近頃は私の仕事が忙しかったり、チョロ松が追っかけ業やイベントに忙しかったりで、会うのは私の家ばかりだった。だから、やっと普通にお休みが取れた土曜日、久しぶりにチョロ松と日中に外出することが出来て私はほんの少し浮かれていたのだと思う。
その日は、口コミ件数が多いとかいう理由で選んだカフェへ向かう途中だった。
「おんやぁ?チョロ松氏!チョロ松氏ではありませぬか!?」
突然掛けられたその声にチョロ松は両肩をびくりと竦めて、繋いでいた私の手をパッと離すと、声のした方へと急いで振り返った。私は離された手をちらりと見て、それからチョロ松の視線の先を見る。
「えっ、あ!デブ雄くん?」
振り向いた先に居たのは、半被にバンダナ、瓶底メガネにタオルにリュックという重装備の男。こう言ってはなんだが“いかにも”な太めの男性だ。ぎこちない笑顔でその男性に手を挙げて挨拶をするチョロ松に、彼は大きく手を振ってドスドスとこちらへやって来た。
「こんなところでなにをしてるでござろうかチョロ松氏!今日はにゃー氏のライブチケ発売日でござろう?!物販先行もあるというのにファンクラブナンバー0006であるチョロ松氏ともあろう者が、最前ドセンは勝者のみに与えられる栄冠であるぞ!今回はセトリも神との噂、新曲のMIXも練ろうと話していたではござらぬか!」
「なッ…ぼくとしたことが…っ」
私にとっては日本語でおkな捲し立てだったが、チョロ松は片手で口を覆って下を向くオーバーリアクションを取って彼の言葉に答えていた。チョロ松と彼の関係も、話の内容も分からなかったけれど、私にもひとつだけ分かったことがある。それは、チョロ松にとって今日はデートよりも優先させたい大事な用事があるってことだ。しかし私にはそれで充分だった。
「チョロ松、行きなよ。今からなら間に合うんでしょ?」
「えっ!?いや…でも、」
「んん?チョロ松氏、そちらの女子は…むぁさか!?」
「うぇああ!?違う違う!!こ、こいつはただの友達!トモダチ!デブ雄くんの思ってるのとは違うから!!」
正直、ムッとした。
「そうでござったか。いや失敬失敬。チョロ松氏、それで、そんな装備で大丈夫でござるか?」
「え、あ、いやぁ…今日は、」
「行きなよ、チョロ松」
「いや、でもさ、なまえ…」
「私はただの“トモダチ”だから、ドタキャンされても全然痛くも痒くも無い関係ですし?」
「え?!アッ、ちがっ、それは、その…ッ」
「すまぬが小生も急いでおる身、早くしてくれぬかチョロ松氏」
「あ、いや、だから、あの」
「じゃあね、チョロ松氏」
「ちょ、なまえ…!だから、これは、」
二人を置いて、私は振り返らず、人混みへ紛れるように歩き続けた。後ろから追って来る気配がないことに落胆して、落胆している自分に気づいて自分自身に苛立ちを覚えた私は、余程足音荒く歩いていたことだろう。当初行く予定だったカフェへ入店し、店長オススメのガトーショコラをガツガツと頬張って、ほろ苦くも甘ったるい口の中を紅茶で洗うように飲み込んだ。
店を出た私は公園のベンチに一人座っていた。
ぼんやり、池の水面がきらきらと光る様を眺めて、頬杖をつく。
「あれぇ?なまえじゃーん、どしたの?こんなとこで」
「おそ松…」
呼ばれた声に振り向くと、使い捨てのどんぶりを片手に、のんびりとこちらにやって来るおそ松が見えた。割り箸を口元でぶらぶらさせながら、へらへらと私に手を振るおそ松は、いつ見ても相変わらずおそ松だ。
「おそ松こそ、なにしてんの?」
「俺?俺はお馬さんと遊んで来た帰りー。モツ煮込み食う?美味いよ」
