ドンガラジャラ
ジャラジャラドン
薫る紫煙が淀んだ空気に重く蓋をした。
騒音が奏でるBGMは、連なる台から溢れて波打ち、囃し立てるようなアナウンスには、どこか俺たちを揶揄する含みがあった。
ジャラジャラと絶えない金属音だけが、この世界で唯一俺を歓迎している。そう思える空間だった。
ーーーここは、戦場だ。
歴戦の猛者が集う緊張感に、知らず額に汗が滲む。俺が持つものは母なる恵みと、内から滾る勇気だけ。丸腰同然の俺にも、目の前の敵は一切の容赦をしなかった。
しかし、それでいい。俺も数多くの戦場を体験し、時には負け、しかし時には大勝し、成果をあげているのだ。逃げる、なんて選択肢はもとから持ち合わせちゃいない。
どんなに負けたって、最後に勝利を掴みとり全てを巻き返せばよいのだ。それが俺に出来ない理由などない。
そう、俺は今までも丸腰同然で勝ち抜いてきた。思い出せ、熱い闘志を。俺に許された恵みは、
「カラ松、お前出玉無いのになにかっこつけてんの?」
「ホーリーシィッッ!!」
勢い余って、バンッと目の前の機体に両手をついた。巡回の店員に睨まれたので、すぐさま姿勢を正す。
改めて目の前のリアルを見つめてみても、結果は変わらない。
「くそッ!なぜだ!なぜなんだマーメイド!!回転数も計算したし、昨日からこの台には目をつけていた…!それなのになぜオレにこんな試練を課すというのか…?!…フッ、そうか、試練…オレならば、この程度のこと造作もなく切り抜けられると思っているのだろう?ならばオレも本気を出すしかあるまい、見ていろ、オレの本気はこんなもんじゃない!!」
しかし本気を出すのにも元手が必要だ。合皮と髑髏に護られしパンドラの箱(財布)を開けてみるが、驚いたことに閑古鳥が鳴いただけだった。おかしい、あと千円は残していたと思ったのだが。…フッ、そうか分かったぞ、これも試練…、そうなのだろう?ヴィーナス?
…さて、金が無いなら仕方ない。
「おいチョロ松、」
「金なら貸さない」
「…まだなにも言ってないぞ」
じゅ、と灰皿に煙草を押しつけたチョロ松は、紫色の溜め息を吐きながら俺を睨んだ。ふと今まで気にしていなかったチョロ松の台を見てみると、なんと確変からの大当たり。後ろにはドル箱が高く積まれているのを見て、俺は愕然とした。
「なッ、…そうかオレは目をつけていた台を一台見間違えていたのだな?!つまり、今チョロ松が回している台こそオレが目をつけていたSea Story!!…ということは、だ。んー?チョロ松くん、どういうことか分かるだろう?」
「あ、そろそろ行くか…」
「無視をするな無視を!!ちゃんとオレと会話をして!カモントーキンッ!」
「日本語話せるようになってから出直せ」
なんだか今日のブラザーはまるで一松のように絶対零度だ。なにか悪いものでも拾い食いしたのだろうか。
「…フッ、どうしたんだブラザー?まるで北極の氷山のように鋭く、そして冷たいじゃないか。なにかあったのかい?遠慮することはない、オレたちは兄弟なんだ。オレはどんな相談もカモンだ。アーハーン?」
「ッチ、話しかけんな。ツキが落ちる」
「………………………………………」
「分かったから、涙目になんのやめて。気持ち悪いから」
「そうか!それで、オレに相談があるんじゃないか?んん?」
「お前、金無くて暇なだけだろ」
「フッ、そんなことはない。ただ純粋にブラザーのことを案じているだけさぁ」
忌々しそうに表情を歪めたチョロ松は、灰皿から吸殻を探って咥えると、それに火をつけた。
チョロ松が煙草を吸うのも珍しい。昔は俺とおそ松の付き合い程度に吸っていたが、最近は一切と手を出していなかったようだし、まして自主的に吸うなんてのも数回しか見たことがない。俺たちには縁遠い言葉だと思っていたが、もしかしたら“ストレス”なんてものを抱えているのかもしれない。
「べつに、なんもない」
