朝から気分は急上昇!
勿論アレだよ?深夜二時は最悪な気分で起きたけど、バスタオルを出しておいてくれる優しさとか、チェストの上に飾ってある僕があげた豚の置物とか、あどけない寝顔とか、布団から出た生足とかで、正直そんなものはどうでもよくなった。不幸中の幸いか、あいつは昨日のことをまるっと憶えてないみたいだったし、結果的に軽蔑されて嫌われるという事態も回避出来て、僕としては万々歳だ。加えて朝ごはんの豪華さと美味しさ!十四松がなまえは料理上手だって言ってたけど、本当にそうだと思う。いいお嫁さんになるね絶対!…あわよくば勿論、僕のお嫁さんに…ってのはまだ早いけど!なまえとならいろんな未来を想像出来る。あーほんと、あいつなんで僕なんかと付き合ってくれてるんだろう。優しさが女神の領域を超越しそうだ。
初めて体験した通勤ラッシュでは、あいつの危機管理能力の低さを改めて思い知らされたわけだけど、そんな瑣末なことがどうでもよくなることが起こった。
駅前でのキス。
ぶつけるようなキスだったけど、それでもあいつからしてくれたことに変わりはないし、なにより勢いがあっても柔らかいものは柔らかかった。
走り去るなまえの後ろ姿を見送った僕は、三時間後に駅員さんに話しかけられるまでそのまま固まっていたらしい。記憶が無い。
その後、なんとか意識を取り戻して実家に帰宅。昼になって起きてきた兄弟たちに外泊についてなんやかんや言われたが全て無視を決め込んだ。だって、なまえとのことはこいつらにまだ話す気もないし、なまえの寝起きの顔が可愛いこととか、触ればどこもかしこも柔らかくて甘い匂いがすることだとか、僕が感じる全ての幸せは僕だけのものだ。こいつらに分けてやる気は毛頭無い。いや、トド松には頭が上がらないほど世話になったから言うつもりだけど…もう少し独り占めしててもいいじゃないか。
はあーー…こんなに幸せでいいのかな。いいよね。だってきっと、なまえとなら今後の人生もずっと幸せなんだから。
「ごめんくださーい」
あれっ、この声は
「トト子ちゃあ〜ん!いらっしゃい!!」
やっぱり、トト子ちゃんだ!
真っ先におそ松兄さんが玄関に出て、他の兄弟がそれを追う。勿論僕も例外じゃない。玄関に出れば、そこにはいつもどおり超絶可愛いトト子ちゃんが愛らしい笑顔を浮かべて立っていた。
「どうしたの!?トト子ちゃん!」
「珍しいよね、うちに来るなんてさ…」
「ッフ、オレに会いたくなったか?」
「野球する?!やきう!!」
「今日も超絶可愛いよ!トト子ちゃあ〜ん!」
だらしなく頬を緩める成人男性が六人。でも仕方ないよね、だって相手はトト子ちゃんだよ?超絶可愛くて小悪魔で最強アイドルな僕らの自慢の幼馴染なんだよ?顔がだらしなくなっちゃうのは自然の摂理ってやつだろ?
「今日はね、みんなにお願いがあって来たの」
「「「なになになに!?」」」
「トト子ちゃんのお願いならなんでも聞いちゃうよ!」
「トト子…、今日どうっっっしてもライブがやりたいの!」
「えっ、でもトト子ちゃん、ライブっていうのは事前に…」
「バッキャロー!!トト子ちゃんが今日やりたいって言ってるんだから今日やるんだよ!!」
「ええ?!でも会場は?!」
「いや、トト子ちゃんの可愛さなら野外ライブでもイケる…!入場者数や敷地面積、ステージを考えても、赤塚公園の広場なら市役所行けば許可を取れるはず!!」
「さすが敏腕マネージャー!!」
「よぉし!それで行くぞ!!」
「まずは集客だね!トト子ちゃん、ライブは何時から?!」
「うんとねぇ、トト子の準備もあるからぁ、だいたい六時くらいが良いと思うの!」
えっ、ろくじ?
