「あー…食ったぁ…」
「あー…ぼくもう食べられない…」
「遠慮なく食べ過ぎだよ二人とも…」
まさか卵と牛乳まで食い尽くされるとは思ってなかった。大きなお腹を撫でてごろりと転がる二人に溜め息をひとつ。十四松に至っては、床をゴロゴロした挙句、ベッドにダイブして寝息までたてている。なんだこの自由人。
「あ、てかさぁ」
「なにおそ松、片付け手伝ってくれるの?」
「いやそれは無理、お腹重いもん」
「クズニートめ…」
ちゃっちゃと食器類を洗い終えて部屋に戻ると、おそ松が体を重そうに持ち上げて胡座を掻いていた。
「ハーイなまえ、ちょっと座ってー」
「なに?」
「お前さ、さっき言ってたじゃん。チョロシコスキーがお前を必要としてないんじゃないかーとか」
「あ、はい、蒸し返しますか」
「いや蒸し返すでしょ、だってお前全然納得してないじゃん」
「そんなことないけど…」
「んで、なまえの部屋でシコ松してたか問題だけど、十四松ちょっと起きて」
おそ松が十四松のお尻をぺしりと叩くと、びくりと十四松が顔を上げた。ああ涎垂れてるどうしよう枕洗わないと
「あえ、…なに?」
「チョロシコスキーがこの部屋でシコ松したか調べてよ」
「え、そんなこと出来るの?」
「いいよー!」
「しかも快諾するんだ」
戸惑う私を置いてけぼりに、起き上がった十四松は部屋の中を四つん這いにぐるりと一周、匂いを嗅ぎ回る。その様はまるで犬そのものだ。
「くんくんくんかくんか…おそ松警部!臭いはありません!なまえちゃんの良い匂いしかしやせん!」
「ハイ、ご苦労さま十四松くん、寝てていいよ」
「あい!」
元気よく返事をした十四松は、またもベッドにダイブした瞬間からぐーすかいびきをたて始める。なんて寝つきが良いんだ。
「ということだから」
「どういうことなの!?」
「十四松が無いって言うんだから、チョロシコライジングシコスキーがなまえの部屋でシコ松したことは無いよ」
「呼び名と十四松の嗅覚のせいで内容が全然頭に入ってこないんだけど」
「とにかく、これでなまえの不安は解消されただろ?」
「えっ…あ、そっか」
確かに、チョロ松が私の部屋を使ってなかったというのは朗報なのかもしれない。じゃあ本当に保管場所にしてただけなのか。アルバムとかに入れておけばいいのに、変に隠すから変に勘繰っちゃったじゃないかクソ。
「てか、なまえの部屋ですんなら写真とか要らねーし。俺でも出来るよ、して見せてやろうか?」
「ん?なんの話だ?ああごめん言わないで聞きたくない直ちに帰って即座に死んで」
「だいたい、んなもんヤらせちゃえばまるっと解決すんじゃん」
「あーあーあー!聞こえませんー!」
「ってなわけで、解決解決ゥっと。んじゃ、この話は終わりなー、もうぐだぐだ言うなよ」
「元はと言えばおそ松が」
「はいはいぐだぐだ言わなーい。ハイ!じゃあ解決料もらいまーす」
「えっ?!」
そう言ったかと思うと、突然おそ松は私の膝に飛びついてきた。驚く私をよそに、腰をホールドしてぐりぐりと太ももに顔を擦り寄せてくる。
「ぎゃあああ!なにしてんのおそ松!!」
「っはぁぁぁあ…太もも最高…膝枕は至高…」
「気持ち悪いから早く退けてくんない?!」
「ムリー、俺だってお前に膝枕してあげたじゃん。そのお返しだと思って」
「あれはおそ松が無理やりやったことだよね?!」
私が押し返そうとすれば腰へのホールドがきつくなる。もう殴って警察呼ぼうかな。いやダメだそんなことしたらチョロ松にバレる、おそ松が殺される。あいつ警察より怖いぞ。
私が仕方なく諦めたと分かると、おそ松はにやにやしながら私の太ももを枕に仰向けに寝転んだ。
「あー…最高、さいっこー…」
「良さが全然分かんないんだけど…」
「これをあの自家発電三郎が独り占めしてるとか、考えただけで殺したくなるね」
