ユノの食べ物の好き嫌いを聞いた放課後、フロイドは部活そっちのけで購買を訪れていた。



「Hey! いらっしゃい、小鬼ちゃん」



ちょうど他の生徒もおらず品出しをしていたサムが、フロイドにニコニコと声をかける。フロイドはよくミントキャンディーを買いに来るため、今日もそれだろうかと在庫を確認した。



「いつものミントキャンディーかい?」


「んー、それも欲しいけどぉ。ねぇ、ウミウマくん。チョコレートって何がある?」


「チョコレート?」



フロイドからの珍しいリクエストに、サムはパチクリと瞬いた。

何があるとはどういうことだ? 種類か? キャンディーのような噛み応えのあるチョコレートはあっただろうかと、在庫リストを眺める。



「小鬼ちゃんがチョコレートだなんて珍しいね」


「オレじゃなくてぇ、小エビちゃんにあげんの」


「小エビちゃん?」


「そ! オンボロ寮の女の子!」


「……ああ、あの子か」



フロイド特有のアダ名に誰のことだと記憶を辿っていると、彼の方から正解を教えられて納得した。

確かにユノは月に一度、個包装のチョコレートが纏めて入ったお徳用パックを購入していく。あまりにも安い上に、そこまで美味しいチョコレートではないのだが、口に含んで噛まずにじっくり溶かしている彼女の様子は、乏しい表情の中にも幸せが垣間見えた。

サムは一度だけ、新入荷した少しお高めのチョコレートを試食させたことがある。世間的にはこちらの方が人気があるし、口当たりも滑らかで美味しいと評判だ。
しかしユノは口の中で溶かして眉をしかめると、あろうことかあの激安チョコレートで口直しをしたのだ。チョコレートでチョコレートの口直しになるものかと苦笑したのは記憶に新しい。サムはそれ以来、安くても彼女好みのチョコレートなのだと理解し、この激安チョコレートを入荷していた。

オンボロ寮という名の通りのボロ屋敷に住んでいる彼女には、贅沢ができないのはサムも知っている。入学してから購買で異例のバイトとして雇ってはいるが、何しろ働ける時間も少ないため、本当にちょっとした小遣い稼ぎにしかなっていないだろうこともわかっている。チョコレートが彼女にとって唯一の贅沢品なのだということも。

そんな彼女のために、この気紛れな生徒代表フロイド・リーチは、チョコレートを買ってあげると言うのだ。サムは初めてフロイドに感動した。



「そうだねぇ。だったら、このチョコレートがオススメだよ」


「えぇ? うわっ、一袋90マドルとか、これ一番安いやつじゃん。もっと高くて美味しいやつ無いのぉ?」



手渡されたそれを見て、フロイドが片眉を上げる。女の子にこんな激安な物をあげるなんて、男としても最低だろう。突き返そうとすると、サムは含みのある笑顔でそれを遮った。



「ふふふ、これはね。あの子が特別好んで食べているチョコレートさ」


「小エビちゃんが? こんなやっすいの食べてんの? 高いの買えないからじゃなくて?」


「お高いチョコレートはお口に合わなかったみたいでね。騙されたと思って、これをあげてごらん? きっと可愛らしい反応が返ってくること間違いなしさ!」


「ふーん。まぁ、そこまで言うならコレちょーだい。あといつものキャンディー」


「Thank You! 小鬼ちゃんの未来に幸運あれ!」



ということで、フロイドは疑いつつも激安お徳用チョコレートとミントキャンディーを買って購買を後にした。



* * *



翌日。



「小エビちゃんはっけーん!」


「ふなぁ!? 今日も来たんだゾ!」



またしても昼食中にフロイドが現れ、エーデュースとグリムは身を硬くする。何もしなければただの先輩なのだが、いかんせん過去の己の軽率な過ちがトラウマのように蘇り、愛想笑いすら上手く浮かべられない。

