シャッ、と軽快な音を立てて試着室のカーテンを開く。
「まあまあね。じゃあ次」
「い、一子さん…まだ着るんですか…?」
軽くランチを済ませ、服屋さんをじっくり見て回ること六件目。ようやく一子さんのお眼鏡に叶うお店に辿り着いたと思ったら、今度は試着、試着、試着の嵐。それも全て、私が、だ。
ひとつの試着室を陣取り、一子さんが次々に持ってきてくれる服を、着ては見せ、着ては見せ、未だ一子さんから好感触な評価はない。
あまりにも長い時間、試着室を陣取っているのはお店の人にも悪いし、モデルが悪いから一子さんのピンとくるものが見つからないんじゃないかとも思うのだけど、せっかく選んでくれている一子さんにまさかそんなことは言えない。
「まだ着るんですか、じゃないわ。まだ着るのよ」
「はーい…」
一子さんに促されて試着を始める二十二着目。ハイネックでノースリーブの黒いロングワンピース、それにラベンダーカラーのMA-1を羽織る。自分では普段決して選ばないラインナップの数々に、一子さんのセンスの良さを垣間見る。それに、今まで着たどれもが今の私のヘアスタイルや化粧に合わせたものだった。まさに今、私は一子さんの着せ替え人形そのものだけれど、センスが良いから嫌だなんて全然思わない。
ワンピースの裾を整えて、試着室の全身鏡に姿を映す。別人に見える鏡の向こうの私が、今までの自分を振り返るように笑った。それは、自嘲めいた笑みだ。
学生時代。
男性が怖いという理由で寮に籠りがちだった私を、外に連れ出そうとしてくれた友達が居た。私の事情を知り、女子数人で固まって歩けば怖くないと提案され、渋々承諾。実際に固まって歩いているうちは良かったのだけど、皆だって楽しみたいことや興味のあることがある。私ばかりに関わっていられないし、お店に来たって一人で歩き回れない私は、はっきり言ってみんなのお荷物だった。
女の子たち特有の恋バナにも参加出来ない、外にも出ないしテレビも見ないから流行にも疎い、好きなアイドルや俳優の話だって出来ない。興味のある話題を共有出来ない私から離れていく子は少なくなかったし、私も理解を求めようと思わなかったから、自分から距離を置いた。
結果、今までの人生で一番長かった学生時代を過ごして、残った友達は一人も居ない。
だから、美容院に行ってイメチェンを勧められたり、褒められたり、服屋さんで試着をして誰かの着せ替え人形になったり、ちょっと疲れて暗に不満をもらしても嫌な顔せずあしらわれたり、そんな普通の友達同士みたいなこと全てが初体験だった。それが一子さんと出来ているなんて、凄く嬉しくて楽しくて、
そして悲しかった。
溢れる気持ちが、瞳に水分の膜を張る。理由の分からない感情の波を収めるように深呼吸をひとつ。私は試着室のカーテンを引いた。
「遅かったわね、サイズ合わなかった?」
「い、いえ、ちょっと着るのに手間取りまして…」
「そう、じゃあそれ着ていくからタグを切ってもらいましょうか」
「・・・えっ?」
「あら、気に入らない?どっちのアイテムも使い回しが利くし、持ってて損はないと思うわよ?」
「あ、いや、そうじゃなくて、これ、着てくんですか?」
「ええ、今日の服はヘアスタイルやメイクとミスマッチだもの。ほら、早く出て来なさい」
「は、はいっ…!」
慌てて下を見れば、私の靴が無い。
「あ、あれ?一子さん、私の靴…」
「オシャレは爪先までするものなの。そこに用意してあるでしょ?」
