数多く立ち並ぶ屋台は、その殆んどが子供の頃の記憶にあるそれと一緒で、お互いまるで子供の頃に戻ったような気分で色々回ることが出来た。見たことがないクレープやケバブの屋台にも行って、射的では僕が落とした小さなブタの置物をなまえは嬉しそうに受け取ってくれた。
気づけば辺りはすっかり日が落ちて、夏の薄明るい夕方が広がっている。
「あ、このブタ、緑の蝶ネクタイしてる」
「貯金箱でもなんでもなくて置物って…使い道無いよなぁ」
「そう?可愛いから癒されるでしょ」
「憎たらしい顔してない?」
「あはは、チョロ松そっくりー」
「お前、喧嘩売ってる?表出ろ」
「既に外なんだが」
眺めていたブタの置物をバッグに仕舞うのを見届けて、僕らは割高の生ビールを買って園内を散歩することにした。手は繋いだままだから、なんとなく不自由なんだけど、それがなんだか幸せだった。
「ビール片手に公園散歩とか、大人の贅沢って感じだよねぇ」
「いいねこれ、クセになりそう」
「んー、私も」
すれ違うのは家族連れ、中高生くらいのカップル、いつも公園に居そうなおっさん、その誰もが僕ら二人の姿を変とも思わない。だけど、僕にとってこの状況はとても変で、それでいてずっと続けばいいなんて思ってしまう。
僕の気持ちばかり勝手に盛り上がって、結局のところなまえの気持ちなどは全然分からないし、聞いてもいない。まぁ、いきなり聞くような内容でもない。
きっとなまえだって驚くはずだ。今まで、会えば言い争いになっていた憎たらしい男が、突然お前を好きだなんて、僕が逆の立場だったら絶対に信じない。むしろ、前までの僕が突然なまえに告白されたら、兄弟の指示でからかってるんだろうと当たりをつけて適当に流していたことだろう。なんなら暴言のひとつでも吐いたかもしれない。改めて自覚出来るクズさだ。
「公園の大人の楽しみ方だよね」
「そうだねぇ、公園なんて遊具で遊ぶか走り回るしかして来なかったもんなぁ」
「それが今じゃ、ビール片手にのんびり散歩ですよ」
「大人になっちゃったな、ぼくら」
「そうだねぇ…」
蒸し暑さで、繋いだ手が汗ばんでいるのに、こいつは一度も自分から離そうとしない。僕が少し力を入れて握ってみると、同じように握り返してくれる。女神健在である。
「高校のときの私はさ、」
「ん?」
「今こうやってチョロ松と夜の公園を、ビール片手に歩いてるなんて想像もしなかったと思うよ」
「そりゃ、ぼくだってそうだよ」
なんなら二週間前の僕だって、そんな想像しなかったよ。まして、こんなに好きになるなんて。きっと過去の僕が今の僕を知ったら、びっくりして腰を抜かすと思う。もしくは「はあ?」と一笑に付して顔歪めるとか。うわ、僕やりそう…。
「まぁ、過去のことはいいか、大事なのは今だもんね」
「まるで過去のボクにナニカ問題ガアルヨウデスケド」
「…自覚がないのが、一番危ないんだよ…?」
「憐憫の目を向けるのやめろよ!」
確かに、僕にずっと問題があったことは否めない。許してくれていたのはいつもなまえのほうだ。なまえだから、僕はそばに居られた。なまえだから、僕はもっとそばに居たいと思った。遅いか早いかで言われれば、当然ながら遅すぎるのだけど。それでも、これからの僕はなまえを大事にしたいと思っている。今はそれが、嘘偽りの無い本心だ。
「もう結構暗いし、そろそろ帰る?」
「っあ、ああ、そうか、もうこんな時間か…」
時計を見れば、もう夜の八時を回っている。成人同士のデートとしては早い解散かもしれないが、なまえは明日仕事だろうし、早く帰りたいだろう。
楽しい時間はあっと言う間、これを最初に言ったやつは凄い。本当にそうなのだから。
名残惜しく思いながら、僕たちは待ち合わせた駅へと向かう。夜風の涼しさが体を冷やすのに、繋いだ手だけはずっと温かい。なまえも名残惜しく思ってくれていればいい。そんなありもしないことを期待してしまう僕は、相当脳みそがふやけているに違いない。