そんなイツメンの様子に、ユウは苦笑して気を紛らわすような話題を振り、ユノは昨日と同じく隣を陣取るフロイドを見上げた。



「……今日も何か?」


「オレ小エビちゃんのこと知りたいんだぁ。また質問しても良い?」


「……答えられることなら」


「やったぁ! じゃあねぇ。えっとねぇ。小エビちゃんのぉ、好きな教科はなぁに?」


「教科……」



昨日は食べ物、今日は教科か。
またしても、フロイドが知ったところで得にならない質問だが、ユノは口元に手を当てて真剣に考える。



「……強いて言うなら数学ですね。この学園の授業だったら、魔法薬学とか錬金術も好きです」


「イシダイ先生の授業ばっかじゃん。計算が好きってこと?」


「はい。数字みたいに答えが明確に出るものが好きです」



公式さえ覚えてしまえば、あとは数字を当て嵌めるだけで答えがわかる。ユノは暗記系の勉強よりも、単純明快な数学が好きだった。



「へぇ〜。じゃあ嫌いな教科は?」


「……体育。運動嫌いです」


「あはっ! なんかわかるかもぉ。ロブスター先生とか苦手?」


「ん、と……。熱中し過ぎてる時は……」


「筋肉筋肉言ってる時?」


「はい」



バルガスのような熱血教師は大の苦手だし、身体を動かすのも好きではない。

健康に困らない程度に、適度な運動ができればそれで良い。それ以上は求めていないのだが、ユノたちの実家はある意味武術に長けた家だったため、彼女もある程度は運動できる。それでも好きか嫌いかを問われれば嫌いだった。

その辺りは言わなかったのだが、フロイドはユノの答えに満足したらしい。ブレザーのポケットから取り出したそれを、ユノの食事の終わったトレーに置いた。



「はい、コレ。今日のお礼ね」


「……! これ……」


「昨日チョコレート好きって言ってたでしょ。あげる」



昨日購買で買った激安チョコレート。フロイドは本当にこのチョコレートで喜んでくれるのだろうかと、未だに疑問だった。

だって、どこからどう見ても大量に個包装されたお徳用パックの内の一粒だ。こんな小さいチョコレートを貰って喜ぶ女の子がいるのだろうか? もっと可愛い包装紙でラッピングされた小箱のチョコレートをあげるべきなのでは?



(もし嫌がられたらウミウマくん絞めよう)



この時、購買ではサムが悪寒を感じて身震いしていた。



「……ありがとうございます」



しかし、フロイドの胸中など露知らず、ユノはお礼を言うとカサリとチョコレートの包装を剥いた。小粒のそれは彼女の小さな一口にちょうど良いサイズで、フロイドは彼女が舌の上に乗せるようにチョコレートを含む様子を横目で眺める。

噛み締めずに舌でコロコロと遊ぶように転がすそれは、傍から見ると口をモゴモゴ動かしているだけ。だが、小動物のようでとても可愛らしい。サムが言っていたのはこれのことか。確かに可愛いとフロイドの目は釘付けだった。



(……え。笑ってる?)



ほんのちょっぴり、ユノの目元が緩んだ気がした。口はチョコレートに集中しているからわからないけれど、会話していた時よりも目尻が下がったような、蕩けているような気がする。気のせいだろうか。

手持ち無沙汰になったユノの指先を見ると、剥がした包み紙のシワを意味もなく伸ばして遊んでいる。かと思えば、正方形のその紙をチマチマと折り畳み。広げてはまた畳み。チョコレートが溶けきる間に、それは小さな鶴へと姿を変えていた。

ふぅ、と息を吐くユノの顔へ再び視線を移す。するとどうだろう。先ほどは口が動いていてわからなかったが、目元と同じくちょっぴり口元も上がっているように見える。見えるだけかもしれないが、しかしフロイドにはそう見えたのだ。

トク、と心臓が跳ねた。



「ご馳走さまでした、フロイド先輩」


「え……。あ、うん。オソマツサマ」


「……どうかしました?」



カタコトになったフロイドにユノは首を傾げる。何が面白いのかじっと見られていたことはわかっていたが、気になるようなことでもあっただろうかと純粋に疑問だった。



「んーん、なんでもない。……あのさぁ」


「はい」


「それ、ちょーだい」



フロイドが指差す折り鶴を見下ろして瞬く。



「折り鶴のことですか?」


「ん」



チョコレートを包んでいた折り鶴からは、未だに甘いチョコレートの香りがする。何の気なしに折っていただけなのだが、本当にこれが欲しいのだろうか。欲しいならもっと綺麗な紙に折ってあげるのに。そう思って、ユノは再びフロイドを見上げた。



