どさり
慣れ親しんだ布団は、そんな声をあげて私を受け止めた。
柔軟剤の匂いに包まれながら、枕に顔を埋めると、頭に浮かぶのは走り去ってしまったチョロ松の背中ばかり。
事の発端は、昨日の夜に来た松野家からの電話だった。
トド松とチョロ松以外の四人は携帯電話を持っていないので、彼らは松野家の固定電話から連絡をくれる。大抵は遊びの誘いか、暇つぶしの電話なのだけれど、チョロ松と付き合い始めてからは遠慮してるのかそれとも牽制されたのか、めっきり電話が来る回数が減ってしまって寂しい思いをしていた。
そんな珍しい電話に、今日は誰からなんの用かと内心ウキウキしながら、スマホの応答をタップする。それはおそ松からの遊びの誘いだった。
お誘いは嬉しいし、本音を言えば私だって遊びたいとは思うのだけど、最近のごたごたでチョロ松はおそ松への警戒を厳しくしているし、いくら兄弟でも男と二人で会うなんてあり得ないというのが彼の持論なので、おそ松からのお誘いに二つ返事で答えるのは難しい。
それをそのまま伝えると、おそ松も分かってくれたようだった。さすがはお兄ちゃん、変なワガママを言われるかと身構えていたけどそんなことはなかったみたいだ。
そこで電話が終わるかと思っていたら、おそ松が「そういえば、知ってる?」と言った。
なんのことかと聞いてみると、それはチョロ松のナニのオカズなんていう下世話な話題。さすが、小学生のまま大人になった男なことだけはある話題に辟易としたが、事はそう簡単には終わらなかった。そのオカズの内容に驚いたり照れたりモヤモヤしたりしつつも、私が引っ掛かったのはその保管場所だ。
「…え、私の部屋に?」
『俺の勘だけどね。でもチョロ松の性格考えたら間違いないかなー』
「……………」
『気になるなら探してみたら?そうだなぁーなまえの部屋だと…箪笥の裏とか』
「……でも、」
『まぁ俺の勘だから。あっ、でもオカズの内容は本当、狭い家だし同じ部屋だからねー嫌でも分かるっつぅか』
「…………………」
『因みに俺のオカズは』
「もう切るね、おやすみ」
おそ松との通話を終え、ぼんやりと放心状態にあった私は、気づくと三十分程もその状態であったらしい。俯いていた顔をあげると、狭い部屋だ、どうしたって洋服箪笥が目に入る。
これは、確かめたほうが良いのか、それとも見て見ぬ振りをするのが正解か…。そこまで考えて、私の部屋なのだから好きにして良いだろうなにを躊躇することがあるのかと結論づけ、私はそっと洋服箪笥へと近づいた。
洋服箪笥の横の荷物などを退かし、箪笥の裏と壁の間を覗き込むけれど、当然そこにあるのは影だけだ。内心胸を撫で下ろしつつ、一応もう少し確認しようと、箪笥を少し動かしてみた。
ぱさり
その僅かな音にどきりとする。少し開いた隙間に手を入れて、指先に触れたなにかを引き出してみた。
「あちゃー…」
引き摺り出したのは茶封筒。封を開けて中を見ると、案の定私の写真が大量に入っていた。
写真を眺め始めると、それが高校の頃から最近までのものであることが分かった。被写体は全部私で、カメラ目線もあれば盗撮まがいのものまである。もしやこれがトド松の言っていた私の写真というやつではなかろうか、いやそうに違いない。本当にチョロ松に全部奪われてたのか。ばら撒かれるよりは安心した。
ここで、問題がひとつ。
写真を持っていることは良い。男だし、そういう処理をしなきゃいけない問題があるのも分かる。そのオカズに彼女の写真っていうのもまぁ…考えようによっては可愛げがあるってことで良しとしてもだ。それを私の部屋に置いておくってどういうことなの。
…え、まさか、ここで?ここでそういうことしてた?いや、でもチョロ松が居る時は私も居るし、…でも私が仕事に行ってる間はそりゃチョロ松が自由に出入り出来るわけだけど、さすがにそこまでの変態じゃないでしょ。まさかそんな、彼女が居ないときに彼女の部屋で彼女の写真をオカズにナニする?普通そういうことする?分かんない、普通ってなんだろう、男の人ってこういうのが普通なの?え?
「………ていうか、」
もし本当に、私の居ない私の部屋で私の写真を使ってチョロ松が自身を慰めていたとしたら、それは大変不快で腹が立つ。
だって、それって私本人が必要無いってことなのでは?
