チョロ松と気持ちを交わし合って、私たちはお互いの気持ちをよく口にするようになった。お互いに、もうあんなすれ違いは嫌だったのだと思う。
話せることはなるべく話す。秘密は出来るだけ作らない。相手に対してやましいことはしないよう努める。これらは当たり前のことのように思えて、案外難しいことだ。だって私たちは、感情もあって、失敗だっていっぱいする生身の人間なんだから。
それでもお互いに努力して歩み寄ることが苦ではない相手を、恋人や家族と呼ぶのかもしれない。
でも、なんでもかんでも言葉にすればいいってものでもないと思うの。
「なまえ、キスしたい」
休日の昼下がり。私の家に来ていたチョロ松と、簡単なお昼ごはんを食べ終えて、まったりとした時間。チョロ松は床に座って読書、私はベッドに座ってスマホで夕飯のレシピを検索していた。
けれどそれは、突然こちらに振り向いたチョロ松の発言で、雲行きが怪しくなる。
「…チョロ松」
「なに?」
「そういうのは、いちいち言わなくていいと思うんだけど…」
「急にしたら怒らない?」
「怒んない、けど、」
「そ?じゃあ」
「あ、ちょ、待って」
「ムリ」
ギシリ。ベッドが軋んで、床に座っていたチョロ松がもう目の前だ。
さっきまで大人しく本を読んでいたと思ったのに。お互いに出来るだけ気持ちを言葉にすると決めてから、チョロ松は自分の欲求をよく口にするようになったと思う。キスしたい、抱き締めたい、手を繋ぎたい。大概のことは全て確認をしてくる。事前に心構えが出来るのは有難いかもしれないが、そんな恥ずかしいことをよくも平然と質問出来るものだといつも感心してしまう。だって、わざわざ聞かれたらこっちも恥ずかしい。
「んっ…」
柔らかな唇が触れて、チョロ松とゼロ距離。どうしたって心臓がバクバクと音を立てて苦しくなるのに、チョロ松がこんな軽いもので満足するわけがない。
童貞であるチョロ松には、彼なりになにかしらのハードルがあるのだと思う。
多分そのハードルが一番低いのが、手を繋ぐこと。付き合う前からしていたからか、緊張はしているようだけど、結構すんなりと手を繋いでくる。こちらがギュッと握ると、ときたま肩がビクッとなるのが面白い。
次にハグ。背中から、正面から、チョロ松はとても緊張した面持ちで私を抱き締める。心臓の音がダイレクトに伝わってくるので、彼が子犬みたいな心拍数になっているのも充分伝わってくるのだ。正直これは可愛いと思う。同時に背中を軽く叩いたり撫でたりしてあげると大変喜んでもくれる。相変わらずのちょろさだ。
そして最後にキス。これはなんの切っ掛けがあるのか分からないのだけど、彼がこれを強請るときっていうのは、大抵の場合なにかしらのスイッチが入っているときなのだ。ハードルが高すぎて、そのハードルを越えただけでハイになっているのかもしれない。簡単に言えば、なぜか動揺ゼロの状態で、更に軽いキスでは終わらない。
ちょっとからかってやろうと、不意を衝いて軽く触れるだけのキスをしたことがあるのだけど、そのときは酸欠になるまで離してくれなくて、ひどい目に遭った。正式にお付き合いしてから、チョロ松がその大きなハードルを飛び越えてくることが多くなってしまったように感じる。
「っんん、ぅ…ッ」
キスをしたままベッドに押し倒されて、無遠慮に口の中を荒らされていく。息を荒げてキスに夢中なチョロ松は、私を押し倒したことにも気づいていないのかもしれない。大の男が上に乗って口を塞いでくるのだから、こっちは重いし息苦しいしで、もうちょっと手加減をして欲しいと思ってしまう。
私の上に乗り上げて、頭を撫でたり腰を撫でりしていた彼の手は、最終的に私のお尻を揉んでいたりする。しかも両手で両側から。毎回のことなので、もうなすがままだ。胸を揉まれないだけ良いと思ってるんだけど、かなり恥ずかしいし、なんか、変な気分になるから本当はあまり良い状況とは言えない。
「っはぁ、はぁ、なまえ、」
「ん、はぁ、…ちょろまつ、おちついた?」
「…まだ、もっと」
「っん、!」
息継ぎタイム終了。
キスが始まると、チョロ松は本当に長いこと離れてくれないし、だんだんとキス耐久レースみたいになってしまう。鼻で呼吸は出来るけど、時々唾液や空気を飲み込んだりして噎せたいのに噎せれなくて凄くつらい。それに、キスの最中チョロ松の心臓の音がずっとドキドキいっているのが分かるので、こいつの心臓大丈夫なのかっていう心配もあるのだ。息を荒げてるのは興奮してるからじゃなくて、単純に病的な息切れなのではないだろうか。目の前で心臓発作でも起こして死なれたら、一生のトラウマになるんだけど。