「そんなことはないだろう!オレたちは兄弟、そうファミリーなんだ!愛も金もなにもかも分かち合い助け合うのがファミリーというものだろう?そうだ!今日は特上寿司でも食べてパァーッと騒ごう!酒も良いのを用意しようじゃないか!どうだ!?」
「それ全部俺の金だろ。残念だけど、今日は特上寿司も酒も無し」
「ええぇー!そんなに勝っておいて!?無慈悲!!薄情者!!」
「あーはいはい、これは全部なまえに借りてる分返したりするのに使うの。だから無理」
「?なんだチョロ松、なまえから金を借りてたのか?」
「その話はしたくない。つーか俺これから用事あるから、もう行くよ。あっ、俺が勝ったこと他の奴には言うなよ」
そう言って、チョロ松は俺に口止め料と思しき千円を残し、本当に換金しに行ってしまった。俺がなにを言っても縋っても、無慈悲な弟は俺を置いて店を出て行く。仕方なく自分の台に戻ると、知らないおっさんが俺の台で大当たりを出していた。世の中って世知辛い。
チョロ松に貰った千円を使う気にもなれず、今日は当たりが悪いと諦めて俺も店を後にする。
自動ドア一枚分向こうの世界は、肩が縮こまるほど寒く、ジーンズのポケットに両手を突っ込む。吐く息は白かった。どうやら今年も終焉の季節が舞い降りたらしい。
取り立てて行くあてもなかった俺は、いつもの公園へと足を運んでいた。寒さに震える木立にウィンクを送っていると、すれ違うカラ松ガールズが俺に熱視線を向けてきた。しかし、鈍色の空に今日という素晴らしき日の感謝を捧げる俺に気後れしたのか、ついぞ声を掛けてくることはなかった。フッ、今日もカラ松ガールズはトゥーシャイだぜ。
ん?あれは…
木立の向こう側、池の前のベンチで膝を抱えているのは、麗しきチョロ松ガール、なまえじゃないか。
てっきりチョロ松はなまえに会いに行ったと思っていたのだが、なまえの様子から、どうやらそれは違ったらしい。
はたと周りを見回してみる。最近までそこかしこに咲いていた花は姿を消し、花壇は雑然と草や土で溢れている。これは困ったと顔を上げると、通りの向こうに小さなフラワーショップを見つけ、俺は引き寄せられるように足を向けた。
・
・
・
「ヘイ、ガール?こんな寒空の下、黄昏とダンスでも踊っているのかい?」
真紅の薔薇を一輪。目の前に差し出すと、なまえは戸惑った表情で俺を見上げ、そして俺の顔を見るなり安堵の吐息をついた。
「なんだ、カラ松か…どこの変態に絡まれたのかと思ってびっくりしたよ」
「フッ、そうかオレに会えたことがそんなに嬉しいか」
「面識の無い変態に絡まれるよりは幾分かね」
そう言ったなまえは悪戯っ子のように笑った。けれど、すぐに眉根を下げて困り顔を作る。
「花はもういいって言ったじゃん」
「ああ、だがこれはオレの気持ちだから」
「赤い薔薇が…?」
「フッ、花言葉はパッション・オブ・ラブ…もしくは、クレイジー・インザ」
「あーはいはい、どーもありがとね」
なまえの手に渡った薔薇を見て、笑みがもれる。俺の気持ちを乗せた真紅の薔薇は、なまえの手の中でキラキラと輝きを放つ。まるで、そこが彼にとって最高の舞台だとでも言うように。
「それで、どうしたんだこんなところで」
隣に腰掛ける俺をちらりと見たなまえの視線は、すぐに目の前の池へと戻っていった。
「んー…べつに、」
「チョロ松に会うんじゃないのか?」
「んえ?ああ…夜に会う約束はしてるけど…」
「そうか」
夜に会う、じゃあチョロ松はなにをあんなに急いでいたのだろう。俺の中で擡げた疑問に、俺は蓋をした。どうであろうと、それは二人の問題だ。俺はチョロ松の兄でなまえの友人だが、二人の関係に踏み込む権利を持ち合わせちゃいない。
「なんかさ、」
「ん?」
「いや、なんか…カラ松の意見で良いんだけど!…チョロ松、最近変わったと思わない?」
「そう、か…?」