「あ、もらう。ちょうどしょっぱいものが食べたくて」
差し出されたモツ煮込みは、チープな味ながらなかなかだった。少し食べてから器を返すと、おそ松はにやにやしながら残ったモツ煮込みを食べ始める。
「なまえと間接チュー」
「なにそれ、中学生的発想」
「よせやい」
「褒めてないよ?」
ずるずるガツガツと食べ終えたモツ煮込み。ぷはーっと息をつくおそ松は、本当に美味しそうにそれを食べ終えて、残ったどんぶりと割り箸をゴミ箱へと放り捨てた。
「んで?」
「…ん?」
「だから、こんなとこでどうしたのって」
「べつに、どうもしてないけど」
「じゃあ、チョロ松は?」
「…友達と約束あるってさ」
「えー、あいつ昨日の夜から気持ち悪いぐらい浮かれてたんだよ?」
「知らなーい、にゃーちゃんのライブチケット買わなきゃいけないんだって」
「ふぅん」
池に着水した鴨の番が、すいすいと水面に波紋を作りながら泳いでいく。そこへ新たにやって来た一羽の雄が合流して、三羽は争うことなくすいすいと水面に波を作る。人間も、こんなに簡単だったらいいのに。鴨の世界など知らない私にとって、三羽の平和な交流が羨ましく思えた。彼らの心情など分からない私に、一羽の鴨がグアーっと鳴いて見せる。
「じゃあさ、俺と飲みに行かない?」
「…え、今から?」
「そぉ、今から!昼からやってる店知ってるし」
「ええー…そういう気分じゃないんだけど…」
「ノリ悪いなぁ…、ぃよっし!ほら、行くぞー!」
「えっ、あっ、ちょっとッ!」
池を眺めていた私の腕に自分の腕を絡めて引き上げたおそ松は、そのままずんずんと公園の外へ向かって行ってしまう。仕方ないなと溜め息をつきつつ、されるがまま、私はついて行くしかなかった。飲み代って私持ちかなぁ…
□
「やっぱおかしいと思わない?!おかしいよね!?あーんなドルヲタクソ童貞ニートに彼女居て、なんで俺には居ないの?!シコ松に彼女居るなら、俺には十人は居ても良いと思うね!!お前もそう思うだろ!?」
「うんうん、そうだねー」
飲み始めてまだ三十分ばかし。おそ松は既に赤ら顔で管を巻いている。正直面倒くさいし、ドルヲタがパチカスになるだけで、だいたいは自虐にしか聞こえない。
「だろォ!?なまえもそう思うだろぉ…俺だってさぁ将来のこと考えて頑張ったりしてんだよ…、プルーンとかヨーグルト食べてみたり食物繊維多く摂ってみたりさぁ?」
「うんうん、すごいすごい」
なんの話か分からないが、明らかにおそ松が努力の方向性を間違えているということだけは理解出来た。
手の中のグラスを見下ろすと、氷がカランと踊って、グラスの汗が手のひらをひんやりと冷やしている。氷の向こうに見えるカシスソーダをくるりと揺らして、そのまま喉へと真っ赤な液体を誘った。
「おっなまえ、良い飲みっぷりじゃーん!次なに飲む〜?」
「ん、じゃあ同じの。てか、おそ松はそろそろペース落としたら?」
「すんませーん!カシスソーダと温燗ひとつー!」
「私の話聞いてる?」
早々に来た温燗をくぅっと煽って、かぁーっと声をあげるおそ松は、見ていて気持ちがいいくらい良い顔でお酒を飲む。それを見ていると、なんだか私も仕方ないなぁと許してしまえるのだから、おそ松は不思議な魅力の持ち主だ。
「いやぁ、タダ酒はやっぱ美味いねぇー」
「アッ、やっぱり私が奢ることになってるんですね」
一応覚悟していたことだ。釈然とはしないがたまにはいいかと、私は財布の中身を思い浮かべてお札を数えてみる。
「んでー?」
「…ん?なに、つまみ足りない?」
