待ち合わせ場所に着いたら、既にチョロ松が居た。
時計を確認したら、まだ二十分前。早いなと思う前に、私は彼の服装に衝撃を受けて動けないでいる。
まさか、あのチョロ松が?今時の若いお兄さんみたいな格好している…だと…!?
驚きすぎて、顔を何度も確認した。あの三白眼は確かにチョロ松だ。髪型もいつも通りだ。アホ毛もないから、他の兄弟ではない。じゃあ、あの普通にかっこいい格好をした男性はチョロ松ということになる。なんてことだ。
グリーンのクロップドパンツを見て、一応パーソナルカラーは守るんだなって思ったけど、こいつブーツなんか履けたんだなとも思った。それと同時に、アクセサリーのレザーネックレスの存在に気づいて戦慄した。あのクソダサい緑のチェックシャツとか、ベージュのチノパンは?果たして、彼のアイデンティティは今どこに?とか無駄に哲学的な方向に思考が傾いてしまうほど、端的に言って私は混乱している。
今日の私の服装、大丈夫かな…
変な心配まで頭をもたげてきた。これはやばい。
とりあえず、人違いだったとしても仕方ないから、声をかけてみよう。
□
「おは、よう?」
「ん、…ああ、おはよう」
恐る恐るといった風情で声を掛けてきたなまえは、今日の服装も抜群に可愛くて、一瞬だけ意識が網膜に集中してしまった。いかんいかん。
そのなまえのほうも、失礼なくらい上から下まで僕を眺めて、やっと目が合う。
「一応、確認なんだけど…、チョロ松、だよね?」
「…お前、失礼だな」
「いや、だって、トド松に服選んでもらったって話は聞いたけど…!」
「聞いてたんだ。じゃあ、そういうこと」
「そういうことっていうか、今のチョロ松のアイデンティティはどこにあるの?!」
「いや、お前意味分かんないんだけど」
これは好印象なのかどうなのか。混乱気味のなまえはぱちくりぱちくり、瞬きを繰り返す。なんだこいつ、可愛いな。
「…お前がオシャレして来るなら、ぼくもしたっていいだろ」
「え、私のために?」
「かァ!勘違いすんな!!ぼくだけ浮くのは御免だからだよ!!」
「あ、そうか」
「そうかって、お前な…」
「ごめんね、うん…なんかびっくりしすぎて」
もう一度僕の姿を見回したなまえは、真っ直ぐ僕を見上げて、はにかんだように笑った。
「似合ってるよ。普通にかっこいいし、控えめに言っても見違えた」
心臓がぶっ飛んでどこかに行くかと思った。
トド松様様すぎて、正直僕はあの弟に今後頭が上がる気がしない。この借りをどう返せばいいかも分からない。
「、そ、そう」
「うん」
「じゃ、じゃあ、場所、移動しよう」
「おっけー」
なまえの右側に並んで歩き出し、出来るだけなんでもない風を装って彼女の右手をするりと取って握った。即座にびっくりした顔を向けられたけれど、抵抗はされなかったので無視をした。
これはトド松が無言で貸してくれた数冊の雑誌を読み漁った成果だ。口で聞くのは緊張するけど、練習してタイミングさえ掴めれば意外と手を繋ぐのは簡単らしい。いや、誰と練習したとかは絶対に言わないぞ。
「今日さ、あんまり気取ったところ行かないけど、いいよね?」
「う、うん、全然気にしない」
「ん、じゃあとりあえず公園行こう。紫陽花祭りっていうのやってるんだって」
デート場所は、身の丈にあった無理のない場所。これは僕がデートプランを考えているときに、トド松に言われたことだ。因みに僕がそれまで立てていたデートプランは鼻で笑われたあとに燃やされた。末弟が最近バイオレンスで心配だ。あ、いや、昔からだった。じゃあいいか。
そこで僕が選んだのが、ちょうど開催期間が被っていた、紫陽花祭り。
前に一松が、なまえは紫陽花が好きだと言っていたのを思い出したのと、公園なら気兼ねもないし、変に緊張して失敗することもないだろうと踏んでのことだ。
「…紫陽花祭りなんてあったんだ」
「そ、好きだろ?紫陽花」
「えっ、なんで知ってんの?」
「…一松が、言ってたんだけど…、ごめん、違った?興味ない?」
「ううん!好きだよ、紫陽花」
「そ、そっか…よかった」
あれ、てか、弟の受け売りとかダメだったかな?やばい?お前はそんなことも知らないで一緒に居たのかよとか思われてる?いや!でもだってそんなの仕方ないじゃん!意識したことなかったし!いや、それが第一前提としてダメなのか?!え、じゃあもう俺どうすりゃいいの!?