改札口に着いて、手を繋いだまま向かい合う。なまえはにっこりと屈託ない笑顔で僕を見上げていた。
「今日はありがとう、チョロ松。すっごい楽しかったよ」
「ん、こちらこそ。ぼくも楽しかった」
「お祭りだけでこんなに長時間遊んだの初めてだし、途中だれたりもしなかったし、うん、今日のチョロ松は”A++”ってところかな!おめでとう!」
「っぷ、なんだよそれ。あーでも、よかったぁ」
高評価。ってことは、こいつはあの公認会計士とは会わないってことだよな。それで、これからは出来るだけ二人で会おう。そして、僕は変わったんだと伝えるんだ。君のために変わりたいんだと。
「なまえ、次の予定なんだけど…」
「ううん、今日の感じならもう大丈夫だよ。これなら他の子とデートしても大丈夫!なまえちゃんからお墨付きをあげましょう」
にこにこと嬉しそうに笑って、なまえは僕の胸をトンと小突いた。
「練習はほぼ満点だから、次は本番だねー。今日の服装も凄く良いし、もし心配なことがあるならアドバイスするけど?」
そっか、こいつ、今日のこともデートの練習だと思ってたのか。じゃあ手を繋いでくれるのも、僕の練習のためで。今日一日、僕が今後他の誰かとデートするときのことを考えながら一緒に居たってことなんだ。ああ、それでA++ね。こんなに嬉しくない高評価ってあるんだな。
「…ひとつだけ、気になってることがあるんだ」
「うんうん、なんでもどうぞ?」
「ん、じゃあもう少し付き合ってよ」
「っわ、チョロ松?」
少し強引になまえの手を引いて、僕らは改札を離れた。無言でずんずんと進む僕の後を追うように、なまえは少し戸惑いながらついてくる。少し歩調を緩めると、安心したように僕の隣を歩き始めたなまえを見下ろして、握った手に少し力を入れる。この手を離すのはもう少し後にさせてもらおう。
着いた先は、様々な喧騒で溢れかえる場所。もう夜という時間だけど、まだちらほらと学生くらいの若い少年たちがたむろしているそこは、以前なまえと一緒に来たゲームセンターだ。目的地は迷わず地下。僕は機種について詳しくはないから、適当に空いている機体の撮影ルームに潜り込んだ。
「なんだ、プリクラもリベンジってこと?」
「いいだろ、記念に」
「いいけど」
どこか腑に落ちない顔のなまえをそのままに、投入口に百円玉を四枚入れて、画面を見る。カップルかフレンドか選べと出たので迷わずカップルを選択してやった。その後は分からないから、全部オススメ。背景やフレームも適当にぽんぽんと選んでいく。
「チョ、チョロ松がプリ機を操作してる…っ」
人って成長するんだね、なんて馬鹿にしてんのか。ああ、馬鹿にしてんのか。
準備が整ったので、なまえの隣に立つ。目線はカメラのまま、手も繋いだままだ。
「なぁ、今日ぼくのデートは満点だって言ってたろ」
「え、うん」
「それって、ぼくと居て楽しかったってことだよな?」
「そうだよ」
「ぼくも今日、凄く楽しかった」
カウントダウンが始まって、シャッターが切られる。真顔の僕と、不安げにそれを見上げるなまえの姿が映った。なんて滑稽な。もしかしたら今の状況は、ぎこちない笑顔やコスプレよりも滑稽かもしれない。
僕もなまえを見下ろせば、見つめ合う男女の姿が完成だ。
「チョロ松、なんか、変だよ」
「お前は今日練習のつもりだったかも知れないけど、ぼくには今日が本番だったんだ」
目を見開いて、口も半開きのまま固まったなまえ。あはは、面白い顔。
「変なこと言ってると思うだろうけど、聞いて」
「………ちょ、ろ」
「ぼくらお互い、今まで意識なんかしたこと無かったと思う。でもぼくは気づいたんだ、お前がどれだけ優しくて、可愛くて、相手のことを思える奴かってこと。ほら、枯れた紫陽花」
「…っえ、あじさい?」
