今日は定時上がりに飲み会があるということもあって、社内の雰囲気はどこかふわふわと浮き足立っているようだった。お酒を飲むのが好きな人、部下と交流を図りたい上司、お目当ての同僚と仲良くなりたい人たち、理由は様々だが、多くの人はこの飲み会を楽しみにしているようだ。
私はと聞かれれば、正直、微妙なところである。勿論、こういう交流の場があるのはありがたいことだと思っている。他の課の子と知り合いになっておけば、なにかのときに連携も取りやすいし、書類の処理なんかも優先的にしてくれたりすることもある。打算的ではあるけれど、社会人として生きていくためにはこういうコネやツテっていうのは大事なことだ。
まぁ、それはそれとして。私はべつに飲み会のなにが気に入らないなんてことはない。じゃあなにが微妙なのか。その理由はひどくプライベートなものだ。
…私は、なぜかチョロ松にモヤモヤしていた。
六つ子がトト子ちゃんのことを大好きだということは、高校生の時分から充分に知っている。その中でもチョロ松は狂信的にトト子ちゃんが大好きだ。勿論、トト子ちゃんは可愛いし、あけっぴろげな性格を可愛さに昇華する絶対的な魅力があるから、みんながメロメロになるのも分かる。最近ではアイドル活動も始めて、六つ子が一番のファンだというのも理解している。けれど、なんだろう、なんでだろう。胸がムカムカと気持ち悪い。頭の奥がモヤモヤとして、今まで感じたことのない感情に自分自身が戸惑っているのが分かる。煩わしくてイライラする。ただ、ライブの手伝いをするだけなのに。私だって飲み会があるんだし、裏切られたわけじゃないのに。

晴れない気持ちのままでも、就業時間は過ぎるもの。気づけば時間は定時を回っていて、周りの同僚や上司たちが次々に退社準備を始めていた。私も倣うように荷物をまとめて、立ち上がる。会場はここから電車に乗って、チョロ松たちの家がある駅を降り、そこから少し移動したところにある居酒屋だ。収容人数のある居酒屋ってのは意外と少なくて、うちの社はいつもそこを贔屓にしている。
途中赤塚公園の近くも通る。もしかしたら、トト子ちゃんのライブを少し覘いて行くことも出来るかもしれない。ぼんやりとそんなことを考えていたら、気づけば電車も降りて目的の駅に着いていた。人間ってのは凄い。意識がまったくの外にあっても、流れで目的の行動をしているらしい。一緒に駅に着いていた他の同僚たちは、駅前のタクシー乗り場でタクシーを掴まえている。時間もまだあるし、私はやっぱり歩いて行こう。

赤塚公園に近づくと、微かに音楽が聞こえてきた。あれがトト子ちゃんの歌なのかな?腕時計を見ると、六時を少し回っている。
音楽に誘われるまま、赤塚公園の中を通り広場へと足を進める。広場に設営されたライブ会場は、夏フェスで見るような立派なものだった。色とりどりのビームライトが空に向かって踊り、音響設備だって馬鹿でかいプロ仕様のものに見える。六つ子の本気度が怖くて、思わず呆然としてしまった。やっぱりあいつらは、ニートのくせにときとして物凄いことをやってのける。
トト子ちゃんのライブは大盛況のようで、こんなにファンが居たんだと思うほど広場は満員御礼状態だ。確かに歌も上手いし、衣装に疑問は多くあるけれど、アレを着こなすだけの可愛さもある。バックダンサーの子がさっきから観客に向けて魚を投げているのも気になるけど、そういうパフォーマンスなのだろう。衣装も魚だし。
あれっ、マグロの解体ショーが始まった…?
アイドルのライブという概念が崩壊しそうである。

少しステージに近づくと、最前列で一際大声をあげて盛り上げている六つ子の姿を発見した。ライブTシャツに、中には半被を着てる奴も居る。曲に合わせてサイリウムを振り回し、完璧な振り付けと合いの手を入れている。中でもチョロ松はなぜかスーツに眼鏡、半被は勿論ハチマキまでして、キレッキレの振り付けと合いの手だ。

「トト子ォォオオ!!超絶可愛いよォオ!!トト子ォオオオ!!!」

最早、狂気である。
私は可愛いなんて、言われたことないのに。あいや、告白されたときに言われたっけ?でも、あんなのノーカンで良いと思う。べつに可愛いって言われたいわけじゃないし、あんな狂信的な扱いを受けたいわけじゃない。でも、どうしてかな

「…モヤモヤする」

キラキラしたライブ会場で、魚に群がる観客たち、一心にトト子ちゃんを応援する六つ子、その中で私だけが蚊帳の外だ。

「みょうじさん?」
「えっ?」

振り返ると、怪訝顔の梅竹さんが私を見止めて、ふわりと笑みを浮かべて見せた。どうしてここに梅竹さんが?