つい、と袖先を引っ張られた。え
「ありがと」
「…っへ?」
「だから、ありがとう、チョロ松」
「え、なにが?えっ?」
「私の好きなものに合わせてくれて。嬉しい」
足が止まって、なまえの顔を凝視してしまった。
こいつ、こんななんでもないことに嬉しいとか言える奴だったのか。紫陽花だって、全然僕の手柄ってわけじゃないのに。公園に行くのだって、僕がそのほうが楽ってだけだし。なのに、なのになんでこいつは
「チョロ松?」
「…なんでもない、ごめん、行こうか」
「うん」
公園は祭りをやっているだけあって、多くの人で賑わっていた。駐車場も満車らしく、公園周りには路上駐車している車も多くある。
「結構、人居るなぁ…」
「ね、…あ!チョロ松見て!通り一面紫陽花だよ!!」
無邪気な顔で、なまえは祭りの趣旨である紫陽花が満開に咲き乱れた通りへと僕の手を引っ張る。僕はそれに合わせて少し大股で歩いて、なまえの背中を追った。
広い砂利道の左右に並ぶ、青や紫、濃い赤紫にピンクといった多種多様な彩りの紫陽花たち。その光景は一言で言って圧巻だ。今まで平然と見てきた紫陽花が、どうしてこんなにも綺麗に心に響くのか。この感動を、なまえも感じているのだろうか。
「凄いな…」
「うん、綺麗…」
「ぼく、こんなに紫陽花が綺麗なんて知らなかった」
「あら、それは人生の三割は損してたねぇ」
「そんなに?あいや、そんなに、かもな」
「私ね、こうやって綺麗に咲いてる紫陽花も好きだけど、枯れて茶色くなった紫陽花も好きなんだぁ。ノスタルジックで素敵」
「へぇ…枯れた紫陽花とか、見たことないかも」
「気にしてなかったら記憶に残らないかも」
「そっか、見てるけど、憶えてないだけか」
「今度からどうぞ気にしてみて」
「うん、そうする」
ゆっくりと紫陽花を味わいながら、屋台が立ち並ぶ広場まで来る。音楽や周りの話し声で、さっきまで静かに感じていた空間に突然喧騒が流れ込んで来たような錯覚に陥った。
「お、屋台もいっぱいあるねぇ」
「お腹空いてる?」
「んー、少し?」
「じゃあ、軽く摘めるもの買って紫陽花見て回ろう。奥のほうに展示会場ってのがあって、紫陽花の活花とか展示してるらしいよ」
「いいね!じゃあたこ焼き食べようたこ焼き!」
「たこ焼きは逃げねぇから、はしゃぐなって」
「お祭りのたこ焼きって美味しいから好き!」
「分かった分かった、はいはい並ぶよー」
「はーい」
なにこれ、超楽しいんだけど。
無邪気にはしゃぐなまえを見下ろして、僕はなんで今までこいつのことなんとも思わなかったのだろうと思った。そりゃ、過去を後悔しても仕方ない。でも、どうして今まで僕は、ことあるごとに突っかかって、ムカついていたのだろう。今までの僕の対応はひどいものだったと思う。それなのに、こいつは昔から変わらない。僕を怒るでも恐れるでもなく、変わらずくだらない言い合いをしてくれて、口喧嘩もしてくれて、ときにはこうして隣で笑ってくれる。
ずっとなまえのそんな優しさに甘え続けていた僕は、勝手になまえのことを馬鹿にして見下して、…とんだクズ野郎だな。
再度、隣を見下ろす。うん、欲目なしに普通に可愛い。考えてみたら、素っぴん同然の時だって顔整ってて可愛いんだよ。それを普通だって思ってたけど、こうやって外に出るとよく分かる。こいつ、可愛い。
仕草も女の子らしい、けど言葉はサバサバしてて付き合いやすいし、変に媚びないから一緒に居て楽だ。そういえば、良い匂いもする。多分抱きしめたら、折れないけど柔らかいんだろうな。頬もぷにぷにしてそうだし、唇も、柔らかそう
「たこ焼きひとつください!」
「ッハ!?(今、俺なに考えてた!?)」
「チョロ松、半分こでいいでしょ?」
「えっ、あっ、うん、うん!」
「…大丈夫?」
「大丈夫?!もう全然大丈夫だから!!」
「そ、そうか、ならいいけど…」
落ち着かない心臓を思い切り殴ったら、慌てた様子のなまえに心配された。いやもうはい、全然大丈夫ですので!