見れば、確かに今のワンピースによく合いそうな黒のサンダルが用意されている。もうなにも言うまいと、そのサンダルに足を通して、バッグを持つ。今日は黒のショルダーバッグだったからか、バッグまで変更にはならなかったようだ。履き慣れない踵の高さに少しぐらつきながら、一子さんの隣に立つと、少しだけ一子さんの背に近づいた。それが、一子さんと対等になれたような気になれて少しだけ嬉しい。
そのままお会計をしてしまいそうな一子さんを思い切って押し退ける。ささっと会計を済ませ、着ていた服や靴が入ったショップバッグを持ってお店を出ると、一子さんは少しだけ不満そうな表情だった。まさかここの払いまでさせるわけにはいかない。
「さて、そろそろいい時間ね」
時計を見ると、時刻は十九時。随分長いこと服屋さんを回ったり試着をしていたようだ。なんだか今日は時間を忘れっぱなしだ。
そろそろ、いい時間。
そうか、そろそろお別れの時間なのか。そう思い至って、鼻がツンと痛んだ。もっと一緒に居たい、けどそんなわがままも言えない。離れがたくて、俯いてしまう。
「なまえ」
「…は、はい」
「女の楽しみっていうのはね、自分を着飾って自分に自信をつけること」
「……自分に、自信を…」
「そう、本当は更に男に褒められると良いんだけど、それはアンタには有効じゃないから、今日は私が褒めてあげるわ」
俯けていた顔を上げると、一子さんがとびきり優しい笑みで私を見ていた。
胸が、苦しい。
「綺麗よ、びっくりするくらい簡単に見違えちゃって、ちょっと悔しいくらい」
「いち、こさん…」
胸が苦しい。
一子さんの微笑み、言葉、声、震える睫毛、それら全部にくらくらして、ドキドキする。ただ、意味も無く闇雲に一子さんの名前だけを呼んでいたい。少しでも気を抜くと、泣き出してしまいそう。この気持ちは、いったいなんなんだろう。
「まぁ、私一人がそんなこと言ったって信用無いかもしれないわね」
「そ、そんなこと…ッ!」
「だから今日は、アンタを褒めるためだけに助っ人を呼んでるのよ」
「え、す、すけっと…?」
「時間は大丈夫?このあと近くの居酒屋予約してるの」
「あ、え、時間は、大丈夫です…」
「じゃあ行くわよ」
手を引かれて、歩きだす。
ここでさよならじゃなくて良かった。でも助っ人なんていらないくらい、一子さんの言葉だけで充分なのに。なんて、そんなことを言えばこの時間が終わってしまいそうで、口に出来ない。
今日の一連の流れ全てを一子さんが私に自信をつけさせるために計画して、私のためを考えてしてくれたことなんだと思うと、嬉しくて、嬉しくて、ああ、一子さんはやっぱり素敵な人だと心が叫ぶ。
一子さんがそばに居るからか、あまり周りを気にせずに辿り着けた居酒屋。私たちはすぐに個室へと案内された。個室には、見覚えのある二人の女性が居て、二人の顔は既に出来上がった状態のように見える。
「おっそぉおおおいぃ〜!!十四子待ちくたびれたぁあ〜!!」
「一子ォ、六時からって言ったじゃん!遅いからもう飲み始めちゃってたよー!!」
「二人ともみっともないから、一回水飲みなさい」
少しの荒ぶりを見せる十四子さんとトド子さんに、一子さんはぴしゃりとそう言い放ち、案内してくれた店員さんに早速お冷を頼んでいる。
狭い個室に入り恐る恐る座るまで、ずっと十四子さんとトド子さんの据わった目が私をじっと捕らえて居心地が悪かった。なぜだろう、ちょっとした敵意のようなものを感じる…、前の席でなにか二人を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか…
「一子、その子は?」
「一子まで可愛い子連れてくるのぉ?もうおそ子がこの前連れてきたなまえちゃんだけでお腹いっぱい!もう可愛い子見たくない!」
「分かる〜!自分より可愛い子全員消えてくれって思うよね!」