「よかった、やっぱりみょうじさんだった」
「あの、どうして」
「ごめん、公園に入って行くのが見えてね。追って来てしまったんだけど…迷惑だったかな?」
「いいえ、でも時間大丈夫ですか?」
「それはみょうじさんもでしょう?ほら行こう、乾杯に遅れるとなにか言われてしまうかもしれないよ」
「…そうですね」

そうだ、今は訳の分からないモヤモヤよりも、会社の飲み会に遅れないことのほうが重要だ。笑顔の梅竹さんの後を追って、足を踏み出したら、突然肩を強く掴まれて振り向かされた。
何が起きたか分からず目を白黒させている私の視界に入ったのは、息を切らせたチョロ松の姿。近くで見ると本当ふざけた格好だけど、スーツと眼鏡は似合いすぎてドキドキしてしまう。

「ぼくの彼女に、なにか用ですか?」

どうやら、私はチョロ松に肩を抱かれて彼の腕の中に居るらしい。でもなんで急に。状況を理解した私は、すぐさま腕を突っぱねて距離をとり、険しい表情のチョロ松を睨みあげた。

「ちょっとライブ覘きに来た私を、迎えに来てくれただけだから!」

私の言葉にも、チョロ松は不機嫌そうに眉を顰める。なにがそんなに不満なのか。私はアンタ以外の男とお喋りも、一緒に歩くことすら出来ないの?

「そうですよ、僕はみょうじさんを迎えに来ただけです。べつになにをしようっていうんじゃない」
「へぇー信じられませんねぇ、貴方みたいに顔が良いと彼氏持ちとか関係なく女を取って食ってそうだなって思っちゃうもんで」
「ちょっとチョロ松!!」
「はは、だいぶ嫌われてるようだね」
「すみません、梅竹さんっ」
「お前が謝ることないだろ」
「そうだよ、チョロ松が謝ってよ」
「ぼくが謝ることもないでしょ」

なんだこいつ子供かよ。困り笑顔の梅竹さんに凄く申し訳なくなって、チョロ松から離れた私は彼のもとに向かう。

「もう行きましょう、梅竹さん」
「はっ?!」
「でも、大丈夫?」
「いいです。ほっておきましょう」
「ちょっと、おい…!!」

なおも食い下がって腕を掴んできたチョロ松を振り返る。チョロ松は不機嫌を通り越して怒った表情だ。なんでアンタが怒ってるの。怒りたいのはむしろ私のほうだと思う。

「離してよ、時間に遅れるから」
「…行くなよ」
「はい?」
「だからっ!飲み会行くなって言ってんの!!」
「これも仕事なので、無理です」
「じゃあせめて送ってくから、そいつと行かなくていいだろ!?」
「ちょっと、子供みたいなこと言わないで恥ずかしい」

チョロ松の腕を振り払って、梅竹さんの横に並んで歩きだす。チョロ松が固まっているのは分かったけれど、少しくらい反省してほしい。世の中、わがままが通じないことなんて沢山あるんだ。私だって、我慢してることがいっぱいある。

「…んの、クソビッチが!!!」

びくりと、震えたのは、私だけじゃなくて、隣の梅竹さんも呆れ顔を通りこして唖然としていた。ドキドキと心臓が震えている。今にも何かが溢れ出してしまいそうな、恐怖にも似たひんやりとした感覚をぐっと我慢して、振り返る。
紛れも無い。先の言葉を叫んだのは、やっぱりチョロ松しか居ないのだ。

「お前も結局、イケメンで金があるほうがいいんだな!!あーあーどうせぼくはブサメンニートですよ!天秤に掛けられたら、そりゃ捨てられるほうですよね?!」
「…………」
「ほいほいと男乗り換える尻軽に童貞の気持ちなんて分からないですよね?空気読めとか、そんなの考えられないんだよ、分かんないだろ?!しょうがないだろいつも精一杯なんだ!!どうせお前からしたら幼稚で馬鹿げたことでも、俺は…っ」