ちらちらと心配げにこちらを見ていたなまえも、展示会場に着くとそんなことなど忘れて晴れやかな笑顔になった。
立方体のガラスケースに入った様々な趣向を凝らした紫陽花が、白い布のかけられた長机の上に並んでいる様は、なかなか目に面白い。僕らはそれを、たこ焼きをつつきながら見て回ることにした。
「ふおぉ…綺麗だなぁ…」
「うん、ほんと、綺麗だ」
「あ、チョロ松!あれ見て!」
「ん?」
なまえが指差したのは少し先にあるガラスケース。近づいて見てみれば、それは枯れた紫陽花が主役の活花だった。
「…ね、綺麗でしょ?」
「……うん」
それはなまえの言うとおり、心が哀愁で満たされるくらいノスタルジックで綺麗だった。意味もなく泣きたくなる。そんな作品。
なまえに言われなければ、僕はこの枯れた花を紫陽花だとも思わなかっただろう。ただの枯れ草、それくらいにしか思わなかったはずだ。それだけなのに、なぜか途端にこの枯れた紫陽花を愛しく感じる。僕は心底単純な人間だ。
「こんなにいろんな紫陽花が見れるなんて、幸せだなぁ」
「エコな幸福だな」
「エコだよ、地球に優しいよ」
悪戯に笑って僕を見上げる顔が超絶可愛い。なんなんだよ。なんで今まで気づかなかったんだよ。他の兄弟よりは確かに距離はあったけど、近くには居たわけだし。二人きりで遊んだのはこの前のが初めてだったけど。いや、家の中では二人きりってこともあったんだよ、他の兄弟が居ないときも普通に部屋で寛いでいったりしてたんだよこいつ。ん?そう考えるとこいつの貞操観念って大丈夫なのか?僕だったとはいえ、男と狭い部屋に二人きりだぞ?そういやあの公認会計士とどこで出会ったとかなんでデートすることになったとかも全然知らないし、こいつそういうところゆるゆるなのか?まさか、股もゆるゆるなんじゃ…!っいいや!!それは!!ない!!大丈夫だ松野チョロ松!落ち着けぇ、そうだよこいつ新品だって言ってたし!!そういうところはしっかりしてるんだ!!大丈夫!!
「おーい、チョロ松?」
「っ!な、なに!?」
「今日ちょいちょい意識飛んでるよね、本当に大丈夫?」
「い、いやもう全然本当大丈夫だから!ちょっと考え事してただけで…」
「考え事?」
「お前のこととか」
「私のこと?」
「ッッちっがう!!!違う違う!!ハハッお前自意識過剰だなぁ!おま…おまるのことだよ!おまるのこと!!」
「お、おまる?あの、赤ちゃんのトイレトレーニング用の…?」
「そう!それ!!」
「へぇー…」
馬鹿か…!!!なんだよおまるのことって!?それならお前のこと考えてたってほうが高感度高いじゃん!!デート中に突然おまるのこと考えて思考停止する奴とかただの変態…!!人として嫌だよ!!もうこの話題は変えよう!!
「ところで、お前って股緩いの?」
「…は?」
はい。終わった。
終わったー!!!ハイ!これ終わりましたー!!!なに言ってんの?!なに聞いてんの俺ええええ…ッ!!!!確かに話題変えようとは思ったよ?でもその方向転換のほうがよりダメ!!なんでこんなにクズなんだよ俺!!!前世でなにやらかしたんだ!?もうダメだ、完璧に嫌われた。如何に今までのことを寛大に許してくれてたこいつでもさすがにもうダメですよ。シコ松本気で気持ち悪い、私公認会計士と結婚するからもう顔も見たくない、ドブに沈めこの祖チン短小早漏包茎クズ野郎死んでとか言われちゃう!!…いや、待てよ?それはそれで…ダッッッメだよ!!!どこまで馬鹿だよこのポンコツ思考回路ォオオ!!こいつが他の男のところに行くって時点でダメだよアウトだよ!!!
「私はまだトイレ大丈夫だけど、チョロ松行きたいなら素直にそう言えば?」
「…………はい?」
「いや、おまるとか股とか、どうせトイレ行きたくてぐるぐる考えた結果口から出ちゃったんでしょ。もうさぁ、雰囲気壊すとかそういうの考えなくていいから、トイレは普通に「ちょっとお手洗い行ってくる」って言って抜けていいんだよ?てか、逆に雰囲気壊れるからチョロ松はあんまり考えすぎないほうがいいよ」
「……………」
なんだ、こいつ女神か?