ドルヲタという偶像崇拝のプロであるチョロ松のことだ。逆に本人が居ないほうが良いなんてこともあり得るのではないか。そんなことを考え始めると、だんだんと悲しくなって、虫の居所がどうにも悪い。
「チョロ松に確認しよう…」
そうしよう。一人でぐるぐると悩んで解決出来る問題じゃない。
幸か不幸か、明日は休みで、チョロ松が家に来る。その時に事実確認をしようじゃないか。
と、考えていた昨日だったのだけど。
いざチョロ松が来るとなると、自分でも処理し切れない怒りがふつふつと沸いてきてしまった。
いつものように合鍵で玄関を開け、いつもと変わらない困り顔を見せたチョロ松に、私はなぜか平静を保てなかった。手にしていた茶封筒を無言で突き出すと、チョロ松の顔が目に見えて真っ青になる。その反応だけで、なんだかもういろんな感情が沸騰してしまい、どうしても声が硬くなってしまう。
「これ、なに」
「えっ?!いっいいいやそそそれなんだろうね!?」
「私の写真だよね」
「あえ、そ、そうなんだ!?へ、へぇ…」
「おそ松から」
「え、え?」
「おそ松から聞いたから。これでチョロ松がなにしてるかとかそういうの」
「あンの腐れ外道バカ!!い、いや!誤解なんだってなまえ、それはあのその、その…」
「…………」
「だ、だから、それ、は、ええと…ッ、そう!ただ観賞用として!」
「なんで箪笥の裏に隠してたの」
「それはー…、ほ、他の奴に見つからないように…」
「私の部屋で、私の写真なんだよね?じゃあもっと堂々と置けばいいんじゃないの」
「そ、れは、そう、だよねー…」
冷や汗をダラダラ垂れ流し、視線も忙しなくウロチョロさせているチョロ松は、私への弁解の言葉を探すのに必死なようだ。さぞや今、普段使わない部分の脳みそをフル稼働させていることだろう。
ただ、べつに私は弁解してほしいわけじゃない。具体的にコレをどこで使っているのかが問題なのだ。
「コソコソするのはべつにいいし仕方ないと思うよ、男だもん、そういうのがあるのも分かるよ、でもソレがなんで私の部屋に置いてあるの?」
「えあ、いや、それは、だから…」
「コッソリ隠しとくのも、私の写真をナニに使うのも構わないし気にしない、でもさ、使うだけならまだしも、ソレがなんで私の部屋に置いてあるのかって聞いてるの!!」
「ッ…え、あ、いや、」
「もういい!」
進行方向に居るチョロ松を腕で押し退け、靴を突っ掛けて外に飛び出した。自分でもなんであんなふうに声を張り上げたのか分からないまま、アパート前に置いていたバケツへと茶封筒を放り込む。こんな準備を朝からしていたのだから、私は最早冷静ではなかったのだと思う。
火種に火をつけてバケツへ放り込むと、パチパチと炎と焦げが茶封筒を飲み込んでいき、中の写真も次々と明るく燃え盛っていく。私は無言でそれを見下ろしていた。
後ろから追って来たチョロ松も、なにも言えないのか、私の後ろで立ち止まったままだ。
そうして彼は、なにも言わず走り去ってしまった。
私はバケツの中身が燃え尽きるまで、微動だに出来ず佇んでいた。
やっと火が燻るように消えて、深い溜め息と一緒に座り込む。両手で顔を覆って、自分がなにをしたのかと考えた。
いや、本当になにしてるんだ。
なにも写真を燃やすことはなかった。そもそもチョロ松の話を一切聞いていないし、燃えカスを見るだけで、感情に任せて行動しすぎたと嫌でも反省させられる。だいたい自分の写った写真を大量に燃やすってのも縁起が悪く思えて気分が悪い。なんだこれはお焚き上げか?もういっそこのモヤモヤした感情ごと成仏させてもらえませんかね。
「………片付けよう」
負の感情に飲まれる前に、すっくと立ち上がり、気合いを入れるように太ももをパンッパンッと払った。ついでにこの負の感情も払い落ちてしまえ。
燃えカスもバケツも片付けて、部屋に戻る。気力を失った足はふらふらとベッドに向かい、そしてそのまま冒頭通り倒れるように沈み込んだ。深い深い溜め息を枕に染み込ませ、結局は重たい頭を悩ませる。
ガチャ
玄関のドアが開く音がして、飛び起きた。
まさかチョロ松が戻ってきた?こんな短時間で?まさかまさか、でもそうだとしたら、ああでもまだ気持ちが、ええい考えたって始まらない!私はカーペットにつんのめりながらも玄関へと走り出した。
「ごめん!チョロ松、私…っ」
「あ、居た。お前無用心だぞー、玄関の鍵開いてた」