「思うよねー!可愛いの世界基準が私にならないかってすっごく思うー!」
「えー、でもトド子もう充分カワイイじゃーん」
「十四子もカワイイよー」
「「うふふふふあはははは!」」
…な、なんだろう、凄く温度の無い会話だ…。ああでもこれ、学生時代に周りの子が似たようなこと話してた気もする。どの世代でも、みんな話すことって一緒なんだなぁ。
酔った二人の勢いに気圧されて少し後ずさると、一子さんの肩にぶつかってしまった。謝ろうと見上げれば、なぜか頭を撫でられる。一子さんの行動に首を傾げるも、突然のことに謝罪の言葉が吹っ飛んでしまった私はそのまま素直に撫でられるしかなかった。一子さんの手が頭を撫でるだけで、ぶわっとなにかが溢れそうになる。
「もう、アンタたち、この子が怖がってるでしょ。なまえが女性恐怖症の二重苦背負ったらどうするつもりよ」
「えー?なまえって、この前おそ子が連れてきた子でしょ?」
「そうよ、この子誰?」
「だから、なまえよ」
「あ、あの…こんばんは、十四子さん、トド子さん…」
「え」
「えっ?」
「「ええええーーーっ!?」」
キーーーン、鼓膜を貫いた二人の叫び。ちょうどやって来た店員さんがお冷を置いていくと、二人はそれをまるでロックグラスでも呷るかのようにカッと飲み干し、ダンッとテーブルに叩きつける。そして、ずいっと擬音が聞こえてきそうな勢いで顔を近づけてきた。失礼ながら、私は一子さんに縋りつくような勢いで後ずさってしまった。
「え、嘘でしょ?だって前会ったのいつよ、つい数日前だよね?」
「そうよ、変わりすぎじゃない!?なになに整形!?」
「あ、う、あ、の、」
「サロンに連れて行って服も選んであげただけよ」
「うっそでしょ、どこのシンデレラ!?」
「やっぱ素材!?素材が良いとなんでも似合うわけ!?超不公平!!」
今度は頭を抱え始めた二人におろおろしていると、一子さんが私の頭にぽんと手を置いたので、助けを求めるように振り返る。
「あっあの、一子さんっ、十四子さんとトド子さんに、私なにか不快な思いを…っ」
「なに言ってんの、今アンタ褒められたのよ?」
「……え、え?」
褒められた、のだろうか?二人を見ても、怒りの形相でなにやらかを言っているだけで、褒められた気は全然しないのだけど、一子さんがそう言うのだからそうなのだろうか。
「あーっ、もう飲む!今日は飲んじゃう!」
「あーん十四子も飲むー!」
「なまえちゃんも飲んで飲んで飲む!」
「えっえっ」
「ちょっと、この子お酒弱いんだから…」
「だぁめ!お酒に酔えばどんな女もボロが出るもんなの!それを見なきゃ気が済まないの!」
「なまえ!今日はとことん付き合ってくれるよね?ねっ!?」
「あ、あの、そ、の」
「はぁ、失敗したわね…。なまえ、こんな酔っ払いほっといてもう帰りましょ」
一子さんはそう言ってくれたけど、それは十四子さんとトド子さんに悪いと思う。ならば、ここは腹を決めるしかない。
「わ、私も、飲み、ます!」
「「よっしゃ!」」
「ちょっとなまえ、アンタ、」
「大丈夫です、ちゃんと加減して飲みます!…だめ、でしょうか…?」
「……はぁ、いいわ。無理はしないでよ」
一子さんは溜め息まで艶やかだ。なんて変なところに思考が飛んでしまった。…なんか、思考回路が変になってきてるかもしれない…
頭を振って気持ちを切り替え、十四子さんとトド子さんのために苦手なお酒も頑張ろうと意気込んだ。
・
・
・
「んでさぁ、そのオトコなんて言ったと思う?十四子が軽そうだから無理って!!向こうから声掛けてきたくせに、付き合うのは無理ってどういうこと!?その理由が軽そうってなに!?」
「あー、分かる分かる。セフレはいいけど、本命は無理とかねー」