「チョロ松の呼び名はいったいいくつあるの…?」
「あー…眠くなってきた…」
「……………」
「……………」
「……………」
「…え、なに、なんで黙るの?」
「いや、ちょっと思い出しちゃって」
「え?」
「ほら、高校の頃さ、」
□
みょうじなまえという女が、嫌いだった。
高校に入学する前から、俺たち六つ子は教師に目をつけられていた。中学までの自由奔放な生活態度が、どうやら高校では許されなかったらしい。型にハマった皆さんと、型にハマった毎日。最高じゃないか、反吐がでる。
誰もが教師の望むような生徒になんかなれるはずもないのに、大人ってのはそれが分からないのだ。だから自分の思う型に嵌めようとする。
六つ子は見事にクラスがバラバラ、そこまでは良かった。トト子ちゃんは制服が可愛いって理由で都内の難関校に受かっちゃうし、チビ太は既におでん屋を始める準備をしていて、ハタ坊は正直どこに行ったかも分からない。
思春期ってやつかな、中学も半ばを過ぎると世の中ムカつくことばかりになった。具体的に嫌なことがあったわけじゃなく、漠然とイライラしてて、絡まれれば喧嘩だってした。一緒に連むのは決まってカラ松かチョロ松。下三人を巻き込まなくなったのは、あいつらが弱くて優しいからだったと思う。守らなきゃいけない、なんて兄貴は考えてしまうものだったのだ。結局、俺らが喧嘩すれば俺らと関わる他の奴にも被害が及ぶ、それを理解出来たのは少し先の話だ。
高校に入学すると、連む顔が二人から一人に減った。カラ松が高校入学を期に、今までよりも真剣に演劇部に取り組むことにしたのだ。最初は馬鹿にした俺らだったけど、打ち込めることがあるのが羨ましくもあった。
そうするとチョロ松と二人、なにをするでもなく日々を過ごすことになる。べつに喧嘩が好きなわけでも、非行に走りたいわけでもなく、ただなんとなく現状が嫌で抜け出したくて、でも抜け出す方法も馬鹿だから分からなくて、結局、たまに授業をサボったり、暇を持て余した奴らと喧嘩してみたり、俺らはただただ青春を腐らせていた。
しかしそれも長く続いたわけじゃない。
高校一年の初夏。まだクラスの奴らの名前も薄ぼんやりとしか把握していない頃だ。その女は突然俺の机を叩いた。
「松野おそ松くん、だよね?」
威勢が良いのかと思ったが、口調は優しい。見ればそれは同じクラスの名前も知らない女子だった。トト子ちゃん以外の女の子とまともに会話したこともない俺は、内心焦りはしたけど、まさかそんな格好悪いところを見せるわけにもいかない。睨むように眉根を寄せて、その女子を見上げたが、その子は怯みもせずに真っ直ぐ俺を見下ろした。
「私、クラス委員のみょうじなまえ。よろしくね、おそ松くん」
出会いの印象は、最悪だ。
見た目は至って普通のどこにでも居るような女の子。トト子ちゃんが女の子の基準になっていた俺からすれば、中の下くらいのどうでもいい女子。しかもクラス委員とくれば、面倒事を持ち込む関わりたくない相手。瞬時にそこまで考えて、俺は無視をすることにした。
どうせ、教師に頼まれたとか言って、俺の生活態度を改めさせようって話だろう。
「生活指導の聖澤先生に言われたんだよね、おそ松くんの生活態度が悪いって」
ほら、やっぱり。
俺だって自分がどうしたいかも分からないのに、他人にあれこれ言われて変われるとは思えない。だから例えクラス委員の女子になにを言われても、俺のこのモヤモヤが解消されるなんて思えるはずもなかった。
「アンタには関係無い話だと思うけど」
俺がそう突き離すと、その女子は俺の前の席を引いて座り、今度は正面から俺を真っ直ぐと見てきた。なんでこいつこんなに真っ直ぐ見てくるんだ、それがひどく居心地悪かったのを憶えている。
「いやぁ、本当…関係無いよねぇ…」
