学食でフロイドに好き嫌いを聞かれた日から、彼は昼食の度にユノの元にやって来るようになった。
一日ひとつ質問しては、お礼だと言って一口チョコレートを置いていく。



(知ってどうするんだろう?)



素直に答えているユノだったが、そう疑問に思わない日は無い。弱味でも握ろうとしているのかとも考えた。しかし魔力も持たず魔法も使えないユノには、フロイドに抵抗できる術は一つも無い。

今日も満足そうに笑うフロイドを見送り、もらったチョコレートを口に含む。安物だけれど、甘さ控えめでちょっぴり苦いチョコレートは自分好みの甘さだ。

口の中でコロコロとチョコレートを転がすユノを見て、エースたちは訝しげな顔を見合わせた。



「フロイド先輩。もしかしてユノに餌付けしてる?」


「もしかしなくても餌付けだな」


「まさかとは思うが、毒とか入ってないよな?」


「んー、大丈夫じゃない? 美味しいし」


「ユノ。それ理由にならないんだゾ」



現にこれまで貰ったチョコレートは、全て食後に食べている。いつもの面子が普通の反応を返すのだから、毒など入っていないだろう。



「今まで聞かれたのは好きな食べ物と、教科と趣味と……、今日は特技だっけ。そんなん知ってどうすんだろうな?」


「その前に、息止め五分は特技なのか?」


「それ以外に思い付かなかったんだもの」



ユノは運動は出来るが、基本的に疲れることは苦手だ。勉強も教わったことを復習すれば普通に成績は保てる。特別悪い成績になるのは初めて行うものくらいだった。

特筆してできることと言えば、五分以上息を止められること。とはいえ、水泳もできないから息を止めたところで何にもならないのだが。



「ずっと息止めるなんて、そう簡単にできるもんじゃないだろ。結構な特技だと思うぞ。双子でも俺には一分だってできないし」


「ぷっ! 言われてみりゃ確かにそうか」



ユウのフォローに、エースたちも俺もできないわーと笑う。みんなができないのだから、一応特技ということで良いのだ。



「さて、そろそろ次の授業だな。教室に戻ろう」



デュースの一言で、みんなで食堂を後にする。次の授業はトレインの魔法史だ。

腹が満たされた直後の座学。



(みんな睡魔に襲われるんだろうなぁ……)


教室に向かいながら、ユノはなんとなくこの後の展開を予想した。



* * *



放課後。

案の定、エース、デュース、グリムは魔法史で見事に居眠りをし、トレインの怒りを買って補習となった。

ユノとユウは免れたものの、グリムのパートナーであるため片方は補習に付き合うことになっている。今回の当番はユウだった。

勿論、二人一緒にグリムに付き添っても良いのだが、初めての補習の時に板挟み状態になったグリムが堪えきれずに駄々をこね、全く勉強が進まなかった。それでは補習にならないからと、今では片方ずつグリムを励ましながら補習を受けることにしている。



(さて、と……)



先に帰るとは言ったが、暇を持て余したユノは中庭のベンチで教科書を読むことにした。短時間でも一人にならないための自己防衛手段である。ここなら人通りもある上に、職員室までの距離も近い。上の階からもよく見渡せる中庭にいれば、セキュリティーゼロのオンボロ寮に一人で戻るより余程安全だ。

冷たい風が吹くこともあるが、日差しはまだ落ちきっていないためほんのりと暖かい。もう少し寒くなったらグリムたちを迎えに行こうかと教科書のページを捲った。



* * *



「あー! 小エビちゃんさっきぶり〜」



ユノを“小エビちゃん”と呼ぶのは一人しかいない。教科書に落としていた視線を上げると、渡り廊下からこちらへとやってくるフロイドとジェイドがいた。
ウキウキと足取りの軽いフロイドからはご機嫌な様子が窺える。



「フロイド先輩、ジェイド先輩。こんにちは」


「こんにちは、ユノさん」


「一人なの珍しいねぇ」


「みんな補習です」


「おやおや。ユウさんもですか?」


「ユウはグリムの付き添いです。グリムたち、トレイン先生の授業で寝ちゃったので……」


「あははっ! 小エビくん災難〜!」



ケラケラと笑うフロイドがユノの隣へと腰を下ろし、付箋だらけの教科書を覗き込む。



「で、小エビちゃんはこんなとこで何やってんの? 勉強?」


「見たところ、魔法史の教科書ですね」


「はい。まだこの世界の文字に慣れないので、暇な時に読んでるんです」


「文字? 小エビちゃんとこの文字ってコレとは違うの?」


「全然違いますよ。会話は学園の翻訳の魔法で通じてるだけで、目に見える文字までは共通認識できないって学園長から聞きました」



この世界の文字は殆んどが英語だが、たまに古代文字が含まれていることもあり、元の世界より難易度が高い。生粋の日本人として生まれ育ったユウとユノは、英語の授業は受けていたが全ての読み書きができたわけではなかった。この世界の難しい文章は二人の頭を悩ませた。言葉が通じるからと完全に油断していた。

この数ヶ月で何とか毎日の勉強で読めるようになってきたものの、古代文字までとなると厳しいものがある。故にユノはこうして時間がある時は教科書を読み、わからない部分は後でエースや先生に聞くというのを繰り返していた。



「だったら、小エビちゃん! こんな寒いとこで勉強してないで、今からモストロ・ラウンジおいでよ」


「え? 今からですか?」


「オレたち今日はシフト入ってないしぃ、わかんないとこ教えてあげる。良いよね、ジェイド?」


「ええ、もちろん」



思ってもみなかった誘いにユノは目を瞬かせ、少しだけ悩む。

オクタヴィネル寮が経営するモストロ・ラウンジ。以前にイソギンチャク騒動で訪れて以来、ユノは一度も訪れていない。
あの時の彼らは言葉を巧みに操り、契約云々で大勢の生徒を丸め込んでいた。関わると碌なことにならない。そんな印象が、ユノの中に根付いてしまっている。



「……失礼ですが、対価とか必要ですか?」



ただの好意で誘ってくれているのか、それとも代わりに何か欲しいのか。またオンボロ寮が欲しいと言われたら堪らない。

簡単に信じられない旨を示すと、ジェイドは眉を下げて笑った。



「大丈夫ですよ。対価は既に頂いています」


「え?」


「いつもフロイドの質問攻めに付き合ってくれているでしょう。そのお礼です」


「あはっ。まぁでも、来てくれたらまた質問しちゃうかもしれないけどねぇ。どうする?」



フロイドはこてっと首を傾げ、ジェイドも笑みを浮かべてユノの返答を待つ。



「質問のお礼ってあのチョコレートじゃなかったんですか?」


「あ、そっか。んじゃあ、また小エビちゃんの新しいこと教えてもらう。これでどう?」



チョコレートのことを忘れていたらしい。

あの質問攻めだけで対価となるなら安いものだ。他に何かを聞かれるとしても、勉強に付き合ってもらえるのなら大変有難い。



「……じゃあ、宜しくお願いします」


「やったぁ! 小エビちゃん一名様ご案内〜!」


「良かったですね、フロイド」



嬉しそうにベンチから立ち上がったフロイドは、まるで子供のように早く行こうと急かしてくる。その様子を見てジェイドもどこか楽しそうだ。

二人が楽しいなら良いかと先ほどまでの不信感を頭の隅にやり、ユノは教科書を鞄にしまってモストロ・ラウンジへ向かった。


 


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