戦争日和






 本日は日曜日。週明けから稲荷崎高校の二学期期末考査一週間前になる。と、いうことは今日が終わればしばらく部活はない。そう思うとなんだか足取りは軽かった。

 先週辺りから私に預けられるようになった鍵を使って部室に入ると、室内特有のむわりとした空気に包まれたような気がした。外と気温は変わらないはずなのに。少し前まではまだ暑さの残る日々が続いたので部活前には部室の冷房を稼働させていることが多かったが、ここ数日は涼しさを感じられる気温になってきているみたいだったので手に取ったリモコンはボタンを押さずに元の位置に戻した。
 学校終わりの部活だと制服から着替える手間があったが、休日だとそれが無くて楽だ。部室から少し離れた場所にある女子更衣室に帰りの着替えと貴重品が入ったカバンを入れると部室同様鍵を使って体育館に入った。

 体育館の奥にある準備室から細々とした備品を持ち出し、ストップウォッチとホイッスルを首にかける。髪の毛は邪魔に感じたので一纏めにした。ノートに本日の日付を書こうとしたがボールペンのインクが無くなっていることに気付いたので、バレー部共用の文房具入れをひっくり返してみた。詰め替えインクの黒だけが無いみたいだったからそれは後でドリンクと一緒に買いに行くとして、今日のところは別の色のボールペンで書くことにする。赤だとなんだか縁起が悪い気がしたから、青いボールペンを手に取って日付を書いた。

「……今日は青やねんな」
「ぁ、おはようございます」
「おはよう」
「……黒のインクが無かったんで、青にしました」
「ええんちゃう」

 ぬ、と私の後ろからノートを覗き込んで来たのは部員の中でもいつも一番最初に体育館に着く北さん。練習が始まるかなり前に来るので準備を手伝ってもらうことが多いが、今日に関してはいつもより早いような気すらする。早速「準備、どこまで終わった」と首を傾げた。

「今来たばっかなんで、まだなんにも」
「そうか、なら先にボールとスコアボード出してくるわ」
「……あ、空気入れも一緒に出してもらっていいですか?」
「空気抜けてたか?」
「さっき見た限りやと奥のカゴが抜けがちやったんで」
「そうなんか」

 昨日奥のボール使わんかったから気付かんかったわ。感心したように北さんが呟く。ありがとう、と言葉も付け足して。本当に細かいことに気配りができる人だ。昨日盗み聞きしてしまった、宮侑に言った彼の言葉が脳裏に木霊したような気がした。

 まずスコアボードを出し、その後から今日にボールカゴを二つ同時に取り出した北さんを横目にノートを埋める。と言ってもまだ部活は始まってすらないので日付と天気、記入者である自分の名前を書くくらいだが。
 ボールの空気を入れ始めた北さんに、「カーテンネットの準備してきます」と声をかける。体育館の端に寄せられている、バレーボールを外に出さないために出入口にかけるネットをレールに沿って動かしてゆく。正面出入口までカーテンを運んだその時、そこに人が居ることに気付いた。

「あれ? みょうじやん。早いな」
「…………宮……どっち?」
「治」
「宮治」
「治でええよ」
「……宮治」
「なんでや」

 なぜ練習前にここにいる?表情にありありと出してしまったため、宮治はやんわりと笑った。あの金髪ブタと昨日大喧嘩してしもたから登校時刻ずらしてん、と。金髪ブタ……まぁ十中八九宮侑の事だろうな。
 部室に荷物は置いてきたらしく、彼は手ぶらで立っていた。とりあえず中どうぞ、と客を招いた家主かのような動作で宮治を体育館に入れる。アラどうも〜とこれまた招かれた客みたいに宮治は体育館に足を踏み入れた。

 体育館中央にはボールカゴが二つ鎮座しており、ボールにはしっかり空気が入っていた。先程まで空気を入れていたであろう北さんの姿は無かったので、きっと空気入れを準備室まで持って行ってくれたんだろう。
 ボールの傍に置いているカゴにはまだ綺麗なタオルが入っていたからとりあえずボールを拭くことにした。軽く昨日の練習後に拭いていたので汚れているボールは少ないはずだが、今見た限りで気になったボールを数個取り出して座り込む。すると宮治が合わせるように私の前にしゃがんだ。え、なんで? チラ、と視線だけ彼に向けるが目は合わず、私の手に持つボールを熱心に見つめているようだった。何も言ってこないのでしばらく黙ってボールを拭いていると、感心したように宮治は声を出す。