「…おそ松…」
「あ、ひどい。今あからさまに落胆したでしょ」
「あー…ごめんごめん、なんか用?」
玄関に居たのはおそ松で、なんだか全身の力が抜けてしまった。
「あ、そうだそうだ。なまえ、悪いんだけど匿ってよ、ってことでお邪魔しまーす」
「は、えっ、ちょっと?」
ずかずかと上がり込んで来たおそ松は、止める間もなくすでに部屋の本棚を物色し始めている。それを溜め息ひとつで許し、玄関の鍵を閉めて、私も部屋へと戻った。
「お、これ単行本出てたんだ」
「好きに読んでいいよって言う前に読んでるよね、知ってた」
「んへ?」
「ウーロン茶でいい?」
「お、気が利くじゃーん!ちょうど喉渇いてたんだよねー」
「はいはい、ちょっと待ってね準備するから」
冷蔵庫から取り出した水出しのウーロン茶をカップに淹れて、レンジでチン。勝手にホットウーロン茶を二つ作った。それをおそ松と自分の前のテーブルへ置くと、おそ松が僅かに怪訝な表情を浮かべる。
「ホット?」
「落ち着かないときは、温かいものを飲んだほうがいいから」
「なるほどね。んじゃ、いただきまーす」
「…んで、なにから匿えって?」
先程からずっと訳知り顔のおそ松に、確認とばかりに聞いてみる。こいつのことだから、昨日の電話時点で今日のことをある程度予測していたに違いない。
「なにからって、そりゃ勿論チョロ松からに決まってんじゃん!お前んちなら安全かと思ってねー、へへっ」
「あーはいはい、チョロ松に怒られるようなことした自覚はあるのね、おそ松くん」
「てへっ!」
「可愛くないキモい帰って」
「ひどい!!そんなに言わなくてもいいじゃん!!」
「帰って死んで」
「畳み掛けて来た?!もぉー、そんな怒んなくてもいいじゃん、ちょっとした可愛らしい出来心じゃーん」
「アンタの出来心のせいでこっちは大変な行動取っちゃったよ」
「え?大変な行動って?もしかしてチョロ松と別れた?!」
「ううん、別れてないけど」
「んだよ、期待させんなよなぁ」
「…期待?…まぁいいや、おそ松の言うとおり箪笥の裏に写真があったからさ」
「うんうん」
「チョロ松に突きつけて、なんかムカついたから燃やしちゃった」
「え、チョロ松を?」
「馬鹿か、写真だよ馬鹿が」
「なまえ、もしかして今もイラついていらっしゃる…?」
こくこくとホットウーロン茶を喉に流し込んで、ほっとひと息。…駄洒落は言ってない。おそ松に視線を流すと、ピシャリと背筋を伸ばして冷や汗なんかを掻いていた。
「……おそ松」
「は、はい!?」
「私さ、自分でも分かんないんだよ」
「え、なにが?」
「チョロ松のオカズが私の写真なのは、気にならないわけじゃないけど、それはべつにイラつくとかそういうんじゃなくてね?恥ずかしいけど、まぁいいかって」
「うん?うん」
「そして例えば、チョロ松が私の部屋でAV観てシコ松してても意外とムカついたりしないと思うの」
「なまえ、だんだん言葉かダイレクトになってきたよ?」
「でも、チョロ松が私の居ない私の部屋で、私の写真を使ってオナ」
「ちょっとストップ!!ごめんなんか聞きたくない!!シコ松ね!シコ松してたらってことね?!」
「うん、それはかなりムカつくの」
「え?バラバラの条件なら良いけど、合わさると嫌ってこと?」
「うん」
「………え、なんで?」
考えても答えが出なかったと顔に書いて、おそ松は首を傾げて見せる。私自身もどうしてそんなことを思うのか分からないけれど、それでも私はこう考えてしまったのだ。
「私の部屋と写真があれば、私本人はチョロ松にとって必要無いんじゃないかって気がして…」
「……はあ?」
「ほら、チョロ松って偶像崇拝のプロみたいなところあるじゃん。思い通りに動いてくれる妄想の中の彼女のほうが、実際居る人間より面倒じゃないし好きに出来るし、それで楽になる?ならそっちのほうが良いんじゃないか、みたいな」
「いやいやいや!なに言ってんの?生身の女の子に妄想の女の子が勝てるわけないじゃん!!」
「…でも、私結構面倒くさいとこ多いし、そろそろチョロ松も愛想尽かしてきたのかなって…」