「もうマジ超バカにしてる!!十四子軽くないもん!!ビッチじゃないもーん!!」
「良かったじゃない、変なのに掴まんなくて。そんな男、どうせ付き合ったって上手くいかないわよ」
「それはそうだけど…なにがムカつくって、そいつ顔がイケメンだったの!!」
「イケメンならなにしても許されるとか思ってそうだよねー」
「そう!それ!ブサメンだったらもとから靡かないっつの!!」
「結局、顔の良い男は持て囃されて育ったから性格歪んでるのよ」
「キィーー!悔しいィー!イケメンの彼氏ほーしーいー!!」
「「それな」」
お酒を飲み始めて、恐らく一時間くらい。せめて軽めのカクテルをとカシオレをちびちび飲んでいる私でありますが、三人の会話にまったくついていけません。飛び交う用語すら分からないという体たらくぶりです。
会話の内容の殆んどが男性の話で、だいたいは十四子さんがフラれた話や、トド子さんが良いように使っている男性の話ばかり。一子さんは二人の話に相槌を打ったり横槍を入れたりしているけれど、自身のことはあまり話さない。私はと言えば、学生時代と同じ。経験もなければ興味もない話にどうしていいか分からず、その殆んどを俯いて聞いている。ああ、こんなんじゃせっかくおそ子先輩が紹介してくれた十四子さんとトド子さんにも嫌われてしまう。もっと怖いのは、一子さんに嫌われてしまうことだ。でも、分からない話題に上手く返せる話術があるわけじゃないし、結局は関わらないようにすることしか出来なくて、…自分が恥ずかしくなる。
「ねぇねぇ、なまえはどう思う?」
十四子さんから唐突に振られた会話に、ぱっと顔を上げるも、上手く言葉が出て来ない。だって、そんなの分からない。どうとも思わない。男性がどうとか、そんなの、
「なまえ」
一子さんの声に、一子さんの顔を見る。
「思ったまま言ってみなさい」
思ったまま?思ったまま、私の、思ったままを言葉に、
「…分かり、ません。私は、もとから男性はみんな顔なんか分からないし…イケメンとか、そうじゃないとか、男性とお付き合いしたいって思ったこともないので、選ぶ基準とか理想とかそういうのも分かりません…。…でも、そんなことを言う男性と十四子さんがお付き合いしなくて良かったって、思います。十四子さんは、明るくて、面白いことも言えて、化粧も上手くて、素敵だなって素直に思うので…、もっと十四子さんの中身をちゃんと見てくれる男性が居るんじゃないかって…そう、思います…」
素直な気持ちを言葉にした。
けれど、三人はすっかり黙ってしまって、ああやっぱり私はこういう話に入るべきじゃなかったんだと思った。
「ありがとぉおお!!なまえ!!」
謝ろうとした次の瞬間、突然体当たりを食らった。
いや、体当たりだと思ったのは、十四子さんに抱き締められていたようだった。甘い香水の匂いに包まれ、更にふくよかな胸が顔面を包んでいる。むぎゅ、むぎゅ、と十四子さんに抱き締められるたびに顔に柔らかに当たる感触。息苦しさだけでなく、顔が熱くなる。
「十四子、なまえが潰れるわよ」
「あ、ごめーん」
「っげほ、だ、だいじょぶ、です…っ」
「もォ、だって!つい嬉しくって!十四子のことそんなふうに言ってくれるのなまえだけだよぉ!」
「い、いえ、そんなことはないかと…」
私を解放してくれた十四子さんが、きらきらと笑う。ただ素直な気持ちを話しただけで、まさかこんな風に喜ばれるなんて思いもしなかった。