「自分手際ええなぁ。中学ん頃マネージャーやってたん?」
「……いや、初めてやけど」
「へぇ、あ、ミョウジ先輩は今何してんの?」
「…………ミョウジ先輩はバスの時間の都合で朝練の準備入んのちょっと遅いねん」
「そうなん?」

 な、なんかいきなりめっちゃ質問してくる。普段の部活中はミョウジ先輩か北さんくらいしかちゃんと喋らないし、他の部員と話すことと言えば業務連絡ばかりだったので何を言ったら正解なのかさっぱりわからない。きっと彼には私の作業を邪魔しようだとかそういった思惑がないのは分かっているが、勝手に私が困ってしまって会話のキャッチボールが上手く噛み合わなくって。そうしているうちに、無意識に視線を落としてしまう。
 しかし宮治はそんなこと全く気にしていないようで、「じゃあ朝練の準備とか誰に教えて貰ってるん?」とまた質問を重ねてきた。

「それは……」
「俺や」
「ウオッ」

 ボールに落としていた視線を上げると、宮治の後ろには北さんが立っていた。空気入れを準備室に戻した後、昨日の夜のうちに干していたタオルを回収してくれていたらしい。カゴいっぱいに入ったタオルを脇に抱えるようにして持っていた。
 北さんの登場に驚いていた宮治は彼の言葉に「へぇ〜」と気の抜けるような軽い相槌を打っている。興味無さそうにもありそうにも聞こえる相槌には感情の色が見えなかった。そして思い出したかのように挨拶をする。

「あ、おはようございます」
「おん、おはよう」

 北さんは宮治に向けていた視線を私に移し、「タオル畳んでくるわ」と言い残して歩いていった。

「じゃ俺も手伝おかな、何したらええ?」
「とりあえず、支柱……は一人じゃ無理か」
「ははは、一人でできるわ、やっとく」
「えっ」

 私は支柱、一人で立てられないけどな。そもそも「支柱は一人で立てるもんとちゃう」と何度も口酸っぱく北さんに言われているので一人で立てるという発想が無かったのだが。私が女だから気を使って言ってくれてたのかもしれない。
 支柱に限らず一人で出来なくて困ってる時はいつも北さんが颯爽と現れて代わりにやってくれる事が多いし、今思えばネットの組み立ての仕方も未だによく分かっていない。自分では固結びしているつもりでも紐の絞め方が緩いらしく、毎回北さんが結び直してくれるし。

 ……あれ、本当に私組み立てに関してはただの木偶の坊なのでは?一人で支柱をブスブス穴に刺していく宮治を遠い目で見た。

「なまえおはよ、準備ありがとうな」
「……!! ミョウジ先輩おはようございます」

 しゃ、とカーテンレールが揺れる音がした。誰かがネットを動かしたんだな、と思って顔を上げるとナマエ先輩。そっか、もうミョウジ先輩が来る時間か……!拭き終わったボールをポイポイをカゴに戻して体育館出入口まで小走りで向かう。するとミョウジ先輩の後ろに人影が見える。まだ誰かがいるらしいことがわかった。
 朝だからか気の抜けた挨拶をするその人物は、角名。

「はよーす……あれ、治早いじゃん」
「え、角名お前いっつもこんな早いん?」
「電車の都合で土曜だけね」

 いつもは早く来ても部室でダラダラしてるけど今日はミョウジ先輩に見つかって、とバツの悪そうな顔をした。でもあんまり悪いと思ってなさそう。どうしてもできる限りはサボりたいらしい。
 私の横を通り過ぎたミョウジ先輩は宮治を見るや否や邪険そうな顔をした。

「治、支柱は一人で立てたらあかん」
「あ、ミョウジ先輩おはようございます」
「はいおはよう。支柱は重いから少なくとも二人以上でやりや。怪我することもあるかもしれへんしな」
「ウス」

 角名、一緒にやろ。 えーマジで言ってる?

 宮治直々に指名された角名は嫌そうな顔をしていたが結局二人がかりでやるらしく、ネットの取り付けも凄まじいスピードで行われた。さすが、幼少の頃からバレーに触れているだけある。テキパキと効率よく動く姿には貫禄を感じざるを得ない。めちゃくちゃ早い。私と北さんの二人がかりでするそれとは訳が違って、私はまた遠い目をした。

「今日の準備ははよ終わりそうやな」
「そうすね……あ、コップ昨日洗ってそのままにしとったんで持ってきます!」
「んじゃタンク出しとくわ」
「ありがとうございます……!」








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終焉