チョロ松が変わった。確かに、なまえと付き合い始めてからのチョロ松は変わった。だが、なまえが言っているのは、最近のチョロ松がという話だ。
最近…、今日のチョロ松は少し変だったが、それをなまえに言っても良いものか。不安を煽るだけのような気がして、そしてそれは得策ではないような気がした。
「…特に、オレは気がつかなかったが」
「んー…そっかー…」
俺の視線が池に流れたことに、同じく池を眺めていたなまえは気づきようもない。溜め息が白く風に流されて行くのを横目に見て、晴れない表情のなまえを見下ろした。
「あー…もうッ!ちょっとカラ松、聞いてもらっていい?!」
「!な、なんだ?」
突然詰め寄られて、つい体が逃げてしまったが、なまえはそんなこと少しも気にした様子なく、頭を抱えてチョロ松のことを話し始めた。
「最近、って言ってももう二ヶ月くらいになるんだけど、チョロ松が迎えに遅れたり来なかったりするの。あ、迎えにってのは私の職場にってことね。べつに私が迎えを強要してるとかそんなことはなくて、寧ろ今までも悪いなぁと思ってはいたんだけど、でも急に遅れたり来なかったりしたら気になるじゃん?なんかあったのかなとか、都合悪いなら無理していいのになとか、思うじゃん?でもチョロ松は、なんでもない、とか、ちょっと、とかではぐらかそうとするの!そりゃもう気になるでしょ!?なに、ちょっとって!なにがちょっと?!なんでもないなら簡単な理由くらい言えるじゃん!なんで変に隠そうとするのかな?!チョロ松ってそういうとこあるよね、付き合ってから分かったけど、怒られそうなことを隠そうとするっていうかさ?子供かッ!!もううちらとっくに成人してるんだから、もうちょっと上手い誤魔化し方とかあるよね?!いや誤魔化せって言ってるわけじゃなくて、言えない理由抱えながら私のとこ来なくていいって言うか、もうぶっちゃけ、私はチョロ松の浮気を疑ってるんだけど、どう思う!?」
「…お、おう」
息継ぎは必要ないのかと思う勢いで捲し立てられた言葉の羅列を、俺は半分も理解することが出来なかった。だが、最後の言葉だけはきっちりと耳に届き、その意味を脳みそで咀嚼したあと俺は目を剥いてしまった。
「ええ!?チョ、チョロ松が、浮気?!」
「うん」
「いや!それは無いだろう?!」
「なんでそう言いきれるの?」
「なんでって、そりゃあ…」
言い方は古いかもしれないが、チョロ松はなまえにゾッコンだ。それはもう見てるこちらが嫌になるほど。
だが、だがしかしだ。
今日のチョロ松の様子は、なまえに会うっていうのにとても不機嫌そうで、しかも俺となまえの中のチョロ松の予定には時差がありすぎる。俺は今、チョロ松がどこでなにをしているか分からないのだから、それが浮気じゃないと言いきってやることは出来ないのだ。
「チョロ松ってもともと女の子大好きじゃん、自分で言うのもなんだけど私と付き合いだしてから、たまにだけど服装も気をつけててかっこよくなってるし。…まぁ、私以外の女の子が惚れないとも言いきれないし…」
俺が言うのもなんだが、兄弟一クソダサいあのチョロ松をつかまえてかっこいいと素直に宣えるのは、正直言ってなまえだけだと思う。
それに、チョロ松に女の子が寄ってくるなんていう天変地異が起こるなら、俺は今頃カラ松ガールハーレムに囲まれて悠々自適なニート生活を送っているはずだ。
チョロ松が女の子が大好きという点は否定しようもない。
「はーあ…私もついに飽きられちゃったのかなぁ…」
白い溜め息を溢し、なまえの瞳が悲しげな色を湛えたまま池の向こうへ注がれる。なまえの溜め息で、真紅の薔薇さえ切なげに揺れた。
「カラ松…?」
気がつくと、俺はなまえの手を握っていた。
外に居るからか、少し冷たいその手は、小さくて柔らかくてすべすべしてて、俺のものとは全然違う。
なまえの瞳が懐疑的な色を持って俺の瞳を覗き込む。手は、振り払われなかった。
なにか、言うべきことがある気がした。