分かってる。これは傷つきたくないチョロ松の鎧なんだ。傷つきたくないから、相手を攻撃する。私だって子供じゃない、そういうものも理解は出来る。でも、理解と許容は別物だ。
私は子供じゃないけど、出来た大人でもない。だから、アンタの言葉を許容できない。

「自分だって、トト子ちゃんの尻追っかけてるじゃん」
「それは…!今は関係ないだろ!?」
「私に興味もなかった童貞シコ松が、突然告白してきて変だと思ってたけど、どうせ童貞捨てたくて手近な女に声掛けただけなんでしょう?尻軽ビッチな私だって超絶可愛いトト子ちゃんの代替品でアンタの童貞貰うなんて真っ平御免だから」
「はあ!?お前が代替品なんて思ってるわけねぇだろ!!」
「じゃあなに?生きてるオナホ?ああ、トト子ちゃんの可愛さと比較したように聞こえた?ごめんね可愛くなくて」
「バカか!!」
「考えてみたら、私チョロ松のこと好きって思ったことなかった」
「………は、?」
「だから、」

突然、するりと強めに手を引かれた。

「みょうじさん、そろそろ行こうか」

振り仰いだ梅竹さんは、私が言葉を返す前に私の手を引いて歩き出している。チョロ松がなにか言っていたかもしれない。けれど、今はそれも聞こえなかった。
暫く無言で手を引かれ、赤塚公園を出た。向かう先は飲み会会場である居酒屋しかないのだけど、私はぼんやりと、どこへ向かっているのだろうと思っていた。

「ごめんね、…でも、みょうじさんが泣きそうに見えたから」

手を引っ張られている私には梅竹さんの背中ばかりが見えていたので、彼が今どんな顔をしているかも分からない。けれどきっと彼なら困った顔で笑っているのだろうと思った。短い付き合いでも、なんとなく彼は人を不快にさせる表情は作らないのだと知っていた。

「…いいえ、すみません。私のほうこそお見苦しいところを」
「いえいえ。でも、みょうじさんとは喧嘩したくないなぁ」

そう言って笑った梅竹さんは、優しい人だ。
少し遅れて居酒屋に着くと、同僚や先輩に梅竹さんとの仲をからかわれた。そういうのじゃないと否定しても、人気のある彼のことを聞きたがる女性社員が多くて困ってしまう。私が困っていると、助け舟を出すのも梅竹さんなものだから、更に疑惑は大きくなる。あいまいにかわし続けていたら、気づけばお節介な上司に二人でテーブルの端に追いやられてしまっていた。

「すみません…私なんかとこんなことに…」
「いやいや、むしろ助かったよ。僕あまりお酒は得意なほうじゃないから、あっちに居たら自然と飲まされてしまうだろ?」

こんなときでも、さわやかな笑顔を崩さない梅竹さんはさすがと言える。私が笑うと、彼は嬉しそうににっこりして、「笑ってくれたね」なんて、これは世の女性たちが放っておかないわけだ。

「ねぇみょうじさん、彼とはどうするの…?」
「……あー…、どうしましょう。全然今後のこと考えてなかったです」
「あのさ、少し彼のこと悪く言ってもいいかな?」
「え?」
「どんな理由があったとしても、女性にあんな言葉を言う男なんて、やめときなよ」

彼が傾けたのはウーロン茶。本当にお酒は得意じゃないらしい。

「僕のほうが、よっぽどみょうじさんの気持ち分かってあげられると思うんだけど…」

そりゃそうだろう。同世代カースト圧倒的最底辺で暗黒大魔界クソ闇地獄大凶の六つ子たちの中でも真面目気取った自意識ライジングクズニート童貞であるチョロ松と、社会的にも成功していて顔面性格共に文句のつけようもない梅竹さん、比べるべくも無い。

「僕、ずっとみょうじさんに話したいことがあったんだ…。よかったらさ、この後…僕の家に来ない?」

それがなにを意味するのか、分からないわけじゃない。
私は、無言で頷いていた。


今夜は軽率に溺れたい
お酒を流し込んだ喉が痛い。
(2016.07.31)


前項 戻る 次項

ALICE+