どうしよう?…ってこれ何回目だろう?
刻燿と一緒に政府を出て、足の向くままにやってきたのは公園だった。毎月お墓参りの後でお昼休憩に来るあの公園だ。
藤の瞳で出歩いて大丈夫かと気にはなったけれど、この世にはカラコンというものがある。誰かに聞かれたらそう答えようと決め、そんな悩みはすぐに解消した。
今日は風が冷たくて子供も外では遊ばないらしい。誰もいないそこのベンチに刻燿と二人で腰かけたものの何を話すわけでもなく、ただただ私が考え事をするだけの時間が過ぎていく。せっかくついてきてもらったのに刻燿には申し訳ない。
「惚れた女を守る為なら何だってしてやるさッ!!」
(…っ、まただ)
また薬研の言葉が頭に蘇る。その度に苦しいくらい心臓の音が速くなって、どうしたら良いのかわからなくなる。
大広間で騒いでいたという内容は、刻燿から乱と薬研の会話(冒頭だけ聞いたらしい)を教えてもらってなんとなくわかった。乱が薬研に「告白しないのか?」と訊ねたのだということも、それが決して薬研を陥れる為に聞いたわけではないことも。
鶴丸は何故あんな行動をしたのかわからないけれど。
瑠璃はわざと私を嵌めようと迎えに来たのだろう。本当に身代わりを出しておいて良かったと心底思う。でも、逃げてきたのは良いけれど戻りにくいのも確かだ。
(まるで家出したみたい…)
帰ったら絶対に皆さんから言い寄られるに違いない。その時にどう答えるかも今の内に考えておこうと思うのだけど、その為にはまず薬研のことを考えなければならない。
"大将"と言ったのを、彼は"あの子"と言い直した。その時点で"あの子"というのは私のことを示している。つまり"惚れた女"というのも…。
(…否、そんなこと無い)
有り得ない。だって私は人間で彼は刀剣だ。刀剣男士で付喪神様で…、人間の私には到底及ばない場所にいる。そんな彼に私は先日酷いことをした。
"血の契約"を勝手に結んだ。本当は私の血で名を刻み、彼に飲ませることで一方的な契約が成され、傷を癒すまでに留まる筈だったのだ。それだけならば私の瞳だって藤色にはならなかっただろうし、薬研にも負い目を感じさせることはなかった。
でも私は彼に口移しで血を飲ませ、彼の血も舐めてしまった。そうなることを予想していなかったわけじゃない。完璧な契約が成されれば彼は私の霊力も自在に扱えるようになる。要するに私が手入れをしなくても自分で自分の傷を癒せるようになるのだ。
薬研はそんなこと望まないだろうけれど、私はそれを望んだ。使ってほしかったんだ、私の力を。これがあるだけで私が近くにいなくても彼が生き延びられると。それくらい、あの時の私は薬研を救うことに必死だった。
死なないでほしい。
傍にいてほしい。
また抱き締めてほしい。
失いたくない。
貪欲な感情のままにした愚かな行動があの"血の契約"だ。薬研は呆れただろう。悲しかっただろう。私も他の人間と同じ…、彼らの前任と同じく欲望には勝てない人間だとわかって。
こんな愚かしい人間を彼が好む筈がない。
…でも、じゃあ私は?
どうして死なないでほしかった?
どうして傍にいてほしかった?
どうしてずっと近侍にしていた?
どうして真名を教えたの?
……答えは簡単だ。
(…私は…薬研のことが……)
どうしよう?
どうしたら良い?
どうすることが正解だ?
私の中で答えはもうとっくに出ている。でもどうしようもない。何もできない。だって私と彼は違うから。生きる時間も、この胸に抱く感情も全部違う。
惚れたとか…それだってきっと何かの間違いだ。私はこれまでに色んなものを犠牲にして、たくさんの人を巻き込んで、時には利用したりと散々酷いことをしてきたんだ。そんな私の生き方も全て知っている彼が、どうして私なんかに惚れるだろう?
「…うん、決めた。普段通りにしよう」
「えっ?」
いつも通りに。普通に。
顔を合わせたら挨拶すれば良い。些細な会話をして、仕事して、夜になったらおやすみと言ってそれぞれの部屋に戻る。この一年間本丸で皆さんと過ごしてきて、そんな変わらない毎日が幸せだった。それはこれからも変わらない。これ以上を望んでは罰が当たる。
「何も悩む必要はありませんでした。私も薬研も、ずっと変わらない。今の生活が幸せなのですから、それで良いのですよね…」
誰に言うでもない、自分に言い聞かせるための言葉を紡ぐ。幸せ以上の幸せなんて、望んではいけないのだと。
「…本当に?クロちゃんはそれで良いの?」
日が傾いて橙に変わってきた空を見上げていると刻燿にそう問われた。視線だけを少しズラせば彼は真っ直ぐに私を見つめていた。いつものニンマリ笑顔ではなく、真剣な表情で。
目を閉じて息を吐き、再び空へと視線を戻す。飛行機雲が、まるで空を二つに区切るかのように真っ直ぐに線を引いていた。
「……良いんです」
良いんだ、これで。私は充分に幸せになった。チョーカーも無くなったしシロも帰ってきて、これからを思うとワクワクするんだ。そんな気持ちになれたことが幸せなのだからこれで良いに決まっている。
「"今"は幸せだと思うよ。ボクだってシロちゃんが戻ってきて嬉しいし、皆でわいわいしてるの楽しいもん。でもさ、クロちゃん。キミの瞳はまだ"苦しい"って言ってるよ?」
「っ!」
瞳…?
ゆっくりと空から視線を下ろして隣を見れば、刻燿は少しだけ口角を上げて笑っていた。
「クロちゃんはこれまでに我慢し過ぎちゃったんだね。だからやっと手に入れた幸せも"ここまで"って線を引いちゃって、それ以上は求めない」
「…………」
「勿論、周りが見えなくなるくらい欲望にまみれちゃうのはいけないことだよ?ある程度の線引きも無きゃダメだけど、この世には望んで良い幸せと悪い幸せがあるんだ」
「望んで良い幸せと…悪い幸せ?」
「そ。"想い人との時間"は望んで良い幸せなんだよ」
「!」
想い人との…時間…。
それは…、私が心に想う人は…。
「時間は限りあるものだ。それは物だってそうだし、生き物なら尚更そうだよね。寿命があったり、中には殺されちゃったりして一瞬で時間を失う人もいる」
「…………」
「だから誰かと共に過ごす時間は大切で、想い人だったらもっともっと大事で貴重な時間なんだよ。それを我慢して苦しんじゃダメ!」
「刻燿…」
「ソラちゃんとダイチくんもね、一緒にいる時はすごくすごく幸せそうだったんだぁ。だから、クロちゃんも幸せになって!
ってことで、薬研く〜ん!!」
「え…」
いきなり大声で叫ぶ刻燿に戸惑う。何故今ここで薬研を呼ぶのかと。第一、刀剣男士は主がいなければ政府の外に出られる筈が…
否、できる。時間稼ぎを頼んだ彼なら…、真黒さんなら政府の人間として刀剣男士への許可が出せる。
それに気づいた時にはジャリっと土を踏む音が聞こえ、刻燿を挟んだ向こう側にはもう何度も見てきた白衣姿の彼がニッと笑って佇んでいた。