「…は?」
「いや、関係無いよね?私に」
「………」
「でも直々に頼まれちゃったからには、一応気にしないといけなくて」
「…あ、そう。じゃあ適当に放っておいてよ、んで適当に報告すればいいじゃん。“改善は難しい”って」
「いやいや、おそ松くん。チャレンジする前から諦めるのはいけないよ」
そう言って笑った彼女は、俺が首を傾げるのも構わず、ただ一言もう一度「これからよろしくね」と言った。
その言葉の意味を理解したのは次の日からだ。
クラス委員のみょうじに目をつけられた。正確には、その上の教師である聖澤とかいう奴に目をつけられたのだろう。それもピンポイント。長男が落ち着けば他も落ち着くんじゃないか、なんて安易な考えに違いなかった。
「おはよう、おそ松くん」
朝から声を掛けられてびっくりする。振り向けばみょうじが笑顔で手を振っていた。無言で無視をした。
「どこ行くの?おそ松くん」
午後の授業をサボろうとしたら声を掛けられた。今まで誰にもバレずに抜け出せていたのに、まさか見つかると思っていなくて、さすがに短く声が出た。
「あ、こんなところに居た」
極めつけは路地裏。お前なんでこんなとこに居るんだって怒鳴りそうになった。だって俺は今まさに他校の奴らを伸したばかりだったから。
「お前、なんでこんなとこに居んの?!」
怒鳴りそうになったというか、怒鳴っていた。それでもみょうじはきょとんと意に介していない様子で、その姿に一瞬で背筋に怒りが走る。
「学校で付き纏うのはいいよ、でもこんなとこまで付いてくんのは違くない?!」
「ごめん、見かけちゃったからつい」
「ついじゃねェよ!ここどこだと思ってんの?!路地裏!!普通は危なくて近寄らないの!!分かる?!」
「あらら、また喧嘩?」
「話し聞いてる!?」
なんでこんなところまでクラスの女子なんかに干渉されなきゃいけないのか、イライラし過ぎて目の前で倒れてる奴の脇腹を蹴り上げた。すると突然、ぐっと腕を引っ張られ、たたらを踏む。
「…なに」
「おそ松くん、人蹴るの楽しい?」
「はあ?…べつに、楽しいわけじゃ…」
「そう、じゃあ喧嘩するのが楽しいんだ?」
「いや、だから、べつに楽しくてしてるわけじゃねぇって」
「じゃあなんで喧嘩するの?」
それは俺だって聞きたい。
掴まれた手を振り払って、真っ直ぐ家路に就いた。みょうじは追っては来なかった。
しかしそれからも、みょうじは事あるごとに俺を追い掛け回し、俺がなにかするたびに俺に聞いてきた。「それが楽しいのか」と。
最高にウザったくて、毎度のようにイラつかされて、怒鳴り散らしたのも一度や二度じゃない。でも、日を追うごとにどこかでみょうじの存在を待ってる自分も居た。だって、二ヶ月も毎日毎日追い回されてみろ。誰だってその存在が当たり前にもなるってもんだ。
「なぁお前さ、なんでそんな俺にこだわんの」
昼休みの屋上。夏も真ん中に来た強い陽射しの下、その日陰に俺たちは居た。
その頃にはもう授業をサボることもやめて、喧嘩することもめっきり無くなっていた。クラスの奴らとも打ち解けて、なんだかんだ人の輪に居るのが苦じゃなくなってもいた。完全ではないけれど、俺は普通の生徒の仲間入りを果たしていたと思う。それでも、みょうじは俺のそばを離れなかった。だから、聞いてみたのだ。なぜそこまでして俺に付き纏うのか。やはりまだ俺にはお目付役が必要だったのだろうか。
「んー?こだわってるわけじゃないけど」
「なに、目ェ離したらまた授業サボるとか思ってる?最近は結構真面目に受けてんだろ」
「べつに、そこは元から気にしてないよ」
「あ、そう。じゃあなに」
「おそ松くんと居ると楽しいから、一緒に居るだけ」
それはまさに目から鱗。そんなこと、誰かに言われたことがあっただろうか。けれど、そう言われたことで俺は気がついたのだ。