「そう、ぼくにとってお前は枯れた紫陽花。お前が教えてくれたんだよ、今まで目も向けず気づかなかったものが、こんなにも綺麗で、悲しくなるくらい愛しく感じてしまうこと」
代わり映えの無い音声で、ふざけた指示が出る。カップル仕様を選んだからか、先程からやたらとくっつけだのラブラブだのと楽しそうに言ってはカウントダウン。
それに従うわけじゃないけれど、右手をなまえの頬に伸ばして、柔らかな肌を親指で撫でた。やっぱりぷにぷにしてる。女の子はどこもかしこも柔らかいと思っていたのは、間違いではなかったみたいだ。
首の裏を掴んで引き寄せると、僅かにたたらを踏んだなまえの身が固く強張る。
「なまえ」
名前を呼ぶのと同時に、目の前の唇に自分のそれを押しつけた。
びくりと体を震わせて、繋いだ手をぎゅっと握られる。反対の手は、僕の服の胸元に皺を作っていた。
唇を少し離して、もう一度押しつける。それを繰り返して、次に角度を変えて押しつけてみる。柔くてマシュマロみたいな唇に、ひどく興奮して心臓が喉元までせり上がって来ているようだった。息も荒くなる。唇で食んで、むにむにとなまえのそれを味わう。舌を出して舐めてみると、びくりとなまえの全身が跳ねて強張った。僕の服を掴む手が震えている。繋いだ手の甲を親指で撫でると、また震えた。楽しい。
キスって本当に、ちゅっと音がするんだ。吸いついてから唇を離すと、濡れた音がする。僕、今凄くはあはあ言ってるけど、もうなにが正常なのかも分からない。頭の芯がとろけて、くらくらと沸騰しているんだ。もうなにも分からないかもしれない。
必死になまえの唇を舐めていると、ぬるりと温かな口腔に僕の舌が入り込んだ。この硬いのは歯だろう、じゃあこのぬらついて温かで柔らかい肉感はなまえの舌だ。舐めて、吸いついて、かぶりつく、ぐりぐりと強めに舐めて、何度もリップ音を鳴らして、獣みたいに貪っていたと思う。
ぷあ、互いの涎で口の周りはべとべと。それもべろりと舐めて、唇を離した。額が触れる距離、鼻が擦り合う距離でなまえの目を覗き込む。真っ赤に濡れて虚ろな瞳は、涙の膜が張ってきらきらと輝いている。あ、ここ撮影ルームだから撮影ライトが瞳に入り込んでるのか。そう考えると、今まで聞こえていなかった様々な喧騒が戻ってくる。
「好き、なまえ、好きだよ」
こんなに近い距離でも、意外と相手の顔って見られるもんなんだな。もっとピントが合わなくてぼやけるもんだと思ってた。なまえの瞳が僕の言葉ひとつひとつに揺れるのが分かる。それだけで、こんなにも愛しい。
親指で頬を撫でて、もう一度唇を合わせてから、顔を離す。すぐさま俯いたなまえの表情は見えなかったけれど、見える項や耳の縁が赤く色づいてることや、まだ僕の服を掴んだままの手、繋がれたままの手を見ると、嫌でも期待してしまう。そうだったらいい、じゃない、そうだって思ってしまう。こんな僕でも、お前はやっぱり受け入れてしまうのかな。馬鹿だなぁお前、そんなだから僕みたいなのにつけ込まれるんだよ。だったら早くつけ込まれてよ。
「…口説き文句に、枯れた紫陽花は、どうなの」
「好きなんだろ?枯れた紫陽花」
「好き、だけど…」
「ぼくも好きだよ」
俯いた頭を撫でる。あーもう一回キスしたい。嘘、もっといっぱいキスしたい。
そろりそろりと頭が上がって、なまえの顔が見えてきた。上がりきった顔はやっぱり凄く赤くて、目線はうろうろと泳いでいる。
「なまえ?」
「…チョロ松さ、…ずるいよ」
「なにが?」
「…童貞のくせに、なんでそんな平然としてるの…」
「これでもいっぱいいっぱいなんだけど」
「それに、こんなときだけ名前、呼ぶなんて…」
「え、そう?いつも呼んでない?」
「呼んでないよ!バカ!」
真っ赤な顔で詰め寄ってきて、ドンドンと胸を叩かれた。えっ、嘘、僕なまえのこと名前で呼んでない?え?いつも呼んでたと思ったけど、あれ?
