むかしむかし、ある王国にそれはそれは優秀な騎士が居た。
国民から愛され、国王からの信頼も厚い立派な騎士だ。
彼は城仕えで城に住み、自由な時間に訓練をしたり、仲間とのポーカー遊びに興じる平和で幸福な日々を送っていた。
ある日、騎士はふと城の広大な庭園を見下ろした。いつもは気にも留めない立派な庭園に、その日はなぜだか興味が湧いたのだ。
城の庭園は綺麗に整備され、今もお抱えの庭師が樹木の剪定などで忙しそうに働いている。
ここの庭はこんなに綺麗だったか。
騎士はそんなことを思いながら、ぐるりと庭園を眺め下ろす。そうして庭を巡っていた騎士の目が、ひとつの場所で立ち止まった。
そこには、せっせと庭園の草刈りをする小さな背中があった。たまに立ち上がって、体をほぐすような動作をする。それからまたせっせと働くその背中は、なんだか小動物を思い起こさせて一際興味を惹いた。
それからというもの、騎士は同じ刻の同じ場所から、庭園のある一箇所だけを眺めるようになった。庭師には持ち場というものが決められているのか、小動物のようにせかせか働くその背中は、いつも同じ場所で作業をしている。
興味はあれど、話しかけることはしない。ただ、日毎に美しさを増す庭園を眺めながら、ぼんやりと過ごすことが騎士の楽しみになっていった。
またある日、騎士が変わらず庭園を眺めていると、通りがかりの騎士仲間が声をかけてきた。
なにを見ている?
庭を。
二人の会話は短かったが、騎士仲間は首を伸ばして庭園を見下ろすと、合点がいったように頷いた。
なんだ、彼女が気になるのか。
騎士は驚いた。庭師は皆同じ格好をしていて、あの背中の持ち主は小さいくらいで、騎士には男か女か分からなかったからだ。
それから騎士仲間は彼女の名前を口にした。なぜそんなに詳しいのかと聞くと、彼も彼女も同郷の友だからだと言った。
騎士は、庭師の少女が気にかかる。
騎士仲間と話した以後、一層その気持ちが強くなったように思えて仕方なかった。
城の中からぼんやり眺めるだけで良かった幸せが、次第に物足りなく思えるようになる。騎士には、それがなぜか分からなかった。
それから少しして、時間をかけて整備された庭園いっぱいに、綺麗な花々が咲き乱れる季節がやって来た。
中でも彼女が手掛けた草花は美しく、騎士の目を一層引き寄せた。いつも見ている小さな背中も、そのときばかりはどこか誇らしげで、微笑ましくもあった。
しかし、彼女の手掛けた花たちを疎ましく思う者も中には居たらしい。騎士が気づいて庭園へと駆け下りる間に、彼女の手掛けた庭園の一角は、彼女を疎んだ者たちの手によって無残な姿にされたあとだった。
小さな背中はいつもよりずっと近くにあるのに、いつもよりずっと小さくなっているように見える。
騎士は彼女にかける言葉を探すも、上手い言葉が見つからない。辺りを見回してみても、無残に散らされた花が散らばっているだけ。可哀想に思った騎士は、その花を一輪一輪丁寧に拾い集めた。
全てを拾い終える頃には、騎士の手には立派は花束が出来上がっていた。
無理に、いいんです。
騎士は、初めて彼女の声を聞いた。柔らかく優しい、耳心地の良い声だ。
拾い集めた花束を悲しげに見つめる彼女に、騎士は首を横に振って、花束を彼女に差し出した。
私はこれほど綺麗な花束を見たことがない。散っても尚美しいとは、あなたの技術の素晴らしさが分かる。
騎士が素直な気持ちでそう言うと、庭師の少女は逡巡ののち、差し出された花束を受け取って微笑んだ。
王国の騎士からの賛辞に、庭師の少女は礼を言う。世辞であっても嬉しいと言う彼女に、騎士はこう言った。