「じゃあたこわさ追加で!じゃなくて、」
「え?」
「これはなまえのための飲み会だろー?お前が愚痴んなきゃ意味ないじゃん」
「え、そうだったの?」
「このスーパーカリスマレジェンドのお兄ちゃん様がなんでも聞いちゃうよー?」
「っふ、なにそれ」
むふふと口元に猫みたいな笑みを作って、おそ松は酔いでとろんとした目を私に向ける。そんなに私は愚痴りたいようにでも見えたのだろうか、ああいや、これはタダ酒の口実か。
「んー…、べつに?特には無いかなぁ」
「うわ、本当ノリ悪いなぁお前」
「うるさい」
「分かった!酒が足りないんだろ!?すんませーん!テキーラ、ショットで!」
「はあ!?ちょ、飲まないかんね!?」
「じゃあ、ウォッカ」
「同じことだし!」
私の意見などこの酔っ払いが聞いてくれるわけもなく、運ばれてきたショットグラスが私の前に置かれてしまう。
「ほら、カッ、トンッ!って感じで!」
「やだってば!」
「えー、なんでー」
「なんでって…、私そんなにお酒強くないし」
「だから良いんじゃん!酔っちゃえば色々なことがどぉーでも良くなるし、言いたいことも言えるようになるぜ?」
「べつに言いたいこととか無いし」
「素直じゃないなぁ」
素直とか、そういう問題だろうか。だいたい、私は本当にお酒は強いほうではないのだ。だから飲み会なんてのは基本的に介抱役に回ることが多いし、自分の上限を超えた飲み方はしないように気をつけている。そして、今私の目の前に置かれたショットグラスは、見るからに私の基準値の上限を容易に上回っているのだ。みーみーみー、と頭の奥で警告音が鳴っている。
「…やっぱり、無理」
「あ、そう。じゃあもういいや」
興味を失くしたのか、おそ松は「便所」という一言と共にふらっと席を立ってしまった。べつに悪いことをしたわけじゃないのに、なんだか私が悪者になった気分だ。だって、本当に言いたいことなんて無いし、ましてそれがあったとしておそ松に聞いてもらうなんてのも違う気がする。いや、言いたいことも無いんだけど。無いよ。無いけどさ。
じゃあ、なんで私はこんなにイライラしてるんだろ。
生理前だっただろうか、そう思ってスマホの体調管理アプリを開いてみる。どうやら今日はハッピーゾーンらしい。全然ハッピーじゃないんだが?
頬杖をついて、溜め息をひとつ。カシスソーダで二度目の溜め息を飲み下して、ふらふらしながら帰ってくるおそ松を眺めた。
「おそ松、もうお水飲んでお開きにしよう?足元ふらふらじゃん」
「あー?俺はまだまだ飲めるっての!」
「そういうこと言う奴が危ないんだって」
もう、と息をついて店員さんにお水とお会計を頼もうと手を挙げたら、その手をおそ松に掴まれて下げられる。手、熱いなぁ。
「なまえちゃん冷たい」
「冷たいもなにも、友達だから心配してんだけど」
「心配してくれてんの?へぇ〜えへへ」
なにが気に入ったのか、おそ松はにまにまと頬を綻ばせてだらしない笑みを作る。その笑顔にこっちも思わず笑ってしまいそうになるが、今はそんな場合ではない。
「そ、心配してるの。だから、ほら今日はもう…」
「でも俺まだまだイケるから!見とけよ!」
「えっ、あっ!」
私が止める間もなく、おそ松は私の前にあったショットグラスをカッと煽って、トンッとテーブルに叩きつけた。
「ッカァぁぁ…っ効くゥ…ッ」
「効くぅじゃないよ!」
頭を押さえてアルコールを消化しようとするおそ松に、私は慌てて店員さんにお水を頼んだ。まったく、なにが“お兄ちゃん”か。世話の焼ける男だ。