そこからは、ぎこちないながらも会話に入り込めて、分からない話題に首を傾げると笑われたけれど、それもひとつのコミュニケーションなのだと思えた。なにも、怖がったり億劫に思う必要はなかったんだ。私が話題についていけなくても、三人が温かく迎え入れてくれて、新しい知識をくれる。なんだか、会話についていけないからと、興味のない話題だからと、ただ俯いて聞き流していたのが馬鹿みたいに思えた。知らない話題だって、ちゃんと話してみれば新しいことが知れて、こんなにも楽しい。
「なまえ、どう?」
十四子さんとトド子さんの二人がトイレに立って居なくなると、一子さんがそう言って口元に笑みを浮かべた。どういう意味かと首を傾げると、可笑しそうに、ふふと笑われる。
「楽しんでる?」
「あっ…はい!楽しい、です!」
「それなら良かったわ」
綺麗な手に似合わないジョッキグラスをテーブルに置いて、一子さんの体がこちらを向いた。そのままテーブルに頬杖をつく姿が、あまりに艶っぽくてびっくりしてしまう。この人は、なんでいちいちの所作がこんなにもドキドキさせるんだろう。
「女の楽しみっていうのはね、小さいことばかりなのよ」
「小さい、こと…?」
「ええ。おしゃれしたり、それを褒められたり、美味しいものを食べたり、親しい人とおしゃべりしてみたり」
確かに、今日一日を私はとても楽しんでいて、思い返してみても自然と顔がにやけるくらいには幸せな時間を過ごしていた。
「そういう小さいことの積み重ねに、日々幸せになれる。女って凄く安上がりよね」
「ふふ、そうかもしれませんね…」
「でもね、それには全部自分への自信が必要なの」
「あ…、ここへ来る前もそう言ってましたよね…?」
「ええ、だって自分に自信が無いと人目を気にして上手く楽しめないでしょう?食事だって気を張ってちゃ味が分からなくなるし、会話だって俯いてばかりじゃ弾まないでしょ」
「………そう、ですね。本当に、そうです」
俯いてただ聞き流していた三人の会話に、ただ顔を上げて聞き入ってるだけでも受け取り方が全然違った。苦手な男性の話だって笑って聞けて、三人の笑顔を見ることを楽しんでいた。
「私…、変われるのかな…」
「あら、変なこと言うのね」
「…やっぱり、変、でしょうか…?」
「ええ、だって、アンタはもう変わり始めてるじゃない」
目を見開く。一子さんがミステリアスな微笑みで、私に視線を流し、綺麗な指先が頬をついっと撫でていった。
「ねぇ、なまえ。女であることは楽しいでしょう?」
「え…、……はい、今日初めて、そう思えました」
女であることが、楽しい。
今まで、男性が怖くて怖くて、女なんていう弱い立場の自分が大嫌いだった。ただ泣いて逃げることしか出来なくて、いつも逃げ道ばかりを探している自分が、情けなくて恥ずかしくて大嫌いだった。
でも、一子さんと居ると、そうじゃないのかもって思える。立ち向かうなんてやっぱり無理だけど、女であることまで怖がる必要は無いんじゃないかって、そう思える。
「覚えておくといいわ。女は、最強なの」
「女が、最強…?」
「ええ、男なんて女が居ないとなにも出来ないただのクズ。単純で、ただちょっと力が強いだけ。どんな男もね、強い女には敵わないのよ?」
「強い女って、喧嘩とかですか…?」
「バカね、違うわよ。しっかり自分を持ってしゃんと立ってる女のこと」
「…しっかり、自分を…」
「そう、女の強さは力じゃない。美容でも勉学でもいいから自分を磨くとね、“芯”が出来るの。簡単に言えば、“自分は魅力的だ”って思える自信みたいなものよ。…そうやって真っ直ぐ立って、堂々と歩くだけで女は最強になれる」
「それは…」
一子さんはいとも簡単にそう言ってのけるけれど、それは私にとって途方もなく困難なことに思えた。自分は魅力的だ、なんて考えたこともない。私には、きっと無理だ。私は、一子さんの言うような強い女には、なれっこない。