「ダメ?」



……本当にこれが欲しいらしい。



「……どうぞ」



ただのゴミですよ、とは言わなかった。欲しいと言うのだからゴミではないのだ。

フロイドの大きな掌にちょこんと折り鶴を乗せると、目に見えてパァッと花が咲くような笑顔で立ち上がった。



「ありがと、小エビちゃん。また明日ねぇ」


「はい。また」



ひらひらと手を振るフロイドに軽く会釈する。何が気に入ったんだか、また明日も来るらしい。

ほぼ空気と化していたイツメンたちは、フロイドの姿が見えなくなると深く深く息を吐き出し、もう来ないことを願った。





「はぁぁ……。あの人また明日も来んの? ユノ、然り気無く断れない?」

「断る理由が無い」

「オレたちの飯が不味くなるの!」

「私の味覚は正常だもの」

「マブのために優しくなろうとは思わないわけ? ユノちゃん冷た〜い」

「……自業自得のおバカなマブのために寮を担保にとられてサバナクローにお泊まりまでしたのに優しさが無いなんて言うの? エース酷い」

「エースひどーい」

「さすがに酷いぞ、エース」

「酷いんだゾ、エース」

「だぁあああ!! お前らまで乗るなよ! 悪かったってば、ごめんって!!」



* * *



その日の夜。



「ただいま戻りまし、た?」


「ジェイドぉ。何か丈夫な箱なぁい? 蓋と鍵ついてるやつ」


「箱?」



本日のモストロ・ラウンジの営業も無事終了。ジェイドが部屋に戻ると、フロイドが引き出しをひっくり返し、ベッドの下をガサゴソと漁っていた。何かを失くしたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

ストールとジャケットをハンガーに引っ掻けながら、ジェイドは自分の膝より下に頭を下げて隙間を覗き込む片割れを面白そうに見下ろした。



「そんな所に都合よく鍵付きの箱が挟まっていたら奇跡ですよ」


「だよねぇ〜……。あ、あった」


「奇跡ですね」



まさか本当にあるとは思わなかった。しかも、随分前にフロイドが自分で購入した小箱ではないか。
綿埃を頭に乗せたまま引っ張り出したそれを大事に抱え、フロイドはベッドにぼふんっと座った。

フロイドの掌より小さな小箱。深い青色で、金色の縁取りと装飾の施されたそれは、男子校生が持つには些か可愛らしすぎる。

何故フロイドがそんなものを買ったのか?
当時、そういう気分だったからである。



「ふふ〜ん」


「ご機嫌ですね。その箱をどうするんです?」


「コレ仕舞っとこうと思って!」



上機嫌で胸ポケットからジャジャーンと取り出したのは、昼間にユノから貰った折り鶴だった。今日の昼はジェイドとは別行動だったため、フロイドは昼食でのことを楽しげに話した。



「ほぅ……。その折り鶴が元はチョコレートの包み紙だったとは。ちょっと見せてもらっても?」


「ヤダ。ジェイドに渡したら壊しちゃうでしょ」


「壊しませんよ。どうやって折っているのか興味があるだけで」


「ダメ! 破けちゃうでしょ! ぜってー渡さねぇ!」



見るだけなのに。しくしく。
大して残念でもないのに嘘泣きするジェイドを余所に、フロイドは持ち帰った折り鶴をそっと小箱に仕舞った。

運良く一度も開けたことが無かった小箱の中には、フロイドの親指より小さな鍵が収まっており、うっかり折らないように丁寧に鍵を掛けた。更にマジカルペンを振って防護魔法まで重ね掛けする。
そんな様子を見て、ジェイドはニンマリと口角を上げて微笑んだ。



「ふふ。余程大事なんですね」


「小エビちゃんから初めて貰った折り鶴だもん」


「“ねだった”の間違いでは?」


「いーの!! チョコレート食べる小エビちゃん、めっちゃ可愛かったぁ〜」


「では、次は僕もご一緒しますね」


「ダメ! ジェイドが小エビちゃん見たら減っちゃうでしょ!!」


「減るって何がですか?」


「いいから! 絶対ダメだかんね! 見るなら小エビくんにして!」


「誰が好き好んで男の食事を眺めるんですか」



いくら同じ顔をしていても、男を眺めるのと女性を眺めるのでは全く別物である。ジェイドにはそちらの趣味は無い。たぶん。

小箱を抱えたままフロイドはゴロンと横になる。もうジェイドとの会話は終了らしい。スッパリ打ち切られた会話だが、ジェイドはそれに対して物申すことはなく、趣味のテラリウムへと手を伸ばした。

ジェイドがこうして土や植物、キノコを閉じ込めて愛でるのと同じように、フロイドもまた気に入ったものを仕舞うことを覚える日が来るなどと、誰が予想できただろう。気分屋で飽き性な彼は、靴にこそ興味を示したけれど、基本的に物に執着しない質だ。それがまさか、学園でたった一人の少女を気に入って、更にはその子から貰った物が壊れることを恐れるだなんて。

知らずの内に、ジェイドの口角は笑窪ができるほど上がっていた。





「これからますます面白くなりそうですね」

「何か言ったぁ?」

「ふふっ。いいえ、何も」

「ジェイド胡散臭ぇ〜」

「酷いです、しくしく」


 


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