「……俺も」
「え?」
「…べつに、なんでもない」
家族以外と居るのが楽しくて、わくわくするなんて、まるで子供の頃に戻ったような気分だった。
俺らは幼少時代が充実し過ぎていたのかもしれない。いつでも刺激があって、大変なことも変なこともいっぱいあったけど、それを兄弟や家族、時には敵のような仲間とみんなで乗り越えきた。それが凄く楽しくて幸せだったんだ。けれど、俺らだって大人になる。世界は変わるし、昔のままではいられない。それでも、楽しくないわけじゃないのだ。性格や好みが変わっても、俺らは六つ子で兄弟だし、世界には変わったなりの楽しさや幸せがある。それを受け入れない、見ないなんてのは馬鹿なことだ。
みょうじはいつも問い掛けてきた。「おそ松くんの楽しいことはなに」と。
俺の楽しいこと、それは、それはきっと
「おそ松兄さん」
放課後の、夕陽が射し込む生徒玄関。下駄箱の前で声を掛けられた。その声をなんだか懐かしく感じたのだから、俺も薄情な兄貴だ。
「おう、チョロ松ぅー、今帰り?」
「…いや、もう少し残ってくつもり」
「お前また勉強?なに、ガリ勉に目覚めたの?」
「べつに…、将来的に必要かなって思っただけ」
「あそう、んじゃまぁ頑張ってねー」
手をひらりと振って、生徒玄関を出ようとしたら、チョロ松はまだなにか言いたいことがあるのか俺を呼び止めた。
「おそ松兄さんこそ、最近真面目みたいじゃん」
「んえ?うーん、真面目っつぅか…」
「いつも一緒に居る子は?」
「え、みょうじ?あーアレはクラス委員。俺人気者だからねー、目ェつけられちゃって」
「ふぅん…、あの子、トド松とかとも仲良さそうだよね」
「ん?まぁ、そうね」
確かにみょうじは、トド松とも面識があるようで、たまに廊下で楽しそうに話しているのを見かけることもある。でも、トド松が女子と仲良くしてるのは珍しいことじゃない。チョロ松がなにを言いたいのか分からないまま、夕陽だけがビルの向こうに落ちていった。
「チョロ松、お兄ちゃんドラマの再放送見たいから…」
「あの子、さっき校門で変なのに絡まれてたよ」
「…は?」
「多分、前に俺らが伸した学校の奴。顔は憶えてないけど、なんか、一緒にどっか行ったみたいだった」
「はぁあ?!おま、なんでそれを早く言わねぇんだよ!!どこ?!どこ行ったの!?」
「そこまで見てなかったんだって」
「ちょ、ふざけんな…ッ!!」
鞄を投げ出して走り出す。あては無かったが、頭の悪い奴らが溜まりそうな場所は見当がついていたし、そんなに遠くもない。走りながら思うのは、どうかみょうじが無事でいるように、それだけだった。
辿り着いたのは入り組んだ路地裏。馬鹿のひとつ覚えに、人気の無い場所って言えば路地裏っていうあいつらの単純な思考回路に感謝した。
果たして、みょうじは無事だった。男たち数人を前に堂々と立ち、こちらに背を向けてなにかを話しているふうだ。そのみょうじの声はよく聞こえなかったが、男たちのにやにや顔だけはよく見えた。
なに考えてる、みょうじになにしようとしてる。
どう考えたって、今のこの状況は俺が浅はかに青春を腐らせていたせいで招いたことだった。それを思うと、自分自身への強い怒りが沸いて、握った拳がギチギチと聞いたこともない音をたてた。
「…だから、おそ松くんとはもう関わらないでください」
拳を振り上げて、男たちに突っ込んだとき、そんな言葉が聞こえてきた。その言葉に体が止まって、俺は情けなくみょうじと男たちの間に転げ込んでしまった。驚いた顔のみょうじを見上げて、素直に無事を喜ぶ気持ちと、俺のためにこんなところに来てしまったこいつの浅はかさに苛立つ気持ちがないまぜになる。結局、俺は笑うことにした。
「ははっ、なにしてんの?こんなとこで」