もし、私の言葉が信じられないのならば、私はあなたに会うたび花を贈りましょう。けれど、あなたの手掛ける花にその美しさは及びません。そうあなたが分かってくれるまで、私はあなたに花を贈りましょう。
それから、騎士は彼女に会うたび花を贈った。薔薇やペチュニア、向日葵にブーゲンビリア、竜胆や山茶花まで、季節を彩る花々を贈りながら、騎士は密やかに彼女を想い続けた。
けれど、騎士の仕事は王国を護ること。彼の使命は、騎士という称号を得たときから変わりようもない。国同士の戦争で、騎士は長らく王国を離れることとなった。
戦地で目にとまる花に彼女を投影して、次はいったいどんな花を贈るかと考えることが騎士の楽しみでもあった。
戦争が終わり、王国に凱旋する騎士たちを国民は諸手を挙げて喜び迎えた。戦争に疲れた騎士たちが城に着き、彼は疲れもなんのそのと、真っ先に庭師の少女の姿を探し求める。
やっと出会えた彼女は、騎士の生還と凱旋を喜び、騎士が持ち帰った綺麗な花に微笑んだ。この笑顔を見るために帰ってきたのだと思いながら、騎士が次の言葉を言う前に、彼女の後ろから男が現れた。
騎士もよく知るその男は、同じく凱旋した仲間の一人だ。
その男を嬉しげに招いた彼女は、騎士に彼と婚約をしたのだと報告した。
騎士の知らぬところで、二人は愛を育んでいたらしい。騎士は騎士らしく、二人を祝福し、そしてついぞ彼女に想いを伝えることはなかった。
「私が贈るどんな花も、あなたの美しさには敵いません…その一言で、物語は変わったんだろうか」
女の子とのデートを邪魔された挙句、連れてこられた居酒屋。
向かいの席で黄昏れて、室内だってのにサングラスなんか掛けて格好つける兄を、僕は頬杖で眺めていた。
「まぁ…リアルってのは、得てしてそう上手くはいかないのかもしれないな。フッ、こういうエンディングはなんと呼ぶのだろう、バッドエンド?いや、ハッピーエンドか?オレには上手く判断出来ない…」
視線を外してカシオレをこくり。あんまり直視すると目が潰れそうだ。
イタさ全開、イタさの押し売り大セール中であるこの兄に対して、僕は多分かける言葉を持ち合わせちゃいない。
もし変に声をかければ、話が長引くのは目に見えているからだ。
きっっもちわるいカラ松兄さんの妄想夢物語は、その全てが妄想話ではない。最初は「なに言ってんだコイツ、たんこぶなんか作って、頭打ってついに壊れたのか?」とも思ったが、どうやらそうじゃないらしい。
高二の春。
二年になると、なまえちゃんはそれまで続けていたクラス委員の活躍のせいで、面倒くさいことに教師たちに気に入られてしまったらしい。だからまたクラス委員に任命されるのかと思えば、彼女は人気のない美化委員を押しつけられてしまった。クラス委員でなくても、ボランティア的に学内の風紀に気を配ってもらうことを教師たちは望んでいたらしい。まったく身勝手で無責任な話だ。
美化委員の仕事は、その名の通り学内の美化活動だ。学内でポイ捨てが起きないようポスターの作成をする単純なものから、花壇の整備や管理という面倒なものまで、美化委員は影が薄いのにやることが意外と多い。
お昼に好きな音楽をかけたり、夕方に下校のアナウンスをしていればいいだけの放送委員であった僕とは天と地の差だ。
でもなまえちゃんは楽しんで美化活動に取り組んでいた。
自分の分担の花壇を一生懸命に世話していて、その真っ直ぐな姿勢も僕は好きだった。
そしてそれは夏のこと。
頑張って世話していた花壇に花が咲いたのだとなまえちゃんが話してくれた。本当に嬉しそうに、少し誇らしげに、なまえちゃんは笑顔を輝かせた。
けれど、その花壇はその日のうちに無残に荒らされることになった。このことを僕はその夜にカラ松兄さんから聞かされた。
