「なんだその目は!」

「気味の悪い子…」

「あの子がどうなるか、わかってんでしょうね?」

「へぇ…あんたでも────」










『…………』



嫌な目覚めだ。未だに耳に残る男と女の嫌な声…。眉間に皺が寄るのがわかった。





私の両親は既に他界している。
母は私と双子の妹を産んだ後、元々身体も弱くてそのまま入院。私たちが三歳の時に亡くなった。



「クロちゃん…シロちゃん……
私の分も…ちゃんと生きてね……」



私たちを″クロ″、″シロ″という愛称で呼んでくれていた母は、そう言って、私と妹を撫でてくれた。手はすぐに冷たくなって離れていった。

父は母が死んだことによって悲しみから気が狂い、毎日酒に浸るようになった。それまで優しかった父が、人が変わったように恐ろしい目をするようになって、やめるように言ったらその日から私は殴られるようになった。

私は母に似ていたらしい。ある時は「同じ顔で俺の前に来るな」と腹を蹴られ、またある時は「戻ってきてくれたのか」と私を母と重ねて押し倒してきた。初めてのそれは五歳の時だっただろうか。月のものも当然来ておらず、性についての知識も無い時のことだった。

最初は泣き叫んでいたけれど、それまでにも散々殴られてきた私が無駄なことだと理解するのは早かった。正直、死んでしまいたいと思った。

それでも自殺しようと思わなかったのは、母の遺言と妹の存在があったからだ。
母と同じく妹の身体は弱くて、二歳の時からずっと入院している。
手術を受ければ治る病。けれど家にそんなお金は無く、薬だけでなんとか保っている状態だ。

彼女は私が父から暴力を受けていることは知らないし、教える気も無い。お見舞いに行くと病気なんて感じさせない…明るくて太陽みたいに笑う妹。それが私の唯一の癒しだった。

妹に手出しはさせない。
妹と母の遺言の為だけに、私は生きると誓った。


幸か不幸か私が十歳の時に、父が交通事故で死亡した。涙は出なかった。
父の豹変ぶりを知らない妹は大泣きし、見ていられなくてぎゅっと抱き締めた時、服の隙間から私の身体にいくつもの痣があるのを見られてしまった。当然彼女は混乱し、私は渋々どんな状況にあったのかを全て話した。



シ『…ごめ……ね………ごめん……っ』



妹は私を抱き締め返し、今度は違う理由で涙を流した。気づけなくてごめんと…何度も何度も謝って。
隠していたのだから気づけなくて当たり前。寧ろ知られたくなかったんだ。
泣きたいのに、涙は出なかった。


親戚の人間が葬儀を済ませてくれた後、私たち双子をどうしようかという話が当然上がった。でも、それに手を差し伸べるにはかなりのリスクがあった。

妹の入院費や、もしもの時の手術代…。それを考えると誰もが首を横に振る。そりゃそうだ。自分たちで汗水流して稼いだお金を、親戚と言えど実の娘でもない子供二人に何故使わなければいけないのか。尤もな意見だと思う。

そして、私の存在。父が亡くなり、妹も入院したきりだというのに、私の表情は変わらない。この七年で私もだいぶ壊れてしまったらしい。

泣きもしないし笑いもしない私を不気味に思う余り、誰も引き取ろうとはしなかった。


そんな中、掌を返す人達がいた。下卑た笑みを浮かべたその男女に引き取られた私は悟った。まだ地獄は続くのだと。

私はそこでは言わば使用人…奴隷だと言われることもあった。食事の用意は勿論のこと。掃除。洗濯。学校には通わせてもらえなかったため、家にあった辞書やネットなんかで勉強する。義務教育だとかどうしてたんだかは知らない。

そして、そこでもまた殴られた。ストレス発散だとか言っていたか。女は近所付き合いが苦手らしく(まぁ、女の態度が悪いからなのだが)、殴る蹴るは当たり前。酷い時には作りたての味噌汁を鍋ごと投げつけてきたこともあった。顔には当たらなかったけれど、病院で診てもらわなかったからお腹と足には今でもその火傷痕が残っている。

女がいない時、男は殺さない程度に私の首を絞めながら抱いてきた。幼い私を抱くことに興奮を覚えたらしい。
抵抗すれば妹がどうなるか…そんな脅しをかけられ、私は身を委ねる他なかった。

月に一度だけ許されている妹のお見舞いに行くと、その度に彼女は新しい痣を見つけては謝って涙を溢す。



シ『早く病気治して、絶対にクロの隣に戻る』


『なら、私はシロが帰ってくる場所になる』



シロの居場所になるためにも生きなければ。
母の遺言を全うさせる為にも…今日も殺されませんようにと、目覚める度に祈るのも日課になっていた。



そんな苦痛の日々に慣れてしまった十五歳のある日。来客で玄関を開けると見知らぬ男が立っていた。黒スーツに身を包みニマリと笑うその人に、男女は顔をしかめながらも中に通す。

お茶請けを出して下がろうとしたら、私に用があるのだと言われた。何故私に?そもそも何故私の存在をこの人が知っている?多くの疑問が飛び交う中、彼は銀色のケースを開けて二人に差し出した。



「これと引き換えにこの子を戴けませんか?」



札束だった。いくらあるのかなんてわからない。しかも、足りなければまた持ってくると言う彼は余裕の笑み。驚いたのは私だけでなく、二人もそうだった。



「勿論、この子の妹さんの医療費などもこちらが負担致します」



二人はすぐに満面の笑みを浮かべて首を縦に振った。「もう二ケースくれるなら」と言って。どれだけ貪欲人間なんだと呆れた。



「じゃ、お前はもう用済みだな!あー、疲れた」



嘘つけ、酒飲んで寝てるだけだったくせに、怠慢男め。



「あんたみたいなのでもお金になるのねぇ〜」



うるさい、厚化粧ババア。

心中で悪態をつきながらも少ない荷物を纏めた私は「お世話になりました」と心にも無い台詞を言って頭を下げ、黒スーツの男の車に乗った。
どこに行くのかは知らない。どうせまた同じことの繰り返しなのだから。

母と妹の為に生きられるなら、それで良い。


 

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