そして、俺はずっとそれを言いたかったような気もした。けれど、言えないような気もしていた。結局、言葉が見つからなくて、俺たちの間には沈黙だけが居座った。
なまえの手を離せないまま、時間だけが流れて、ぐるぐるぐるぐると頭の中がなにかの思いに引っ掻き回された結果、俺は、両手でなまえの両手を包んで胸の前に持ち上げた。
真紅の薔薇が、俺に勇気を出せと頷いた。
「なまえ、」
「……なに?」
「チョロ松はな、子供の頃、凄く負けず嫌いだったんだ」
「………ん?うん?」
「オレら兄弟は、兄弟同士で競り合うし、反目し合うことも多い。そういうとき、チョロ松はいつも負けず嫌いだった。今は少し丸くなったし、和を乱さないよう繕うことも多い。それでも譲れないものがあるときのチョロ松は、面倒くさいくらい負けず嫌いだ」
なまえは、俺の目を真っ直ぐに見ながら俺の話を聞いてくれている。
俺の手の中で、なまえの手が次第に温かくなるのが分かった。いや、俺たちの手か。肌同士が触れ合うと、体温を交換し合って温かくなるものらしい。これは、冬の布団の温かさに少し似ている。
「考えてもみろ、そんなチョロ松が浮気をしてなんのメリットがある?あいつが浮気なんかして、なまえを傷つけたら、すぐオレたちの誰かにお前を奪われるだろ?」
「…え、え、私奪われるの?」
「実際にどうなるかは分からない。でも、お前のことを大事に思ってるのは、なにもチョロ松だけじゃないんだ。大事な女の子を兄弟が傷つけたとあっちゃ、オレたちは黙っていられない。そうなると分かっていて、チョロ松がお前を手放すと思うのか?他の兄弟に盗られても良いと?」
「……それは、…考えたくないけど、でもそういうことだってさ…あるかもしれないじゃん…」
「はっきり言っておく、そんなことはあり得ない」
「なんで、」
「チョロ松は、面倒くさいくらいお前のことを愛しているからだ」
「あっ、あい…っ!?」
「それは、オレよりもお前が一番知っていることだろう?」
なまえの瞳が僅かに揺れる。やはり、心当たりがあるのだ。
「それなのに、どうしてそんなに自信を無くしてしまったんだ?」
「……だって、…なんか、………好きだから、不安になるんだよ…」
どうやら、なまえも随分と面倒くさい性格の持ち主らしい。チョロ松と違って可愛げばかりだが。
「なまえはもっと自分に自信を持ったほうが良い。お前は本当に、可憐で綺麗で優しくて、しかも可愛い。チョロ松には勿体無いくらいの女の子なんだ」
「カラ松ってなんでそうクサイこと平気で言えちゃうかな…」
「本音だからだ」
「本音だからですか…」
逸らされた目が泳ぐ。なまえはこういうのに慣れていないらしい。先ほどより少し色づいた頬に、くらくらする。
幸せな目眩を振り払うように、俺は包み込んだなまえの両手をぎゅっと握った。俺が嘘なんかつくわけないと、語るように。
「チョロ松を信じてやれ」
「……っ、…そっ、か…、私…なにやってんだろ。この前も同じこと、したのに…」
「好きだから不安になるんだろ?じゃあ、不安に思った数だけチョロ松のことを信じてやってくれないか」
「カラ松…」
なまえの顔に、ぎこちなくだがやっと笑顔が灯った。それだけで、俺は幸せになれる。
「カラ松もさ、ちゃんと兄貴してるんだね」
「フッ、オレは博愛主義の聖者…謂わば地球の兄貴だからな!」
「あはは、相変わらずなに言ってんだか分かんない」
意味は通じなかったみたいだが、まぁそれも良いだろう。悲しげに暗んでた表情が、いつもの笑顔に変わったのだ。俺の努力も無駄では無かった。
もうなまえの手を離さなきゃいけない。そう思うと、それが惜しくて惜しくて堪らなかった。出来ることなら、このままずっと、とも思う。だが、そんなこと出来るはずないとちゃんと理解もしている。
もう一度、勇気を振るうときだ。
「え?あっ、」
なまえの引き攣った表情を最後に、俺は水の中に居た。えっ?