「私、あそこのベンチで待ってるから。帰ってきたら、また屋台見に行こう?」
「…はい」
「んじゃあ、いってらっしゃい」
「はい、いって、きます」
ベンチに向かうなまえの背中を見送って、公園のトイレへと向かった。
やばい。やばいよ。あいつただの女神だった。どうしよう。こんだけ失態晒しても、さらっと流すの?しかも助け舟まで出すの?マジなんなの?もしかして僕、今女神とデートしてる?女神とデートしてるわ。そうだ、マツッターで呟こう。
女神とデートなう。 #紫陽花祭り #赤塚公園
個室のドアにもたれて、溜め込んでいた息を吐いた。
これ以上の失態はやばいぞ松野チョロ松。なにも分かっていない僕にだって分かる、単純なことだ。今日のデートを成功させなければ、あいつは公認会計士を騙るクズと結婚してしまう…!!
もう九割近くダメな気がするが、まだだ!まだ終わらんよ!!ここからまだ巻き返せるはずだ!!
意気込みも新たにトイレを出て、なまえが居るベンチへと急ぐと、そこには見知らぬ男と話しをしているなまえの姿があった。知り合いか?僕はなまえの交友関係を一切知らないが、親しげなのは相手の男だけのように見える。
「ねぇ、いいじゃん。どう?カラオケ、俺歌上手いよ」
「いえ、遠慮します。友達を待ってるので」
「あ、じゃあさ!その友達も含めて!飲みは?お酒好き?俺、雰囲気の良い店知ってんだよねぇ」
「遠慮します」
「ええ〜、いいじゃんいいじゃん、ここで会えたのもなにかの縁だと思わない?」
「思わないね」
「ああ?んだ、お前」
なにかと思ったら、ナンパかよ。クソパリピが。リア充気取りか知らないが、気持ち悪い顔面ひっさげてなに言ってんだこいつ。
「チョロ松、おかえり」
「ただいま」
「っなんだよ、男連れ?それならそうと先に言えよ、期待持たせやがって!クソあッギュク!?」
うるさい男の顎を片手で掴んだ。よく回りそうな舌だなぁ、つーか顔油ぎってるじゃねぇか気持ちわりぃ。
「お兄さん、祭りの雰囲気に流されてか知らないけど、ナンパなら相手くらい選びなよ。身の丈って言葉知ってる?ぼくも最近知ったんだけど、教えてあげようか?つぅか、もしかして今この子に暴言吐こうとした?したよね?そういうの良くないなぁ、良くないよね?そういうの男の風上にも置けないと思うんだ、分かるよね?…今すぐその下半身についてるきっったねぇモンぶっ潰すぞゴルァア!!ああ?!」
「ヒッ!ヒィィィイ!?」
「ストップストーップ!チョロ松!」
力を込めた腕になまえが縋りついてきた。僕の目を真っ直ぐに見上げる瞳は揺らいでいる。振り払うように男の顎を離してやると、何度か足をもつれさせながら走り去ってしまった。ああいうの警察で取り締まったり出来ないのかな。
「チョロ松、」
「……ごめん、なんもされてない?」
「うん、大丈夫。声かけられただけだから、触られてもないよ」
「そっか…よかった」
「よくないよ」
「えっ、もしかしてもっとひどいこと言われたりしてた!?あのクソ野郎…ッ!ちょっと待ってて、今すぐあいつら呼んで…」
「チョロ松」
スマホに伸びた腕を掴まれた。なまえを見れば、悲しそうな顔。
ああ、僕またやらかしたんだな。そう気づいたときにやっと頭にのぼっていた血が引いて、引きすぎて、サーッと血の気がなくなった。
「ご、ごめんっ…ぼくは、ただ」
「うん、助けてくれようとしたんだよね?それは、ありがとう」
僕の腕から離れたなまえの手を見て、咄嗟に引きとめようと手が動いた。中途半端に伸ばした僕の手のひらに、なまえの柔らかな手のひらが触れて、そのまま指が絡まる。
「でも、殴ったりする喧嘩はよくないよ。私は、チョロ松が怪我したりするの、嫌だよ」
にぎ、にぎ。言葉に合わせて繋いだ手が規則的に握られて、肩から力が抜けていく。それが彼女にも伝わったのか、なまえは次第に笑顔を取り戻していた。
「ごめん、次から手は出さない」
「うん、分かればよろしい」
ぎゅ、となまえの小さな手を握り返した。
「…雰囲気とか、気分も、悪くしてごめん」
「チョロ松、今日はよく謝るね?」
「茶化すなよ、本気で言ってるんだから」
「ごめんごめん」
ふふ、と笑う余裕がでたなまえが僕の手を引いて歩きだした。
「ほら、屋台見に行こう!まだお祭り満喫してないよ!」
「うん、そうだね」
僕は、やっぱりこいつが好きだ。
優しい彼女とダメな僕
(2016.07.24)