自然と俯く私の顎を、すいっと一子さんの指先が掬い上げる。見上げた顔が、近い。
「俯かないの」
「で、でも…私、」
「誰だって最初から最強なわけじゃないのよ。みんなそれぞれ努力してるの」
「…一子さんも、ですか…?」
「ええ、もちろんよ」
「…………、…でも、」
「なまえ」
下がった視線を、名前を呼ぶだけで上げさせられる。至近距離で見える一子さんの瞳は、夜空みたいに綺麗な色を煌めかせていた。
「アンタは、魅力的よ」
「…っ、」
「まぁ、まだまだだけどね。…それでも、私には凄く、魅力的に見えるわ」
まただ。
胸が、苦しい。
「だから、俯かないで」
「いち…いちこ、さん…」
「逃げ腰なのもひとつの処世術だと思うし、簡単に自分を信じてあげられない気持ちも分かる。でもね、自分の可能性からは逃げちゃダメ」
自分の可能性。
…私は、変われる。この人のそばに居れば、きっと変われる。きっと、私は、一子さんのために変われる。
「なにしてんの?」
色々なものが溢れすぎて、一子さんへのお礼も口に出来ないでいると、十四子さんとトド子さんがトイレから帰ってきた。一子さんと至近距離で見詰め合っていたことに気づいた私は、慌てて後ずさって土下座のように一子さんに頭を下げる。
「あっ、あの、ちょ、と、ただ、そのっ」
なにもやましいことなんてないのに、無駄に焦る私に首を傾げる二人。すぐそばの一子さんが溜め息をついた。申し訳ない。
「ちょっと、今後のアドバイスをしてたの」
「アドバイス?」
「自分に自信を持つとか、そういう話」
「あ、なるほどねー。確かになまえちゃんって自分に自信なさげだもんねぇ」
やっぱり、傍から見てもそう見えるんだ…
「でもなまえちゃんって、ピュア〜って感じが良いんじゃない?」
「えー、十四子的にはもっとオドオドしてないほうが良いと思うなぁー」
「まぁ確かに、そのドモリ癖はちょっとうざいかなぁ」
「うっうざ…っ!?」
す、好きでどもってるわけでは、ないのです、けども!
「もっと自信持ってシャッキリ話したほうがいーよぉ?」
「シャッキリ……」
「うんうん!オドオドしてると弱く見られちゃうし、嘗められるし、良いことないよ!」
「それはそれで守ってあげたーい!っていう奴は居るけどぉ、でもそれよりもっと多いのが、泣き寝入りしそうって思われて簡単にヤられちゃうことだから!マジ気をつけたほうがいーよ!マジでマジで!」
「やられる…?殺られる…!?そ、それは嫌です!!」
「でしょぉ!?」
そうだ、私は変わるんだ。十四子さんとトド子さんの二人も、私の欠点を指摘してくれている。それに、あまり気弱にしていると殺されてしまうなんて…私の知らない間に世の中はとても物騒になっている…。その中で男性ばかりを怖がっている場合ではないのかもしれない。もっと広いことに目を向けて、しっかりと“芯”を持っておかないと男性云々の前に、私は世界的にも治安の良いとされている日本ですら生きていけないのではないだろうか。
「ハイ!じゃあ今から、なまえちゃんはハッキリ自分の意見を話す!どもらない!」
「は、はい!がっ、頑張ります!」
「はい、早速アウトぉ〜!どもったらテキーラひとくちね!」
「ええ!?そ、そんな…っ」
「はーいテキーラふたくち入りまーす!」
「あっあっ、待って、待ってくださいぃ…!」
「アンタたち、ちょっとは手加減しなさい!なまえも、無理に飲んじゃ…あ〜あ…」
一子さんの声を最後に、私の記憶は途切れてしまった。
―Charlie Chaplin
下を向いていたら、
虹を見つけることは出来ないよ。
―チャーリー・チャップリンー
(2017.03.20)