舌だけじゃなく、唇や口全体も食まれて、可愛らしい音が鳴る。無意識に喉奥から声が漏れると、チョロ松は口角を上げて目を細め、凄く嬉しそうな表情を浮かべてくれるから、こっちまでドキドキしてしまう。結局、どんなに苦しくなっても彼を止められないのは、私もチョロ松とのキスを楽しんでいるからだ。好きな人に求められるのは、やっぱり凄く嬉しくて、幸せな気持ちになれる。相手の気持ちがこんなに伝わる行為も無い。まぁでも、正直言って長すぎだけどね。この間ずっとお尻を揉まれてるわけだし。
あー…、なんか、暇になってきたかも…今日の夕飯どうしよう。チョロ松も食べて行くのかな。さっきまで見てたサイトに、ピーマンの肉詰めの失敗しない作り方が載ってたなぁ、そしたら梅肉ソース作って…付け合せはポテトサラダか茄子の炒め物とかどうかな。ご飯は五穀米か玄米混ぜたいなぁ、お味噌汁はどうしよう、チョロ松なにが好きなんだろ。考えてみたらあんまり好み知らないんだよね、今までもなんでも美味しいって食べてくれてるし。うーん…
「なまえ」
「…ん?」
「なに考えてんの」
「え、あ、ごめん」
「いいけど…」
あまりにも夕飯のレシピに頭を持って行かれすぎて、チョロ松にうわの空なことを気づかれてしまった。気づけば、チョロ松の不機嫌な顔が目の前。それでもなお、お尻を揉むチョロ松。あれ?手だけ別の人なのかな?なにこれ心霊現象?
「…えっと、チョロ松は夕飯食べてくのかなって考えてた…それならなに作ろうかなって」
「気持ちは嬉しいけど、今じゃなくていくない?」
「いやでもほら、献立によっては今から仕込み始めないといけないし。なにか食べたいものある?」
「仕込みのいらないやつ」
「いやそういうんじゃなくて、もっと具体的な…」
「お前が作ってくれるなら、なんでも好きだから」
「それはっんむ、!」
「、ん、いいから、も少し黙ってて…」
それは、相当な殺し文句ではなかろうか。
それとも体良くあしらわれただけなのかな。チョロ松の真意は分からぬまま、やっとお尻から離れた手に背中を掻き抱かれて上体が浮き上がる。それに合わせて深くなるキスに、苦しくなって眉根が寄ってしまった。勿論苦しいだけじゃない。今までただ放り出していた両手をチョロ松の背中に回して、縋るように彼のパーカーを強く握る。すると、チョロ松が笑ったのが唇の動きで分かった。
「んぅ、っん、ぁ、ちょろまちゅ、はぁ」
「も、お前なんなの、可愛すぎんでしょ…んっ」
「んんーっ!、ぅ、ちゅ、はぁっ、待っ…んちゅ、待ってってばっ、!」
「はぁ、ちゅ、んん、っはぁ、なに、んっ」
「んんんーッ!」
話しをする気がゼロのチョロ松は、全然喋る暇を与えてくれない。さわさわと背中を撫で回して、深く深くと口づけを激しくしていく。私はと言えば、ただ流されて翻弄されるばかりだ。話しが出来ないのは良いとして、せめて腰を動かすのをやめてもらいたい!!なんか当たってるし衣擦れの音がするし超恥ずかしいんですけど!?
さっきからベッドもギシギシいってて、なんか、なんか、マジでやめてくださいマジで!!
チョロ松の背中に回していた手で、彼の背中をトントンと叩いてみる。背中をあやすように叩かれるのが好きらしく、あまりにチョロ松が暴走するときはコレをすると大抵落ち着いてくれたりするのだけど、果たして今のチョロ松にも効果があるのだろうか。規則正しく背中を叩いていくと、背中を撫でていたチョロ松の手がギュウっと私を力強く抱き締めてきた。腰の動きも落ち着いて、体全体が密着してなんだかすごく温かい。それと重い。キスも満足したのか、最後は名残惜しそうにバードキスを繰り返す。やはりチョロ松、ちょろいまつ。
「ん、チョロ松、」
「なまえ…」
「もういいでしょ、ね?」
「…………」
「あからさまに不満な顔しないでよ」
チョロ松はどれだけしたら気が済むのだろうか。鼻が触れる至近距離で見つめ合いながら、背中を撫でてみる。するとチョロ松は、吸いついて離れるだけのキスをして、体を私の上から起こしてくれた。チョロ松が隣に腰掛けるのを見て、私も起き上がる。なんか、部屋の中の静寂が居た堪れない。ベトベトの口周りを袖で拭いながら、テレビでもつけとけば良かったと思った。
「あ、えっと、今日、ピーマンの肉詰めにしようと思うんだけど…」
「ん、分かった」
「嫌いなものない?」
「ん?あー…いや、大丈夫」
あ、今なんか隠した。
「ほんとに?」
「えっ……いや、えっと…、ぼくらみんな、子供の頃からピーマンが苦手、なんだけど…」
「え!メインじゃん!?そっか、じゃあ」
「あ、いや、だけど、なまえが作ってくれるのなら多分大丈夫…、いや大丈夫だから、気にしないで」
八の字眉毛で笑うチョロ松に、きゅんとしてしまった。
「…?え、なんか顔についてる?」
「ううん、…なんか感動してた…」
「は、?え、どこで、なにで?」
「簡単に言うと惚れ直してた」
「ホレ…ッ!!っ、ちょ、それは、」
「え、」
肩を押されて押し倒された。って、え!またか!