「それはこっちのセリフだよ!なにしに来たのおそ松くん?!」
「俺?俺は…」
むくりと起き上がり、俺を睨む男たちにも笑顔を返してやった。顔ぶれに憶えは無いけれど、俺を睨む目には俺への怒りをひしひしと感じる。まったく、根に持つ奴はモテねーって相場は決まってんのによ。
「もうこんな面倒なこと、終わらせに来たんだよ」
格好がついたのは、多分そこだけ。
そのあと俺はそいつらの気が済むまでボコボコにされて、見兼ねたみょうじが警察と救急車を呼んだと叫んだら、呆気なく男たちは走り去って行った。
路地裏の汚いコンクリートに横たわって、それでも俺はにやけていたと思う。泣きそうな顔で俺に触れていいのかと戸惑うみょうじに怪我が無いのを確認したら、どっと気が抜けてしまった。
「お、おそ松くん…、ごめん、ごめんね…」
「なんでお前が謝んの?元はと言えば俺が招いたことだし…っ痛てて」
「大丈夫?!」
「へーき、へーき、俺丈夫だから。それより警察とか来んなら早くここから移動しないと…見つかったらさすがにやばいでしょ」
「ごめん、あれ嘘なんだ…だから救急車も来なくて…」
「あ、そうなの?なんだ…じゃあもうちょっと寝ててもいいか…」
起き上がろうとした体を、だるさに従ってまた横たえる。狭い空はもうすっかりと暗くなっていた。明かりといえば、遠くの街灯と、横のビルから漏れる光だけ。それでも、なんだか気持ちは清々しいものだった。
「あー…あいつら、これで諦めてくれりゃいいけど」
「…ごめんなさい」
「だから、なんでお前が謝んのって」
「…校門でおそ松くんを探してたあの人たちに、声掛けたの私なの」
「え?そうなの?」
「うん…、なんとか話し合いで、もうおそ松くんに手出ししないよう諦めてくれないかなって」
「そりゃまた、馬鹿なことしたね」
「ごめんなさい…」
「今回は無事で良かったけど、次からは絶対関わんなよ?」
「うん、約束する。だから、おそ松くんも約束してよ、もうああいう喧嘩はしないって」
「ははっ、言われなくてももう懲り懲りだっての」
「一方的に殴られるのもダメ」
「じゃあ次また絡まれちゃったら?」
「正当防衛は認めます」
「っぷ、ははッ、正当防衛ね、オッケオッケ」
笑うと、切れた口も殴られた腹もどこもかしこも痛かったけれど、それでも俺は笑ってしまった。ちょっと笑いすぎて涙まで滲んできた。その中でみょうじを見上げると、なんとも言えない優しい顔と目があった。
「…なぁ、膝枕してくんね?」
「え、膝枕?」
「そう、そっちのが早く回復しそうだから」
「…まぁ、いいけど…」
「やりぃ!初膝枕ー!」
「本当に体痛いんだよね?」
体を動かすとやはりどこもかしこも痛かったが、柔らかで温かな太ももに頭を置くことには代えられない。はっきり言って、女子の膝枕は至高の産物だった。なにこれ、世界遺産認定。
見上げると、俺を見下ろす優しげな目とかち合う。みょうじの顔を見てるだけで、なんだか痛みが薄れるような気もした。
「…お前さ」
「ん?」
「俺に何度も聞いてきただろ、なにが楽しいのかって」
「うん」
「その答えっていうのかな…」
「おそ松くんの楽しいこと、見つかったの?」
「うん、俺は、俺はさ、兄弟や友達とかと一緒に馬鹿やったり騒いだり、単純にそういうのが楽しいんだと思う」
なにも難しいことなんてない。ただ普通に過ごす中で、兄弟と騒いで笑って、友達や仲間内で遊んだりして、そういうのが楽しい。目に見えないなにかに苛立つことで、自分の場所を手離して見失っていたんだ。でも、お節介なクラス委員のおかげで、俺は戻って来られた。
「お前のおかげで、気づけたんだ。変だよな、答えはこんな簡単なことだったのに」
「…変なんかじゃないよ、おそ松くんが楽しいって思えること見つけられて、本当に良かった」