「そうと決まれば、お前たち!手分けして設営と集客だ!絶対にライブを成功させるぞ!!」
「「「おおーっ!!」」」
「…ちょっと待って」
盛り上がっていた兄弟と、にこにこ顔のトト子ちゃんが一斉に僕を見る。一松に至っては赤子も黙りそうな凶悪な顔で睨んできている。僕だって冷や汗が止まらない。
「ろ、六時はやめたほうがいいんじゃないかな…?ほら、もっと遅い時間のほうが人も集まるだろうし!夜の野外ライブっていうのも話題性があって」
「チョロ松、お前なんか隠してるだろ?」
「バッ!ぼぼぼぼくが隠しごと?!なななにをだよ!!」
「クッソ分かりやすい。めちゃくちゃ目が泳いでるよチョロ松兄さん」
「だいたいトト子ちゃんの意見にお前が異論を唱えるなんておかしい!!」
「なんだ?!レイカのサイン会でもあんのか?!」
「レイカって誰だよ!!ちっがう!ぼくは集客率の効率化を図って…っ」
「ごめんくださーい」
兄弟たちに詰め寄られて今にも倒れそうな僕の耳は、ありえない事態を察知した。ギコリギコリと錆びたブリキのような動きで玄関を見れば、そこにはここに居るはずのない女神の姿。
「あれ、お取り込み中?」
アッ、なんだなまえか。いや違うよそうじゃなくて、なまえがなんでこんな時間にここに!?
「あっれー!なまえ!どうしたの?こんな時間に!」
「いま昼休み中で、ちょっと用事があってね」
用事ってなんですかね!?さっさとそれを済ませてさっさと仕事に戻ってもらってもいいですかね!?
なまえの登場をきっかけに僕から離れた兄弟たち。僕は体勢を立て直すことは出来たのだけど、依然汗が引かない。むしろさっきよりもやばい勢いで発汗している自信がある。
「なまえちゃん久しぶりーっ!元気してた?」
「久しぶりトト子ちゃん、元気だよー」
「トト子ね、今日ライブやるの!」
「え、ライブ?」
あ、まずいっ
「そう!六時から赤塚公園広場、よかったら是非来てほしいなっ!」
「あ、六時は難しいかな。ごめんね?」
「ううん、いいよー。なまえちゃん働いてるもん、仕方ないよね。クソニートの六つ子に手伝ってもらうし、観客もいーっぱい来るだろうから、気にしないで!」
トト子ちゃんとなまえの会話に、僕は先ほどから全身が冷え切っている。血が巡ってないんじゃないかな。今すぐ倒れてしまいそうな僕には、幸いにも誰一人として気がついていないようだ。しかし、なまえの視線がトト子ちゃんから僕へと流れて止まったついでに心臓も止まった。
違う、違うんだよ。僕は今正に時間の交渉をしようとしていたところで、お前を迎えに行くって話を忘れてたとかそんなことは絶対に無くて、勿論無責任にトト子ちゃんのライブのほうを選ぼうとか本当に一瞬でも考えたりしてなくて、ごめん違うんだ本当に違うんだよ。
口の中はカラカラで、喉はぴったりとくっついて、僕は言いたいことのひとつも声にすることが出来ないでいた。
「そっか、みんな頑張ってね」
にっこり、いつもの笑顔を見せたなまえ。そこには戸惑いだとか怒りだとかの感情は微塵も感じられなくて、逆に僕は戸惑ってしまう。
「私今日は、会社の飲み会なんだ。だから、ライブには行けないけど、楽しんでね」
「えっ」
「そっかぁ、なまえちゃん今日飲み会なんだぁ」
「トト子ざんねーん…」
「ごめんね、トト子ちゃん」
「あ、あと私今スマホ壊れてて、連絡取れないんだ」
「え!?そうなの!?」
「なに、壊したの…?」
「いや、それがさぁ…」