「うーっ、バカバカ!バカ松!!」
「ちょ、イタっ!バカ松はおそ松だろ!?」
「バカシコスキー!!」
「だからそれおそ松っいでぇ!!ちょ、待てって!!」
ポカポカとうるさいので、もうめんどくさいから抱き込んでみた。落ち着くかと思ったけど、なおもなまえは腕の中で暴れている。まるで子猫みたいなそれを宥めるために、繋いだ手を離して両手で強く抱きしめると、やっと動きが鈍くなる。
そのまま背中をゆっくり撫でていくと、徐々に体から力が抜けて、寄りかかってきた。子猫を懐柔した気分だ。可愛い。
「…もう一回言ったほうがいい?」
「も、もういいよ、分かったから」
「なまえ、好き」
「わ、分かったってば!!」
「すっごい好き、多分愛してる」
「やーめーてっ!!お前はカラ松か!!」
「他の男の名前出すなよ。キスすんぞ」
「ぎゃああー!!」
また暴れだしたので、とりあえずキスしておいた。
なまえを宥めてプリクラ機から出ると、既に二枚のシールが出ていた。全部タイムアップになったんだろう。取り出して見てみると、最後のワンショットは所謂キスプリってやつになっている。うわ、なんだこれ積極的に撮る奴の気が知れないくらい恥ずかしい。でも、良い記念品だな。
「ん、ほら」
「……なに」
拗ねているのか、先ほどから黙ったままそっぽを向いているなまえに、そのシールを二枚とも押しつけた。
「ぼくが持っていられるわけないだろ?他の兄弟に見られても良いって言うなら持って帰るけど」
「分かった!私が持って帰ります!」
真っ赤な顔で僕からシールを引っ手繰ったなまえは、またそっぽを向いてしまう。お前は猫かよ。
手を伸ばして、なまえの手を握る。拒絶はされなかった。そのまま手を引いて、僕らはまた駅を目指す。道中なまえは黙ったまま、今までより遅い速度でゆっくりと僕のあとについてきた。改札口に着いても、なまえは黙ったままで、僕の手も離さない。
なまえが乗る最終は何時だったっけ、日を跨ぐ前だったことは確かだったと思う。
「お前、時間大丈夫?」
「…うん、次のに乗る…」
「そう、切符は?」
「…定期の範囲だから、」
「そっか」
繋いだ手の甲を親指で撫でる。ぴくりと震えて小さくなるなまえは、こういうのに慣れてないんだっていうのが分かって、これ以上無い優越感だ。ははっ、童貞の俺に良いようにされてやんの。
「…公認会計士の男には会わないでくれる?」
「……うん」
「よかった」
「チョロ松…」
「ん、なに?」
「チョロ松は…、私と付き合いたいの?」
「んー、まぁ、多分」
「多分ってアンタ…」
「べつに、なまえのそばに居られてキスしたり抱きしめたり出来んなら形は問わないよ」
「なにそれ」
「あ、あと他の男に色目使ったり会ったりしないでって言える立場がいい」
「…っぷ、それはやっぱり、恋人なんじゃないかな?」
「そっか、じゃあなまえの恋人になりたい」
やっと笑ってくれた。はにかんで笑う顔は可愛い。大口開けて笑う顔も好きだけど、これはこれでかなり好きだ。
「…バーカ」
「なんでバカ呼ばわり?」
「チョロ松なんか、童貞ニートだし、空気読めないし、すぐ怒鳴るし、ツッコミいれるし、叫ぶとうるさいし、シコ松だし、変態だし」
「ん?どうした?喧嘩売ってる?」
「そんな救いようのない奴、貰い手ないでしょ」
「よーし、買うよ?買っちゃうよ?」
「だから、もらってあげる」
寄せていた眉間の皺を緩めて、なまえを見る。真っ直ぐに見上げてくる目とかち合った。
「しょうがないから、私がチョロ松の恋人になってあげるよ」
多分、今心臓が爆発した。血管もドクドクうるさいし、あれっ心臓どこ行った?ああ、大丈夫だ、あった。あーなんだ、なんだろ、すっげー嬉しい。泣けてきた。
「うぜー…上から目線かよちくしょー」
「あは、あはは、チョロ松泣いてるー」
「泣いてねぇよ、目から涎出てんだよ…っ」
「なにそれ気持ち悪い」
どんな関係になったって、僕らは変わらない。どちらかが肩を揺らして笑い始めると、相手も合わせたように笑い始めて、周りからちらちらと視線をもらうくらいに僕らは一頻り笑い合った。
離れるのが惜しくなって、繋いだ手を引いて触れるだけのキスをしたら、普通に張り手を食らった。恥ずかしがり屋め。
浮かれすぎ?
仕方ないでしょ、お前に夢中なんだよ。
(2016.07.24)