「ありがとな、なまえ」
「っ!ふふ、どういたしまして、おそ松」
これが、なまえを好きになった切っ掛け。
その日から俺はそれまでどおり自由奔放に馬鹿やったりして、まぁ殆んど今の俺と変わらない俺が出来たのもこの頃。つっても、大人になろうと変化しようとした部分をぜーんぶかなぐり捨てて小学生の俺に戻ったって感じなんだけどね。どうせ根本は変わらないんだと開き直ったら、あらまぁなんと楽なことか。
でもまぁ多分、チョロ松が変わったのはあの頃だったんだと思う。
変な話、荒れてた俺に合わせてチョロ松も変わろうとしてたのに、それを俺が結果的に突き離して置き去りにしてしまったのだろう。なまえと一緒に居る時間が増えた頃、俺は殆んどチョロ松と連んでいなかったと思う。もしかして、あのせいでチョロ松はなまえに対して敵意のような感情を抱いてしまったのだろうか。本当のところなど分かりやしないけど、それも原因のひとつなんじゃないかと俺は考えたりもする。かと言って俺が悪いなんてこと思いもしないけど。
ま、今はそのチョロ松がなまえの彼氏っていうんだから、世の中なにが起きるか分かんない。
「ほら、高校の頃さ、おそ松が喧嘩してボロボロになったあと、膝枕したでしょ」
「あれは喧嘩じゃなくて、ケジメ。わざとボロボロになってやったの」
「そうでした。でさ、おそ松ったらそのまま寝ちゃったじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ、もう夜なのに全然起きてくれないし、本当困ったんだから。結局私が松野家に連絡して、トド松と一松に迎えに来てもらってなんとかなったけど」
「あー…憶えてない」
「そりゃ寝てからね」
本当はあの後、弟たちへの対応に困らされた。トド松なんかは「なまえちゃん巻き込むなんてどうかしてる!ていうか膝枕?!ふざけてんの!?」なんて独占欲丸出しで怒鳴ってくるし、一松からは無言の責め、十四松には泣きそうになりながらずっと怪我の心配をされた。正直、素直に心配されるほうが気恥ずかしくて居た堪れなかったかもしれない。
カラ松とチョロ松は訳知り顔で二、三言言っただけだった。あいつらだってずっと落とし前はつけたかったはずだ。代わりにつけといたぜって言ったら「格好悪いな」と笑われたっけ。格好悪くても、本当にあれで他校の奴らに絡まれることが無くなったんだから、俺の活躍も捨てたもんじゃない。
「?おそ松、なに笑ってるの?」
「んー?…ちょっと思い出し笑い」
「あらら、年取った証拠だよ」
「うるせー」
拗ねた顔を作ると、なまえは可笑しそうに肩を揺らす。今日やっとこいつの笑顔が見れた。
「あーあ、なんかおそ松と話してると気が抜けるなぁー」
「人生気ぃ張って生きたって良いことないんだから、俺みたいに気ぃ抜いて生きなよ、楽だよー?」
「そこまでは抜きたくない」
「なまえちゃん、お兄ちゃんだって傷つくのよ?」
「あはは、…あーもう、どうでも良くなっちゃった」
「うん?」
「チョロ松のこと」
「え、別れる?」
「別れません。そうじゃなくて、写真のこととか、なんでもっと寛大に受け止めてあげられなかったんだろうって。なんかさぁ、私もピリピリし過ぎだよね…変なことで不安になったりしてさ」
「そんなもんなんだろ、付き合うって」
「そんなもんなのかな…」
「ま、俺は女の子と付き合ったことないし、いつでもチョロ松が悪いと思ってるけどねー、つぅか長男差し置いて彼女作るとか本当あり得ねぇし!!」
「根に持つなぁ…、そんなんだとモテないよおそ松」
「……なんか今グサッときた…」
「あ、トド松から電話だ」
初期設定みたいな着信音が鳴って、なまえがスマホを取った。トド松と短い会話を交わして早々に電話を切ると、ふぅ、なんて溜め息。いったいなんの用だったんだ?