吸いつくみたいなキスから、舌が絡まる。いい加減にしてくれという気持ちを込めて背中を叩くと、睨まれながら上唇を食べられた。なぜ睨まれた?
二の腕をバシバシ叩いたら、さすがに離れてくれました。
「ちょっとチョロ松さん!今日しつこくないですか!?」
「つい」
「ついじゃないよ!もう、こっちは気が気じゃないのに!」
「え、なにが?」
「だって、チョロ松ずっとドキドキいってんだもん!さすがに心配になるよ!」
「バッ!!そ、そりゃ、普通ドキドキぐらいするだろ!!す、好きな子とキ、キス、してんだから…ッ」
「すっ!?す、う、わ、うわわ、もうお前黙れ!!」
「はあ!?ぼくなんか間違ったこと言った!?お前は違うのかよ!ぼくのこと好きじゃないの!?」
「すすすすッす、すき、だけど…!!」
「う、うは、はは、そっか、好き、か…。ちょっと待って、だけどってなに」
「なにこのやり取り!恥ずかしいよ!!」
「ちょっと!だけどってなに!」
起き上がって逃げようとしたら、腕を掴まれて、二人してまたベッドに沈んでしまった。今度は私がチョロ松の上、がっしりと腰を両腕でホールドされ、チョロ松の顔が目の前だ。
「…チョロ松はさ、」
「…うん、なに?」
「キスしてるとき、なに考えてるの…?」
「え、それは…、その……」
「それはその?」
「し、幸せだな…とか…、なまえ可愛いなとか…」
こいつ、なに言ってんだ。
「お前の唇超柔らかいし、気持ちいいし…出来ればずっとこうしてたいな、とか…、…ちょっと、なんで黙るの」
「………べつに」
「え、なんで顔隠すの。なまえ?」
「もう、チョロ松黙って」
「はあ?お前が聞いたんだろ?!」
「うん、後悔してる」
本当、後悔した。聞かなきゃよかった。チョロ松の胸に顔を埋めて、ちょっと泣きそうにもなってる。どうしよう、この気持ちをどう発散したらいいんだ。この童貞男どうしてやろうか。
深く息をついて、顔を上げる。どうしても顔面に力が入って、チョロ松を睨みあげるような顔つきになっていることを認めよう。
「うおっ、え、なまえ?」
困惑した表情のチョロ松の肩を掴んで、その顔に迫る。
ちゅう
吸いついて、離れて、もう一回吸いついて、触れたままの唇で唇を撫でた。ふわふわ柔らかくて、気持ちいい。
「ばか」
「お、ま…」
「すき」
唇が触れたまま話すと、チョロ松の喉がごくりと良い音を鳴らした。
「ちょろまつ、」
「んっ、!」
唇に噛みついて、舐める。私の腰を抱いていたチョロ松の手が、背中と首の後ろに回った。私もチョロ松の首に両腕を回して、密着しながら互いの吐息を貪るようなキスをする。ぼんやりと、スイッチが入るってこういうことなのかと思った。メーター振り切るっていうか、もうこの野郎愛おしすぎてどうしてやろうかムカつくみたいな。
「ん、ふ、…っはぁ、んちゅぅ…、ん、」
「はぁ、ん、ちゅ、なまえ、んん…は、どうしたの、急に、ん、」
「ふ、ちゅ、…ん、ばーか、っ」
「は、ぁ、あ?、んっ、はぁ、なにそれ、んぷっ!?」
がぷり、と噛みついて、理由なんかは有耶無耶にする。ベッドの上で、キスをしたままごろりと転がって、今度は私が下になってしまった。う、またチョロ松の手がお尻を撫で始めてる。これは癖なのか本能なのか。チョロ松の胸に手を当ててみると、手のひらに振動が伝わるほど鼓動が脈打っていた。
「ん、はぁ、チョロ松、心臓すごいバクバクいってる…」
「うん…、も、つらい…」
息も荒いし、頬も目元も真っ赤。大丈夫なんだろうか。頬を撫でると、私の手のひらに擦り寄ったチョロ松が、潤んだ瞳で熱い視線をくれる。今にも泣きそうなチョロ松の目元をなぞると、手のひらにキスをされた。
「チョロ松…」
「なまえ、…ぼく、」
