ここ数日間、フロイドの調子が頗る良い。

出席した授業のテストは全て満点。ラウンジの接客対応も調理もパーフェクト。賄いまで最高に美味しく、閉店後の掃除もソファーの裏側まで埃ひとつ残さず完璧にこなしている。しかも終始満面の笑み。

勿論、契約違反を犯した輩は絞めているが、その表情はずっとウキウキと楽しそうで、そんなフロイドにオクタヴィネル寮生は揃って身震いした。あまりにも怖くてアズールに相談に行く者が出てくるくらいだ。アズールとしてはフロイドが絶好調なのは願ってもないことなのだが、それにしても数日に渡ってご機嫌状態が続くことには疑問を抱いていた。



* * *



今日は日曜日。休日は一般公開もしているモストロ・ラウンジは、今や老若男女問わずお洒落なカフェとして人気だった。

本日も閉店ギリギリまで盛況。電卓を叩き終えたアズールは、上機嫌でホールに向かう。頑張って働いた従業員たちのことはきちんと労る。支配人として当然のことだ。

ホールへと続く扉を開ける。そろそろ従業員たちも掃除を終えて自室に引き上げる頃だろう。
そう思って見渡した店内には、何故かシフトに入っていなかったハズのフロイドが寮服に身を包み、床にモップをかけていた。

あのフロイドが自主的に店内の清掃を?
普段なら絶対に見られない光景に、アズールはぎょっとした。フロイドの機嫌が上昇しているのが見ただけでわかる。



「……どうしたんです、フロイド? 今日は非番でしょう。それに最近絶好調じゃないですか」



鼻歌まで歌っている彼に、アズールは寮生たちから受けた相談を思い出して問いかける。すると、その上機嫌な笑顔のままに振り向かれて固まった。久しぶりに補食の危機かと恐怖した。成る程、これは確かに怖い。



「んふふ〜、そぉ?」


「ふふ。ユノさん効果なんですよね、フロイド」


「……は? ユノさん効果?」



カウンターの向こうでグラスを拭くジェイドに言われ、アズールはそういえばと思い返す。フロイドの調子が良くなったのは、ユノと昼食を共にするようになってからではなかったか。

オンボロ寮に住む双子。フロイドから小エビと名付けられた内の妹の方に、名付け親のフロイドは最近何故かご執心だった。アズールは寮長会議やら契約書作成やらで一緒に昼食をとっていなかったのだが、フロイドが毎日のように彼女の元に向かっていることはジェイドや寮生たちから聞いていた。



「彼女と食事をして、何を?」


「んー。いつも一個だけ質問してぇ、対価にチョコレートあげてんの」


「チョコレート?」


「小エビちゃんの好物なんだって。食べてるとこ、ちょー可愛いの!」



フロイドから可愛いなんて言葉が出てくるとは。明日は槍でも降るんだろうか。集客は見込めないかもなと、アズールは明日の売り上げを気にした。

しかし、ユノと“可愛い”は結び付くだろうかと首を捻る。

確かに彼女は小柄で顔立ちも整っているが、大人しくて口数も少なく、可愛い子というより綺麗な少女という印象だ。

だが、忘れもしない自身のオーバーブロット事件の時、彼女の表情は始終無表情だったと記憶している。フロイドとジェイドが海の中で追い回した時も怯える様子すら見せず、普段の学園生活でも唯一の女子だというのに浮いた話は出てこない。どちらかというと、兄のユウの方が表情豊かで可愛げがあるし、何故男なんだと話題に上がったことも数回あった程だ。

だというのに、フロイドはユノの方に執着している。今まで雌の人魚にすら目もくれず、何に対しても飽き性で長続きしなかった彼にしては非常に珍しいことだ。

アズールがジェイドに目をやると、彼もまた楽しそうな色をその瞳に宿していた。ジェイドの場合はユノに興味津々なフロイドに興味があるようだ。



「彼女に何を聞いているんです?」


「好きな食べ物とか〜、好きな勉強とか〜。今日は趣味聞いたぁ。なんにも考えないでぼーっとすることが好きなんだってぇ」


「な、なんてこちらに得の無い情報……」


「いーの! オレが知りたかっただけだから! アズールの得になんてさせねーもん!」



ぷいっとそっぽを向いたのも束の間、明日は何聞こうかなぁなどと小エビを思い浮かべるフロイドに、アズールは目を丸くした。

本当にこれはフロイドか?
女の子に想いを馳せるなどと、この海のギャングが本気でするだろうか?
というか、これは本当にただの興味本位か?
他意は無いのか?