勿論、僕は原因を探った。どうしてなまえちゃんがそんな目に遭うのか、僕には理解が出来なかったのだ。
人脈をフルに活用すると、犯人も、そしてなぜそうなったかの理由もすぐに僕の知るところとなった。
主犯は、僕と同じクラスの女の子だった。
可愛くて、いつも取り巻きみたいな誰かと一緒に居るような子。僕ともよく話しをしたし、普通に明るくていい子だと思ってた。
突き止めてすぐ、僕は彼女を呼び出して話を聞くことにした。待ち合わせ場所に、なぜか頬を赤らめてやって来た彼女は、僕が話を進めるとその顔を青ざめさせて、終いには泣き出してしまった。
彼女は、僕のことが好きだったらしい。
その僕が仲良くするなまえちゃんのことが気に入らず、もともとなまえちゃんのことを良く思っていなかった奴らをけしかけて花壇を荒らさせたのだそうだ。
なまえちゃんのことを嫌う奴なんているのかと思ったが、話を聞くとそいつらは一年の頃になまえちゃんに喫煙を見られて注意されただとか、同じ美化委員でなまえちゃんが花壇の世話を真面目にやるから自分たちもやらなきゃいけなくなっただとか、本当にただの逆恨みでしかなかった。
喫煙を教師に報告しない優しさとか、自分たちのただの不真面目さを棚上げして、どうして人を貶められるものなのか。
こんなクズにはなりたくないと思える奴らだ。僕は確かに今立派なクズだけど、あいつらと同じクズではないと思ってる。
とにかく、なまえちゃんの花壇が荒らされた根本的原因は僕だったのだ。自分を責めるつもりはまるで無いけれど、少しくらいは罪悪感もある。人生初にして最悪のモテ期だった。
カラ松兄さんの話の裏話は、こんなところだ。
クッソ分かりづらいが、きっと先程延々聞かされた話は、この時のことをクソ松フィルターに掛けたものなのだろう。イタさはとどまるところを知らないが、実際なまえちゃんを元気づけたのはカラ松兄さんなのだろうから、あまり強くも言えない。
ってなわけで、僕は珍しく素直にカラ松兄さんの話を聞いていた。耳が腐りそうだけどね。
「なぁトド松、“言わない勇気”ってあると思わないか?」
カラン、とカラ松兄さんが傾けたグラスの氷が綺麗な音を奏でた。中身はきっと麦茶だ。
「オレはな、そうすることしか出来なかった。…臆病だったのかな」
そんなの知らない。
それが、優しさだったとしても、臆病だったとしても、関係無い。僕には、僕たちには、もう関係無いのだ。
「トド松…?…えっ、泣いてるのか!?」
違う。これは、心の汗ってやつだ。うわ、クソ松兄さんみたいなこと言っちゃった。
「そうか…トド松、ぐすっ、まさか、オレのために泣いてくれるなんてなぁ…、お前にもちゃんと心があったんだ!!お前はドライモンスターなんかじゃあない!!ホカホカしっとりモンスターだ!!」
勝手に勘違いして男泣きし始めた目の前の兄に心底引いている。ホカホカしっとりモンスターってなんだ。僕の呼称を更にひどくするのはやめてもらえないだろうか。
無くなったカシオレをテーブルの端に寄せて、ついでに心の汗を拭った。これは、グラスの水滴みたいなそういうアレ、温度差による結露現象みたいなもんなんだ。勿論僕の中身が冷たいって意味じゃなく、今日の冷え込みが厳しいって意味だ。
ただ、なんとなく考えてただけだ。
あのとき、僕が告白していなければ、現在は変わっていたのかなって。未練がましいのは百も承知だ。認める認めないとかそういう問題なんかじゃないんだ。
ただ漠然と、僕には“言わない勇気”なんて出せなかったなと、そう思っただけだ。
閑話・知らせずの恋
ところでトド松、オレ金無いんだ。
カラ松兄さん今すぐ死んで。
(2017.01.22)