「少し休んだほうがいいんじゃない?」
「………は?」
「今、お水持ってくるね。チョロ松は寝てて」
「え!ちょ、ええ!?」
上に居たチョロ松を押し返して、ベッドに横たえる。私はベッドから立ち上がって、冷蔵庫にあるミネラルウォーターを取り出しコップに注いで、チョロ松のもとへと戻った。
「はい、息落ち着いた?大丈夫?」
「…………」
「つらかったら言ってね、なんか必要なものある?」
「……………」
「…チョロ松?」
「…いい。寝る…」
水も飲まずに、布団の中へ身を隠してしまったチョロ松は、丸まった状態で私に背中を向けてしまった。そんなに体がつらかったんだろうか。
「えっと…、夕飯おかゆにしようか?」
「…………」
「おーい、チョロ松ー?」
「…………」
「チョロちゃん?」
「…………ぐすっ」
「え!?泣いてる!?」
「もういい、なんでもない」
「え、え、ごめん、ごめんね?私、なんかした?そんなに体つらい?」
「なんでもない」
なんでもないと言うわりには、こんもり膨らんだ布団からは絶えずぐすぐすと鼻を啜る音が聞こえてくる。えー、情緒不安定かよ。
そのまま放っておいたら更に機嫌を損ねそうなので、布団の上からあやすようにぽんぽんと優しく叩いてみた。まるで幼子にするような気分で、チョロ松の機嫌が直りますように、と心の中で唱えながら、優しいリズムで手をぽんぽんと動かす。
すると、もぞりと布団が動いて、濡れた目のチョロ松が眉間に皺を寄せた顔を布団から覗かせた。
「…なまえ」
「んー?なぁに、チョロ松」
「……それ、」
「それ?」
「…その、ぽんぽんってするやつ、」
「うん」
「それ、もういいから、こっち来て、一緒に寝て」
「ふふ、うん、分かったよ」
布団を少し捲って、チョロ松の前に寝そべって向かい合う。濡れた目尻や頬は指で拭ってあげた。
「なまえってさ、」
「うん?」
「ずるいよね…」
「え、どこが?」
「…ぜんぶ」
「ぜんぶ…」
全部ずるいとか、生きてきて初めて言われたのですが。
「はぁあ〜…あー…、まだ早いってことですよね、分かります」
「え、なんの話?」
「こっちの話」
「??」
「お前は乙女ゲーの主人公か」
「なにそれどういう意味、鈍感って言いたいの?物凄く伝わりにくいし、馬鹿にしてるでしょ」
「んー馬鹿にしてまちゅよー」
「うっわぁ、ムカつきまちゅねーチョロまちゅちゃん」
ぎゅうと体を抱きこまれて、全身がチョロ松の熱に包まれる。凄く安心して、なんだか眠くなってきた。
「あ、待って、あれやってみたい」
「あれ?」
「ん、ほら」
そう言って、チョロ松は腕を伸ばして私を見る。ああ、腕枕ってことかな。私は、チョロ松と同じように枕に頭を置くような形で、チョロ松の腕に自分の首が乗るようにした。目の前にチョロ松の顔、行き場の無い手でチョロ松のパーカーを掴んでみた。
「………」
「チョロ松?」
「腕枕って、腕に頭乗せるんじゃないんだ…」
「それぞれやり方があるみたいだよ。肩口とかに乗せてもいいけど、疲れるだろうし」
「ふぅん…よく知ってるね」
「雑誌で見ただけ。やってもらうのは初めてだよ?」
「なら良し」
一瞬急降下した機嫌は、一瞬で戻って来てくれた。
枕にした腕を曲げて、私の髪を梳くチョロ松は、もう片方の手で頬を撫でてきた。壊れ物を扱うような優しい手つきに、いやが上にもドキドキして、気持ちよくなってしまう。
「今日はこれで我慢するから、夕飯までちょっと寝ようよ」
「…うん…も、ねむい、か…も…」
「っふ、うん…いいよ、おやすみ」
瞼が落ちたあと、額に柔らかな感触が触れた気がした。チョロ松の腕の中って、一番安心する。
二人にはまだ早いこと
ぐぅー…
我慢、我慢…
(2016.11.06)