「ッさむぁああっ?!」
ざぶんと水面に出る。冷水が全身に刺さって寒いし冷たいし、側頭部も殴られたような激痛を抱えている。
必死に状況を知ろうとなまえと居たベンチのほうを向いて、即座に合点がいった。
「本当ふざけんな、てめぇなにしてやがる」
般若のような吊り目のチョロ松が、なまえを抱き込みながらこちらを睨みつけているのだ、嫌でも状況が分かった。
「ふざけんなはテメェだろ!!っざけんなチョロ松テメェ!!アッ、ざぶッ、ざぶい…ッ!!」
なんとか池から這い上がるも、全身ずぶ濡れでは、初冬の寒さが必要以上に身に染みる。しかも、側頭部痛いのこれ完全に殴っただろふざけんなよ。触ったらたんこぶが出来ていた。なんなのあの弟…!!
「いや、ふざけんな?マジで殺すぞクソ松」
「だから今日おかしくない?!なに、一松に乗り移られてんの!?」
「ちょ、と、チョロ松っ!カラ松はなにもしてないし!急に殴るのはどうかと思うんですけど?!」
「いや手ぇ握ってたじゃん、つーかなまえに触ってる時点でアウトだから」
「どんだけ心狭いの!?オレはなァ!お前のフォローをしてたんだぞ!?」
「はあ?フォローってなに?てか、それに手を握る動作必要?」
「それは…っ」
ちょっと、下心もあったけど!
「ったく、用事が早く済んだからなまえのとこ行こうとしてたらこれだよ、本当マジで監禁してやろうか?ああ?」
「矛先が私に…!?いや、本当にカラ松悪くないから!あいや、私も悪くないと思うんだけどね?!ていうかカラ松がずぶ濡れなの早くなんとかしないと…!!」
「今クソ松関係ねェだろうが!!」
「いや!当事者!!殴られて池に落とされたのオレ!!」
「だあァってろゴルァ!!」
「なんで!?」
両腕で体を抱き込んでも、寒さは全然晴れてはくれない。歯はガチガチいうし、全身の震えはひどくなるばかりだ。
そんな俺を放って、チョロ松はなまえに詰め寄っている。あいつにはもう俺という存在が見えていないに違いない。
「なまえ、浮気なんかしたら本気で監禁するから」
聞いてた俺は引いたけど、なまえは違ったらしい。傍目からも分かる、チョロ松は狼狽えていた。
「な、なに…なんでそこで笑うの」
「えっ、私笑ってる?」
「良かったじゃないか、なまえ」
「ああ?なに、なんの話?てかカラ松まだ居たの」
「オレを忘れないで!!」
そのあと、本気で嫌がるチョロ松を無視してなまえの家で風呂を借りた。服はチョロ松が置いて行ってるものを借りたので、今の俺はチョロ松仕様だ。チョロ松が今日青のスーツで良かった、うっかり完全なペアルックになるところだ。
風呂から上がると、チェストの上に真紅の薔薇が一輪、猫の形の花瓶に生けられて置かれていた。
「ありがとうなまえ、わざわざ湯船まで溜めてくれて。チョロ松、借りてるぞ」
「気にしないでいいよ、風邪引かせたくなかったし」
「言われなくても、見りゃ分かるよ」
二人の機嫌は天地の差程もあるが、チョロ松はさっきよりだいぶ落ち着いているようだ。顔つきがいつものものに戻っている。