飲み会の話が初耳で驚くのも束の間、なまえの話では、スマホは見つかったが壊れて使えない状態なのだそうだ。けれど、差し出された無残な状態の薄っぺらな板には、どこか変な違和感があった。
「うわ、なにそれ」
「ひっどぉーい!車に轢かれたの?」
「分からないけど、今朝側溝に落ちてたのを会社の先輩が見つけてくれてね。でもまぁ、昨日から探してたし、どんな状態でも見つかってよかったよ」
あいまいな苦笑いを浮かべるなまえに、正直僕の胸が締めつけられた。今すぐ抱きしめてやりたい衝動を抑え込んで、ぐっと耐える。こいつらさえ居なければ…と考えてハッとした。僕、もしかして今トト子ちゃんすら邪魔に感じた?嘘だろ…。内臓を突き上げるような、自分でも理解しきれない衝撃に、全身が硬直した。まさか僕が、トト子ちゃんを蔑ろにするようなことを考えるなんて、ありえない。
「あ、トト子そろそろ行くね!じゃあ、あとはよろしくー!」
「「「はぁ〜い!任せといてトト子ちゃあ〜ん!!」」」
トト子ちゃんが外に出ると、五人がそれを追ってお見送り。玄関には、僕となまえの二人だけが残った。
「そういうわけだから、迎えは今日大丈夫だからね」
「…飲み会って、あいつも来んの…?」
「梅竹さん?うん、来るけど」
「そう、…気をつけろよ」
「大丈夫だよ、朝のアレ見られてたみたいだし…」
「朝のアレ…?」
「…駅前での」
「……あっ、あー…」
思い出して二人で赤面する。なんだこれ、恥ずかしい。
でも、きっとああいうイケメンにそういうのは関係ないはずだ。いつでも他人の彼女くらい奪えると思っているに違いない。クソ野郎が。
本当は物凄く行ってほしくないけど、そんなわがままを言えないことはさすがの僕でも分かる。なまえにはなまえの交流関係とか社会的地位ってものがあるのだ。あーでも行ってほしくないし行ってほしくないし行ってほしくない。せめて迎えに行きたい。持ち帰られたりしたらどうすんの?こいつなら、断るの悪いとか言ってさらっと持ち帰られそうで怖い。
「帰り、迎えに行く」
「何時になるか分からないし、タクシーで帰るから大丈夫だよ」
「いや、でもさ…」
「それに、トト子ちゃんのライブもあるでしょ?」
「そりゃ、そうだけど…」
「携帯無いから連絡も取れないし」
「あ、明日は?携帯買いに行ったりするだろ?」
「明日のお昼には買い替えに行くから、また連絡する」
「…分かった」
「いやぁー今日も超絶可愛かったねぇトト子ちゃん!」
「よォーし!早速準備するぞ!!」
戻ってきた兄弟と入れ替わりに、なまえは玄関の戸に手を掛ける。
「じゃあ、私そろそろ戻るね」
「えっ、なまえ帰っちゃうの?」
「おそ松たちも忙しいんでしょ」
「へへっ、まぁ頼まれちゃったしね!」
「ん、じゃあトト子ちゃんのライブ楽しんでね」
「おー、じゃあなー」
「仕事頑張ってねなまえちゃん」
「ありがとー」
兄弟に見送られて、なまえは行ってしまう。僕は兄弟の前だということで特になにも声を掛けられず、なまえの背中を見送ることしか出来なかった。
「ブラザー?なに突っ立ってるんだ?」
「…べつに。…よし!トト子ちゃんのライブ!絶対成功させるよみんな!!」
「「「おおーーっ!!」」」
今はとにかくトト子ちゃんのライブだ!!松野チョロ松この命に代えても絶対成功させるよ!トト子ちゃん!!
赤塚公園夜六時特別ライブ
よろしくお願いしまーす!
(2016.07.31)