「チョロ松がヤケ酒で潰れたから迎えに来てって」
「うわダッセェ」
「松野家に送るならタクシー呼ばないと」
「相変わらず律儀だな」
「律儀じゃなくて、そうしてあげたいだけ」
「お前って、そういうとこホント変わってないよね」
「???てか出掛けるから早く頭退けてよ重いし正直気持ち悪い」
「気持ち悪いはひどくない?!」
俺が声を荒げたからか、ベッドがギシッと声をあげて面倒なものを起こしてしまった。
「…アッー!おそ松兄さんずるい!!なまえちゃんの膝枕ずるい!!」
「十四松は寝起きから元気だねぇ」
「これは長男の特権なんですぅー」
「違うし早く退けてってば」
「ぼくも!!なまえちゃんぼくも!!」
「えぇ…、いや、私出掛けなきゃいけな…」
「トオオオオーーーイ!!」
「「ぎゃああ!?」」
ベッドからダイビング・ボディプレスをキメてきた十四松に、俺は全身を潰され、両足を固定されてるのに逃げようとしたなまえは仰け反るように倒れた。そのままジタバタし始める十四松を力技で転がし、腕ひしぎ逆十字固めをキメてやる。
「ギブギブギーブッ!!」
「わっはっはっは!どうだ思い知ったかァ!!これが長男様の強さだ!!」
「ギブゥー!!」
「ちょっと二人とも!!私の部屋で暴れないで!!苦情来たらどうすんの!?てか危ないから!単純に危ないからやめて!!」
腕を離してやると、すぐさま十四松はなまえの腰に抱きついて俺の席を奪いやがる。
「だぁあああ?!退け!!十四松!!」
「なまえちゃんの太もも柔らかー!!」
「そこは俺の場所なの!!俺の枕なの!!だから退け!!」
「ヤダ!!」
「ヤダじゃない!!」
「うっっるさい!!人の足の上で騒ぐなバカども!!!」
腰に巻きつく十四松もなんのその、なまえは力任せに立ち上がり、尚も追い縋ろうとした俺らに、見事な拳骨をお見舞いした。女の力とは思えないそれに、頭から煙が出る。
「これ以上騒いだら、本気で怒るよ」
「もう充分…いやなんでもないです」
「なまえちゃんイイパンチ!!」
「十四松、パンチじゃなくてゲンコツだろ?」
「えっ!!違うのォ!?」
「パンチはグーで殴るやつで、ゲンコツはグーを振り下ろすんだよ」
「なにが違うの?」
「いや、だからパンチは…あれ?うーん、具体的になにが違うんだ…?あれぇ?」
「あれぇー?」
「検証のためにもう一発入れてあげようか?」
「「結構です!!」」
冷ややかな目に背筋をシャッキリ伸ばされて、俺たち二人はとりあえず正座しておいた。
「じゃあほら、二人とも帰って」
「ええー!なまえちゃん遊ばないのォ?!」
「え、いつ遊ぶ話した?私は今からチョロ松迎えに行かなきゃいけないの。…あ、タクシー呼ばないと」
タクシー会社に電話を掛け始めたなまえを眺めていたら、隣で正座していた十四松が小さく声を漏らして笑った。なんだ?と顔を見てみると、まぁなんとも緩く幸せそうに笑いやがって。
「よかった、チョロ松兄さんとなまえちゃん仲直りしたんだね」
「仲直りすんのはこれからだろ。ま、もうしたようなもんか…」
「ぼくね、チョロ松兄さんの彼女がなまえちゃんで良かった!」
「はあ?もしかしたらなまえは俺の彼女だったかもしんねぇのに」
「ううーん…、おそ松兄さんはなんか違うよ。カラ松兄さんも一松兄さんもトド松も、なんか違うかな!」
「へぇ、お前は?」
「あはは!ぼくも違うね!」
「お前、それで悔しくねぇの?」
「ええー?なまえちゃんのことは好きだけど、悔しくはないかな!おそ松兄さんは悔しいの?」
「そりゃお前、」
悔しいに決まってる。狙ってた獲物がまったくノーマークの奴に攫われちまったんだから。
でも、
「…俺も、チョロ松で良かったって思ってるよ」
バカには勝てないそんな夕暮れ
はい二人とも家出るよー
ハーイ!
(2016.12.12)