「カラ松って緑似合わないねー」
「えっ、そうか?オレとしてはかなり着こなせていると思ってるんだが…」
「いやぁ、なんか微妙」
「微妙…そうか、もっと緑も似合う男にならないとな…」
「あはは、カラ松はカラ松のままでいいよー」
「そ、そうか…!」
「おい、なに和やかに会話してんの。ぼくの存在忘れてるなら燃やすよ?」
「なにを!?もぉチョロ松、そろそろ機嫌直してよー」
「カラ松が帰ったら直る」
「カラ松、夕飯食べてく?」
「お、いいのか?」
「よくないよ!!聞いてた?!ねぇ、ぼくが今言ったこと聞いたうえで言ってる?!」
「いや、でもご恩はその日の内に返したいし…」
「?恩って、なんの」
「フッ…それはだな、」
「クソ松は黙ってろ」
「えっ」
「今日の夕飯なににしようか」
「唐揚げがいい!食べたい!」
「いや、だからぼくの話を聞いて!答えて!お前もなにサラッと注文してんの?!」
「ところでチョロ松」
「っなに?」
「煙草臭いね、今日」
テーブルを三人で囲んだ和気藹々とした空気が、一瞬にして凍りついた。
目に見えて血の気の引いたチョロ松が真っ白に固まっているのに対し、なまえは唐揚げ粉を探しにキッチンへと行ってしまった。どうしてくれようこの空気。
「カラ松」
「な、なんだ?チョロ松」
「今すぐ俺を殺してくれ」
「どうしたんだチョロ松!?」
「駄目だ…なまえに嫌われた…もう生きていても仕方ない…」
「おい!しっかりしろ!!大丈夫だ!傷は浅い!!救護班!救護班はどこだ!!」
「カラ松うるさいなぁ…なに、うわぁ」
「なまえ!!チョロ松が瀕死だ…!!」
「まさかそんなに凹むとは思ってなかった」
キッチンから顔を出したなまえが、眉根を寄せて、膝を抱え小さく丸くなってしまったチョロ松を見る。
どうにかしてくれと目で訴えたら、仕方ないなぁとでも言いたげに溜め息をつかれた。
「べつに、怒ってもないし嫌いにもなってないよ」
「…っ!ほ、ほんとに?!」
「煙草は嫌いだけど、チョロ松のことは好きだし」
「す、すゥ…ッ、うはぁ!!」
「今度はどうしたんだチョロ松!?」
突然両手で顔を覆って全身から湯気を立ち昇らせ始めたチョロ松は、終いには丸くなったまま床をごろごろと転がり始めた。こんな症例見たことがない、いったいなんの病気なんだ。
「でも、次は無い」
「ハイ!!」
勢いよく元気に返事をしたチョロ松は、先程とは打って変わってシャキッと背筋を伸ばして正座している。
どうやらチョロ松は既になまえの尻に敷かれているらしい。なまえは意外と上手くチョロ松の手綱を握っている。
フッ、俺はとんだアンダードッグだったということか。
「二人は、幸せでいいなぁ」
「カラ松も幸せになれるよ」
「カラ松は無理だろ」
つい出てしまった俺の心の溜め息に、仲の良い二人は両極端な言葉を返してきた。
俺はなんだか幸せで笑ってしまった。
数ある日常に馴染む一人の立役者
今日の夕飯は唐揚げとステーキ、
それから肉じゃがを作りまーす
わーい!
いや、どんだけ肉食うんだよ!!
(2017.01.22)