車に揺られる。
閉じた瞼の向こうでは暗くなったり時折激しい光を感じて、もう夜なのだと分かった。数十分、車から降ろされると抱えられ規則よく揺れる。なんとか目を開けるとそこは高専では無く、どこかの倉庫のようだった。
「どこ、」
絞り出した声に「硝子がいるとこ」と五条が答え、運転していた補助監督は硝子が現場に来るより途中で落ち合った方が処置が早く行える判断をした、と付け加えた。
「それ以上喋んなよ」
「…………あいすたべたかったな」
「次喋ったら一生奢んねえからな」
「ごじょ、好きだよ」
私を抱える五条の腕がピクリと反応するも、それ以上の言葉は返ってこなかった。命が揺らいだ瞬間に後悔する想いはどうしたら良いんだろう。報われなくていい。ちゃんと伝えることが大事だと思って居たのに、言葉にすることで求めて居たらしい。……私にも言って欲しかったな。
「派手にやったな、そこ置いて」
硝子の声が聞こえた後、私の意識はプツリと途切れた。次に目覚めたのは寮のベッドの上で、枕元にはジュースやらゼリーが置いてあり、ひとつにはバカって書いてある。甘そうだ。起き上がらせた体はもう痛くないけれど、戒めみたいに切り傷は残っていた。
いつも通り身支度を済ませて、私は教室に向かう。一呼吸置いて、ドアを開けると携帯をいじっていた五条が顔を上げた。
「おはよ〜この間は助けてくれてありがとね」
この後の台詞は飲み込んで五条の隣に座る。僅かの間を置いて隣から「おー」と返され、また沈黙が流れる。報告書を出して記入していると影が落ちた。
「なに?」
机の隣に立つ五条を見上げると端正な顔立ちは普段よりも毒気がないように思えた。
「今日はアレ言わねぇの?」
彼が示してる言葉は何かわかってる。私は死にかけてわかった。伝えても満足できないし、一層後悔する。視線を紙に戻して「うん」と答える。
「もう言わない」
「なんで。俺の目見て、いつもみたいに言えよ」
報告書をパッと取られる。顔を上げて五条を睨みつけると、彼もまた同じような表情をしていた。返してと立ち上がって手を伸ばすも、五条は手を頭上高く上げて見せる。背伸びをしても届きそうもない。
「ああもうデカイなあ!報告書返してっ!」
「なあ。死に掛けて心境変わったの?反応ねぇからって他に乗り換えようとでも思ってるとか」
「ハァ?私がどれだけ五条のこと……っいいから返して!」
「言ったら返してやるよ、ど?」
報告書をひらひらと踊らせて挑発じみたことを言ってくる五条に僅かながら苛立ちを覚えるけれど、私は唇を開く。もう五条が欲しくならないようにこれで最後。
「好き」
「ん、俺もオマエが好きだよ」
五条が言うと同時に顔に報告書が被せられる。待って今なんて言った?確認しようにも目の前は真っ白で五条の表情を見る事が出来ない。慌てて顔から退ける。
「いま……」
報告書ら退けたはずなのに再び目の前いっぱいに白が広がると、すこし冷たい感触と数日前に嗅いだ甘い香りが唇に残った。