「フロイド。彼女のことを知ってどうするんです?」


「んぁ? どーもしねぇけど」


「せっかく好みを聞いたくせに?」


「んー。だってなんか知りたくなったんだもん。思ってた以上に小エビちゃん面白いし」


「何かプレゼントしたいとかではなく?」


「プレゼント……。チョコレートあげてっけど」


「毎日同じチョコレートなんでしょう? 彼女は飽きないんですか?」


「いつもご機嫌に食べてくれるよぉ」


「ユノさんのご機嫌も、僕らにはよくわかりませんが……」


「そ? よく見るとわかりやすいと思うけど。でもやっぱ毎日コレじゃ飽きるかなぁ」



そう言ってフロイドがポケットから取り出したのは、購買で一番激安のお徳用チョコレートの一粒。

アズールは絶句した。まさか気になる女の子にそんな安価なものを与えているとは思わなかったのである。



「おま……っ、さすがにそのチョコレートは無いでしょう!」


「オレも最初はどうかと思ったよ。でも小エビちゃん、このやっすいチョコレートが一番好きなんだってさ。ウミウマくんが高いチョコと食べ比べさせたんだって」


「なんと安上がりな……」



つまり彼女にこのチョコレートを与えれば、様々な要求に応えてくれるということでは?



「アズール、変なこと考えんなよ?」


「……わかっていますよ」



図星ではあったが、さすがに女の子に変な契約を持ち掛けるのはアズールでも憚られた。因みに、オバブロ事件の時は兄のユウもいたから例外である。と、アズールは心の中で言い聞かせている。

それはさておき、フロイドに自覚は無くともユノに食べ物を与えている時点でお気に入り以上の存在であることは明白だ。海でも女の子に人気があったフロイドだが、彼の飽き性で浮き沈みの激しい性格から、色恋沙汰に発展したことは一度も無かった。なのに、ユノに対してはアズールも驚くほどの執着ぶり。

今回のこれは、そんな彼の初恋かもしれない。ジェイドもそれをわかっているからこそ、傍らで楽しく観察しているのだろう。フロイドがいつそれに気付くのか。幼馴染みの恋愛事情に、ここはアズールも見守らせてもらおうと口角を上げた。



「話を戻しますが、たまには手作りをあげてみては如何です?」


「チョコレートを? めっちゃ時間かかんじゃん。でも小エビちゃんの好物だもんなぁ。ちょっと購買で苗木買ってくる」


「誰がカカオ豆から作れと言いましたか」


「フロイド。チョコレートを使ったお菓子ならいくらでもあるでしょう。クッキーとか、ケーキとか」



二人の助言を聞き、フロイドは手作りをあげた時の小エビちゃんを想像する。
驚くだろうか? 喜ぶだろうか?
どんなに想像しても彼女は無表情で、豊かな表情は一つも浮かばない。そこがまたフロイドの好奇心を擽った。



「そっか! んじゃあ何か作ってあげよ〜」


「お菓子作りなら一年生のオルカ・メアリックさんが得意でしたね」


「わかった! ちょっとお話ししてくる〜。あ、でも小エビちゃん牛乳ダメだったはずだからぁ……」



早速今から作るらしい。フロイドはモップを引き摺って掃除用具入れに片付けると、オクタヴィネルで一番お菓子作りが上手なオルカの部屋を突撃訪問しに行った。彼の部屋の扉が一時的に意味を成さなくなったが、フロイドにピッタリであろうお菓子作りの本と引き換えに本人に直してもらうのだった。





「あのフロイドがここまでユノさんに執着するとは……。彼女、そんなに面白いですか?」

「ふふ。僕らにはわからない何かがあるのでしょう」


 


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