「なにそれクソネガティヴッ!つーか、妄想の彼女で満足してたら俺らみんな彼女欲しいとか言わないから!!どんだけ飢えてると思ってんの?!童貞嘗めてんの?!舐めるならべつのとこ舐めて欲しいわ!!チョロ松が愛想尽かす?!あり得ねぇから!!むしろなまえに入れ込み過ぎててウザいしキモいし死んで欲しいくらいだから!!なんなのソレ、リア充特有の悩みなの?!それともなに、複雑な乙女心とかいうやつなの?!複雑過ぎるわッ!!!ホンッッットクソムカつく!だいたいシコ松がシコ松してんのもなまえの写真なんだから愛想尽かされたとか思う理由が分かんない!!どこでどうシコ松がシコ松しててもそれは全部お前ありきだろ?!いっっみ分かんね、マジムカつくわー早く爆発してくれませんかねぇ?ええ?!」
「お、おう…」
ほぼノンブレスで畳み掛けられた言葉の数々に目を白黒させる私。おそ松は、非常にムカつかれたお顔でホットウーロン茶をぐびりと飲んだ。おそ松の怒りで私のモヤモヤは全て吹き飛ばされた気分だ。ちょっと小っぽけなことに悩み過ぎてたのかしら。
「…な、なんか、ごめんね…?」
「あーッ、ムカついたら腹減った」
「な、なんか作るよ!」
あれ?と首を傾げながらも、私はキッチンへと急いだ。なんか立場が逆になっているような、なんでおそ松にキレられたのかもちょっとよく分かってないまま、簡単にすぐ作れるホットケーキでも良いだろうか、なんて考えてる私は自分で言うのもなんだが、流されやすい性格過ぎやしないだろうか。
ピンポーン
インターホンの音に玄関を見る。まさか、今度は本当にチョロ松が戻って来たのだろうか?だとしたらまずい。非常にまずい。おそ松を部屋に上げて二人きりのところなんか見られた瞬間に、写真云々の件の前にしこたま怒られる。というかおそ松とチョロ松の殴り合いの喧嘩に発展してしまう。それだけは避けたい。
「なまえちゃん、開けてー!」
聞こえてきた底抜けに明るい声に、私はほっと胸を撫で下ろした。
玄関の鍵を開けると、にこにこ顔の彼がいつもの調子でだるだるの袖をぶんぶんと振り回して見せた。
「なまえちゃん!こんにちはー!」
「はい十四松くん、こんにちは。なんの用?」
「暇だから遊びに来た!今チョロ松兄さん居ないんでしょ?」
「え?うん、そうだけど…なんで知ってるの?」
「駅前で会ったから!一松兄さんが連れてかれて、ぼくはおそ松兄さん探せって!」
「なるほど?」
「おそ松兄さーん!チョロ松兄さんが探してたよー!」
十四松の位置からおそ松は見えないはずなのに、まるで最初から居ることが分かっていたように、十四松は部屋のほうへと声を投げかけた。奥からのっそりと、おそ松が頭をくしゃくしゃ掻きながら現れる。
「シコ松の野郎、鼻が利く十四松を使うなんて卑怯だよなぁ」
「チョロ松兄さん、般若みたいな顔してたよ!」
「ああいいのいいの、それより十四松、なまえがなんか作ってくれるって」
「マジで?!」
「え、あ、うん、ホットケーキでも焼こうかと…」
「ぼくの分もある?!」
「ふふ、うん、あるよ」
「やったー!!なまえちゃんの手料理やー!!」
「ホットケーキを手料理にカウントするのはなぁ…」
「なまえー、俺カルピス飲みたーい」
「カルピス!カルピス!!」
「え、無いよ」
結局このあと、近くのスーパーまでカルピス(原液)を二人に買いに行かせ、私は大量のホットケーキを生産することに。ついでに生クリームとチョコソース、缶詰のフルーツミックスなんかもつけて、かなり豪華にしてみた。材料を混ぜて焼くだけの作業は、ひたすら無心だった。なんだか心が落ち着いた気がする。
帰って来た二人から受け取ったカルピスで、カルピスミルクを作ってテーブルに並べると、見た目にも胸やけしそうな食卓の出来上がり。まぁ、イライラしたときは甘いものとよく言うし…うん、まぁいいだろう。
「なまえー、レジ袋はー?」
「え?ああ、適当に小さく結んでどこかに置いといて」
「ふーん、じゃあここに入れとく」
「なんでバッグに入れた?まぁいいけど、ほら食べるよー」
「わーい!わーい!!ホットケーキだー!すっげぇすっげぇ!お店のやつみたい!!」
「おかわりはまだあるから、遠慮せず食べて」
「「いっただきまーす!!」」
「はい、いただきます」
ガツガツと美味しそうにホットケーキを食べ尽くしていく二人を微笑ましく見ながら、ふと首を傾げてみる。
「…どうしてこうなった?」
「んえ?」
「なまえちゃんコレうんまい!超うんまいよー!!」
「……まぁいっか」
バカには勝てないそんな昼下がり
おかわり!!
俺もおかわりー!
二人とも口の周りクリームだらけだよ
(2016.12.12)