「ほら、お水飲んで」
「ええ?水ゥ?いらなーい」
「いらないじゃなくて」
「つーか、酒空っぽじゃね?誰だよ、俺の酒飲んだの…」
「お前だよ」
「すんませーん、芋くださーい!」
「あーもう、知らないからね!」
これはもうなにを言っても聞いてくれそうにない。せいぜい明日二日酔いに苦しめばいいんだ。
運ばれてきたのは芋焼酎のグラス、と茶色い液体の入ったグラスだった。
「え、なにこれ?すみません、頼んでないんですが…」
「あ?ああ、それ俺が頼んだの、なまえに」
「なにそれ、怪しい」
「ちーがうって!お前酒得意じゃないって言うから、裏メニュー頼んでやったの!」
「裏メニュー?」
「へへーん、俺くらいにもなると、そういう、なに?“ツウ”って言うの?そういうの分かっちゃう感じだからさぁ」
「あ、そ。で、これは?」
「アイスティー」
「アイスティー?」
「そ、アイスティー。好きだろ?紅茶とかそういうの」
「好きだけど…なんでアイスティー…?」
「こんな居酒屋にアイスティーとか置いてても全然出ないから、親父が引っ込めたんだってさ」
「へぇ…」
だから、なんでそれでアイスティーなのか。恐る恐る匂いを嗅いでみると、確かに紅茶らしい匂いがふんわりと香ってきた。茶葉は分かんないけど、リプ●ンとかそういうやつだろう。一口飲んでみると、甘ったるい紅茶の味、けれど後味に甘さが残らないレモンのすっきりとした味わいで
「美味しい…」
「だろー?んじゃ、それはさっきのお詫びな」
にっと笑ったおそ松は、芋焼酎のグラスを傾ける。こいつなりに、無理にお酒を飲ませようとしたことは悪いと思っているようだ。なら、許そう。べつに怒ってもなかったし。
「この味ならメニューにまた載せればいいのにね」
「こういう居酒屋は焼酎片手にホッケの開きでも食べてるのが良いんだって」
「あ、ホッケ食べたい」
「お、とんぺい焼きあるじゃん!これもこれも!すんませーん!」
そこからはなぜか食が進み、二杯目のアイスティーを飲んでいる辺りで、私は違和感に気がついた。
「…なんか、ふわふわするー…」
「あはは、なまえ顔真っ赤!」
「えー、なんでだろ…?んー、ソフトドリンクに切り替えたのに…今頃酔いが回って来たのかなぁ」
「まぁ、俺はソフトドリンクなんて一言も言ってないけどね」
「…へ?」
にへにへと笑いながらグラスを煽るおそ松。私は手元のアイスティーを見下ろして、横に避けたままだった飲みかけのカシスソーダと見比べてみた。カシスソーダの氷は融けきって、水っぽい赤のグラデーションが出来ている。
「え、これはお酒でしょ?」
カシスソーダを指差して、おそ松を見る。おそ松はにまにましながら、「うん」と頷いて見せた。
「これは、ノンアルでしょ?」
今度は手元のアイスティーを持ち上げて、おそ松を見る。にやりと笑ったおそ松は、先程からなんだか酔った雰囲気が消えているように思える。こいつのほうが断然私より飲んでるっていうのに、なんでだ。
「それはロングアイランド・アイスティー」
「ろんぐあいらんど、って、えー?」
「あっはっは!なまえ、呂律怪しくなってきてる、かんわいー」
そんなことはどうでもいい、なに、ろんぐあいらんどって。
「ま、いいじゃん!美味しいんでしょ?」
「うん、美味い」
「じゃあどんどん飲もーう!」
「んー、まぁいっか!」
「お、なまえいいねー」
おそ松に促されるまま、私はアイスティーをぐびぐび飲みながら、居酒屋での時間を楽しんだ。
アイスティーの魔術
なまえってちょろいよねー
ん?
(2016.11.06)